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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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雲海の追走劇

「善処するよ。ああ……でも、僕一人じゃ動かせないか」


 アルヴァの了承は得た。けれど、一つ問題があった。

 小舟は二人で漕ぐ構造になっている。ソロン一人で漕げないことはないが、ウツボを引きつけるには絶対的な速力が不足するはずだ。

 となれば、誰と組んでいくべきか。


「グラットは……船長だしなあ」


 さすがに船を離れるわけにはいかないだろう。彼は今も必死に、船員達を叱咤(しった)している。彼らの奮闘のお陰で、ウツボの接近を押し留めているようだった。

 ならば、ミスティンだろうか。

 あまり、危険にさらしたいとは思えないが……。それに雲海において、彼女は貴重な戦力でもある。船上から弓を射てもらったほうがよいのではなかろうか。


 ちらりと目が合ったミスティンは微笑(ほほえ)んで、


「私も行くよ。ソロンだけじゃ心配だから」


 迷わずに請け負おうとした。

 ところが――


「いや、私がやろう」


 メリューが立候補した。


「でも、君は……」


 メリューはドーマの大君の孫である。

 万が一、命を落とした場合は、旅の目的に支障をきたすだろう。何より子供のような見た目の彼女を、危険へ(さら)すのは気が引けた。


「気にするな。そもそも無理を言ったのは、私のほうだからな。お前達だけに任せてはおれん。私だって獣王との戦いに、命を()しているのだ」


 既にウツボの攻撃を受けて、彼女は亜人の部下を失っている。泰然としてはいても、責任を感じていたのだろう。


「じゃあ、メリューに頼む。ミスティンは援護をお願い!」

「了解した!」「任せて!」

竜玉帯(りゅうぎょくたい)を付けてください。それで助かるかどうか分かりませんが、無いよりは良いでしょう」

「分かった」


 ソロンはアルヴァの忠告に従って、備品の竜玉帯を身につけた。竜玉を内部に秘めた帯であり、万が一雲海に落ちた時でも、これがあれば浮かぶことができる。

 もっともウツボの攻撃が直撃すれば、雲海に落ちる程度で済むとはとても思えない。彼女の言う通り、気休めと考えたほうがよいだろう。


「それでよいのか? なら行くぞ」


 メリューがソロンを()かしてくる。だが――


「いや、君も竜玉帯つけなよ。危ないって」


 なぜだか、メリューは竜玉帯を付ける気配もなかったのだ。


「もしかして合う帯がなかったのか? だったら、お子様用の物もあるぞ」


 忙しく動き回っていたグラットも口を出してくる。


「私を何だと思っている。銀竜の血を引く私にそんなものは不要だ」

「……ひょっとして、あなたも雲海に浮かぶのですか?」


 アルヴァが信じられないとばかりに、メリューを見た。

 体内に竜玉を持つ竜族は雲海に浮かぶ。だが、その法則がメリューにも適用できるとは驚きだった。


「無論だ。我らは竜だと最初から言っているであろう」


 心外とばかりにメリューが答えた。


「マジかよ……」

「銀竜はウソをつかん。分かったら、お前はとっとと船長の仕事に戻れ」

「分かった、分かった! お前も気をつけろよ!」


 グラットは手荒く、メリューの頭を叩いた。

 メリューはそれに怒る余裕もなく、すぐにソロンへと歩み寄る。


「ソロン、行くぞ」

「了解、メリュー」


 返事をする前にソロンは足を踏み出していた。話し合っている間にも戦いは続いているのだ。これ以上、時間を無駄にはできない。


「私は精神集中に入ります。雷鳥に巻き込まれないよう、敵との間隔を保ってください」


 アルヴァは杖を掲げ、ソロンに声をかけた。

 ソロンは頷き、メリューと二人で小舟へと向かった。


 *


 帝国兵と亜人兵が協力して、右舷(うげん)側へと小舟を下ろした。旗艦の影に隠れるため、ウツボからは見えないはずである。


「大丈夫? 降りられる?」

「馬鹿にするでない」


 メリューはひらりと小舟に飛び乗った。ソロンも続いて小舟に降り立つ。

 広大な雲海の中へ浮かべるには、あまりにも矮小(わいしょう)な舟。しかし、心細さに震えている暇もない。

 ソロンは(かい)を手に取って、雲海へと突き刺した。櫂の先端に格納された竜玉が雲海との反発を引き起こす。


「同じようにやってみて」


 悠長にしている暇はない。メリューへの説明も最低限の時間で済まさねばならなかった。


「説明はいらんぞ。ドーマの櫂船(かいせん)も同じような仕組みだ」


 そう言うなり、メリューも雲海へと櫂を突き刺した。

 彼女が持った櫂の先端から赤い光が放たれる。

 竜玉に魔力が込められたことによって、雲海との反発が強化されたのだ。推進力を得た舟がたちまち前進を始めた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 ソロンも慌てて櫂へと魔力を込める。二人の魔力を合わせなければ、小舟を安定して進めることもできないのだ。

