ラーソンの過去
「ふぅ……」
会議が終わるや、メリューは椅子にもたれて溜息をついた。
「メリュー、お疲れ様だね」
会議中は大人しかったミスティンが、メリューを気遣った。
「明日は早くから出発する。そなたらは早めに休んでおけ」
「メリューは休まないの?」
「アムイを脱出した者達が来ているのでな。もう少し話を聞こうと思う」
難儀そうにメリューは立ち上がった。
「あんまり無理しないでね。そろそろ、子供は寝る時間だよ」
「だから、子供扱いするでない。こう見えても体は丈夫で、そなたらよりも歳上だ」
そう言いながら、メリューはジャコムを連れて去っていった。
メリューのそばに座っていたラーソンも、彼女に続くかと思いきや、
「お疲れ様でした」
こちらへと声をかけてきた。
「――私は、上界でジャコム太守と行動を共にしますが……。メリュー殿下のことは皆様に託します。なにとぞ、よろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ、部下のことをお願いします。彼らも心細い立場でしょうから、あなたしか頼れる方がいないのです」
それに応じたのはアルヴァだった。
上界に残る帝国人について、まさか通訳なしで放置はできない。そのため、ラーソンも上界へ残ることになったのだ。
「申し訳ありません。あなた方を巻き込んでしまって……」
相も変わらず、ラーソンという男は腰が低かった。
「いいえ、私達もここまで来たのです。獣王を排し、大君の元でドーマと同盟を締結させてもらわねばなりません」
謝るラーソンに、アルヴァが意気込みを見せて応えた。
「はは……そうですか。正直なところ、私はドーマという国にさほどの愛着はないのですがね。結局は、成り行きで連れてこられた場所ですから」
ところが、ラーソンはあっけらかんと心情を吐露した。
メリューがこの場にいないからこそ、人間としての本音を話している。どこかそんな印象を受けた。
「案外、薄情なんだな。てっきり、あんたは心からあっち側なんだと思ってたが」
グラットが非難するというよりも、驚くように言った。
「……私はカンタニア州の生まれだと、以前にお話しましたよね」
気を悪くするでもなく、ラーソンは語り始めた。
「――故郷の町が獣王軍に襲撃された時、私はまだ十歳でした。両親と妹は死に……生き残った私だけが拉致され、竜玉船に積み込まれたのです」
ラーソンの年齢は、三十代の半ばといったところである。ならば、今からおおよそ二十五年ほど前のことだろうか。
「ひょっとして……あなたはマカンの出身でしょうか?」
ラーソンの顔を覗き込むようにして、アルヴァは言った。
「まさか、ご存知でしたか……。カンタニアの北、マカンの町……。私はそこの領主の息子でした。よく私の出身地が分かりましたね?」
「分かるも何も……あれは今世紀最悪の惨劇ですから。八千人いた人口の大半が死亡、または行方不明……。生き残った者も町を捨て、カンタニアへと避難しました。結果、カンタニアより北の町は全て消滅……」
「ええ……。帝国に戻って、故郷が滅んだと知った時は落胆しましたよ。期待はしてませんでしたが、それでも事実として知らされると……」
「お気の毒でしたね。祖父ベオカークに代わり、住民の保護に力及ばなかったことを謝罪いたします」
アルヴァはラーソンに向かって、頭を下げてみせた。
「ああ、いえ……恐縮です。陛下が生まれる何年も前のことですので……」
困ったようにラーソンは苦笑したが、それから話を続けて。
「――ともあれ、そうして私はわけも分からぬうちに、獣王の傘下の島へと連行されてきたのです」
「あなたの他に、連れて来られた方は?」
「故郷からは百人を超える人間が連行されていました。軍備を拡大するため、獣王は鉱山の発掘を行う奴隷を欲していたようです」
「鉱山ですか……。あまり人道的な扱いは望めなかったでしょうね」
ラーソンは頷いて。
「奴隷として扱われていた中で、命を落とした仲間も多くいました。私は領主の息子だったこともあって、みな気を使ってくれたのですが……。中には、数少ない食べ物を分けてくれる人もいて――」
辛い日々に思いを馳せたのか、ラーソンはそこで言葉を切った。しばらくして、また口を開き。
「――地獄の日々が一変したのは、十六歳の時でした。他の島から来た軍勢が、島から獣王の手下を駆逐したのです。後からそれが第三君子――メリュー殿下の父君の軍だと知りましたが……。ともあれ、全ての奴隷が獣王の手から解放されました」
「他の皆も含め、故郷へ帰ることはできなかったのですか?」
「叶いませんでした。何度も遠征していた獣王と違って、大君は帝国の地理をほとんどつかんでいませんでしたから。帝国への遠征は危険を伴いますし、我々を帰国させる利点はなかったわけです。……ただ、君子様だけは例外でした」
