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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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墓場は続く

『カブトムシ』との死闘を乗り越えて、なおも雲路は続く。


「なんだろ?」


 雲海から空へと高く伸びる何十本もの触手が見えた。紫色のそれは、霧の中でうねうねと誘うように(うごめ)いている。


「なんか、気色悪いのがいる……!?」


 ミスティンは引き気味に触手を凝視していた。


「右に避けてくれ!」


 兵士達が叫びながら右へと手を振る。

 それに従った操舵手が、舵輪(だりん)を回して進路を調整する。怪しい物には近寄らないに限るというわけだ。

 騒ぎに気づいたメリューが近寄ってきて。


「あれはイソギンチャクの魔物だな。ああやって雲下から触手を伸ばし、獲物を求めているのだ。近づいた鳥を食べることもあるぞ」


 この近辺の生物にはそれなりに詳しいらしく、説明してくれた。彼女も何かと、甲板を動き回って働いてくれている。

 見れば確かに触手の大元、雲面下には本体らしき影がある。雲海の底の地面に根を下ろし、触手を伸ばしているのだろう。


「うう、イソギンチャク嫌い……」


 と、ミスティンは頬をふくらまし、ソロンをにらみつけてくる。


「悪かったよ。もうやらないってば」


 かつて、下界の森でイソギンチャクに似た植物があった。ソロンが注意しなかったため、それに顔を舐められたことをいまだに恨んでいるらしい。


「むう。……まあ、いいけど。許してあげるよ」


 ミスティンは微笑(ほほえ)んで、ソロンの頬を指で突っついた。妙に愛嬌のある仕草に困惑するしかない。


「……そなたら、どういう関係なのだ?」


 呆れたようにメリューが見ていたが、ここはとりあえず話を戻すことにする。


「いや、それよりそのイソギンチャク。危険はないのかな? まあ、鳥を食べるって程度なら大丈夫だと思うけど……」

「そう思うか? 見ておれ」


 メリューが指差すほうを見れば、そこには大ガラスの姿があった。

 改めて近くで見れば、相当に大きな鳥である。猛禽(もうきん)類よりも一回り大きいかもしれない。

 大ガラスは触手に興味を持ったかのように、バタバタと近づいていく。やがて、触手から少し離れた岩の上に止まった。

 人間の歩幅で五歩の距離。カラスは賢い生き物であるため、警戒しているのだろうか。それ以上は近づかずじっと触手を眺めていた。


 その時――

 触手が何倍もの長さへ伸びて、大ガラスへと巻きついた。


「わわぁ!」


 ミスティンの悲鳴が上がる。

 大ガラスはガーガーと激しい鳴き声を上げながら、もがき続ける。バタバタと翼の音がここまで届く。

 触手は収縮し、雲海の中へと入っていこうとする。

 大ガラスは必死に抵抗するが、触手を振りほどくことはできない。


 鳴き声と羽ばたきが、段々と弱々しくなっていき、やがて漆黒の体は雲海の中へと消えていった。


「……大丈夫じゃないね」

「うん、人でも捕まっちゃうかも」


 ソロンとミスティンは呆然とつぶやいた。

 一連の流れを、アルヴァは背後からじっと眺めていたが、


「一応、妙なものには近づかないよう指示はしていますが……。グラット」


 後ろを振り向いて、グラットへ呼びかけた。


「そうだなあ、念のため回覧したほうがいいかもな。魔物の特徴を伝えとけば、それだけ対応も取りやすくなるだろう」

「でも旗信号じゃ、細かい連絡は難しいよね。停まって伝えるの?」


 ここ船の墓場は、なるべく早く抜けてしまいたい雲海域である。悠長に停まるのも、それはそれで危険があった。


「絵に描いて()りこめばいいだけだよ。ソロンがんばって」

「がんばって――って僕が放るの? 届くかな?」


 紙のように空気抵抗を受ける物体を、遠くまで飛ばすのは案外難しい。矢の先にくくりつけて、射つほうが現実的だろうか。


「それは私の仕事。ソロンは絵」


 ミスティンが簡潔に説明してくれた。


 粗末な紙を卓上に乗せて、ソロンは羽根ペンを手に取った。

 大ガラス、頭のとがったサメ、雲海に突き出た触手……。遭遇した魔物の姿を描いていくのだ。

 別に芸術作品でもなんでもないため、難しく描く必要はない。

 特徴をとらえ、手軽にさっさと線を描き込んでいく。幸い、竜玉船の揺れは帆船よりもずっと小さいため、描くには支障がなかった。


 アルヴァがその隣に座り込み、作業を覗き込んでいる。紅い瞳が興味深げに光っていた。


「手慣れたものですね」

「そうかな? 適当に描いてるだけだけど」

「十分ですよ。注釈は私に任せてもらえますか」

「あ、うん。お願いします」


 アルヴァは羽根ペンを取り、体をぐっとソロンに近づけた。肩が触れ合う程に近くなる。

 思わぬ近さに驚くが、ソロンは羽根ペンを動かし続けた。

 その間、描き上がった魔物の隣に、アルヴァがすらすらと説明文を追加していく。魔物の特徴をとらえ、その注意点を簡潔に記していた。


「悪くないんじゃないかな」


 でき上がった紙を持って、ソロンは立ち上がった。


「やっぱり、ソロンはうまいよね~。きっと、そうだと思ったよ」


 ソロンが描いた魔物の絵を見て、ミスティンが感想を漏らす。


「そんなに上手そうに見えた?」


 少なくとも、絵が得意などとミスティンに言った記憶はなかった。なぜ、彼女はソロンを指名したのだろうか?


