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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第七章 天を衝く塔
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雲の柱

「目覚めよ、ソロン! 面白いものを見せてやるぞ!」


 船室に突入してきた少女の声で、ソロンは叩き起こされた。

 青みがかった銀髪に青紫の着物。ドーマ連邦大君の孫にして、銀竜(ぎんりゅう)族と人間の血を引く少女――メリューである。

 いや、少女というのは適切ではないかもしれない。昨日の告白によって、メリューは(よわい)三十を超えている事実が判明したのだ。


「……面白いものって、なに?」


 眠い目をこすりながら、ソロンは聞き返した。

 既に時刻は昼に近い。それでも眠気が収まらないのは、昨日の疲労が抜け切らないためだ。


 船の墓場を抜けた船団は、亜人の国ドーマの領内に入っていた。

 しかし、そこで現れたのは、非常識なまでに巨大なウツボ……。最終的には撃破したものの、一隻の船と船員が犠牲になった。

 それが昨日の出来事である。


「見れば分かる。さっさと船首へ来るがよい」


 メリューは有無を言わさず言い放った。


「ふわい、了解」


 ソロンがやむなく返事をすれば、メリューは扉を閉めて忙しく走り去った。

 ソロンはベッドから跳ね起き、寝巻から着替えた。いつもの旅装の上から、厚いマントを羽織る。


 故国イドリスの(こよみ)だと、今は十二月の真冬である。そして、ここは北の最果てドーマ。防寒具をまとわないのは、自殺行為であった。



「おはよう」


 オデッセイ号の船首には、冷たい風が吹いていた。そこには仲間達の姿もあったので、挨拶をする。

 アルヴァ、ミスティン、グラット、それからメリューの四人だ。


「来たな」


 メリューが言葉少なに出迎える。


「そいつに叩き起こされたのか。災難だったな」


 グラットが気の毒そうに気遣ってくれた。

 跳ね上げた茶髪に、たくましい肉体。灰色のマントを羽織った姿は、いかにも熟練の冒険者といった雰囲気だ。もっとも、この場での彼は冒険者というより船長なのだが。


「おはようございます。ソロン」


 雲海を眺めていたアルヴァが、振り返ってこちらを見た。

 彼女は黒いマントにくるまりながら、長い黒髪を雲海の風に流していた。相変わらずの黒一色が、白い世界と対比して影絵のようだ。


「今日は寒いけど、大丈夫?」

「仕方ありません。もう年末ですから」

「ああ、そうだったんだ……。船旅してると、日付の感覚がなくなっちゃうね」

「同感です。もっとも、こちらでは帝国やイドリスの(こよみ)は通用しませんけれど」


 そう答えたアルヴァは、紅玉の瞳をいかにも眠たげに細めている。彼女にしても、昨日の戦いではソロン以上に重要な役割を果たしていたのだ。


「もしかして、君もメリューに起こされたの?」

「私はミスティンに騒がれて。……魔道士にとって寝不足は大敵だというのに、全くこの子は」


 アルヴァは寝不足ゆえに、やや不機嫌そうであったが、


「ダメだよ。せっかくなんだから、私と一緒に見よう。よく分かんないけど、メリューが面白いものを見せてくれるって言うし」


 すぐ隣にいたミスティンは、気にする素振りもなかった。

 後ろにくくった金髪を馬の尾のように振りながら、元気一杯の様相である。草色のマントを(かろ)やかに着こなした姿は、この冬空でも寒さを感じさせない。


「――ほらっ、ソロンも!」


 そうして、ミスティンは舳先(へさき)のほうへと招いてくる。


「いったい、何が見られるの?」


 困惑しながらも、ソロンは近づいていった。


「すぐに分かる」


 メリューはそう口にしながら、舳先が指す彼方(かなた)を眺めていた。


 そして、間もなくそれが見えてきた。

 遠くの空に立ち上る巨大な上昇気流――それが晴天の中に浮かび上がってきたのだ。

 雲を巻き込む白い気流は、遠くからでもはっきりと視認できる。

 竜巻というよりは、まるで逆流する滝のように。それは雲海の下から突き出て、遥か天上へと伸び上がっていた。


「うわぁ、とてつもないな……!」


 いくらソロンが首を上にしても、雲の気流が途切れる様子はない。目に見えない上空で発散しているのか、はたまた天上まで永遠に続いているのか……。ソロンに確かめるすべはなかった。