 メリューとは、アルヴァやミスティンほど付き合いが長いわけではない。それでも今は息を合わせるしかなかった。


 船団の隙間を縫いながら、二人は(さえぎ)るもののない雲海へと漕ぎ出した。

 ウツボの姿は既に、随分と遠くになっている。

 ドーマの船を襲っていたウツボは、その牙を止めていた。

 既に船の大部分が沈んでおり、これ以上の攻撃をする必要がなかったのだ。他の七隻がウツボを引き離せたのは、その犠牲のお陰だろう。


「ラーソン……」


 メリューは消え入りそうな声でつぶやいた。やはり、部下のことが心配なのだ。


「メリュー、大丈夫? 悪いけどやるからには――」

「いや、気遣いは無用だ」


 メリューは気丈にも、ソロンの心配をピシャリと跳ね除けた。

 ウツボは鎌首をもたげ、船団のある方角を見ていた。次なる獲物を見定めようとしているのだ。


 ウツボはゆったりとした動作で、雲海を泳ぎ出した。その動作からは予想もできない程の勢いで、ぐんぐんと加速していく。

 向かう方角はアルヴァが乗る旗艦だ。偶然か、それともウツボは最も手強い相手を、本能的に察したのかもしれない。

 だが、そうさせないために、ソロン達がいるのだ。


「行くよ、メリュー! 少し右にそらして進むよ」

「おうとも!」


 二人は小舟を漕ぎながら、ウツボに向かって進んだ。正面からは進まない。弧を描くようにして、斜め横から近づいていく。

 馬のような速さで、小舟は風を切ってゆく。メリューの銀髪がせわしく揺れ動いていた。

 敵も接近してくるため、必死で漕がずとも距離は縮まっていく。だが、これ以上は旗艦に近づかせたくはなかった。

 ウツボはこちらの小舟に、まだ気づいていない。


「頭を狙う! メリュー、舟は任せたよ!」

「うむ!」


 ソロンは櫂から手を放し、背中の刀を抜き放った。

 漕手が一人になったため、小舟の速度が落ちていく。

 ソロンは刀へと入念に魔力を込めていく。紅蓮の刀が魔力を受けて、赤光(しゃっこう)を放つ。

 あの巨体に生半可な攻撃をしても、蚊が刺すようなものだろう。ならば、それ相応の一撃をしかけねばならない。


 そうしている間にも、ウツボの巨体が接近してくる。既に向こうも相当な速度まで、加速しているようだ。

 大きさだけなら、以前に見た神獣すらも上回る。果たしてこれは、人が抗し得る相手なのだろうか。心中に疑念が走るが、今更引き返すわけにはいかない。


 雲海を震わす息遣いが、また聞こえてくる。

 近づけば近づくほどに、怖気(おぞけ)がソロンを襲う。


「む……。このまま近づいてもよいのか?」


 メリューはそこで躊躇(ちゅうちょ)を見せた。怖がっているというよりも、戦術方針を問うているのだろう。


「もう少しだけ頼む! 僕が魔法を撃ったら、全力で逃げるよ!」

「……承知した!」


 恐怖を振り払うようにして、メリューは櫂を強く握った。

 小舟は一気に、ウツボへと近づいていく。正面を避けたまま、斜めの角度で頭部へと接近する。


「いっけえっ!!」


 ソロンは刀を振り下ろし、全力の炎を放出した。

 狙いは黄色く光る目玉である。いかに巨大な生物といえども、急所は変わらないはずだ。

 その瞬間――ウツボがこちらへと頭を振り向けた。放たれた炎の熱を察したのかもしれない。


 ウツボはこちらに向かってくる気配を見せたが、ソロンはひるまず炎を送り続ける。

 炎はウツボの眉間へと直撃し、その動きを止めた。爆散した炎は頭部を覆い隠すように広がっていく。

 眼には当たらなかったが、それでも頭部には命中した。あの巨体からすれば、こちらは虫ケラに過ぎないかもしれない。けれど、虫は虫でも蜂の一刺しとなれば無視はできまい。


 ウツボの勢いが削がれた。爆炎に紛れて姿は見えないが、減速したのは間違いない。


「逃げるよっ!」

「分かっておる! よくやったぞ、ソロン!」


 油断する気はない。あれで倒せるなどとは、ソロンは欠片も思っていないのだ。

 刀を置いて、再び櫂を手に取る。

 炎を放った反動を利用して、小舟の向きをくるりと転回させた。目指す方角は船団が見える側だ。


 ウツボが立て直す前に、小舟を加速させる。勢いに乗った小舟が、船団へと近づいていく。

 旗艦以外の船は既に、先へと進んでいた。雷鳥で狙いやすくするために、グラットが隊列を変更してくれたのだ。


 そして、旗艦の後尾には黒衣をまとったアルヴァの姿があった。

 杖を弓のように構え、ウツボへと向けている。杖先に輝く雷光のせいで、遠くからでもはっきりと視認できる。

 その隣、こちらに向けて旗を振っているのはミスティンだろう。準備が整ったという合図である。

 ならば、こちらも仕事を果たさねばならない。ウツボを最適な位置へと誘導し、アルヴァの標的にするのだ。


 とはいえ簡単なことではない。

 このまままっすぐに旗艦へ向かえば、アルヴァの正面にウツボを誘導できる。

 単にウツボを倒したいだけならば、最適な位置だとはいえる。……が、その場合はこちらの小舟も巻き込まれてしまう。

 そんな状況では、アルヴァも決して魔法を放ちはしないだろう。

 となれば、なるべく相手を引き離して巻き込まれないようにせねばならない。


「ぐっ、追ってくるぞ!?」


 メリューが後ろを振り返って、声を上げた。


「うそっ、もう!?」


 ソロンも驚愕(きょうがく)して振り返った。そこには煙と炎を突き破り、頭を覗かせるウツボの姿があった。

 感情の読み取れない魚類特有の目玉……。それでもそこにある感情が怒りであることは、容易に察せられた。

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