「うん、男らしくないから、お絵かきとか似合いそう」


 大変適当な答えが返ってきた。あまり否定できないのが悲しい。


「確かに子供の頃は、刀の修行より絵を描くほうが好きだったな。昔は体も小さくて、刀はてんでダメだったし」

「そう? 今も小さくてかわいいけど?」

「男にしてはね。君よりは大きいよ」


 ソロンは負けん気を燃やし、ミスティンの頭を軽く平手で叩いた。

 ソロンの背丈は言われるほど低いわけではない。軍人や船乗り、冒険者など屈強な男達と比較すれば、体格に劣るだけ……のはず。


「ほえっ? 私と変わらなかったはずだけど……」


 と、ミスティンはソロンへにじり寄った。まっすぐに目を合わせて「むー」と覗き込む。

 ミスティンは女性にしては長身であり、アルヴァよりも少し背が高い。目の高さはソロンとほとんど変わらないようだった。

 それから、ミスティンは頭の上に平手を乗せて、背を比べだした。

 それを見たアルヴァは「おや」と声を上げて。


「ソロン、背が伸びましたね」

「わぁ、本当だ!? 指一本だけ私より高い!」


 これにはミスティンも目を見張った。

 ちなみに指一本とは、指の太さである。指の長さではないので注意していただきたい。……ようするに、ほんのわずかな差ということだ。


「ふふふ、ようやく気づいたようだね。いつまでも、背丈が伸びないと思ったら大間違いさ」


 ソロンは意味もなく勝ち誇った。


「負けたかあ……。そっか、ソロンも男の子なんだねえ」


 などと、ミスティンは当たり前のことを口にする。悔しいのか、嬉しいのか、なんだかよく分からない表情だった。


「俺らが会って半年以上経ってるもんなあ……。そりゃ背ぐらい伸びるわな」


 既に長身で男らしいグラットは余裕の感想である。


「出会ったのは英雄の月でしたから八ヶ月前でしょう」


 アルヴァが几帳面な性格で訂正した。


「ん、でも、八ヶ月でそれぐらいじゃ、その辺で打ち止めかもな。さすがにもう大きく伸びる歳じゃねえし」


 グラットが残酷なことを口にした。


「……それは薄々気づいてたけど、言わなくていいよ」

「そっか、でも私はそれぐらいがいいなあ……。カッコよさ二割、かわいさ八割って感じで。グラットみたく大きくマッチョに育ったら幻滅だよ」

「げ、幻滅……!?」


 一人グラットは衝撃を受ける。


「いや、君に決められてもね」

「そうかなあ? ねえ、アルヴァ」


 ソロンが反論したら、ミスティンはアルヴァへと意見を求めた。


「そうですね。私も、今ぐらいで留めたほうがソロンらしいと思います。変に男らしさを誇示されても、似合いませんので」

「そ、そうなんだ……。じゃあ、今の背丈で我慢しようかな?」

「現金な奴よな……」


 遠巻きに見ていたメリューが呆れるようにつぶやいた。それから、絵が描かれた紙を指差して。


「――それより、それを後ろの船に回すのではないのか?」

「ええ、その前に複製する必要もありますけれど。時間短縮のため、皆で手分けして書くとしましょう」


 船には印刷機なんてものはないため、もちろん手作業である。もっとも、大した数ではないため、問題ないだろう。

 それから、アルヴァはメリューに向かって付け加えた。


「メリュー殿下もお手伝いいただけますか? あなたにしかできませんので」

