邪教の起源
大雲海を一隻の竜玉船――オデッセイ号が突き進んでいく。船団の仲間はなくなり、孤独な旅が続いていた。
今も白雪は静かに降り続き、雲海の中へと吸い込まれるように消えていく。
当面の目的地はソルベイリ島と呼ばれる場所。下界につながる界門がある地点だ。
ドーマは帝国と異なり、現代でも下界との交流を持っている。……というよりも、上界から下界にまたがる国家がドーマなのだそうだ。そのため、多くの界門が現役で稼働しているという。
界門はスエズア島にもあるそうだが、今回は使用しない。理由は単純にアムイから遠すぎるためである。
下界には、竜玉船に匹敵する高速の移動手段は存在しないのだ。従って、危険のない範囲で、上界からできるだけアムイに近づくことが望ましい。
その条件に合う行き先が、ソルベイリ島だったというわけだ。
スエズア島から北へ二日。アムイ島から南東へ一日の距離にある島である。ソロン達はその島から下界へ降りて、さらには上界のアムイを目指す計画だった。
「先立ってソルベイリへ偵察を送っている。獣王軍もこの日数で他の島を占領する余裕はないと思うが、念のためだな」
船首に立ったメリューが説明する。彼女はあくまで慎重に事を進めていた。
獣王軍との遭遇を警戒するため、ソルベイリまでまっすぐに北上はしない。東寄りの航路を取って、途中の島を経由するようにした。
スエズアより北方の島ともなれば、多くが人の居住域となる。未開の島で、魔物に怯えながら停泊する必要はなかった。
*
そして、翌朝。
束の間ではあったが雪は止み、空は快晴となった。
「いまのところ順調だね。また、あのウツボみたいなのが来たら、絶体絶命だったろうけど……」
ソロンは平穏な船旅に、胸をなでおろした。
「そうだな。まあ奴らとて、あれほどの魔物をいくつも投入できまい。だからこそ、ザウラストの勢力はこの程度で済んでいるのだ」
「確かにそうか」
メリューの認識に、ソロンも同意を示す。
「――あれは切り札の一つと考えたほうがよさそうだね。でもあいつらも、帝国とドーマの同盟がよっぽど嫌なんだな」
「獣王は他国を侵略し奴隷を連行することで、軍備を増強していた。そして、その軍備をもって我らと戦を行うのが戦略だろう。二国が手を組めばそれが崩れる。嫌がるのは当然であろうな。邪教に魂を売ってでも、妨害したかったわけだ」
「ザウラスト教団か……。しっかし、あいつらも活動範囲が広いよな。帝国に、イドリスに、ドーマか」
グラットは過去を思い出すようにして、三本の指を立てた。
ラグナイ王国と組み、イドリスの王都を陥落させた。
緑の聖獣グリガントを送り込み、帝都を混乱に陥れた。
そして、先日に受けた巨大ウツボによる襲撃……。
上界と下界の壁、帝国とドーマの壁……。それらの壁を越えるために、ソロン達は随分と苦労したのだ。しかし、ザウラスト教団はその二つの壁を悠々と越えて、暗躍していた。
「順序が違うぞ」
ところがメリューはグラットの言葉に異を唱えた。
「――奴らはそもそも、ドーマで興った教団だ。近年になって勢力を拡張し、イドリスや帝国まで触手を伸ばしたのだ」
「そうなの!?」
思わぬ情報に、ソロンは身を乗り出した。
「よければ、詳しくお聞かせ願えますか?」
アルヴァもこれには興味を持ったようだ。
様々な形で暗躍する謎の教団ザウラスト……。その一端でも、つかめるかもしれないのだ。
「少し長い話になるぞ」
メリューはゆったりと頷き、断った上で語り出した。
「――今より四百年近く前、とある銀竜族の男が罪を犯した。罪状は呪海にまつわる禁術の研究だ」
「呪海か……。頭からその言葉が出るんだね」
ソロンは下界に広がる呪海を脳裏に浮かべた。
あらゆるものを溶かし、下界を死の世界へと染めていく赤黒い海……。それを崇めるのが、現ザウラスト教団の特徴である。
「そうだ。教団と呪海は切っても切り離せない。今も昔もな」
メリューは頷き、さらに話を続ける。
「――当初、男の目的は呪海の阻止だった。下界を蝕む呪海を阻み、来たるべき終末を止めようとしたのだ。その目的を歪めたのが、国内の内紛だった」
「――五年に渡った内紛を治めるため、男が目をつけたのが呪海だ。呪海の力を借りることで、戦いに活用できないか――そう考えたわけだな。男は下界で奴隷を買いあさり、凄惨な実験をしたと記録されている」
