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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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墓場に蠢くものたち

 浮かぶ残骸の数々が岩礁へと押し寄せ、雲路を狭めている。雲海の流れがゆるやかなせいで、残骸が停滞しているのだろうか。

 船の墓場という呼び名、日中のわりに暗い雨空――そのせいかどこか不気味な印象を受けてしまう。

 帝国の船らしき物もあれば、ドーマの船らしき物もある。その時代様式も様々だ。ボロボロの帆が掲げられた旧式の竜玉船が目に入った。


「まるで船の博物館だなあ。昔の竜玉船は風を動力にしてたんだね」


 そんな光景を眺めながら、ソロンは感心の声を漏らす。


「ええ、帆船であっても摩擦が低い分、水上船よりも速度は出るのですよ。ただ動力としての安定感が低いのは難点ですね。実際、ここで難破してしまったわけですから」


 アルヴァはさすが竜玉船の歴史に詳しいらしい。


「もったいねえなあ……。こいつらを漁るか、解体すれば儲かるかもしれんのに」


 顎に手を当てながら、グラットが思案していた。


 竜玉船とは宝の山である。

 水や食料のような積荷は使い物にならないだろうが、それでも金属のような金目の物が見つかる可能性は高い。

 何より船体そのものが大量の資材で構成されている。特に竜玉船の中核となる竜玉は高価だった。


「その発想は分からんでもないが、身の安全は保証できんぞ。ほれ見ろ」


 と、メリューが近くの難破船を指し示す。

 見れば、虫が船へと群がっていた。

 それは手のひらより大きく、フナムシによく似ていた。魔物として見ればさほど脅威のある大きさではないが、なにせ数が多かった。

 その虫をついばむ奇怪な鳥の姿もあって、独自の生態系を構築しているようだった。


「うおっ! 気色わりい……。あれじゃ近づきようがねえなあ」

「ああ、難破船そのものが魔物の巣になっているからな。ああいう適度な構造物は、魔物の生息にも向いているらしい。難破船が魔物を呼び、魔物が通りかかる船を難破させる。全く厄介な場所だ」

