児戯に等しい
五人が降り立ったのは、小高い山の上だった。
樹木は乏しく、丈の低い草がポツポツと生えているだけである。
乾いた空気がソロンの頬をなでつけてくる。雨量に乏しい黒雲下では、年中乾いた風が吹き続けるのだ。
「帝都から降りた時よりも明るく感じますね」
空を見上げて、アルヴァが言った。
上空の大半を雲に覆われた世界……。ソロンにとっては、雲海の世界よりも見慣れた荒涼たる世界である。
「小さな島の下だからね」
ソロンも見上げれば、上空を覆う小さな黒雲が目に入った。あの黒雲こそが、先程まで一行がいたソルベイリ島なのだ。
ソルベイリは帝国本島よりも遥かに小さな島である。そのため上空の日光を遮る範囲も、自然と狭くなるのだった。
広大な白雲から降り注ぐ光が、辺りを照らしてくれている。
「雪ばっかりだね!」
崖に近づいたミスティンが、遠くを見て喜んだ。
山の上から見渡せば、眼下はほとんどが雪に覆われていた。雲海を通り抜けた雪は、そのまま下界へと降り積もっていたのだ。
山の周辺だけが、ぽっかりと雪から逃れ、荒れ果てた野をさらしていた。この一帯だけは島の真下に位置するため、雪が積もらないのだ。
「うおっ、あっちにはアレがあるぜ」
かすかな嫌悪感と共にグラットが指差したのは、東の方角だった。
見れば遠くに、陸へ切れ込む赤い湾――呪海が姿を見せていた。同じ方角から立ち昇る朝日に照らされて、不気味な程に赤く輝いている。
「随分と浸蝕されてるんだね」
ソロンは溜息をつくようにつぶやいた。
「そうだな、あと四~五十年も持てばよいだろうか」
感情を交えずに、淡々とメリューが答えた。
上界にいる限りは、ソロンもその存在を忘れてしまいそうになる。だが、呪海は常に下界の大地を浸蝕し続けているのだ。
「……で、行き先はどっちだ? あっちじゃねえよな」
願望の混じったグラットの問いかけに、メリューは指を差して答えた。
「あちらだ。既に見えておろう」
指先が向いているのは南だった。
「あっ、ホントだ!」
と、ミスティンが叫んだ。
雪原に埋もれるように隠れているため、遠目には分かりづらい。町を囲む柵は白く、建物の屋根も白い。だが、町であることは疑いようもなかった。
見る限り、さほどの距離はないようだ。何時間か歩けば、たどり着ける程度だろう。
「こっちは界門と町が離れてないんだね。今も上下界で交流があるからかな」
イドリスにある二つの界門は、町から大きく離れた位置にある。かつては、界門のそばにも町があったが、上界との交流が途絶えると共に衰退していったという。
「ありがたいことです。帝都のそばから下界へ降りて、タンダ村まで歩くのに何日かかったことか……」
アルヴァが昔のことをしみじみと思い出していた。彼女にしては、珍しい愚痴っぽい言葉である。
「大変だったね」
「大変でしたよ」
ソロンの相槌に、アルヴァは万感の思いを込めて同意した。
*
小高い山を降りて、荒れ果てた大地を進みゆく。
一時間もしないうちに、雪原へと足を踏み入れた。
ジャリジャリと雪を踏みしめる音が響く。雪こそ降り止んでいるものの、ソロンにとっては慣れない雪道だった。
「ひゃ~、滑る滑る!」
そんな中でも、ミスティンは無駄に元気だった。靴を滑らせて雪の上で遊び回っている。
「ミスティン、危ないですよ」
アルヴァがやんわりと注意するが。
「きゃわっ!?」
と、滑って尻餅をつくのもお約束だった。
「ほら、だから言ったでしょう」
アルヴァは呆れるようにしながらも、ミスティンの手を取った。
それから、起き上がったミスティンの尻を叩いて、雪を払い落とす。相変わらず、アルヴァは保護者だった。
一面の銀世界へと、静かに雪が降り注いでいく。
うっすらと雪に埋もれた街道が見つかった。街道の向こうからは、わずかに建物の屋根が覗いている。これならば道に迷うこともなさそうだ。
吹雪になれば、この街道も見えなくなってしまうのだろう。
「ソロン」
「なに?」
ミスティンの声に振り向けば――
「いたっ!?」
冷たい感触が頬に当たった。
「あはは!」
ミスティンが笑いながら、両の手袋を叩き合わせている。雪玉を投げつけられたのだと、ソロンは悟った。
「何すんのさ!?」
なめられてはいけない。負けじとソロンも雪玉を作って投げ返す。
ミスティンは首を振って、ひらりと雪玉を回避した。抜群の動体視力を活かした無駄のない動きである。
「たあっ!」
「ぐはっ!?」
そうこうしているうちに、追撃の雪玉を受けた。赤髪に白い塊がべっとりと張りつく。