「要するに人体実験ってことか。最初から壊れてやがんだな、あいつらは」
「ああ、倫理的には最悪だ。だが成果も残した。上界に戻った男は、自ら編み出した術をさっそく披露したのだ。そなたらも知っておろうが、魔石から魔物を召喚する術だ。……結果、戦いは男の所属する陣営が勝利した。内紛は終結し、男は英雄として迎えられるはずだった」
「もったいぶるなよ。英雄にはならなかったんだろ」
「空気読みなよ。せっかくメリューが演出してるんだし」
グラットの頭をミスティンがはたいた。
「……続けてよいか?」
話の腰を折られたメリューが、不服そうにアルヴァを見た。
「どうぞ」
「男の召喚した魔物は歯止めなく暴れ回り、味方にも甚大な被害をもたらしたのだ。それを考慮してもなお、男の功績は大きかった。……だが、仲間であるはずの者達も、その不気味な術を大いに恐れた」
「功よりも罪を追及されたわけですね?」
「うむ……。結果として男は捕らえられ、監獄の島へと収監された」
「なんで殺さなかったの? やっぱり、英雄だったから?」
ミスティンの質問に、メリューは首を横に振った。
「その男もまた君子だったからだ。庶子とはいえ、君子に対する処刑は前例がなかった」
「なるほど、私と同じですわね」
皮肉げな笑みをアルヴァは浮かべた。
帝都における神獣の召喚――その責を問われた彼女は、処刑こそなかったものの下界への追放を受けたのだ。表面的ではあるが、その男の境遇と似ていた。
「さて、監獄に囚われた男だったが、その信奉者は少なくなかった。手段を選ばなかったとはいえ、英雄でもあったのだからな。外部からの協力を得て、男は難なく脱獄を成功させたのだ。そして――」
メリューはそこで一つ息を吸った。ようやく話が終わろうとしていた。
「――再び下界に戻った男――ザウラストは自らの名を冠した組織を結成した。それが教祖ザウラストと、今日のザウラスト教団だ。……以上」
「……ってことは、設立時から、お前らはあの教団の仇だったわけか。なんせ、教祖様じきじきに恨みを買ったわけだからな」
「そういうことにもなるな。もっとも、教団の目的は我らへの復讐ではない。あくまで、自らの教義の実現のようだ。どちらにせよ、対立が避けられんのは変わらぬがな」
「教義っていうと、あの呪海云々ってヤツか……。とっとと、お前らの国でやっつけてくれりゃあ、俺らが苦労しなくてもよかったのによ」
「そう簡単な話でもない。父様を含む、ドーマの英傑達が幾度も教団を滅ぼそうとした。だが、その度に連中は所在を変えて、逃げ延びてきたのだ。近年は他の国家に取り込むことで、勢力を拡大しているようだな」
「宗教っていうのは、結構しぶといからね」
宗教家の家庭に生まれたミスティンが、相槌を打った。
「ええ、わが帝国もかつては神竜教会を弾圧し、根絶しようとしたこともありましたが……。強い反対を受けて、結局は国教として取り込まざるを得ませんでした」
アルヴァの語りには、どこか無念さがにじみ出ていた。合理主義者の性で、基本的に宗教というものが嫌いなのだろう。
「ザウラストが宗教を作ったのも、そういう計算があったのかもね。実際、ラグナイ王国にもうまく溶け込んだみたいだし。……ところで、メリュー。ザウラストが教団を創ったのは分かったけど、今はどうなってるの?」
今の話によれば、ザウラスト教団は四百年にも渡って存続する組織である。となると何らかの形で、指導者を継承する仕組みがなくてはならない。
そんなソロンの問いかけに、メリューはあっさりと答えを返す。
「今も指導者は教祖ザウラストなのだそうだ」
「今も――って、四百年前って言ってなかった? 銀竜ってそこまで長生きなんだ?」
「いいや、銀竜の基準でも不可能に近い長命だ。ただ少なくとも連中は、ザウラストの存命を主張している。もっとも、姿を確認したわけではないがな」
口振りからみて、メリュー自身もあまり信じていないようだった。
「まだまだ、謎の多い組織のようですね。ともあれ、有意義な話をありがとうございました」
アルヴァは丁重に礼を述べた。
二つの世界へと根を伸ばすザウラスト教団……。これから戦う獣王も、その力を利用してくるのは間違いなかった。