「例外と言いますと?」
「あの方だけは帝国人を帰国させ、帝国と組むことを主張していました。今回の件も、それがようやく叶ったのだとも言えます」
「そういうことでしたか。ならば、あなた以外の人間も健在なのですか?」
「無事ならば、アムイに何十人かいるはずですよ。順調なら、今頃は彼らの帰国について相談する予定だったのですがね……」
「ラーソンさんは、やっぱりこれからもドーマ人なんですか?」
ラーソンの口振りからすると、彼自身は帰国の対象外のようだ。真意を探るため、ソロンは質問を投じた。
「故郷も滅んだ上に、ここでそれなりの待遇を頂いてますからね。少なくとも、私自身は帝国人に戻ることはないでしょう」
一呼吸置いてから、ラーソンは続けた。
「――ですが、マカンの領民だった方々までそうとは限りません。歳を経て亡くなった者もいれば、ドーマに根を下ろした者もいる。けれど、今も国への帰還を待ち望んでいる者もいます。そういった者達には、生きているうちに帝国の土を踏ませてあげたい」
「分かりました。アムイの奪還がなった暁には、希望者を帰国するように手配しましょう」
迷いのない口調で、アルヴァは断言した。
「ありがとうございます。あなたのような方が、あの頃の皇帝だったら――と、今になって思いますよ」
「それは買い被りすぎでしょう。皇帝というのも存外不自由で、思い通りにならないことばかりです。私が皇帝だったとしても、適切な対処ができたかどうか……」
「そうでしょうか? 聞きましたよ。北方を守るために、あなたは随分と無茶をしたのだとか。皇帝として、二度も防衛のために戦ったのは立派なことですよ」
「その後に酷い失敗をして、失脚してしまいましたけれどね」
「まあ、それは……。失敗は誰にでもあることですから」
困った顔のラーソンは、無難な一般論で乗り切ることにしたようだった。
「そう言えば……。ラーソンさんは助け出されて、すぐにメリューの教育係になったんですか?」
一段落したようなので、ソロンは話題を変えてみた。
「ええ、歳が近くて、帝国語を話せる教育係が欲しかったのだとか。これでも、故郷では一番の秀才でしたからね」
と、ラーソンは少しだけ得意げに笑った。
「昔のメリューってどうだったの? やっぱりかわいい?」
傍観していたミスティンも、こちらの話題には興味を惹かれたらしい。
「それはもう、小さくて今以上に愛らしかったですよ。それこそ、見た目は幼児同然でしたし。だから、実際は三つ下だと聞かされて驚きました。……態度の大きさだけは、最初から年齢以上でしたけど」
「なるほどな。ありゃ、やっぱり生まれつきってわけか。それで、あんたはあいつへの恩があるってわけだな」
「大した恩はないですね。どちらかというと、わがままに散々付き合わされた記憶のほうが……。あるとすれば、仕事をくださったことぐらいでしょうか」
ラーソンは笑って、そんなことを宣った。
それでも、彼はすぐに表情を真剣に変えて、
「――ですが、二十年も一緒だと情も湧くものなのですよ。ですから、メリュー殿下のことをお願いします」
重ね重ねラーソンは、深々と頭を下げたのだった。
ドーマという国には愛着がない――そういったラーソンの言葉は真実だろう。
その一方で、メリューという娘には家族としての愛情を持っている。そんなラーソンの心境が垣間見えたのだった。
*
ジャコムとその部下の尽力によって、船の修繕は夜通しで行われた。数日かかるはずだった作業を、昨日の昼下がりから今朝にかけて、強引に終わらせたのである。
そうして、一行はスエズアを離れることになった。
別れる兵士達に向かって、アルヴァは訓示を述べていた。
「両国の友好のため、私は戦ってきます。あなた方もご協力ください。敵はカンタニアを長年苦しめてきた獣王と、そのしもべ達です。無理に命を散らすことは望みませんが、帝国人として恥じない活躍を期待しています」
「上帝陛下のご命令とあらば!」「アルヴァネッサ様もどうかご無事で!」
兵士達も規律正しく返事を返す。
旅の間、彼らも忠実にアルヴァの下で働いてくれていた。
それは先頭に立って戦うアルヴァの姿が、兵士達に良い印象を与えたためだろう。彼女の指揮下を離れることに不安はあるが、懸命に働いてくれると信じたい。
『メリュー殿下、お美しい人間のお嬢様方、どうかお気をつけて。私のほうでもできる限りの勢力を結集し、獣王へと総攻撃をかける所存です』
ジャコムも別れの挨拶をし、それをラーソンが通訳する。挨拶は女限定なのかと、突っ込みたくなったが気にしないでおく。
『太守殿のご協力に感謝いたします。ご武運を祈ります。それから、この着物も大事にさせていただきます』
アルヴァもドーマ語で丁重に応えた。彼女の語学勉強は順調に進んでいるようだった。
見送りを受けて、船はスエズア港を発ったのだった。