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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第七章 天を衝く塔
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大都の変

 着替えを終えた彼女達が戻ってきた。


 アルヴァは真紅の着物をまとって、帯を締めていた。

 赤よりも暗い真紅が、彼女の静謐(せいひつ)な雰囲気を引き立たせている。

 黒髪とも調和する暗い色であると同時に、紅い瞳と似た色でもある。よく似合って見えるのはそのためだろう。それこそ異国の装束とは思えないほどである。


 ミスティンは水色の着物を涼やかに着こなしていた。

 金色の髪と合わせて、淡い色合いで統一されている。後ろにくくっていた髪を髪留めによって、華やかにまとめていた。

 体を動かしながら着心地を試しているらしく、その度にひらひらと袖が舞い踊る。


『う~む、実にお美しい。たまりませんなあ。私の見立てた通りですぞ』


 ジャコムはどこか好色そうな笑みを浮かべた。お世辞ではなく本心から言っているようだ。やはり猪人(いのびと)の美的感覚にも二人は(かな)ったらしい。


「……どうでしょう?」


 袖を持ち上げながら、アルヴァはソロンに見せるように言った。


「とても似合ってるよ。瞳の色と合わせたんだよね?」

「うん。いつものように黒を選ぼうとしたから、私が横槍を入れた」


 と、ミスティンが自分の功を誇った。

 アルヴァにはかつて『色を選ぶのが面倒だから』と、黒で衣装を統一しようとした前科があったのだった。


「何気にミスティンは感性がいいよね。やっぱり、アルヴァも色々な服を着たほうがいいよ。素材は間違いなくいいんだから」

「はあ……そうでしょうか……」


 照れているのか、困惑しているのか、アルヴァは視線をそらして息を吐いた。


「ソロン、ソロン」


 袖を振りながら、ミスティンも着物を見せつけるようにしている。さすがにソロンも察して。


「ああっと、ミスティンも似合ってるよ」

「えへへ……ありがと」


 お決まりの褒め言葉にも、ミスティンは素直に顔をほころばせた。


「しっかし、そんな服じゃ旅はできないだろ? っていうか、お前はよくそんなので動けるな」


 グラットはメリューの着物を見ながら言った。


「そんなことはない。私の着物もそうだが、それはユブルグ島の竜蛾(りゅうが)(まゆ)から作られた絹だ。見た目よりも遥かに丈夫で動きやすく暖かい。おまけに、魔法抵抗まであるからな。旅はおろか、戦闘用としても申し分ないぞ」

「ホントだね~。とっても動きやすくて気に入ったよ」


 と、先程から体を動かしていたミスティンも同意した。


 *


 船の修繕(しゅうぜん)を行うため、一行はしばらくジャコムの屋敷に滞在することになった。

 兵士や船員達も太守の許可を得て、屋敷に移った。

 彼らにとっても、久々となる陸での生活である。通訳を買って出たラーソンの尽力もあって、帝国の者達も観光を満喫したのだった。


 そうして、ソロン達は異国の地で新年を迎えていた。イドリスの(こよみ)では一月。帝国暦で言えば、星辰の月となる。

 滞在中、太守のジャコムはしきりにアルヴァと話をしていた。もちろん、ドーマ語を用いてである。言葉は分からなくとも、彼の好色そうな表情は目に見えていた。

 アルヴァ自身は、至って余裕の表情であった。語学の練習とでも思っているのかもしれない。


「ねえ、メリュー、あの人大丈夫なの?」


 心配になったソロンは、メリューに尋ねてみた。付き合いはそれなりにありそうなので、彼女ならばジャコムの人となりも知っているだろう。


「案ずることはない。スエズアと獣王は、長年に渡って敵対関係にある。十何年か前、獣王はスエズアに攻め込んだこともあるのだ。激しい戦いの末に退けはしたが、ジャコムの両親が命を落とした。不倶戴天の敵と述べたあやつの言葉に偽りはない」


 その言葉からは、ドーマ国内での熾烈(しれつ)な闘争が(うかが)い知れた。有益な情報なのは間違いない。

 ……が。


「なるほど、それなら信用できるかもしれないね。……でも、ごめん。僕が聞きたいのはそんなことじゃなくて――」

「うん? ああ、言わずとも分かる。ジャコムがそなたの女に手を出さないか――と心配しているのだな?」


 メリューは訳知り顔で、得意気に頷いた。まじまじとソロンを見つめて返答を待っている。


「いや、僕の女じゃないけど……」

「むっ、そうか……。そう言われれば確かに。そなたの女というよりは、そなたが上帝の男という印象を受けるな」

「それだと、僕がヒモみたいなんだけど……」


 微妙に心当たりがあるのが辛い。

 皇帝の別荘に滞在していた時は、生活費を彼女に頼っていた。友人の生活費を工面するのは、貴族にとってはありふれたことらしいが……。


「違うのか?」

「違うよ! 彼女とはそういう関係じゃなくて――」

「ならば、どういう関係なのだ?」

「どういう関係って……。ええと、ああと……。どういう関係なんだろう……?」


 メリューの指摘に、ソロンは思わず悩み出した。


「……私に聞かれても知らんぞ。まあ、半分は冗談だ。他種族の事情には深入りしないのが、ドーマ人の情けというもの。それ以上は追及しないでおいてやろう」


 と言って、メリューは不敵に笑った。


「はあ、どうも……。それでどうなの? 手を出したりはしない?」


 この話題を続けたくはないので、お言葉に甘えて打ち切ることにする。そうしてソロンは話を戻した。


「大丈夫だろう。女好きではあるが、あやつはあれで案外紳士なのだ。それに猪人(いのびと)族は獣に近い亜人だ。人間はそもそも性欲の対象にはならんよ。そなたらが獣を愛玩(あいがん)するようなものだ」