「んで、そんな厄介なとこに、お前は俺らを連れてきたわけか?」

「なんだ蒸し返しおって。……説明したであろう。考えた末にこれが最善だと決意したのだ」

「いや、文句はねえよ。お前も大変だなと思ってな」

「むう……。お前なんぞに同情されてもなあ」

「まあ、お姫様なりウチの親父なりで、偉いヤツの苦労は見てるからな。……おいフードぐらいかぶれよ。風邪引くぞ」

「心配いらん。脆弱(ぜいじゃく)な人間と違って、我ら銀竜は雨風にも強いからな」

「そうなのか? だったら構わんが……。せっかくの綺麗な髪が荒れ放題だぞ」

「ぐぬ……」


 痛いところを突かれたらしく、メリューは顔をしかめた。慌ててフードをかぶって、髪を覆う。

 鮮やかな着物といい、普段の整った髪といい、メリューは身だしなみに気を使っているようだ。……ひょっとしたら、アルヴァよりもよほど気を使っているかもしれない。


 *


「何か来ました!」


 船の前方を監視していた兵士が叫んだ。

 ソロンも前に出て確認してみれば、前方から次々と迫り来る何かの影。


 雲海の下に隠れているため、その正体を見極めることはできない。それでも、かなりの速度で接近しているのは分かる。

 対処する暇もなく、最初の一体がゴツンと船にぶつかる音が鳴った。

 反動を受けてか、影は大きく後ろに後退する。


 正体不明の影に向かって、ソロンは火球を放った。

 雲海へと火球が吸い込まれていく。何かにぶつかった火球は、爆発を起こし雲を散らした。

 散った雲の下に見えたのは、大きくとがった先端を持つサメの姿。死骸となったサメは、すぐに雲海の上へと浮かび上がった。


 しかし、船の前方には、まだまだサメの影が残っている。


「さっそく魔物との戦いか」


 落ち着き払った声で、メリューが言った。


「戦いか……って勘弁してくれよ。まだ新しいんだぞ、俺様のオデッセイ号は! お~い、出資者様ぁ!」

「分かっていますよ、私の船でもありますからね。ここは任せなさい」


 と、アルヴァは船の前方部へと進み出た。

 杖から雷撃を放ち、迫り来るサメを討ち取っていく。

 流れるように進んでくるサメを、一匹、二匹、三匹。次々と貫く。どんどんと死骸が浮かび上がってくる。


「わあ、面白そう!」


 何を思ったか、ミスティンが興味を持ったようだった。射的か何かと思ったのかもしれない。自らも、弓を構えて参加しだす。

 雲海の下に隠れたサメに向かって、次々と矢が放り込まれる。雨が降っているため視界は悪い。それでも矢が外れることはなく、サメは無残にも狩られていった。


 サメの群れが逃げ出した時には、十を超える死骸が、プカプカと雲海に浮かび上がっていた。


「覚悟はしていましたが、さすがに魔物が多いようですね」

「そうだな。この先も警戒が必要だろうな」


 アルヴァとメリューは警戒感を強めていた。


 *


 船の墓場に降り注ぐ雨が、やがて収まった。


 今はまだ日中であり、普段なら日射しに恵まれた頃合のはずである。

 けれど、辺りには霧が(ただよ)っており、視界が晴れることはなかった。

 その対策として、兵士達が総出で雲海を照らすことになった。魔法使いなら蛍光石、そうでない者なら松明(たいまつ)。各々の灯りが霧と雲海の世界を照らしてくれる。


 岩礁を避けながら、魔物を追い払い続ける。

 ただでさえ霧が濃い上に、雲下からの襲撃にも気をつけねばならない。実に厄介な場所だった。


 ソロンとミスティンは兵士達と共に船首に立って、進路を見守っていた。

 見張りだけなら他の兵士達に任せればよいが、肝心なのは魔物と十分に戦える態勢だ。魔法と弓に長じた二人は、雲海では重要な戦力だった。


 アルヴァとグラットはそこより後ろ――屋根に覆われた操舵室(そうだしつ)で待機していた。

 竜玉船の操舵室は船の中央に位置しており、通常は船長もそこに詰める。最高指揮官たるアルヴァも船長に配置を合わせるため、そこが中枢となっていた。

 メリューは亜人達を率いながら、忙しく船上を動き回っている。時々、ソロン達の様子を見に来てくれていた。


 黒い鳥が、けたたましい鳴き声を上げて飛び回っていた。

 白い霧の中でも黒い体は、比較的よく目立つ。雨が降っている時は見かけなかったので、それまでは身を潜めていたのだろうか。

 見た目も鳴き声もカラスのようだが、そのわりには遠近感がおかしい。よく見ればワシのように大きいのだ。


「あれってカラスだよね?」


 と、メリューに聞いてみれば。


「うむ、大ガラスだ」

