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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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雲釣り

 確認した結果、数名の重傷者がいたものの、死者は一人もいないと判明した。不幸中の幸いか、接近戦にならなかったため致命傷を受けることもなかったようだ。


 最も激しく敵に狙われたのは旗艦であり、そこでの負傷者がわずかだった事実も大きい。もちろん、ソロン達が奮闘したお陰である。

 結果的に航行不可能となる船はなかった。ただ、無傷とはいかなかったらしく……。


「大した被害ではないが、ちょっとしたへこみがあるようでな。放っておけば、後に響くかもしれん。できれば、どこか停泊して応急処置をしたいのだが」


 メリューがそんな提案をしてきた。

 ちなみに通訳が必要なくなった今、ラーソンはただ秘書のようにたたずんでいる。


「う~む、そうだな。俺達の船にしたって、点検ぐらいはしたほうがいいだろうな」


 これにはグラットも賛同した。


「停泊って……。この辺に町はあるの?」


 ソロンが聞けば、メリューは首を横に振って。


「わが連邦の町までは、まだ相当な距離がある。確かに港の施設を使えれば、最善なのだろうが……。ご覧の通り、ここは雲海の真っ只中だ」

「まっ、しゃーないから、近くの島に停泊するぜ。修理用の機材と部品は積んでるから、応急手当ぐらいはできるさ」

「なるほど、了解しました。ですが、そうなると本来の航路から、離れたほうがよいのではありませんか?」


 アルヴァの意見に、メリューも頷く。


「私もそれは考えていた。さすがにこのまま進めば、獣王軍がいつ襲ってくるかも分からんからな。ひとまずは東に()れて島を探すとしよう」

「時間は大丈夫か? もう何時間かすれば、夜になっちまうぞ」


 時刻は既に昼下がり。悠長にしていては、暗闇の中に迷ってしまう。


「ちょうど良い島が地図に載っている。ギリギリになるかもしれんが、日が沈む前には到達できるだろう」


 方針は決まり、新たな島を目指して船団は出発した。


 *


 それから数時間が過ぎ去り、早くも夕焼けが鮮やかとなった。


「やはり、北の日は暮れるのが早いですね。ソロン、見てください」


 と、アルヴァが手元の懐中時計を見せてくれた。

 時計の針は四時を指している。イドリスなら、冬であろうとまだまだ明るい時間帯だ。


「ホントだ。時間の感覚がおかしくなってきそうだよ」

「それは時計なのか? 帝都の公園にも時計はあったが……あれと違って、随分と小さいのだな」


 二人のやり取りに、メリューが興味を()かれたらしい。横から懐中時計を覗き込み、しげしげと見つめる。


「ええ、帝国の技術を結集した懐中時計です。精度に多少の問題はありますが、一月程度なら調整せずとも実用に耐えうるでしょう」

「それは便利だな。幸い、今回の旅では東西の移動もごくわずかだ。時差の心配もいらぬだろう」

「時差ってなに?」


 突如、ミスティンが疑問を挟んだ。……実はソロンも分からなかったので、ありがたい。


「太陽が昇り降りする時間差のことです。太陽は東から昇り、西へと沈む。……つまり、東に向かうほど日の出が早くなるわけです。東西に大きな距離を旅した場合は、時計の針と日の出の時刻にズレが生じるのです」

