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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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大雲海の戦い

「やめっ!」


 アルヴァが天へと杖を向けて、雷光を放った。攻撃を制止する合図である。

 合図は波のように全船団へと伝わり、静寂が訪れる。


「進路はそのまま! 反撃に備えて距離を取ってください!」


 アルヴァは油断せずに、指示を続けた。

 巻き起こる煙を背後にして、船団は進む。

 ウツボを覆っていた煙が次第に晴れていく。皆、固唾(かたず)を飲んでその様子を見守っていた。


「まだ生きてやがるか! しぶてえ野郎だぜ」


 グラットが悔しそうに吐き捨てた。

 のろのろと雲海の上を動き回る長大な生物が、煙の向こうに見えてきたのだ。

 ウツボの首は黒く焦げてはいたが、それも一部に留まる。致命傷になっていないのは明白だった。


「それよりも、あれって!?」


 ソロンの目を引いたのはそれだけではない。

 ウツボの周囲には、赤黒い霧がまとわりついていたのだ。

 いや、霧というより瘴気と断定してよいかもしれない。恐らくはウツボの傷口からあふれ出したのだ。


「かの邪教の魔物ですね。まさか、こんなところで遭遇するとは、夢にも思いませんでしたが……」


 アルヴァが目を見開いて、渦巻く瘴気を凝視する。

 ミスティンとソロンが抱いていた嫌悪感――その正体はザウラスト教団の魔物に共通するものだった。このウツボも元をたどれば、呪海の力にたどり着くのだろう。


 もっとも、その疑問を追求している余裕はない。今は目の前の戦いに集中するしかなかった。

 ただちにウツボが反撃してくる兆候はない。あれだけの衝撃を受けては、さすがの怪物も動きが止まるらしい。


「さあ、どう出るかの? また追ってくるだろうか?」


 メリューは努めて余裕の声を作っていた。もっとも、強張った表情を隠しきれていなかったが。


「来ないなら、このまま逃げるぜ。それでいいよな、お姫様も」

「ええ、そのつもりでお願いします」


 グラットとアルヴァは意見の一致を得たようだった。

 船団の目的は魔物の撃破ではなく、目的地であるスエズアへの到達なのだ。魔物がこれで退くならば、それで問題はない。

 それにそこまで行けば、スエズアの軍隊から協力を得られるかもしれなかった。


 *


 ウツボの影が船団から離れていく。このまま置き去りにできるだろうか……。


「動いたよっ!」


 ミスティンが持ち前の動体視力でいち早く察知する。

 ウツボはビクッと体を動かし、雲海へと頭を突っ込んだ。長大な胴体が見る見るうちに、雲海の下へと潜り込んでいく。しかも、潜る方角が船団を向いているのは明らかだった。


「ぐっ、下から狙ってくる気か!?」


 得体の知れない敵の行動に、メリューは叫んだ。


「だろうな。くっそ、これがあるから雲海の魔物は厄介なんだよ!」


 グラットが悪態をついた。皇帝イカを相手にした時も、敵は雲海の下に隠れたのだった。


「でも、下に逃げるってことは効いてるんだよ」


 ソロンが指摘する。

 もしウツボがこちらの攻撃をものともしないならば、正面から迫ればよいのだ。効果があったからこそ、敵は動きを変えたのだろう。


「少なくとも、神獣ではなさそうですね。そうであったら、万事休すでしたが」


 赤黒い瘴気をまとい、あらゆる攻撃を無効化する神獣……。この場にはその弱点となる神鏡もないのだ。アルヴァの言う通り、神獣が相手でないのは幸いだった。


「だが、どっちにしろ、これじゃあいつまで経ってもトドメを刺せんぜ」

「来るぞ!」


 メリューが叫べば、


「影を狙って、可能な限りの攻撃をしかけてください!」


 アルヴァは攻撃の続行を宣言する。

 幸い、雲海の透明度は高い。目を凝らせば、その下に埋もれた巨大な影を見分けられる。

 アルヴァは再び杖を構え、ウツボの影へと紫電(しでん)を放った。

 他の一同も、同じ場所をめがけて攻撃を再開する。

 殺到する魔法の雨を受けて、またも大きな煙が立ち昇った。


「ちっ、これじゃあ、当たってんのかどうか分かんねえぞ!」


 グラットが顔をしかめて指摘する。

 相手は雲海の下に映る影である。攻撃が当たっているのかどうか、手応えがつかめない。加えて、先程より距離が遠く、頭部を狙うのも難しい状態だった。


「けど、他にやりようがないよ」


 それでもソロンは必死に攻撃を続ける。次々と炎の玉を影に向かって、撃ち出していく。

 ところが――


「あっち行った!」


 ミスティンが叫んだ時には、事態は進んでいた。

 煙が立ち昇る一帯を抜けて、巨大な影は船団の後ろへと回り込んでいた。ウツボは攻撃の嵐をくぐり抜けていたのだ。

 迎え撃つために、ソロンは甲板を走り出した。仲間達もその後ろに続いて船尾を目指す。


「まずい!」


