大都の変
着替えを終えた彼女達が戻ってきた。
アルヴァは真紅の着物をまとって、帯を締めていた。
赤よりも暗い真紅が、彼女の静謐な雰囲気を引き立たせている。
黒髪とも調和する暗い色であると同時に、紅い瞳と似た色でもある。よく似合って見えるのはそのためだろう。それこそ異国の装束とは思えないほどである。
ミスティンは水色の着物を涼やかに着こなしていた。
金色の髪と合わせて、淡い色合いで統一されている。後ろにくくっていた髪を髪留めによって、華やかにまとめていた。
体を動かしながら着心地を試しているらしく、その度にひらひらと袖が舞い踊る。
『う~む、実にお美しい。たまりませんなあ。私の見立てた通りですぞ』
ジャコムはどこか好色そうな笑みを浮かべた。お世辞ではなく本心から言っているようだ。やはり猪人の美的感覚にも二人は適ったらしい。
「……どうでしょう?」
袖を持ち上げながら、アルヴァはソロンに見せるように言った。
「とても似合ってるよ。瞳の色と合わせたんだよね?」
「うん。いつものように黒を選ぼうとしたから、私が横槍を入れた」
と、ミスティンが自分の功を誇った。
アルヴァにはかつて『色を選ぶのが面倒だから』と、黒で衣装を統一しようとした前科があったのだった。
「何気にミスティンは感性がいいよね。やっぱり、アルヴァも色々な服を着たほうがいいよ。素材は間違いなくいいんだから」
「はあ……そうでしょうか……」
照れているのか、困惑しているのか、アルヴァは視線をそらして息を吐いた。
「ソロン、ソロン」
袖を振りながら、ミスティンも着物を見せつけるようにしている。さすがにソロンも察して。
「ああっと、ミスティンも似合ってるよ」
「えへへ……ありがと」
お決まりの褒め言葉にも、ミスティンは素直に顔をほころばせた。
「しっかし、そんな服じゃ旅はできないだろ? っていうか、お前はよくそんなので動けるな」
グラットはメリューの着物を見ながら言った。
「そんなことはない。私の着物もそうだが、それはユブルグ島の竜蛾の繭から作られた絹だ。見た目よりも遥かに丈夫で動きやすく暖かい。おまけに、魔法抵抗まであるからな。旅はおろか、戦闘用としても申し分ないぞ」
「ホントだね~。とっても動きやすくて気に入ったよ」
と、先程から体を動かしていたミスティンも同意した。
*
船の修繕を行うため、一行はしばらくジャコムの屋敷に滞在することになった。
兵士や船員達も太守の許可を得て、屋敷に移った。
彼らにとっても、久々となる陸での生活である。通訳を買って出たラーソンの尽力もあって、帝国の者達も観光を満喫したのだった。
そうして、ソロン達は異国の地で新年を迎えていた。イドリスの暦では一月。帝国暦で言えば、星辰の月となる。
滞在中、太守のジャコムはしきりにアルヴァと話をしていた。もちろん、ドーマ語を用いてである。言葉は分からなくとも、彼の好色そうな表情は目に見えていた。
アルヴァ自身は、至って余裕の表情であった。語学の練習とでも思っているのかもしれない。
「ねえ、メリュー、あの人大丈夫なの?」
心配になったソロンは、メリューに尋ねてみた。付き合いはそれなりにありそうなので、彼女ならばジャコムの人となりも知っているだろう。
「案ずることはない。スエズアと獣王は、長年に渡って敵対関係にある。十何年か前、獣王はスエズアに攻め込んだこともあるのだ。激しい戦いの末に退けはしたが、ジャコムの両親が命を落とした。不倶戴天の敵と述べたあやつの言葉に偽りはない」
その言葉からは、ドーマ国内での熾烈な闘争が窺い知れた。有益な情報なのは間違いない。
……が。
「なるほど、それなら信用できるかもしれないね。……でも、ごめん。僕が聞きたいのはそんなことじゃなくて――」
「うん? ああ、言わずとも分かる。ジャコムがそなたの女に手を出さないか――と心配しているのだな?」
メリューは訳知り顔で、得意気に頷いた。まじまじとソロンを見つめて返答を待っている。
「いや、僕の女じゃないけど……」
「むっ、そうか……。そう言われれば確かに。そなたの女というよりは、そなたが上帝の男という印象を受けるな」
「それだと、僕がヒモみたいなんだけど……」
微妙に心当たりがあるのが辛い。
皇帝の別荘に滞在していた時は、生活費を彼女に頼っていた。友人の生活費を工面するのは、貴族にとってはありふれたことらしいが……。
「違うのか?」
「違うよ! 彼女とはそういう関係じゃなくて――」
「ならば、どういう関係なのだ?」
「どういう関係って……。ええと、ああと……。どういう関係なんだろう……?」
メリューの指摘に、ソロンは思わず悩み出した。
「……私に聞かれても知らんぞ。まあ、半分は冗談だ。他種族の事情には深入りしないのが、ドーマ人の情けというもの。それ以上は追及しないでおいてやろう」
と言って、メリューは不敵に笑った。
「はあ、どうも……。それでどうなの? 手を出したりはしない?」
この話題を続けたくはないので、お言葉に甘えて打ち切ることにする。そうしてソロンは話を戻した。
