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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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船の墓場

 出発前の早朝、メリューとラーソンが旗艦の前で話し込んでいた。

 二人そろって、乗り込むのかと思いきや、


「それでは殿下、お気をつけて」

「うむ」


 と、帝国語で別れの挨拶を交わし、メリューだけがオデッセイ号へと乗り込んでくる。


「あれ、ラーソンさんはこっちに乗らないの?」

「いや、あやつには他の船を任せることにした。伝令するにも、通訳がいたほうが便利なのでな」

「そっか、他の船には帝国語が分かる人はいないの?」

「いることはいるが、そちらでいう初等学校卒業にも満たない水準だ。ラーソンを除けば、帝国語は私が随一だな」


 と、メリューはどこか憎めない顔で自画自賛する。

 実際、メリューの帝国語は大したものだった。こうしてソロンと会話をしていても、一切の不自由を感じない。

 先程のラーソンとの会話は、他人に聞かせる必要もないのに帝国語で交わされていた。恐らく、日常的に彼との会話で語学を磨いてきたのだろう。


「ひょっとしたら、帝国語は僕より上手かもしれないね」

「ああ、そう言えば、そなたは下界人なのだったな」

「うん、故郷でも似た言語を使っていたけど、やっぱり別の国だからね。所々、違う言葉もあるし。……って、どこでそんなこと聞いたの?」


 少なくとも、ソロン自身が話した記憶はない。


「昨晩、上帝とミスティンから聞いたぞ。別に詮索するつもりもなく、日常会話程度のつもりだったのだが……」

「えっと、なんか言ってた?」


 あの二人は既に船へと乗り込んで準備をしている。聞かれる心配はないと判断して、ソロンは尋ねた。


「うむ。馴れそめから、今に至るまで長々と」

「いやいや、馴れそめって……」

「くくっ……違うのか。馴れ初めにしか、聞こえなかったがな。あの二人、そなたを(さかな)にしたら、よほど話が弾むらしい。それで、思いのほか長話になった。聞いているこっちのほうが辟易(へきえき)してきたぐらいだ」