 ソロンが船尾へとたどり着いた時には、もはや手遅れだった。

 ソロン達が乗る旗艦の後ろには、ドーマの竜玉船が続いていた。

 そして、そのさらに後ろからウツボは姿を現したのだ。茶と白の縞模様が、雲海の上で(あら)わになる。


「ぐっ……! あの船にはラーソンが!」


 メリューが表情を歪めて叫んだ。

 巨体がうねり、ドーマの竜玉船めがけて加速する。

 ウツボは頭をもたげるや否や、船の後尾へと鎌首を振るった。

 激しい衝突音が鳴り響き、船がこちらへ向かって弾かれる。

 弾き飛ばされた船が、旗艦にぶつかるのではないか――乗員達に恐怖が走った。


「くそっ、どうにもできねえのか……!?」


 グラットが焦りに汗を浮かべる。この位置関係では、攻撃しても仲間の船に当たるだけだ。ウツボだけを狙うのは容易ではなかった。

 ウツボの勢いは留まらず、容赦ない追い打ちがなされる。衝突は二度三度と繰り返された。


 やがてドーマの船に大きな亀裂が走る。これ以上の航行が不可能なのは、目にも明らかだった。

 船から飛び出す亜人達の姿がソロンの目に入った。

 小舟へと慌てて乗り込む者、竜玉帯(りゅうぎょくたい)をまとい雲海へ浮かんだ者、何もつけずに雲海へと沈んでいく者……。

 いずれにせよ、絶体絶命の状況に違いはなかった。


「おのれえっ!」


 普段は冷静なメリューが怒りを(あら)わにする。今にも船から飛び出さんばかりの剣幕だ。

 その間も、他の七隻は速度を維持していた。犠牲となった船とウツボを置き去りにして、どんどんと間隔が離れていく。


「借りるぞ!」


 メリューがそう叫びや、備えつけの小舟へと走り出した。部下を助けるために、自ら雲海へ漕ぎ出そうというのだ。


「ダメだ、危ないよ!」


 ソロンはメリューの腕を強くつかみ、それを制した。


「だが……!」

「今、行ったところで命を散らすだけです。冷静になさい。雲海に浮かんでさえいれば、救助は後でもできます。それよりも、我々にしかできないことをしましょう」


 アルヴァはしかとメリューを見据え、冷然と言い切った。

 それから右手に持った杖の先を、ウツボへと向ける。救助よりも戦いを優先する――それが彼女の決意だった。


「むう……」


 メリューは気勢を削がれたようで、足を止めた。

 実際、最大の戦力を持つのは、アルヴァがいるこの旗艦なのだ。ウツボと戦うのは、この船を置いて他にない。ウツボを止めねば、全船団が崩壊してしまうかもしれなかった。


 そうこうしている間にも、オデッセイ号は混乱の渦中(かちゅう)にあった。グラットは甲板を走り回り、必死で船員に指示を出していた。


「このままじゃどうしようもないけど。どうする?」


 ミスティンは無表情を保ったまま淡々と言った。それでも内心の焦りは隠せないらしく、ソロンの袖をギュッとつかんでいる。

 ウツボは機関の停止したドーマ船に向かって、執拗(しつよう)に攻撃をしかけていた。菓子でも噛み砕くかのように、船の形が崩れていく。


 崩れ行く船の上から、ウツボへと攻撃を続ける者達の姿があった。避難もせずに、決死の覚悟で戦いに挑んでいるのだ。

 その中にはなんと、杖を持ったラーソンの姿があった。


「あやつ、大して強くもなかろうに……」


 メリューが消え入りそうな声でつぶやいた。

 至近距離からの猛攻撃に、ウツボもわずかにひるんだ。

 彼らの覚悟を無駄にはできない。この時間を活用して、戦いの方針を決めねばならない。


「雷鳥の魔法を当てられないかな?」


 ソロンはアルヴァへと提案した。

 四隻による総攻撃をものともしない敵の鱗。それを貫けるとすれば、彼女の魔法に他ならないだろう。

 アルヴァはゆっくりと息を吐いて。


「私も、それしかないとは思います。けれど、容易ではありません。体が細長い上に、見た目通りの蛇行ですから。先程のように一定の角度から狙えれば、それが最善なのですが……。先の好機に惜しんだのは、私の失敗でした」

「仕方ないさ。できる方法を考えよう」


 雷鳥は集中に時間を要する上に、精神の消耗が激しい魔法である。敵の動きも見極めないうちから、放てはしなかったのだろう。撃っておけばよかったというのは、結果論に過ぎない。


「誰かが引きつけるしかないか……」


 ソロンはつぶやいた。

 誰かといったら、もちろん自分しかない。大事な役目を人に任せるつもりはなかった。自分が小舟に乗り移って、ウツボに接近するのだ。

 このところ、小舟にはやたらと縁がある。今回も活用させてもらうとしよう。


「あなたがやるつもりなのですか?」

「うん、他の人には任せられないしね」


 アルヴァは胸を押さえながら、うつむいていたが、


「了解しましたが……。無茶はしないでください」


 ソロンを見据えてそう言った。

 紅い瞳はどこか不安げに揺れていた。心配してくれているようだが、それでもソロンの意志は尊重してくれるらしい。

 もっとも、作戦自体が無茶極まりない以上、彼女の言葉には反するのだが……。

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