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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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夜霧の中で

「お~い、時間だぞー」


 深夜、グラットに起こされたソロンは、交代で寝室を出た。見張りの時間が来たのだ。

 危険は以前に停泊した島よりも大きく、見張りを欠かせない。魔物に夜襲をかけられないよう、常に注意しなければならなかった。


 まずはアルヴァとミスティンを起こしにいく。

 真夜中に女性の部屋――しかも最高責任者を訪ねようという兵士はいないらしく、自然それはソロンの役目になっていた。

 自分から室内に入らないのは、紳士のたしなみである。

 幸い、扉を叩いただけで、アルヴァは速やかに目を覚ました。案の定、ミスティンは起きなかったが、アルヴァがいつものように叩き起こした。


 三人で階段を上がり、夜の甲板(かんぱん)へ。

 今や船の墓場は、深夜の闇に沈んでいるはずだ。あるとすれば、見張りの兵士達が掲げる灯りぐらいのものだろう。

 ――が、しかし、


「ぎゃっ!?」


 ソロンは目の前の光景に、悲鳴を上げた。情けなくも、反射的にアルヴァの(そで)をつかむ。

 夜霧(よぎり)の中に浮かび上がる緑の光が、ソロンの瞳へと飛び込んできた。


 雲海の中に、緑の光が怪しく輝いていたのだ。あちらにもこちらにも、どの方向を見渡しても雲海は緑に光っている。

 見ようによっては美しいといえなくもないが、どうしても不気味さが勝ってしまう。


「な、なんなのかなこれ……。ちょっと気味悪くない?」

「きっと、船の墓場で死んだ人達の亡霊だよ。私達を船ごと仲間にしようと企んでいるのかも……」


 ミスティンが無表情を保ったまま(のたま)った。顔に緑の光が当たって、なんとなく不気味に見えてくる。


「ちょっ、やめてよ……」

「いけませんよ、ミスティン。そんな非科学的なことを言って、脅してはなりません」


 そんな空気を切り裂くように、アルヴァはピシャリと言った。


「非科学的って、魔法使いの言う言葉じゃないよね」


 ミスティンは反論するが、アルヴァは力強く否定する。


「いいえ、魔法は科学です。今の人間には理解も及ばないことが、世界には少しばかりあるというだけです。魔法学が発展すれば、いずれ全ては明らかになると私は信じています」