「ん、私が? ……ああ。そういうことか。任せておけ」


 メリューもすぐに意図を察して頷いた。

 全八隻のうち五隻はドーマの船である。当然、ドーマ語の注釈がなくては、全船団の乗員が理解できない。ラーソンが離れたため、翻訳できるのはメリューだけである。

 皆の手を借りて、絵と魔物の注釈を別の紙へと手作業で複製した。


 さて、いよいよ投擲(とうてき)だ。

 まずは旗信号で指示を出し、後ろの船との間隔を(せば)めておく。

 ミスティンが弓を構え、矢をつがえる。

 矢にはもちろん紙を結びつけてある。十枚もの紙がくくられているため、見るからに矢は不安定だ。それでも、彼女ならば絶対に外さないだろう。


 そして、ミスティンが矢を、後ろの船へと撃ち込んだ。

 矢は問題なく、後ろの船の乗員が回収した。後は同じ要領で、全船団へ通達が回されていくはずである。

 ミスティン以外の射手に任せるのは、若干の不安があるが。そこは、信じるとしよう。


 *


 イソギンチャクの触手を避けたり、サメを追い払ったりしながら、船団は霧の隘路(あいろ)を進んでいった。

 船団全体で魔物の情報を共有した甲斐もあってか、被害は最小限で済んでいる。


 雲路の脇には帆船が、比較的に原形を保ったまま廃棄されていた。ただし、陸地の草木から長年の侵食を受けたらしく、(こけ)(つた)に抱かれるように覆われていた。

 とはいえ、もはやこの辺りには船の残骸も多くないようだ。入口で多くの船が脱落するため、半端な船や船乗りでは到達できないためだろう。


 ただでさえ視界が悪いのに、時間と共に周囲が暗くなっていく。

 鬱蒼(うっそう)と茂る森が、なおも両岸に続いている。それがまた西日を(さえぎ)って周囲を暗くする。

 ひときわ大きな大ガラスの鳴き声が、暗い雲海に反響した。人を襲わないとは聞いても、不気味な声であることに変わりない。


「今日はこの辺りで限界のようですね。まだそれほど遅い時間ではありませんが、停泊しましょう」


 周囲を見渡しながら、アルヴァは決定を下した。

 魔物が多いこの場所を進むには、視界の悪さが致命的だったのだ。灯りで照らしていようとも、さすがに限度があった。


「こんな気味の悪い所で、夜を明かさにゃならんとはなあ……」


 グラットがいつもの通り不平を漏らす。船長になっても、この性格に進歩はないらしい。


「仕方ないであろう。元よりその予定だったはずだ」


 メリューが言えば、グラットもしぶしぶ頷く。


「まあな。こんな岩礁だらけ、魔物だらけのところで、夜航するなんざ正気じゃねえもんな。んで、どの島にする?」

「あれにしましょう」


 と、アルヴァは岩だらけの無骨な島を指差した。上陸して過ごすには全くの不向きだが、停める分には問題ないという判断らしい。


「――緑豊かな島は、それだけ魔物の危険がありますからね。それにあの大きさならば、どうにか八隻が停まれるのではないでしょうか」

「了解」

 グラットは操舵手(そうだしゅ)のほうを向いて。

「――つーわけで、あの島に停めてくれ」

「承知しました、船長」


 船長の指示に従って船が動く。

 岩だらけの島に(いかり)が打ち込まれ、船が固定されていった。

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