スエズアの町
雪が次第に勢いを増していく。
そして、ついに一行はその目にした。
ドーマの地図に載るスエズアと呼ばれる町。今回の遠征では、初めての町だった。
白い雲海の中に浮かぶ銀世界。
スエズアには、至るところに雪が積もっていた。
島の中央は峻険な山岳になっており、それを囲むように都市部が作られている。
もっとも、今はそのいずれもが白く覆われていた。
山の頂上からふもとまでを雪が覆っており、針葉樹林の枝葉も白く染まっている。
多くの建物は木造で、巧みに組み上げられている。雪は屋根にも降り積もっており、住民達がそれを掃除して落としていた。
帝国の言葉では、『雪かき』と呼ぶ作業らしい。
雪が落とされたところから、本来の屋根の色である朱色が垣間見えていた。屋根の形が三角形なのは、雪を落としやすいようにするためだろうか。
帝国お得意のコンクリートもここにはない。ソロンは異なる文化圏へとやって来たのだ。
「渋い色使いが雪と調和していてニクいねえ」
ミスティンがよく分からない品評をした。一応は褒めているらしい。
「亜人の文明はどんなものかと思いきや……立派な港町ではありませんか」
これにはアルヴァも強く興味を惹かれたらしく、感嘆の声を漏らした。
「うむうむ、そうだろう」
いつの間にか背後にいたメリューも、満足そうにしていた。
「――もっとも、ドーマ語には港町という概念はないがな」
さらに、彼女は意味深な言葉を付け足す。
それを聞いたアルヴァは少し考え込んで。
「なるほど……。こちらでは、全ての町が島と一体なのでしたね。内陸の町がないならば、港町という概念も不要なわけですか」
「理解が早いな、上帝。ドーマでは島と町、町と港は切っても切り離せない。そして、こちらからすれば、帝国がある島は『大陸』とも表現すべき巨大なものだ。中には黄金郷などと呼んで羨望する者もいるな」
「大陸か……」と、ソロンはつぶやく。「意味はなんとなく分かるけど、耳慣れない言葉だね」
それを言うならば、下界の大地こそが究極の大陸といえそうだ。なんせ下界というのは、大地がどこまで続いているのかも分からないのだ。
「耳慣れぬのも当然だ。文化や環境が違えば、当たり前のものが当たり前でなくなるのだからな。私も母様やラーソンから聞かなければ、お前達の話を理解できなかっただろう」
話を聞いているうちに、ソロンはハッと思い至った。
「あっ! ってことはもしかすると、それが目的なの? 獣王は広い陸地が羨ましいんじゃ?」
「それは大いにあるだろう。広大な土地はそれだけで魅力となりうる。人、作物、家畜、資源……。ドーマでは到底手に入らない規模のものばかりだ」
「そんで帝国に攻めてくるってわけか? たまったもんじゃねえなあ」
苦々しい顔でグラットが言った。旗艦の船長である彼は、双眼鏡越しに港の様子をつぶさに確認した。
「この町に太守と呼ばれる領主がいるのですね?」
話が一区切りついたと見てか、アルヴァは話題を転換した。それがこの町に寄った目的なのだ。
「スエズアの太守ジャコムは信頼できる男だ。周辺の島を傘下に収めた有力者でもある。獣王の好きにはさせんだろう」
どんな人物かは分からないが、少なくともメリューは信頼しているようだった。
*
木の桟橋で組み上げられた港へと、船が近づいていく。
雪の降る中ではあるが、桟橋に雪は積もっていない。恐らくは港の作業員の努力の賜物だろう。
ソロン達が乗る旗艦オデッセイ号が、桟橋のそばに錨を下ろした。続いて、他の六隻も桟橋へと接舷していく。それなりに大きな港のようで、全ての船が無事に停泊できそうだ。
ざわめきと共に、亜人達が旗艦のそばへと集まってくる。そこには多種多様な亜人の姿があった。
犬、猫の顔をした二足歩行の亜人。馬の姿をした四足の亜人。ずんぐりとしたモグラの亜人。思わず踏みつけてしまいそうな小さなネズミの亜人……。
いずれも自らの体に合わせた服を着こなしている。生まれついての毛皮があるため、雪の中でも暖かそうだ。
トカゲの亜人は寒さに弱いのか、顔の大半を覆うような厚着をしていた。……いや、よく見れば口が大きすぎる。トカゲではなくワニかもしれない。
軟体動物のような亜人もいたが、ソロンの知識ではよく分からなかった。服をまとった結果、より一層得体の知れない姿になっている。
「うっわぁ、色々いるねえ」
楽しそうな歓声を上げたのはミスティンだ。
「おいおい、随分と人気じゃねえか。襲ってきたりしねえだろうな?」