「なるほど~、アルヴァはえらいねー」


 口論に発展することなく、ミスティンはあっさり折れた。基本的に、自分の言動に執着のない娘である。


「分かればよいのです」

 それから、アルヴァはソロンへと向き直って。

「――大丈夫ですよ、ソロン。こんなものは不思議でもなんでもありませんから」


 と、彼女はこちらに手を重ね、優しい声をかけた。お化けに脅える子供をなだめるような調子である。

 色んな意味で気恥ずかしい。


「えっと、じゃあなんなの……これ?」

「これは科学的に説明できる現象なのです。恐らくは夜光虫のように、微生物が発光しているのだと思われます」

「夜光虫っていうと……。夜の海で光るあれだよね。な、なるほど……」


 それならソロンにも理解できる。下界の海でも、生物による発光は珍しい現象ではない。

 科学的かどうかはともかく、既知の現象に当てはめれば、何となく安心できるというものだ。


「むしろ、夜間の照明になって便利というものでしょう」


 アルヴァはいつもの通り、肝の据わった言葉を残した。


 *


 緑に発光する船の墓場で、三人は見張りを続けていた。


「ふわわ~……そろそろ終わりかなあ」


 ミスティンがすっかり気の抜けた調子で、あくびをしていた。

 深夜の見張りに立って、おおよそ三時間、眠たくもなろうというものだ。

 まだ外は暗いが、もうしばらくすれば徐々に明るくなるかもしれない。

 だが――


「のわっ、何だこりゃっ!」


 兵士の叫びが船上に響いた。左舷側にいた彼は、手すりから身を乗り出し、船の側面を覗き込んでいる。


「こっちにもいます!」


 ソロンの近くにいた兵士も叫んだ。

 ソロンもそばに行って、右舷側を覗き込む。

 緑に光る雲海から、何かが湧き出すように現れている。


 船の側面へと赤色の何かが張りついて、のろのろと()い上がってくるのだ。

 十を超える数のそれが、くねくねとうごめいていた。

 軟体生物の手足にも見えたが、目鼻はおろか頭部も見当たらない。それどころか、個体ごとに形状が異なるため、つかみどころがない。


「タコ? う~ん、違うね」


 まだ眠気の抜けないミスティンが、頭を悩ませている。


「いや、アメーバの一種じゃないかな?」


 アメーバというのは、下界の水辺で見られる魔物だ。決まった形を持たないのが特徴であり、不定形などとも呼ばれている。まさか、雲海にもいるとは思わなかったが……。

 そうしている間にも、アメーバは船の両舷を越えて、甲板へ入ってこようとしていた。


「こいつ、あっちいけ!」


 側面にひっついたアメーバを、兵士が槍でつついた。追い払って、雲海へ落とそうとしたのだろう。

 ところが、槍はアメーバの柔らかい体へと、吸い込まれるように突き刺さった。


「のわっ!?」


 兵士の悲鳴が上がる。

 アメーバは槍へとまとわりつき、そのまま槍を伝って兵士へとにじりよってきたのだ。

 兵士は歯を食いしばって槍を押し、まるごと雲海へ捨てようとしたが、


「んぐぐぐ……。こいつ! なんて力だ……!」


 船体に吸いつくアメーバを、引きはがすことができなかった。

 槍とアメーバ、アメーバと船体が三位一体(さんみいったい)の如くひっついている。


「大丈夫!?」


 ソロンは紅蓮の刀に炎を宿し、槍にまとわりついたアメーバへと放出した。

 熱されたアメーバが、もがくように踊り出す。あまりの気持ち悪さにやめたくなったが、我慢して炎を放出し続ける。


「うおっ!」


 兵士が槍もろともに、勢いよく後ろへ倒れた。どうやら、アメーバを引きはがすことに成功したらしい。

 炎を浴びたアメーバから赤い煙が上がり、どんどんと小さくなっていく。

 やがて、干からびたアメーバの残骸だけが、船の側面に残った。

 気持ち悪い光景だったが、とにかく撃退はできたようだ。


「た、助かりました……」


 見れば、槍がボロボロになって変色している。アメーバの体液には、金属を()びさせる効果があるようだった。


「炎が効果的なようですね。他の皆もお願いします! 万が一に備え、水樽(みずだる)の用意も!」


 それを見ていたアルヴァが指示を出す。自らも杖を手に取り、アメーバの一体を焼き焦がした。


「アルヴァ、船を動かしたらどうかな?」


 ソロンがそばに寄って提案するが、彼女は首を振って答えた。


「いえ、この視界では船同士が衝突する危険もあります。今はとにかく魔物を追い払いましょう」

「分かった!」


 ソロンは納得し、すぐに刀を構えた。上がってくるアメーバに狙いを定める。

 兵士達はそれぞれに武器を手に取った。魔法を使える者は杖を取り、そうでない者も松明(たいまつ)を手に取る。あるいは、消火用の水樽を運ぶ者もいた。


「ぬおっ、なんじゃこの魔物はっ!」


 騒ぎに起こされたらしいメリューが、寝巻き姿で現れた。


「メリュー殿下っ! 炎に弱い魔物です! ドーマの船へ連絡を!」


 とっさにアルヴァが声をかける。


「う、うむ。私に任せておけ」


 メリューはいまだ困惑を隠せないようだった。

 それでも、彼女はドーマの亜人兵を連れて、船を駆け下りる。足場の悪い岩だらけの島をつたい、他の船へ渡るつもりのようだ。

 夜霧の中に、炎が浮かんでは消えていく。同時に赤色の煙が船団中から上がり始めた。


 *


 まだ暗さの残る未明。雲海が放つ緑の光も、徐々に消えていこうとしていた。


「うへぇ、どうにか片がついたな」


 顔をしかめながら、グラットが息を吐いた。騒ぎに目を覚ました彼も、松明を手にアメーバを焼いていた一人である。


「あは~、気持ち悪かったねえ」


 ミスティンはどこか楽しげだった。なんだかんだで、奇妙な生き物を見るのが好きらしい。


「……他の船からも報告を受けましたが、被害は軽微だったようです。メリュー殿下もお疲れ様でした」


 アルヴァはさすがに疲れを隠せなかった。アメーバとの戦いの最中、彼女は他の船と連絡を取るべく動き回っていたのだ。


「なんの。ドーマの船を守るのは私の仕事だからな。上帝こそご苦労だった」

「もう湧いてこないだろうな。……ったく、俺様の船が汚れちまったじゃねえか」


 グラットは船の端から注意深く雲海を見つめた。それから、船の側面についた赤い汚れへと目をやり、顔をしかめる。


「災難だったな。まあ、スエズアに着けば、いくらでも掃除できるさ」


 メリューはグラットを慰めるよう口にした。


「スエズアってのが次の町だったな。まだ続くのか、この墓場は?」

「ううむ、まだ半分も行っていないはずだ。明日の日が暮れるまでには、余裕を持って抜けられると思うのだが……」

「そんなところか。んじゃ、まだ暗いがそろそろ行くとしようぜ。どうも停まってるよか、動いてたほうがマシな気がするしな。……って、俺が決めていいか分かんねえけど」


 そう言いながら、グラットはアルヴァを見た。

 動きの遅いアメーバは、停止している船しか狙えない。だから出発しようという判断だろう。


「いえ、船長の判断は尊重しますよ。皆には負担をかけてしまい申し訳ありませんが、墓場を抜けた後で休憩を約束します。出発といたしましょう」


 アルヴァも同意して、出発が決まった。

 船の墓場を脱出すべく、八隻の船団は(いかり)を上げた。


 再び一列へと隊列を組み直した船団は、狭い雲路を進んでいった。

 避けたほうがよい魔物、追い払ったほうがよい魔物……。それぞれの特徴をとらえながら、適切に乗り越えていく。厄介な雲海域ではあるが、皆も慣れてきていたのだ。


 そうして、また一日が過ぎてゆく。

 船の墓場に三日目の朝が訪れたのだ。

 進むにつれて、また船の残骸が目立つようになっていった。

 見る限り、この辺りの船は全てがドーマ船の特徴を持っていた。その事実は、ここがドーマに近づいていることを思わせた。


 やがて、雲路が広がっていく。

 霧が晴れ、日射しが強まっていく。カラスの鳴き声が途絶え、寒くとも静かで穏やかな冬の雲海が戻ってこようとしていた。

 船員達の表情も、心なしか晴れ晴れとしてきた。


 昼下がり、ゆく手には見渡すかぎりの雲海が広がっていた。岩礁もなければ、島もない。ただただ果てしない一面の白。

 船団は船の墓場を乗り越えて、ドーマの大雲海へと到達したのだった。

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