雪原をゆく
『お嬢、約束通り、たくましい連中を集めときやした。率いるのはあっしの倅――カズーです。こいつらの命を使って、獣王の奴らを蹴散らしておくんなせえ』
注文した通り、ヤズーは配下の兵士を集めてくれた。
ヤズーと同じ狢人を中心とした五十人にも及ぶ屈強な男達だ。ヤズーと同じように骨をかぶった者もいるが、彼がその息子カズーのようである。
『かたじけない。アムイを奪還した暁には、必ずやそなたの功に報いるとしよう』
『いいってこってすよ。若い頃に無茶やらかしたあっしを助けてくれたのは、君子様でしたから。もう少し若けりゃあ、あっし自ら同行したんすけどねえ……』
『よいよい。気持ちだけで十分だ』
メリューは苦笑して応えた。
ヤズーの年齢は四十代の前半といったところ。狢人の寿命を基準にすれば、老境に近い年頃のはずだ。
『君子様のこと、あっしからも頼んます』
『私の父様だ。言われるまでもない』
メリューは不敵に笑って応えた。
そうして、ヤズーの見送りを受けた一行は、竜骨の町を出発した。
早朝とはいっても、冬の北国のことであり日の出は遅い。町の日時計によれば、午前八時といった頃合だった。
五人の前に一面の銀世界が広がる。そこになおも雪が降り注ぐ。白一色とはいっても、雲海とはまた違った美しさがあった。
五人の後ろには五十人ほど、カズー隊の兵士が連なっている。食料などの荷物は、彼らがソリを使って運んでくれていた。
ミスティンは荷物の運搬に竜車を望んだが、そちらは却下された。
走竜は雪道にも強く、その点では申し分ない。……が、問題は後に控える山と塔だ。さすがに急峻な山や塔を竜車で登るのは不可能だったのだ。
一同は登山を想定して、より厳重な防寒着をまとうようにした。フード付きのマントや靴はもちろん、手袋や靴下まで現地で使用している厚手の物に変更している。
そのせいで全員の格好が同じになった。
ひときわ小さなメリューと背の高いグラットは一目瞭然だが、他の三人は後ろ姿の区別がつかない。ただ背負う荷物だけが違っていた。
そうして、銀世界に続く道を徒歩で進んでいく。まずは五日で、アムイ島の真下にある塔まで到達する予定だった。
塔までの距離は北西に三十里。通常ならば、三日もあれば余裕を持って到達できる距離である。
ただし、道中は雪路を進む上に、登山もせねばならない。雪が深すぎては馬に頼ることもできない。
それらを考慮して、日程には余裕を持たせていたのだが……。
* * *
「これじゃ、どこが道なのか分からないよ」
旅立って早々、ソロンは困惑していた。
町の近くについては、まだ道を見分けることができた。けれど、町から離れるにつれて、道は消えていこうとしていた。
本当なら、この先にも道は存在しているはずなのだ。だが、今はそれも雪の中に埋まってしまい、見分けるすべがなかった。
「心配いらんぞ、ソロン。木や傾斜が目印になるから迷うことはない。それにカズー達も私も、雪道には慣れているからな」
地図を手にしたメリューの声は、自信に満ちていた。
「本当に大丈夫なんかあ?」
彼女の発言に、グラットが心配そうな声を上げる。
「心配いらんと言っておろう。私に任せておけ」
そう言うなり、メリューは先頭へ躍り出た。小さな体で意気揚々と雪の上を進んでいく。
ソロンもそれを信じて、後に続いた。
そうこうしているうちに、雪が激しさを増していく。風はまだ激しくないため進むことはできるが、視界の悪さはいかんともし難い。
ついには、わずか先しか見通せなくなった。
後ろを向けば、今も風雪に耐える兵士達がぞろぞろと続いている。だが、その最後尾まで見通すことも難しかった。
『木や傾斜が目印になる』というメリューの言だが、今はその目印となるものすら満足に見えない状態だ。
「むむむ、まずいぞこれは」
これにはようやく、メリューも危機感をつのらせたようだった。
「心配いらん――じゃなかったのかよ」
グラットがメリューの口真似で責め立てた。
「いやその……すまぬ……」
「いや、なんかこう……素直に謝られるとなおさら困るんだが……。もっと、自信持って行こうぜ」
思わぬ反応に、グラットまでが浮足立っていた。
「これ以上、風が強くなると吹雪になるかもしれん」
そう言ったメリューは、しばらく押し黙っていたが、
「――やむを得ん。少し早いが、今日はここで野宿としよう」
ついには決断を下した。