対照的にグラットはどこか不安げだった。
住民の視線が、一様にこちらの船へと注がれていたのだ。種族の多彩な亜人から一斉に注目される状況は、どことなく威圧感がある。
「まあな。帝国の竜玉船を見るのは皆、初めてだ。特にこの旗艦は見た目にも優れておる。注目を集めるのは当然だろう」
メリューは視線にも動じず涼やかだった。彼女にとっては、自国への帰還である。不安よりも安堵を感じているのかもしれない。
もっとも、彼女の言葉にウソはないようで、実際に亜人達の表情に敵意は見られなかった。
どちらかというと、奇妙な物、新しい物を見るような好奇心に満ちている。ひとまず、船が襲われる心配はなさそうだった。
「まあ、何と言っても俺様の船だからな」
と、グラットは調子に乗る。
「――けどよお、船はともかく俺達人間は大丈夫なんだろうな?」
「確かに……。僕も自信ないなあ」
ソロンもそれには心配を募らせる。
ここは亜人ばかりが暮らす異国である。人間である彼らは、さぞかし目立つに違いない。
無論、多種族が暮らすという点ではイドリスも変わらない。
だが、そのイドリスにしても諍いがなくなるまでは苦労があったと伝わっている。
何よりも、帝国はドーマにとって敵国のようなものだ。そこに住む者達に敵視される可能性は大いにあった。
「心配症だな、そなたらは。大したことにはならんから見ておれ」
メリューはあっさりとソロン達の懸念を切り捨てた。
そうして、自ら先頭を切って下船する。
「私達も行きましょう」
相変わらず肝の据わったアルヴァが、帝国代表として先陣を切った。態度は冷静だが、紅い瞳には好奇心の輝きがあった。
「ワクワク……」
ミスティンも胸の高鳴りを抑えきれないようで、それに続く。
ソロンも慌ててアルヴァの隣に走って取りついた。どんな危険があるか分からない以上、護衛として警戒せねばならない。
「しゃーない、俺も行くか。まあ面白そうなのは確かだしな」
と、グラットも意を決する。何だかんだで、彼も冒険者魂の持ち主なのだ。
船団には合計で数百人もの人員がいる。さすがにいきなりそれだけの人数で、太守の館へ押しかけるわけにはいかない。
大半は船に残し、まずは数十人で太守の屋敷を目指すことになった。
*
目的地となる屋敷は丘の上にあったため、一目で分かった。
ひときわ高い塔は監視塔だろう。その下にある大きな囲いが、太守の敷地のようだ。朱色に塗られた屋根が、囲いを越えて覗いていた。
塔を目印に、丘の上へと続く街道を登っていく。
ソロン達が町を歩いても、さして注目は集めなかった。多少は注目されているが、それは単に人数が多いからだろう。
メリューが言った通り、本当に杞憂だったようだ。
それもそのはず。この港町は余りに多くの種族であふれているのだ。行き交う『人』の種族や服装には、ほとんど統一感が見られない。
強いていえば、服装にメリューやラーソンのような着物が多い程度である。
そもそも二本足ではなく、体の構造が異なる種族も混ざっているので統一の仕様もなかった。これではちょっとやそっと奇抜な格好をしていたところで、目立つはずもない。
「本当に色んな種族がいるんだね。イドリスの場合でも町ごとに、もっと偏ってるのが普通だけど」
「もちろんドーマだって、島ごとに種族の偏りはあるぞ。だがスエズアはドーマの南方でも大きな町だからな。連邦中から多種多様な種族が集まってくるのだ」
ソロンが疑問を漏らせば、メリューが答えてくれた。
殿下自ら観光案内を務めてくれるらしい。この辺りの気さくさは、アルヴァにも通じるものがある。
しばらく歩けば、脇道の向こうに木造以外の建物も見えてくる。どうやら、統一感があるのは港から始まる主要な街道だけらしい。
「う~ん、ごった煮だねえ。私としてはこっちのほうが面白いかな」
ミスティンが物欲しそうな目で脇道の向こうを眺めていた。
石造りや土造り、あるいはわらぶき屋根の建物が入り混じっている。建物の造形も、好き勝手に組み上げられているような印象を受けた。
決して立派な建物ばかりではないが、どことなく野生のたくましさを感じさせられる。多数の種族が入り交じるドーマ独特の光景だった。
「そちらには行かぬからな」
と、メリューがミスティンの袖を引っ張る。
「メリューのケチ」
「ケチではない。後でいくらでも見ればよかろう」
自分より見た目が幼い娘に、諭されるミスティンだった。