「そのまんまだね」


 ミスティンが思ったことを遠慮なく言った。

 もちろん、カラスという単語の発音はドーマ語では異なるはずだ。メリューはこちらの言葉に翻訳してくれているのだろう。


「うむ、生態もカラスそっくりだぞ。魔物の屍肉がヤツらの主食らしい」

「それであんなに大きくなるのか。人を襲うことはある?」


 ソロンが心配すれば、メリューは落ち着いた声で答える。


「刺激しなければ大丈夫だろう。もっとも、人の屍肉を喰らうこともあるだろうがな」

「なるほど……。死なないように注意するよ」


 *


 左右を挟む島には、木々が鬱蒼(うっそう)と茂っている。

 船もすれ違えないような細道が続いていた。

 海というよりは川、雲海というよりは雲川(うんせん)とでも呼びたくなる。

 船から岸への距離も近いだけに、一帯の生態系を間近から観察できた。


 森の奥まで連なる巨大アリの大行列、赤色鮮やかに樹木へ群がるテントウムシ、蛇と見まがうような大ミミズ……。森の中には、様々な虫が生息している。

 色々な鳴き声が入り混じって、「ジジジジ……」という音が、船の上まで聞こえてくる。

 船の墓場などと名付けられてはいても、自然豊かな場所のようだ。それだけに魔物も豊富で油断できない。


「あれって……」


 ミスティンがある虫を指差した。彼女の顔は無表情で、心なしか青ざめている。動物好きのミスティンであるが、虫はあまり得意でないのだ。


「なんですか――」


 (おもて)を上げたアルヴァであったが、途端その表情が凍りついた。


「うわっ、あれってまさか……」


 ツヤツヤと茶の混じった黒光りする胴体、頭から伸びる二本の長い触覚、激しく動く大きな羽根。木々の周囲を機敏に飛び回っている。

 それはソロンのよく知る虫と非常に似ていた。

 散らかった室内によく現れるアレ。下界に上界、どこの町にでも生息するアレ。紳士も淑女も、みんな大嫌いなアレだ。

 そう言えば本来は、森の生物であると聞いた覚えがある。頻繁に飛び回る虫ではないはずだが、目に見えるアレは例外らしい。


「あの大きさは――カブトムシですね」


 しかし、アルヴァはそんな断定をした。感情のこもらない凍りついた口調で。


「えっ? あれはどう見ても、ゴ――」

「カブトムシだよ。黒くて飛ぶ虫と言えば、カブトムシだよ。足も六本だし」


 ソロンの発言を(さえぎ)って、ミスティンが同調した。どことなく早口になっている。

 確かに、口にした条件だけならば間違いではない。手のひらほどの大きさは、カブトムシに近かった。


 ……だが、あの姿はどう見ても――


「いや、カブトムシには、あんな触覚はな――」

「カブトムシです」


 今度は有無を言わさぬ口調で、アルヴァが遮った。逆らうことのできない冷ややかな目線。遺憾なく発揮された女帝の威厳。


「……えっと、ごめんなさい。カブトムシです」


 ソロンはすごすごと引き下がった。長い人生の中では、鹿を馬と言わねばならぬこともある。今がそんな時だと悟ったのだ。


「きゃっ、カブトムシが来る!」


 ミスティンが悲鳴を上げ、ソロンを盾に背中へ隠れた。

 ゴ――いや、『カブトムシ』は雲海の上へと飛び上がっていた。自然、船へと距離が近づく。


「ちょっ、やめてよ!」


 振り払おうとするが、ミスティンは力強くつかんで離してくれない。ソロンだって、どちらかと言えば、アレは苦手なのだ。

 そうこうしている間にも、『カブトムシ』は雲海を飛び回っている。船に興味を持ったのか、こちらへ近づくような素振りを見せた。

 ……もっとも、害意のない虫の気まぐれに過ぎないような気がしないでもない。


 ともあれ次の瞬間、稲妻が宙を舞い、『カブトムシ』を貫いた。

 アルヴァが一瞬の動作で、杖を抜き放ったのだ。距離と標的の小ささを考えれば、凄まじいまでの集中力と命中精度である。

 哀れ『カブトムシ』は雲海へと落下した。竜玉を体に秘めない生物は、雲海に浮かぶこともできず、そのまま下界へ落ちる宿命である。


 アルヴァは額に光る汗を(ぬぐ)いながら。


「ふう……危ないところでした。小型とはいえ、船の墓場の魔物は侮れませんね」


 その表情には、一仕事を終えた達成感があった。


 魔物と呼ぶほどの相手だったろうか。

 どう見ても過剰防衛じゃなかろうか。

 ソロンの脳裏にそんな言葉も浮かんだが、それを声に出すことはなかった。

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