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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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経路転換

 緊張した面持ちで、アルヴァが強く釣り竿を握りしめる。


「手伝おうか?」

「不要です。これは私の戦いですから」


 ソロンが手を差し伸べるが、あっけなく拒絶される。

 しかし、魚は手強かった。

 アルヴァの細腕では苦戦を(まぬが)れないようだった。釣り竿を引っ張り上げようにも、ままならないでいる。珍しく必死な表情だ。


雑魚(ざこ)風情がこの私に逆らおうとは……! 抵抗しても無駄だと分からないのですか!」


 (つや)やかな唇から不穏当な台詞(せりふ)が吐き出される。……すぐ近くに他人がいなくてよかった。


「――ならばっ!」


 アルヴァは釣り竿を左手に持ち、右手で杖を抜き放った。

 剣豪の抜刀を思わせるような一瞬の閃き。杖先から放たれた稲妻が、雲下の影を矢のように射抜く。

 猛獣すら仕留める魔法である。影はあえなくその動きを止めた。


「ちょっ……魔法は反則じゃないの!?」


 思わずソロンは叫んだが。


「反則ではありません。腕力、知力、魔力……持てる全てを尽くして獲物を捕らえる――それが自然の掟。漁師が銛で魚を貫くように、魔道士は稲妻で魚を貫くのですよ」

「た、確かに。そういう考え方もあるかも……」


 ソロンはあっさり丸め込まれた。どことなく納得できない部分はあるが、反論する理屈は見当たらなかった。

 そうしている間にも、アルヴァの死闘は決着へと向かう。


「さあ、これでどうですかっ!」


 彼女は杖を腰に戻し、両手に持ち替えた竿を一気に引き上げた。

 雲海から現れたのは、狼のように大きなタコの姿である。引き上げるというよりは、引きずるようにして陸地にたぐり寄せられていく。


「すごい、大物だねえ! タコだよタコ!」


 自分の釣り竿を放り出して、ミスティンがはしゃぎ出す。


「う~む、ですが、よく見れば足が十本ありますよ。むしろイカではないでしょうか?」


 確かにタコらしきそれは、十本の足を生やしていた。しかし、丸い頭といい、赤い体色といい、見た目はどう見てもタコである。


「それじゃあ新種だ。イカタコだね」

「いえ、むしろタコイカではないでしょうか? そもそも、タコとは古い言葉で『八本足』とも呼ばれていた生物です。つまり十本足のこれはタコではありえません」

「ん~、どっちでもいいと思うけど。イカタコのほうがかわいいよ」


 どっちでもいいと言いながら、ミスティンはこだわった。


「いいえ、大事なことですよ、ミスティン。命名の後ろに来るほうが、属する種族を表すのですから。イヌワシがワシであるように、キジバトがハトであるように……。従って、イカであるはずのこれは、タコイカでなければなりません」