「すごい、すごい! 滝みたいだね!」


 ミスティンも興奮を隠せない。空色の瞳で、その雲の気流をじっと眺めていた。


「信じられねえ!」「帰ったら、嫁さんに自慢できるぜ」


 オデッセイ号の船員達からも大きな歓声が上がる。

 他の六隻からも、船員達が次々と甲板(かんぱん)に姿を現してくる。皆、世にも珍しい光景を目に焼きつけようと必死だったのだ。


「ほ~、こんなとこにもあったのか」

「これはまさか、雲の柱ですか……!?」


 それらより控えめな驚きを見せたのは、グラットとアルヴァだった。


「むっ、初めてではなかったか。……そう言えば、帝国にもあるとラーソンも言っていたな」


 思ったより反応が乏しくて、メリューは不満げにする。


「ああ、カプリカ島の東側に一つだけな。俺もガキの頃、親父に連れられて見たことあるぜ」

「ですが、こちらにもあるとは初耳でした」

「へぇ、帝国にもあるんだ。にしても、まさに雲海の神秘だね。これって、もしかしてずっとこうなの?」


 ソロンが好奇心のままに質問すれば、アルヴァが答える。


「帝国にあるものは天候によらず、存在しています。それも少なくとも、有史以来からです」

「そう言われると一層に壮大だなあ。もう少し近くで見れないかな」

「私も私も!」


 と、ミスティンも同意する。


「言われんでも、もっと近づくつもりだ」


 メリューはニタリと笑って、それに応えた。


 それから随分と時間がかかった。

 雲の柱はとにかく巨大だったのだ。

 一時間を経過しても、まだ柱の近くにはたどり着けない。進むにつれて、その異様な巨大さが否が応にも理解できてくる。


 三時間を経過して、竜玉船はようやく柱の近くにたどり着いた。

 近く――といっても、まだ一里程度の距離はある。

 それだけ離れていても風が頬を叩き、髪の毛を揺らしてくる。グォーグォーという嵐が叫ぶような音が、ここまで届いてくる。


「もっと近くで見せてやりたいが、近づくと巻き込まれるからな。これ以上近づくのは、自殺行為も同然だ」

「見れば見るほど、不思議なものです。ひょっとして、柱は下界までもつながっているのでしょうか? イドリスには何か伝わっていませんか?」


 アルヴァの疑問に、ソロンは首をひねって答える。


「う~ん、分からないや。ここはもうイドリスどころか、ラグナイよりもずっと北だからね。話が伝わってないんだと思う」


 イドリスの北方に位置する敵国ラグナイ……。下界と上界の位置関係はあやふやではあるが、それよりも遥か北にいるのは間違いなかった。


「ふうむ。伝わっていませんか……」

「うん。下界は君も知っている通り、危険の多い場所だからね。遠くの情報は、なかなか伝わってこないんだ。下界には人が治めていない土地だって、たくさんあるぐらいさ」

「未開の地というわけですか……。それなら、仕方ありませんね。……それにしても不思議なものです」


 アルヴァは立ち昇る雲の柱を仰ぎ見て、同じ言葉を繰り返した。


 *


 雲の柱を通り過ぎた船団は、次なる目的地へ向かって進み続けた。

 旅の最終的な目的地は、ドーマ連邦の大都アムイである。

 けれど、船の修繕と補給のため、途中の町へ寄る予定になっていた。それが、目下の目的地に当たる港町スエズアだった。


 昼下がり、目を凝らせば彼方(かなた)から島影が覗いていた。

 かなり離れているにも関わらず、その姿は明瞭だった。相応に大きな島のようだ。少なくとも、今までの旅路では最大のものとなるだろう。


 その時――

 チラチラと空から白い粉が落ちてきた。白い粉は白い雲海の中へと、吸い込まれるように消えていく。

 思わずソロンは腕を差し出して、粉を手のひらに受けようとした。


「これって……」


 手のひらに乗った白い粉は、すぐに溶けて消え失せた。冷たい感触と水滴が手に残る。


「雪――ですね」


 空を見上げたアルヴァが、静かに答えた。


「うわぁ、久しぶりだなあ」


 ミスティンは空へと手を伸ばして、感動を口にした。もっとも、それ以上にソロンの胸は高鳴っていた。


「雪! これが雪なんだ!」


 なんといっても、ソロンにとっては初めて見る雪なのだ。既に見たことがある彼女達とは、その感動も比較にならない。


「ふうむ、こんな物が珍しいのか? この季節なら、うんざりするほど見れるぞ。島に着けば、積もっているところも見えるだろう」


 そんなソロンへと、メリューが不思議そうに声をかける。

 実際、雲の柱と比較すれば、興奮しているのはソロンぐらいのものだった。


「イドリスだと雪なんて降らないからね。でも積もった雪か、楽しみだなあ……」

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