妖の花
密林の中で休憩と食事を取って、また一行は歩き出す。
やがては、川が枝分かれしている地点に着いた。
今まで南西方向に流れていた川が東側にも枝分かれしており、ゆく道をふさいでいたのだ。枝分かれしたぶんだけ川幅は狭まっているが、流れも急になっている。
「予想よりも流れが速いようですね。徒歩で渡るには厳しいかもしれません」
川の流れを目にしながら、アルヴァが眉をひそめた。先へ進むには川の北岸から、南岸へと渡る必要があったのだ。
「陛下。もう少し流れのゆるやかな場所を探しましょう」
部下の兵士が女帝へと進言し、彼女もそれに頷いた。
ところが、しばらく歩いてみても、渡河に適した場所は見つからない。地図によると川は島の東端まで続いているらしく、迂回も困難なようだ。
「何か名案はないでしょうか?」
アルヴァは手を頬に当てて、考え事をしている。
「例えば、川を凍らせてみるとかは?」
駄目元でソロンが聞いてみた。もっとも、この一同に凍結の魔法を使える者がいることが前提だが。
「無理ですね。静かな沼ならともかく、流れる川となればそうはいきません。凍らせるにも膨大な魔力が必要でしょう」
魔法は万能ではない。
たとえ、川の一部を凍らせたところで、上流から迫る水が止まるわけではないのだ。凍った部分も瞬時に水流に飲まれるのが関の山――ということだろう。
「そんじゃあ木を橋にしたら、いいんじゃないっすか?」
続いて提案したのはグラットだった。アルヴァは振り返って。
「しかし、この急流では流されてしまうのでは? 短時間で安定した橋を作るのは、それなりに手間でしょう」
「何本か渡せばいけると思いますよ。まるごと投げ入れたら、水の勢いも殺せますし」
アルヴァは少し悩む素振りを見せたが、持ち前の理解力ですぐに頷いた。
「まるごと――とは枝葉ごと投げ入れるという意味ですね。原始的なようで案外、悪くないかもしれません。つい魔法に頼った方法ばかり考えてしまうのは、私の悪い癖ですね」
こういった探検術は、グラットを始めとした冒険者に一日の長があるようだ。それはさしもの女帝も認めざるを得なかった。
さっそく、男達が木を切り倒し始めた。
川幅より背丈が高く、なおかつ枝葉の多い木が狙い目である。グラットも持ち前の怪力を発揮し、槍の一振りで一本を切り倒した。
ただし、木を渡すのはグラットが口で言うほど簡単ではない。
川の中程にある突き出た岩に木を引っかけて、少しでも安定させるように工夫する。結局は五本の木を架け渡すことで、橋として最低限の体裁を整えた。
「じゃあ、こうしておこう」
と、ミスティンは縄を近くの木へとくくりつける。背中の矢を抜き出し、縄のもう一端を矢羽へと結んだ。
弓を構えたミスティンは矢を勢いよく放ち、対岸の木へと突き刺した。
これによって、両岸に縄がかけられた。
「相変わらず見事な技量ですね」
感心するアルヴァに、ミスティンが謙遜する。
「それほどでもないです。でも、あんまり強く引っ張ったら矢が抜けるかも」
「分かっています。なら私が――」
「僕が行きます」
アルヴァの声を遮って、ソロンが宣言する。彼女の性格なら、危険を自ら買うのも何となく予想がついていた。
即席の橋である以上、どうしても信頼性には難がある。だからこそ、最も身軽な自分が先陣を切ろうと考えたのだ。最初の一人が渡ってしまえば、縄をしっかりくくりつけることもできるだろう。
ソロンは木の橋へと慎重に足を踏み出した。
ミスティンの忠告に従って、あえて縄には手をやらない。
最初はそのままゆっくり進んでいたが、途中から一気に跳躍して南の対岸へと着地した。
「猿みたいにすばしっこいやっちゃな、お前は」
グラットが呆れ半分、驚き半分の声を上げた。
ソロンは矢に結ばれていた縄をほどき、木へとしっかりくくりつけた。これで後続はもう少し安全に渡れるはずだ。
ソロンは対岸のアルヴァへと目をやった。
「次は私が」
そして予想した通りに彼女が立候補する。先陣こそソロンに譲ったものの、次は隊長として自分が渡るつもりのようだ。
アルヴァは縄をつかみ、危なげない足取りで木の橋を渡ってくる。
万が一、体勢を崩すようなことがあれば、急流に飛び込んででも助けるつもりだった。
……が、幸いその心配も甲斐なく、彼女はまもなく橋を渡り切った。
「ありがとう。縄を渡してくれて助かりました」
アルヴァは丁重にソロンをねぎらってくれた。尊大なようで意外に丁寧なところもあるようだ。
後の一行も、荷物を落とさないよう慎重に渡る必要があったが、どうにか川を渡り終えたのだった。
*
川を越えてしばらくすると、大きな花がたくさんある地点に着いた。
人の頭がすっぽり包めそうな程に花は大きい。
黄色い花びらの下には、短い茎が隠れている。茎が短いので花びらだけが直接地面に置かれているかのようだ。
「でっかい花だなあ」
と、グラットが花びらを槍先でツンツンしている。