「へえ~、そうなんだ! そんなこと考えたこともなかったよ」


 アルヴァの説明を聞いて、ミスティンが首を縦に振った。理解しているかどうかは怪しいが、とりあえず嬉しそうである。


 そんな会話をしているうちに、船団は目的の島へと接岸した。

 甲板から見渡せば、鳥の姿はあっても魔物の姿は見当たらない。

 緑の薄い、岩だらけの武骨な島である。地盤が固く、植物の生育には不向きなのかもしれない。それが(かえ)って、魔物の少なさに貢献しているようだった。


「明日は釣りでもしようかな」


 そんな島を見回して、ミスティンがそんなことを言い出した。


「釣りですか? この辺りにはどのような魚がいるのでしょうね」


 アルヴァも俄然(がぜん)、興味を持ったようだった。二人そろって好奇心旺盛な性格なのだ。

 幸い、釣り竿やエサといった釣り道具は船に積まれている。

 グラットによれば『釣りは雲海の男の嗜み』だそうである。食料の補充や娯楽に使えるため、漁船(ぎょせん)でなくとも用意されているものらしい。


「魔物がいるかもしれないけど……」


 ソロンが懸念を表明すれば、


「見張りの兵士がいるので大丈夫ですよ。発見次第、駆除すればよいだけですから」


 事もなくアルヴァはそんなことを言った。


 *


 翌朝……。

 釣り竿抱えたミスティンが、意気揚々と島への一歩を踏み出した。

 アルヴァも余裕の表情で釣り竿を持って続く。

 しかしながら、これほど釣り竿が似合わない女性も珍しい。もっとも、当人に気にする素振りはなかった。


 ソロンも釣り竿と道具箱を抱えて、二人を追いかけた。

 乗員達もそれぞれで、島へと上陸を果たす。

 彼らの多くは海の男ならぬ雲海の男なのだが、それでも時には陸が恋しくなるものらしい。これだけ人がいれば安全だろうと、ソロンも内心でホッとする。


 三人は磯を歩きながら、手頃な釣り場を見繕(みつくろ)う。磯といっても波打ち際ならぬ雲打ち際であるが。


 ミスティンはさっそく釣り糸の先にエサを突き刺した。

 ちなみに、ミミズなどの(たぐい)には抵抗があるらしく、エサには乾燥したエビや小魚を使っている。手慣れた動作で釣り竿を振り、エサを雲海へと放り込んだ。


 ミスティンは鼻歌を歌いながら、後ろにくくった髪をゆらしている。いつも通りに機嫌がよさそうだ。

 そばには雲海の『雲』を汲んだ桶が置かれていた。

 今日になるまで試したことはなかったが、雲は水のように汲めるものらしい。もちろん、釣った魚を格納するのが目的である。


 ソロンもミスティンの隣に腰を下ろした。海や川で釣りをした経験はあるが、もちろん雲海での経験などあろうはずもない。


「雲海で釣りって、なんか不思議だね」

「そう? 雲釣(くもづ)りぐらいみんなやってるよ?」


 ミスティンが小首を傾げながら、ソロンの瞳を覗き込む。

 帝国人にとっては、水の海よりも雲海のほうが身近なのだ。雲海での釣りは、至って普通のことらしい。


「雲釣りっていうんだ……。アルヴァって釣りやったことあるの?」


 見かけほど箱入り娘ではなさそうだが、さりとて経験豊富とは思えない。


「ありますよ。海釣りも雲釣りも少しだけですが……。まあ見ていなさい」


 そう言うなり、アルヴァは釣り竿を置いた。何をするかと思いきや、杖を握って土魔法で地面に穴を開けていく。


「……何してるの?」


 ソロンは半ば義務的に一連の奇行の意味を問うた。


「こうします」


 アルヴァはそこでようやく釣り竿を振って、エサを雲海へと放り込んだ。

 さらには釣り竿を掘った穴へと差し込んで強く固定する。


「いや、固定しちゃうんだ?」

「常時、手で持つ必要はないでしょう。時間は有効活用せねばなりませんので」


 と、藍色(あいいろ)(かばん)から本を取り出した。

 どうやら、読書態勢に入るつもりらしい。こちらはこちらで空気の読めない女である。

 いったい何の本を読んでいるのかと覗き込んでみれば――


「あれっ、その本って……?」


 帝国語の文章の下に、角張った記号のような文字が書かれている。意味は分からなくとも、その本が何物なのかは推測できた。


「教科書……だよね」

「その通り。ラーソンさんの自作だそうですが、写本を頂きました。もっとも、本来はメリュー殿下が帝国語を学ぶためのものだそうです。用途は逆になりますが、支障はないでしょう」

「うわあ……」

「……その『うわあ』というのは何ですか?」


 アルヴァはムッとした声を出した。


「あっ、いや……。なんというか感心しちゃって。僕も帝国語を学んだけど、イドリス語との違いは方言みたいなもんだったからね。さすがにドーマ語は無理だなあ……。正真正銘、別の言語だし」


 呆れ半分、感心半分というのが正直なところだが、余計な発言はしないに限る。


「無理ということはありませんよ。それに全く別の言語だからこそ、学べるものもあるのです。その民族が何を考え、どんな環境で生きてきたのか……。言語には全てが凝縮されているのですから」


 以前、アルヴァが南の異国の言語――サラネド語を話す姿を見たことがある。周辺国の言語は一通り話せるらしいが、そんな彼女にとって未知のドーマ語は興味深かったのだろう。


「一匹!」


 そんな話をしているうちに、ミスティンが釣り竿を引き上げた。小さな魚を釣り糸からつかみ、雲桶の中へと放り込む。


「ほらっ、あなたも釣らないのですか?」

「そ、そうだった」


 ソロンも慌てて、糸とエサを雲海へと放り込んだ。


「面白い魚が釣れたならば教えてください」


 そう言って、アルヴァはまた教科書へと視線を戻した。


 *


 ポツンと伸びた釣り糸。

 透き通った雲海の下には、薄っすらと泳ぎ回る魚の姿が見えた。

 しかし、なかなか釣れる気配はない。要領は水の釣りと同じはずだし、ソロンだって故郷のイドリス川で釣りをした経験がある。

 ……が、今一つ幸運には恵まれなかった。


 その点、ミスティンは慣れたものだった。

 次から次に雲海の魚を釣り上げていく。一匹釣り上げる毎に、笑顔をまぶしく弾けさせて、実に楽しそうだ。

 どうやら、山野の猟だけでなく、雲海の漁にも強いらしい。


「ふむ……。その魚は見たことありませんね。帝国には生息しない種目でしょうか?」


 教科書から顔を上げたアルヴァが、ミスティンの魚をしげしげと見つめる。相変わらず何にでも興味を持つようだ。


「ネズミウオに似てるけど、ちょっと違うねえ。やっぱり帝国から離れたら、また違う魚が釣れるんだ。もっと面白い子が釣れないかな。……あっ、アルヴァ、動いてる!」


 見れば、アルヴァの竿がピクピクと動いていた。


「あら、本当ですわね」


 アルヴァは本を置いて、釣り竿に手をやった。

 竿が大きく弓なりにしなる。雲下に映る巨大な影が、糸を強く引っ張っている。


「――これは……大物ですね」


 俄然(がぜん)、彼女の声に緊張が宿った。

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