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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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彼方より迫るもの

 船の墓場を乗り越えて、船団に弛緩(しかん)した空気が広がっていた。難所を終えて、緊張が解けたということもあるが、アメーバ騒動のために睡眠不足の者も多かった。

 グラットに至っては、早々と船長室で眠り込んでしまった。

 しかし、船長という重職を考えれば、その疲労も仕方のないことである。


 そしてもう一人の重職はと言えば……。


「アルヴァ」

「…………」


 呼びかけても返事がない。見れば完全に目が()わっている。

 ソロンは肩を叩いて、返事をうながすことにした。


「ひゃいっ!? 何ですか……?」


 思いのほか、可愛らしい声で悲鳴が上がった。


「眠ったほうがいいよ」


 ソロンは穏やかに声をかけた。

 昨日、彼女は皆が眠った後も、事後処理のために起きていた。他の者より、疲労は深いはずである。


「いえ……まだ油断はできませんので。敵が墓場の出口に網を張っている可能性は、大いにあります。こちらが東西の経路を避けたことは、あちらも察知するでしょうからね」

「そんな状態じゃ、油断も何もないと思うけど」

「そうだぞ、上帝。そなたの推測は一理あるが、ここは既にスエズアの勢力圏でもある。獣王もそう簡単には軍を送れまい。警戒は我々に任せて、そなたは寝ておれ」


 助け船を出してくれたのは、メリューだった。

 彼女にしても昨夜は忙しくしていたはずだが、至って平気そうだ。見た目よりもずっと頑丈らしい。


「……そうですね。殿下がそうおっしゃるなら。すみませんが、少し眠ります。何かあれば起こしてください」


 と、アルヴァは座り込んで仮眠を取り始めた。


 何だかんだ言って、彼女は合理的な人間である。休息の重要性は誰よりも分かっているのだ。

 しかし、場所は操舵室のど真ん中。

 いつでも対応できるように待機しているつもりらしい。できれば、寝室に行って欲しいが、起きていられるよりはマシだろうか。後で毛布を持ってくるとしよう。


 事が起こったのは、そのしばらく後だった。


「なんだあれは!?」


 見張り台の上で、双眼鏡を構えていた兵士が叫んだ。驚いた様子で、遥か前方を指差している。


「どうした!?」


 船長室を出て、駆け寄ってきたのはグラットだ。


「いえ、何か大きく細長い物が見えるのですが……」

「それだけじゃ、よく分からんぞ。はっきり伝えてくれ」

「私にも何がなんだか……。色は茶のように見えますが……」


 兵士は双眼鏡を覗き込みながら、正確な報告を試みる。


「小島じゃないのか? 必要なら進路を変えるぞ」


 腕組みしたグラットが怪訝(けげん)そうにつぶやく。


「島にしては質感が――」

 そうつぶやいた瞬間、兵士の形相が一変した。

「――あ、あ……あ……! 蛇です! 巨大な蛇です!!」


「何事ですか!?」


 異変を感知したらしく、アルヴァが起き上がった。跳ねのけられた毛布が、はらりと甲板(かんぱん)に落ちる。


「バケモノだ。回避するように指示を出しておいたが……」


 アルヴァの目覚めを待つことなく、グラットは指示を出していた。

 全船団に向けて信号旗が掲げられていたのだ。船団は大蛇を回避するように舳先(へさき)を右へと転じた。

 しかし、信号旗が伝わる頃には、大蛇の姿が肉眼でも確認できるようになっていた。


 その姿はあまりにも長大で、最初は生物だとはとても思えなかった。全長はこちらの竜玉船の何倍かはあるだろう。見張りの兵士の困惑も察せられる。

 けれど、それは明らかに生物として動いていた。まさしく体をくねらせる蛇のような動きである。

 八隻の船団は大きく右に旋回していた。にも関わらず、大蛇との距離が縮まる様子はない。


「げえっ、こっち来るぞ!」「マジかよ!?」


 乗員達も口々に恐怖で悲鳴を上げる。

 もはや間違いない。船の左舷側に向かって、大蛇の頭が向かってきているのだ。

 ギョロリとした大蛇の目玉が、こちらを凝視している。獲物を見つけたとでもいうかのように。


「あれは……」


 ソロンの視界に、長い胴が目に入った。胴体には茶と白の(しま)模様が描かれている。

 頭から背中にかけて、上部が魚の背ビレのように突き出ていた。どうも蛇にしては違和感があるが、ひょっとすると……。


「こっちにはあんなバケモノがいるのか? 帝国でも、精々が皇帝イカぐらいのもんだぞ!」


 グラットがメリューへと怒鳴るように声をかけた。


「いや、野生の魔物ではなかろう」

「じゃあ、なんだってんだよ?」

「最近、獣王が怪しげな魔物を使うようになってな。あやつもその一端かもしれん。このところ、我らも苦戦を強いられているのだ。まさか、こんなところまでけしかけてくるとは思わなんだが……」