 当の軟体生物を指差して、アルヴァは高らかに説いた。


「……ねえ、タコだかイカだかどっちでもいいけど、早く外してあげなよ」


 いまだ針をくわえたままのそれを見て、ソロンは哀れをもよおした。話に夢中になっている彼女らへと注意するが――

 二人はハッとしたように目を見合わせた。

 十本足の生物は死んでいるはずだが、まだ体はピクピクと動いていた。


「……さわれますか?」

「ちょっと苦手かも……」


 ミスティンは控えめに答えた。彼女にも意外と苦手な動物はいるのだ。


「男の子だったらさわれるかな?」

「男の子だったらさわれますよ」


 自然、二人の視線はソロンへと吸い寄せられた。


 *


 悪戦苦闘の末、ソロンはタコだかイカだかを雲桶に格納した。

 桶よりも体が大きいが、軟体生物特有の柔らかさを利用して強引に詰め込んだのだ。今も足がはみ出していて大変気持ちが悪かった。


「お姫様、こんなところにいたのか? ってか、釣りするんだったら誘ってくれよー」


 そこにやって来たのはグラットだった。こちらに近づいて、「ん?」と桶を覗き込み、


「なんだそのキモいタコは!?」


 と、叫び声を上げた。


「イカです。あなたの目は節穴(ふしあな)ですか」

「え、ああ、十本足か……。どっちでもいいけどよ」


 有無を言わさぬアルヴァの口調に、グラットはうろたえたが。


「――それよか、こいつが用だってよ」


 グラットの背中から、ひょっこり現れたのはメリューだった。


「ほほおこれは、大タコもどきではないか! 今宵(こよい)はごちそうだな」


 第一声がそれだった。メリューは銀の瞳を細め、ニコリと笑う。

 それを聞いたアルヴァは鋭い目を向けて、


「大タコもどき……。タコに似て非なるもの。つまりイカ。メリュー殿下、間違いありませんね」


 メリューを問いただした。


「え? お、おお……。大タコもどきはもちろんイカの仲間だ。十本足だからな」


 思わぬアルヴァの鋭さに、メリューは気圧(けお)されながらも答えた。


「さすがはメリュー殿下です。どうですかミスティン。ドーマの見解も私と一致しました。これがイカであることは明らかです」


 アルヴァは勝ち誇った笑みをミスティンに向けたが――


「ねえ、食べれるの?」


 ミスティンは目を輝かせてメリューを見た。


「毒はないし、もちろん食べられるぞ。イカの甘味とタコの歯応えを併せ持った上質な食材――それが大タコもどきだ。調理次第でその味をさらに引き出すこともできる。せっかくだから、わが大君家秘伝のタレを貸してやろう」

「やったー!」


 両手を突き上げるミスティンを、アルヴァは苦渋を噛み潰したような顔で見ていた。


「あっ、それでメリュー。何か用事があったんだよね?」


 話が進まないので、ソロンが仕切り直した。いつもならアルヴァの役目だが仕方あるまい。


「うむ、これからの計画を見直そうと思ってな。このままでは少し苦しいかもしれん。この男も含め、一度話し合いたい」


 この男――というのはグラットのことだ。メリューも一応、彼を船長として立てるつもりはあるらしい。


「苦しいというのは、獣王軍のことですね。先日のような手合が、この先にも待ち構えてるかもしれないと?」


 アルヴァは気を取り直したらしく、話をつなげる。


「ああ。獣王軍が我らを本気で妨害するつもりなら、あれしきの攻勢で(ほこ)を収めはせんだろうよ」

「私も同意見です。あっさりとした引き際といい、威力偵察だったと考えたほうがよさそうですね。……それで、メリュー殿下の意向は?」

「経路を変えよう。あの程度の敵、二度や三度退けるのはわけもないが……。次は何倍もの大軍で来ると想定すべきだろう。私には、お前達を安全に大都まで案内する義務があるのだ」

「構わねえけど、どこに向かう気だ?」

「船の墓場を通る」


 メリューはあっさりと答えた。


「この前、説明してたあれか? あんなこと言っといて、その道を通る気かよ。俺は気が進まねえぞ」


 と、グラットは不満の声を上げる。


「心配いらん。現代の竜玉船ならば、船の墓場とはいっても問題にはならんだろう。帆船(はんせん)とは違って、風に頼らずとも推進力を生み出せるからな。危険はずっと少ない……はず。獣王軍が待ち構えている可能性も大きく下がる……と思う」


 心配いらんと言いながら、メリューの言葉はいかにも自信なさげである。これにはグラットが不審を呈するのも無理はない。


「おいおい、頼んだぜ殿下。さっきまでの自信はどうしたよ?」

「仕方ないであろう。私にとっても、あそこは未知の領域なのだ。だが帆船の時代であっても、無事に通過できた船は何隻とある。最新式の竜玉船ならば、無事に通過できるという見立てに偽りはない」


 口元をとがらせて、メリューはまくし立てた。

 当人も絶対の自信はないようで、自らを鼓舞しているようにも受け取れた。


「僕としては、メリューに任せていいと思ってるよ」


 ソロンは助け船を出した。

 そんなメリューの様子がどことなく人間的に見えて、信用していいのではないかと思えてきたからだ。


「結局のところ、私もこちらの事情には(うと)いのです。殿下の判断に委ねるしかありません」


 アルヴァもいつもの通り、肝が据わっているところを見せてくれる。

 ミスティンも無言で頷き、アルヴァの判断には従う姿勢を見せた。


「へえへえ……。結局、東も北もどっちにしたって危ないってことだろ。分かったよ。それじゃあしっかり頼むぜ」

「すまぬ……。お前達の身命、私に預けさせてもらうぞ。船の墓場を抜けた先は、我らの勢力圏となる。大きな町もあるから、そこの太守に協力を要請しよう」



 船の点検と応急処置が終わる頃には、すっかり日が沈んでいた。ともあれ、一日で仕事を終えた事実は迅速といってもよいだろう。

 もっとも、本格的な修繕を行おうにも、設備がなかったという事情もあったようだが。

 そして翌朝、夜が明けてから出発することになった。

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