「やめなよ。何が起こるか分からないよ」
ソロンは一応、注意してみるが、
「大したこたあねえよ。見ろ、ただのデカい花だぜ」
グラットは取り合わない。
「ふむ……」
調子に乗ったグラットを、アルヴァは冷ややかに見ていた。
その視線に気づいたグラットは、さすがにバツが悪そうにする。慌てて槍を引こうとしたが――
突如、花びらが閉じて槍先をつかんだ。
「のわっ!?」
引っ張られそうになったグラットが、必死の形相で槍を引き抜く。
その槍につられるように、茎が上に向かって大きく伸びた。
……いや、伸びたのではない、立ち上がったのだ。
頭を露出して土の中に潜んでいた魔物が、こちらを感知して動き出したのだ。
周囲にあった他の花も、次々と地面から全身を現した。
髪のように見える花の下には、顔や胴体らしきものもある。色は多くの植物の例に漏れず緑だが、手が二本、足が二本――と形はどことなく人に似ていた。
「……花妖の一種のようですね」
至って冷静にアルヴァが言った。
花妖とは森に潜む植物の魔物である。他の植物に擬態して、獲物を待ち構える性質を持つ。地域や個体によって擬態の方法も変わるため、見抜くのは難しい。
花妖はこちらを囲むように立っていた。
数は二十程度。集団で獲物を待ち伏せする知能も持っているようである。
魔物はじわじわとこちらに近づいてくる。
その動きは遅いが、ムチのように長い腕をしならせている。うかつに近づけば痛い目にあいそうだ。
もっとも、長い腕もミスティンには関係ない。彼女は弓につがえて、さっそうと矢を放った。
風を切った矢は花妖の顔らしき部分に突き刺さった。衝撃で体を大きくのけぞらせたが、なおも動く気配を見せている。
大抵の動物は、顔を貫けばまともに動けなくなる。しかし、相手は植物――動物の常識は通用しないようだ。
それでも足は止まった。
そこをすかさず、グラットが槍で胴体を断ち切った。
分断され地に落ちた花妖は、さすがに動かなくなった。
その間、探検隊の一同も他の相手と戦っていた。
ムチのようにしなる腕の攻撃をしのぎながら、剣を振り、魔法を放ち、立ち向かっていく。
ソロンも飛ぶように迫る腕をかわしながら、一体を斬り伏せた。
手応えからみて、さほどの相手ではない。この人数なら油断せずに戦えば、難なく勝てるだろう。
アルヴァは雷撃で二体を焦がした。死骸から、ぶすぶすと煙が上がっている。
「炎は使わないのですか?」
戦っている最中だというのに、アルヴァが声をかけてきた。息を乱した様子もなく、落ち着き払っている。
「引火したらまずいかなと思って……」
それもそのはず、場所は樹木にあふれる密林である。火事を起こして仲間を巻き込んだら目も当てられない。
「少しぐらいなら構いません。私が後始末しておきますので」
よほど刀の炎を見たいのだろうか? ともかく、消火する手段を持っているのだと理解する。
ならば――と、樹木から離れた相手を見繕う。そして、二体に向けて素早く火球を放った。あらぬ所に火球が飛ばないよう、刀は敵の足元へ向けていた。
花妖の足に着弾した炎は、見る見るうちに全身へと広がっていく。魔物は体をよじるが、その程度で火が消えはしない。二体とも、たちまちの内に炎上して倒れ伏した。
「まだですよ」
「分かってます」
アルヴァは注意をうながしたが、ソロンも油断していない。
襲いかかってきた三体目の腕も斬り落とした。次の攻撃が来る前に火球を放ち、難なく三体目も焼殺した。
「お見事です。特に魔法と斬撃をつなぐ動きは、杖では絶対に真似できませんね。その剣も業物のようですが、それを実現するあなたの力量も相当なものでしょう」
緊張感のない口調でアルヴァがこちらを評した。
どうやら、ずっとこちらを観察していたらしい。それでいてサボっていたわけではなく、さらに二体の花妖を雷撃で仕留めていた。
彼女は杖先の魔石を取り外し、水色の魔石へと交換した。手品師がカードを切るような手慣れた動作だった。戦いの最中でも交換できるように、訓練しているのかもしれない。
アルヴァは燃え残った死骸へと杖を向けた。勢いよく水の魔法が放たれ、消火されていく。
「雷以外の魔法も使えるんですね」
「ええ、一通りは」
一般に魔法を一種類でも使いこなせれば、それだけで魔道士を名乗るに値する。一通りと言えるほどに多くの魔法を使いこなせるならば、彼女の実力こそ相当なものだ。
そんな会話をしているうち、既に戦いが終わっていたことに気づいた。
「す……すいませんした!」
土下座せんばかりに、グラットがアルヴァに頭を下げていた。
アルヴァは感情のこもらない目でグラットを見ていたが。
「……まあ、いいでしょう。あなたの行為に関係なく襲ってきた可能性も否定できませんから」
無表情に淡々と述べるので、怒っているかどうかは判別がつかない。少なくとも、目に見えて怒っている様子はなかったので、グラットはほっと胸をなでおろしていた。