下界の人口は乏しく、町や宿場は少ない。それはイドリスだろうと、ドーマだろうと同じことである。さらには、獣王の手下に発見されないよう、主要な街道は通らない方針となっている。
よって、野宿自体は今回の旅路において既定路線だった。
「仕方ないか……。けど、日程は大丈夫なの?」
「余裕は持たせてある。遅れは明日以降に挽回すればよかろう。遭難するよりは上策だ」
「それよか野宿って、どうする気だよ? テント張っても雪で潰れちまうぞ?」
「いや、雪洞を作ったほうが、テントよりよほど丈夫だ。上帝、水魔法は使えるな?」
メリューの質問に、アルヴァは当然とばかりに頷く。
「なるほど、雪洞ですか。カンタニア人にそういう風習があるとは聞いています。ただ、私自身に経験はありませんが……」
「我々が主導するから、そなたは手伝ってくれれば問題ない。私も子供の頃に遊びで作ったことがあるからな」
メリューは胸を張ったが、
「メリュー……。子供の遊びじゃないんだよ」
ミスティンが真顔でメリューを憐れんだ。
「ぐ……。そなたに言われると凄く腹が立つぞ。だ、大丈夫だ。子供でもできるのだから、大人の私にできぬはずはない」
「なんか、不安になってきたんだけど……」
ソロンの不安は募るばかりだったが。
「心配無用です。土魔法で小屋を作った経験は何度かありますから。理屈としては似たようなものでしょう」
「うむ。お姫様がそういうのなら大丈夫な気がしてきたぞ」
「ぐぬぬ……。見ておれよ」
雪に打たれながら、メリューが悔しげにしていた。
*
カズーら亜人達が力強く、かつ器用に雪を積んでいく。
どうやら、荷物の中にあらかじめシャベルを用意していたらしい。着々と円状に雪が固められていく。吹雪の中でも、毛皮に覆われた亜人達は至って平気そうだ。
素人が手伝えば崩してしまうだろう――とソロン、グラット、ミスティンは下手に手を出さず傍観していた。
さて、もう一方はどうかといえば――
大量に積もった雪を、メリューが念動魔法で動かしていく。外側から円を描くように、雪を積み重ねる。
そして、アルヴァの杖先には水の魔石――水流石が輝いていた。水魔法によって、雪は生きているかのように動き、形を作ってゆく。
「今更だけど、雪も水魔法で操れるんだね」
ソロンは不思議な感覚でその光景を見ていた。雪の降らないイドリスでは、実践の難しい魔法である。
「当然です。水も雪も氷も、成分は同じですから。逆に冷魔法では雪も氷も動かせません」
杖先から視線を外さずにアルヴァは答えた。
「あ~、冷魔法は冷やすだけってことか……」
今更ながら、ソロンは魔法の効果を正確に理解していないと気づいた。
氷晶石を用いる冷魔法であるが、その効果はあくまで冷気を生み出すのみ。水を氷に変化させられても、氷を動かすことはできない――というわけだ。
「ソロン、勉強が足りませんね」
「ご、ごめん。冷魔法なんて使ったことなかったから……」
失望されたのではないかと思い、ソロンは意気消沈した。
「いえ、気にすることはありません。帝国には無知の知という言葉があります。知らぬことを理解することが、真の智者へと進む第一歩なのです。いつでも私が指導して差し上げましょう」
「そ、そう……。じゃあ、また今度よろしくお願いします」
そんな大層な話だろうか――というのは置いておいて、機嫌は悪くなさそうだったことに安心する。
そんなやり取りをしている間も、アルヴァは休まず杖を振るっていた。
二人の力が合わさって、雪洞はまたたく間に形を成していく。
「わあ、凄い! ツルツルだ!」
ミスティンは大喜びで、雪洞の頭をなで出す。
「ミスティン、まだ早いですよ」
と、アルヴァがたしなめた。
十分とかからずして、ドーム型の雪洞ができ上がった。もちろんカズー隊の誰よりも早い最速の仕事である。
「見事なもんだな。けどよ、これ大丈夫なのか?」
「心配ありません。冷魔法で凍結して、補強も済ませています」
「うむ、完璧だ。軽く叩いてみるがよい」
グラットの懸念にも、二人は自信に満ちた声色で応えた。
さっそくグラットがコツコツと雪洞を叩いて確かめる。
「おお、確かにこりゃ固いな」
「じゃ、入ってみようか」
ミスティンが先陣を切って、狭い入口をくぐった。ソロンも続いて、雪洞の中へと入ってみる。
外の吹雪がウソのように、内部は穏やかだった。五人が眠るには少し狭いかもしれないが、まあ気にする程でもないだろう。
相変わらず外は吹雪いているが、ぶら下げた毛皮で入口を閉じれば問題ない。同じように床にも毛皮を敷いておくことにした。