どうやら投擲については、向こうのほうが長けているようだ。
「お前ら、楽しそうだな……」
グラットは呆れるやら羨むやらの微妙な表情だった。
「ふっ、しょせんは子供だな」
メリューは余裕の表情で、見下すような眼差しで二人を見ていた。
「えいっ!」
……が、ミスティンの雪玉がそんなメリューの頭に命中した。毛並みのよい銀髪が、衝撃に乱れる。
ついでにソロンも背中に投げつけておいた。
「ぐぼぁっ! おのれよくも!」
メリューの瞳が怒りに輝き、地面から五つの雪玉が浮かび上がる。
正面、右斜め、左斜め……。雪玉は複雑な軌道を描いて、二人へと襲いかかった。
「のわっ!?」「うきゃっ!?」
ソロンの顔が雪玉に塗れた。ミスティンも同じようにして、顔面を押さえている。
「ふははっ! わが念動魔法を持ってすれば、雪合戦など児戯に等しい。どうだ、参ったか!」
メリューは腰に手を当てて、勝ち誇った。
児戯に等しいというか、雪合戦は児戯そのものである。実に大人げない。もっとも、見た目上の年齢で考えれば、相応の行為と言えなくもなかった。
「わわっ、反則だよ! こうなったら――」
ミスティンは背負っていた風伯の弓を取り出した。……ひょっとして、風でも起こすつもりだろうか。
「お、おいっ、その辺にしとけよ!」
慌てたように、グラットがたしなめたが遅かった。
次の瞬間、雷が落ちた。
いや、正確には雷が昇ったというべきだろうか。アルヴァの杖先から放たれた雷は、天の雲海に届いたのだから。
雷音が静まり、雪原に静寂が訪れる。
おずおずとアルヴァの顔色を窺っていたミスティンだったが、
「……アルヴァもやる?」
何を血迷ったのか、そんなことを言い出した。
「いい加減になさい! あなた達には緊張感がないのですか!?」
何にせよ、アルヴァの堪忍袋が切れたのは確かだった。
*
五人は押し黙って歩き続けた。
さすがのミスティンも反省したのか、大人しく歩いている。
メリューすらも叱られた子供のように、尖った耳をしょんぼりと折りたたんでいた。
グラットは触らぬ神に祟りなし――とばかりに、素知らぬふうだった。
周囲に冷え切った空気が流れ続ける。
「いえ……別に、そこまで黙らなくともよいのですよ」
空気に耐え切れず、先に折れたのは意外にもアルヴァだった。
「怒ってない?」
「怒っています」ミスティンの質問に、アルヴァは即答した。「ですが、くだらないことをしなければ、そこで矛を収めます。私は大人ですから」
「ほんと?」
「上帝はウソをつきません。だいたい……これでは私が悪いみたいではありませんか」
……当人も気にしていたらしい。ともあれ、これで空気がやわらいだ。
そうこうしているうちに、目的の町が近づいてきた。
町は白い柵のような物で囲まれていた。
柵の形状は縦に曲線を描いており、上にいくほど先細っている。色が白いのは雪をかぶっているせいではないらしい。白い石かと思ったが、それも違うようだ。
「これって、もしかして……骨!?」
間近で確認するや、ソロンは目を見張った。
柵のような何かは、巨大生物の骨のように思えたのだ。だとすれば、信じられない程に大きな生物である。
「うむ、巨竜の骨だな。そのまま、竜骨の町などと呼ばれているぞ」
「わあ、面白いなあ……!」
ミスティンはいつものように目を輝かせた。竜骨の柵を手で叩いて、コンコンと音を鳴らしている。
「壊れたりしねえだろうな?」
「心配いらん。竜の骨はそこらの木材よりも頑丈な素材だ。そうでなければ、柵になど使わんさ」
「何を思って、竜骨を柵に使おうと思ったのですか?」
「巨竜を倒した狩人達が、大量に余った骨で囲いを作ったのが始まりだな。最初は功績を誇示する目的だったようだが、いつの間にか人を集めることとなったようだ」
「はあ、こんなにおっきな竜を狩ったんだ。そりゃあ凄いねえ」
狩人としての親近感か、ミスティンがしきりに感心していた。
「もっとも、さすがにこれ全てが一頭の骨ではないぞ。それ以降、狩人の間で柵を骨で作ることが、すっかり流行したのだ。よく見れば、竜以外の骨も混ざっておる」
説明しながらも、メリューは門へと近づいていく。
門も加工した骨で作られているようで、見るからにいかめしい。
「――――。――――――」
メリューが声をかければ、番兵は不審がることなく門を開いた。中へと足を踏み入れながら、メリューは番兵と会話を交わす。
「うむ。やはり、獣王の手は入っていないようだな。では、ここの太守と会いに行くか」
会話の成果をさっそくメリューが伝達してくれた。そうして、町の奥へと歩き出すのだった。