 そういえば、昨晩メリューはアルヴァの部屋で何事かを話していた。女同士なら、部屋を尋ねることにも気遣いは不要だろう。

 それにしても、いったい何を話していたのだろうか。聞きたいような、聞きたくないような……。


「そ、それはごめんなさい……。ところでメリューは驚かないの?」

「何がだ?」

「僕が下界人だって」

「驚くようなことなのか?」


 と、メリューは首を(かし)げる。


「……えっと、ドーマだと下界はどういう扱いなの?」


 予想外の反応を受けて、ソロンは質問を切り替えた。

 それでも、メリューは質問の意図を測りかねているようで。


「どういう扱いだと問われてもな……。ん、そうか? 帝国では下界との交流がないのだったな。ラーソンがそんなことを言っていた覚えがある」


 何でもないようにメリューが口にしたが、ソロンにとっては十分に衝撃的であった。


「ってことは、ドーマでは下界との交流があるってこと!?」

「そういうことだ。界門により常日頃の交流が存在する。……というより、ドーマは上界と下界にまたがる国家なのだが」

「まさか……。そんな国があったなんて……」


 上界と下界は断絶されているもの。それは帝国方面での固定観念に過ぎなかったのだ。

 いや、そもそも帝国とイドリスにしても、古代には交流があったのだという。そう考えれば、不思議ではないのかもしれない。


「驚いたか? もっとも、下界部分は混沌に喰われて、滅びゆく一方だがな。何百年もすれば滅びる定めだろうよ」

「混沌? あ、そっか、呪海のことか……!」


 下界を侵食する呪海、あるいはザウラスト教団が呼ぶところのカオスの海。メリューはそのことを言っているのだ。

 確か、イドリスの古い文献でも混沌という言葉が使われていたな――と思い出す。


「お前の国では呪海と呼んでいるのか? ……まあ何にせよ、わが国へ来て実際に見てもらうのが一番だろうな」

「……そっか、楽しみにさせてもらうよ」


 聞きたいことはたくさんあったが、その場ではよい質問が思いつかなかった。

 なんせ、自分達とドーマでは物事の土台自体が大きく異なっているのだ。彼女が言った通り、実際に見て感じるのが一番だろう。



「おお、お嬢ちゃん。今日は保護者とは別行動か?」


 一人で船に上がったメリューを見て、からかうようにグラットが声をかけた。


「ふん、ラーソンは他の船に回したぞ。通訳できる者が分散したほうが便利なのでな」


 と、ソロンにしたのと同じ説明を繰り返す。


「なるほどな。……ってか、最初からそうすればよかったんじゃねえか? なんつうか、俺がからかわれただけの気がすんだが……」


 グラットがもっともな指摘をしたが。


「まあそう言うでない。こちらにしても、そなたらのことを測りかねていたからな。そういう意味では、これは私なりの信頼の証だと思ってくれ」

「信頼の証ねえ……」

「うむ。何だかんだで、お前のこともそれなりに信頼していいと思っている。若いなりに悪くない船長ぶりではないか」

「お、おう。任せてくれよな」


 褒められたグラットは、まんざらでもない様子だった。

 彼は船長として、まだまだ経験の浅い身なのだ。お墨つきをもらえて、悪い気はしないのだろう。


 *


 かくして、船団は船の墓場を目指して再出発した。

 果てなき雲海をゆく船団は、舳先(へさき)を南西に転じて引き返していく。


 やがてはガンドラ雲海域の南まで戻ってきた。以前にも見た双子の島に断崖絶壁がそびえている。

 そして、ソロン達はこれより、その間を抜けて北を目指すのだ。

 左右に島を臨みながら、船の墓場へと近づいていく。いつしか空の日が陰り出していた。


「雲行きが怪しいね」


 空を仰いでミスティンがつぶやいた。

 ソロンも頷いて。


「雨が降るのは仕方ないけど、あんまり荒れたら嫌だなあ……」



 しばらくすると小雨が降り始めた。


 船員達が空の水樽を、甲板(かんぱん)へと運んでくる。まだ水には余裕があるが、この先に何が起こるかは誰にも分からない。補給できる時に補給せねばならなかった。

 そうしている間にも、徐々に雨足が強まっていく。

 雲海に吹き荒れる気流と竜玉船の速力が合わさって、雨が体へと吹きつけてくる。


 それでもメリューを始めとした亜人達は、甲板に立っていた。目を離そうにも、油断ならない雲海域ということなのだろう。

 ソロンもそれにならい、マントを羽織って甲板に立った。船の墓場と呼ばれる場所が、どのようなものか気になっていたのだ。


「こういう役目は僕に任せてくれていいんだけどね……」


 同じく甲板に立ったアルヴァに向かい、ソロンは言った。話を聞かないことは分かっているが、一応は言っておきたい。


「心配してくださるのは結構ですが、過保護に過ぎますわね。私には帝国の代表として、船団の安全を管理する責務があります。ドーマの方々に任せてはいられません」


 目深(まぶか)にかぶったフードから、アルヴァは紅い瞳を覗かせていた。

 彼女にしても、船の先行きは気になるらしい。じっと雲海を注視していた。


 小さな島と数々の岩礁、そのそばを二列になった船団が通り過ぎていく。

 島や岩礁があるということは、雲海の下に地面があるということだ。自然、座礁にも注意せねばならない。

 進むにつれて、段々と道が狭まっていく。岩礁の密度が高まっているためだ。


「こりゃあ、横に並んで進むのは無理だな。隊列はどうするお姫様? 他の船を先に行かせるか?」

「いえ、この旗艦で先頭を行きます。この船が最も柔軟に動けるでしょうから」

「まっ、それもそうだな。危ないかもしれんが、他の奴らに任せるのも不安があるか」


 悪名高い船の墓場。そこでは魔物との遭遇を初め、様々な事態が考えられた。

 それゆえ、先頭の船が何かある度に、いちいち旗艦に判断を仰いでいては命取りになる。そう考えたアルヴァは、自ら先頭をゆく決心をしたのだろう。

 そうして、八隻の船団は旗艦を先頭に、隊列を伸ばすことになった。


 *


 岩礁と島に囲まれた窮屈(きゅうくつ)な雲海を、船が進んでいく。速度は全力の半分も出していない。そうしなければ、とても安全を確保できないためだ。

 川の中を船で進んでいるような、そんな錯覚を持ちそうになる。

 やがて、雲海に散乱する何かの(くず)が目に入ってきた。


「竜玉船の残骸だ。船の墓場にようこそ――だな」


 メリューがその場所の名を口にした。

 彼女は外套をまとってはいるが、銀色の髪を平気で雨の中にさらしていた。

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