 思わぬ襲撃にメリューも呆然としていた。


「しかし、非常識に巨大な蛇ですね。雲竜の一種でしょうか……?」

「蛇でも竜でもなくて、たぶんウツボだよ」


 アルヴァの推定を、ソロンは否定した。


「ウツボとは?」


 アルヴァは怪訝(けげん)な視線を向けてくる。もしかすると、いつかの海ワニと同じく、上界には存在しないのかもしれない。


「下界の海にいる蛇みたいな魚さ。ウナギとかに近いんじゃないかな?」


 ウナギ料理については、上界でも見た記憶がある。奇妙な話だが、雲海にも生息しているらしい。


「なるほど、蛇というより魚ですか」

「けどなんか、嫌な感じかも……」


 と、ミスティンが嫌悪感を訴える。


「ミスティンもなの? ひょっとしてこれって――」


 ソロンも同意する。

 向かってくる魔物に対して、ソロンも得も言われぬ嫌悪感を抱いていたのだ。ひょっとすると、この魔物は……。


「いや、それよりどうすんだよ、お姫様? ……っつても、答えはあってないようなもんだろうけどな」


 焦りの色を浮かべたグラットが(さえぎ)った。そうこうしているうちに、ウツボとの距離が縮まってきていたのだ。


「決まっています。逃げきれないなら迎撃するしかありません。総員、戦闘準備を! 船は今の進路を維持してください!」


 アルヴァは既に杖を取り出していた。それからソロンのほうを見て。


「ソロン、合図を!」

「了解!」


 ソロンは刀を上方に掲げ、天に向かって炎を打ち上げた。これが戦闘開始の狼煙(のろし)となるのだ。



「敵を引きつけてから、一斉に撃ちます! 総員、攻撃の構えを!」


 アルヴァが勇ましく司令を下す。それを兵士達が伝令し、さらには旗信号で他の船へと連絡する。

 兵士達が続々と左舷に集まってくる。帝国の人間にドーマの亜人。危機的状況において、国籍の差は関係ないのだ。

 弓や杖、投げ槍、あるいは投石器――彼らはそれぞれの武器を構えていた。

 ソロンは刀、ミスティンは弓、グラットは投げ槍――仲間達も得物(えもの)を持って構えた。


 その間にも、巨大なウツボが猛烈な勢いで向かってくる。

 茶色のウロコが、雲海の中をかき回すように動き回る。黄金の瞳が陽光を照り返して、不気味に光っていた。


「アルヴァ! この船、狙ってるよ!」


 ソロンは額に汗を浮かべながら叫んだ。


「好都合です。この船の戦力が最も手厚いのですから。返り討ちにしましょう」


 それでも、アルヴァはこの期に及んで至極冷静だった。左舷に身を乗り出すようにして、杖先をウツボへと向けた。

 船団は二列になって、四隻ずつに分かれて併走している。

 位置関係の都合上、左列の四隻だけが攻撃に参加できる状態だ。

 そこへウツボがさらに迫り来る。雲海を震わせる不気味な息遣いが、こちらの船まで聞こえてくる。


「攻撃はまだです! 引きつけてください! 頭を優先的に狙うように!」


 アルヴァは左手を横に伸ばして、兵士達を押しとどめる。

 兵士達もみな黙り込んで、攻撃の時を待つ。

 ソロンも最大限の魔力を刀に込めて、いつでも放出できるように身構えた。

 船団とウツボの位置関係は、ちょうどTの字を描くようになっている。ウツボの頭めがけて、存分に狙える位置取りだ。


「今です!」


 アルヴァは号令すると共に、自ら杖先から紫電(しでん)を放った。

 ソロンもほぼ同時に刀から炎を放出する。炎が舞うようにウツボへと襲いかかっていく。クネクネ動く相手だろうが、確実に命中できる巨大な炎だ。


 その時には人間と亜人――双方の兵士が一斉に攻撃を放っていた。四隻の竜玉船と何十人もの兵士による総攻撃だ。

 矢、投石、投げ槍、炎、冷気、風……。各々(おのおの)の攻撃が怪物の巨体に向かって炸裂する。

 雲海が激しい攻撃に(おお)われていく。熱波と轟音が、船上にいるソロンの元まで伝わってきた。

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