「大丈夫だろう。女好きではあるが、あやつはあれで案外紳士なのだ。それに猪人族は獣に近い亜人だ。人間はそもそも性欲の対象にはならんよ。そなたらが獣を愛玩するようなものだ」
「そ、そうなの……?」
話が生々しくなって腰が引けるが、興味深いところではある。
可能な組み合わせは限られているが、種族が異なる者同士でも子供が作れることはある。
それ自体は、ソロンもイドリス人としての経験で知っている。実際、ガノンドが人兎の娘に手を出せたように……。
「うむ。恐らく人間は進歩的な種族なのだろう。なんせ、銀竜と子供も作れる程だからな。ゆえに猪人と交わることはあるまい」
メリューは誇らしげに言った。
人間や銀竜が進歩的で、猪人が遅れていると言わんばかりである。どことなく差別的な発言だが、種族同士の近さが肝要なのは確かだろう。
「そんなものかな?」
「そんなものだ。くくくっ……そなたは愛い奴よの」と、メリューは笑う。「まあ心配するな。あの二人には私が付いているから、滅多なことは起こらんさ」
ジャコムを信頼しているわけではないが、メリューのことは信頼したい。とりあえずは引き下がっておくことにした。
*
「船に大きな損傷はなさそうだが、念のため、修繕にはあと数日をかけたい。それでよいか?」
昼食の席で、メリューが修繕作業の進捗を説明した。この調子だと、ジャコムの屋敷での逗留は一週間を超えそうだ。
場所はジャコムから借りた屋敷の一室である。亜人の女給が運んでくれた食事を、皆で頂いていた。
「構いません。元々、長旅の予定でしたから、無理に急ぐこともないでしょう」
アルヴァは食事する手を休めず、即答した。
ほぼ全てが港町というお国柄もあって、食事の中心は雲海の幸だった。帝国人にとっても、食べやすい料理らしい。
メリューは「うむ」と頷いて。
「終わり次第、アムイに向かうつもりだ。そこで父が待っているからな」
「メリューのお父さんか……。どんな人なのかな?」
「どんな人か。まあ、強いな」
ソロンの問いに、メリューが微妙な答えを返してきた。
「強いんだ……。えっと、それはどういう意味で?」
強いという言葉には色々な意味がある。例えばソロンからすれば、アルヴァは『強い』女性だ。それでいて、同時に『か弱い』女性でもある。
「うむ、あらゆる意味で強いぞ。強靭な肉体に、強靭な精神。刀も魔法も戦略も、全てをこなす人だな」
いかにも誇らしげにメリューは語った。
「そっか。メリューの自慢なんだね」
ミスティンが微笑ましげにメリューを見る。
「うむうむ。おまけに父様は世界を旅した冒険家でもあってな。上界も下界も知り尽くしていると言っても過言ではない。とにかく偉大なお方なのだ」
機嫌をよくしたのか、メリューは饒舌に語り出した。尖った耳がピクピクと動いている。いつの間にか呼び方が父から父様になっていた。
そんなメリューを、ラーソンが微笑ましげに見守っている。
「それは……凄いなあ。あの下界を旅したってのは、信じられない話だよ。つながってない道は多いし、どこへ行っても魔物だらけだからね」
ともあれ、ソロンは素直に感心した。
アルヴァも同じく、興味深そうに聞いている。下界を旅する苦労は、彼女が一番知り抜いていた。
「ほほう、そなたにも父様の偉大さが分かるのか。幸い、今日は十分な時間がある。父様百五十年の歴史を一から語るのも一興で――」
メリューがいよいよ調子に乗って、自慢話を続けようとした時――
大きな振動が部屋の外から響いてきた。
室内は静まり返ったが、振動は段々とこちらへ近づいてくる。
まさか、刺客か――と、ソロンは刀を手に取った。
扉を開けて入ってきたのは、イノシシ頭の大男。スエズア太守ジャコムその人であった。
「メリュー――、――――」
ジャコムはメリューの名を呼びながら、そのそばへと近づいた。
汗を垂らしながら、彼はどこか必死な形相でまくし立てる。
怒りというよりは、焦りと困惑がにじみ出ている。元々の顔が巨大なぶん、相当な威圧感があった。
「なんだと……!?」
メリューはやはり、地で帝国語が出るらしい。表情に驚愕を表した。
扉の向こうにいた亜人達も口々に騒いでいる。ただならぬ事態が起こったらしく、辺りは騒然となっていた。
「――――!」
メリューはジャコムに詰め寄って、早口で何かを言った。問い詰めているのだということは、雰囲気から察せられる。
そして、ジャコムが何か答える度に、メリューは衝撃を受けているようだった。
「どうしたんだろう……」
「なに言ってんのか分かんねえよ」
言葉の分からぬ異国での非常事態。それだけにソロン達の不安は増していく。
「私達も説明いただいてよろしいでしょうか?」
アルヴァが冷静な口調で、呆然とたたずむラーソンへと尋ねた。
「あっ、ええ」
戸惑いをあらわにしたラーソンは、迷いを見せたが、
「……すまぬが、お前から説明してやってくれ」
ジャコムと会話中だったメリューが、ラーソンをうながした。
ラーソンは逡巡しながらも、口を開いた。
「はっ……。大都アムイが獣王の襲撃を受け、陥落したそうです」