「そ、そうなの……?」


 話が生々しくなって腰が引けるが、興味深いところではある。

 可能な組み合わせは限られているが、種族が異なる者同士でも子供が作れることはある。

 それ自体は、ソロンもイドリス人としての経験で知っている。実際、ガノンドが人兎(じんと)の娘に手を出せたように……。


「うむ。恐らく人間は進歩的な種族なのだろう。なんせ、銀竜と子供も作れる程だからな。ゆえに猪人と交わることはあるまい」


 メリューは誇らしげに言った。

 人間や銀竜が進歩的で、猪人が遅れていると言わんばかりである。どことなく差別的な発言だが、種族同士の近さが肝要なのは確かだろう。


「そんなものかな?」

「そんなものだ。くくくっ……そなたは()い奴よの」と、メリューは笑う。「まあ心配するな。あの二人には私が付いているから、滅多なことは起こらんさ」


 ジャコムを信頼しているわけではないが、メリューのことは信頼したい。とりあえずは引き下がっておくことにした。


 *


「船に大きな損傷はなさそうだが、念のため、修繕(しゅうぜん)にはあと数日をかけたい。それでよいか?」


 昼食の席で、メリューが修繕作業の進捗(しんちょく)を説明した。この調子だと、ジャコムの屋敷での逗留(とうりゅう)は一週間を超えそうだ。

 場所はジャコムから借りた屋敷の一室である。亜人の女給が運んでくれた食事を、皆で頂いていた。


「構いません。元々、長旅の予定でしたから、無理に急ぐこともないでしょう」


 アルヴァは食事する手を休めず、即答した。

 ほぼ全てが港町というお国柄もあって、食事の中心は雲海の幸だった。帝国人にとっても、食べやすい料理らしい。

 メリューは「うむ」と頷いて。


「終わり次第、アムイに向かうつもりだ。そこで父が待っているからな」

「メリューのお父さんか……。どんな人なのかな?」

「どんな人か。まあ、強いな」


 ソロンの問いに、メリューが微妙な答えを返してきた。


「強いんだ……。えっと、それはどういう意味で?」


 強いという言葉には色々な意味がある。例えばソロンからすれば、アルヴァは『強い』女性だ。それでいて、同時に『か弱い』女性でもある。


「うむ、あらゆる意味で強いぞ。強靭(きょうじん)な肉体に、強靭な精神。刀も魔法も戦略も、全てをこなす人だな」


 いかにも誇らしげにメリューは語った。


「そっか。メリューの自慢なんだね」


 ミスティンが微笑ましげにメリューを見る。


「うむうむ。おまけに父様は世界を旅した冒険家でもあってな。上界も下界も知り尽くしていると言っても過言ではない。とにかく偉大なお方なのだ」


 機嫌をよくしたのか、メリューは饒舌(じょうぜつ)に語り出した。尖った耳がピクピクと動いている。いつの間にか呼び方が父から父様になっていた。

 そんなメリューを、ラーソンが微笑ましげに見守っている。


「それは……凄いなあ。あの下界を旅したってのは、信じられない話だよ。つながってない道は多いし、どこへ行っても魔物だらけだからね」


 ともあれ、ソロンは素直に感心した。

 アルヴァも同じく、興味深そうに聞いている。下界を旅する苦労は、彼女が一番知り抜いていた。


「ほほう、そなたにも父様の偉大さが分かるのか。幸い、今日は十分な時間がある。父様百五十年の歴史を一から語るのも一興で――」


 メリューがいよいよ調子に乗って、自慢話を続けようとした時――

 大きな振動が部屋の外から響いてきた。

 室内は静まり返ったが、振動は段々とこちらへ近づいてくる。

 まさか、刺客か――と、ソロンは刀を手に取った。

 扉を開けて入ってきたのは、イノシシ頭の大男。スエズア太守ジャコムその人であった。


「メリュー――、――――」


 ジャコムはメリューの名を呼びながら、そのそばへと近づいた。

 汗を垂らしながら、彼はどこか必死な形相でまくし立てる。

 怒りというよりは、焦りと困惑がにじみ出ている。元々の顔が巨大なぶん、相当な威圧感があった。


「なんだと……!?」


 メリューはやはり、地で帝国語が出るらしい。表情に驚愕(きょうがく)を表した。

 扉の向こうにいた亜人達も口々に騒いでいる。ただならぬ事態が起こったらしく、辺りは騒然となっていた。


「――――!」


 メリューはジャコムに詰め寄って、早口で何かを言った。問い詰めているのだということは、雰囲気から察せられる。

 そして、ジャコムが何か答える度に、メリューは衝撃を受けているようだった。


「どうしたんだろう……」

「なに言ってんのか分かんねえよ」


 言葉の分からぬ異国での非常事態。それだけにソロン達の不安は増していく。


「私達も説明いただいてよろしいでしょうか?」


 アルヴァが冷静な口調で、呆然とたたずむラーソンへと尋ねた。


「あっ、ええ」


 戸惑いをあらわにしたラーソンは、迷いを見せたが、


「……すまぬが、お前から説明してやってくれ」


 ジャコムと会話中だったメリューが、ラーソンをうながした。

 ラーソンは逡巡(しゅんじゅん)しながらも、口を開いた。


「はっ……。大都アムイが獣王の襲撃を受け、陥落したそうです」

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