銀竜の瞳
アルヴァは全八隻の被害を確認するため、船上をせわしなく動いていた。
船長のグラットも同様である。
各船の間隔を近づけて信号を交わし合い、被害の状況を確認しているようだった。
火災はあったものの消火は迅速だった。見る限り、船体に大きな被害がある船はない。それでも、さすがにあれだけの攻撃を受けては、死傷者なしともいかないだろう。
これから先、想像以上に険しい旅となりそうだ。改めて覚悟せねばならない。
ミスティンも神官家育ちの魔法で、兵士達の治療に当たった。言葉が通じない亜人へも、ラーソンの通訳を借りながら手当をしている。
そんな中、ソロンだけが手持ち無沙汰になっていた。
甲板の上をぶらぶらと歩いていたら、銀髪の少女の姿が目に入った。
「さっきはありがとう」
ソロンは頭を下げてメリューに声をかけた。これならば言葉が分からなくとも通じるはずである。
「うむ」
メリューも承知した様子で頷いた。
彼女は激しい戦いの後であっても、至って涼し気な表情だった。この娘も、アルヴァに負けじと器が大きそうだ。
だが、そんなことよりも――
「……さっき帝国語で叫んでなかった?」
戦いの最中、『避けよ!』と忠告をくれたのは、まぎれもなくメリューの声だった。
使者として訪れる国の言語を学んでいること――それ自体は何もおかしくない。それにしても、随分とはっきりとした帝国語に思えたのだ。
「空耳だろう」
メリューは表情を変えず、わずかに横を向いて即答した。
「そっか……空耳か――ってやっぱり喋ってるじゃん!」
「ククク……あっはっは!」
ソロンの突っ込みに、メリューは笑って応えた。口元を押さえて上品に笑おうとしているが、こらえきれないらしい。
「――そなたは愛い奴よのう。くっくっくっ……」
流暢に、感情豊かに彼女は帝国語を操ってみせた。
「おい、今のは!?」
遠くからそんな様子を目にしたグラットが、驚愕に顔を歪める。船長としての役目も忘れ、早足でこちらに近づいてきた。
「なあソロン、こいつ帝国語で喋ってなかったか?」
「そうかもな」
と、悪びれもせずにメリュー自身が答える。
「くそっ……。このガキやっぱり分かってたんじゃねえか!」
騙されていたと分かって、グラットは真正面から悪態をついた。
言葉が通じるからといって、態度を改める気はないらしい。ある意味では一貫している。
「そう怒るな。最初は探りをいれるつもりだったが、そろそろ面倒になってきてな。しかしまあ、面白かったぞ。お前が私のことをどう考えているか、すっかり聞かせてもらったからな」
想像した通りの尊大な口調で、メリューは得意気に言い返した。
「んぐっ……!」
グラットが何かを言いかけて、言葉を飲み込む。実際、失礼な発言をしていたのは確かなので、分が悪いと悟ったのだろう。
「はあ……」
溜息をついたのはアルヴァだ。いつの間にか、グラットの背後に立っていた。
「――この無礼者については、私がお詫びします。確かに口の悪い男ですが、それほど人間性は悪くないのですよ。しつけの悪い犬に吠えられたようなものと思って、どうか寛大な心でお許しください」
「かばうふりして馬鹿にするのやめろよ……」
「ふうむ……。上帝が言うならば仕方あるまいか……。私も犬に吠えられたぐらいで、根に持つつもりはないからな。まあ――」
そう言ったメリューは、ニヤリと口を曲げてグラットを見やる。
「――ある意味、馬鹿正直な男なのは分かった。されど馬鹿であることに罪はない。許して進ぜよう」
紫色の瞳が、子供のような見た目と似合わず艶やかに光る。どう見ても面白がっている顔である。少なくとも機嫌が悪くはなさそうだ。
言いたい放題されたグラットは、渋い顔で苦渋を噛みしめていた。
「あはは……。でも、メリューは帝国語が上手だよね。やっぱりラーソンさんから習ったの?」
やれやれといったところで、ソロンは話題を転換することにした。
「ラーソンは昔から私の教育係でな。あやつからは帝国語でそのまま授業を受けていた。こちらの知識を得るには、そのほうが都合もよかったしな」
「なるほど……。思いのほか、そちらの帝国研究は進んでいたというわけですか……」
どこか苦るようにアルヴァはつぶやいた。帝国として、ドーマの研究を進めていなかったことを、悔いているのかもしれない。
「そう言えば、メリュー。さっきのはなに? 魔法?」
ミスティンを襲った矢の動きは、明らかにおかしかった。本当ならソロンは背に受ける覚悟で、彼女をかばったのである。
それだけではない。最初にメリューが投げた銛にしても、どこか動きに違和感があった。
「念動魔法だ」
「……聞いたことのない魔法系統ですね」
アルヴァはメリューの顔をジッと見やった。
「そなたらの魔法にはない概念だからな。我ら銀竜の瞳は、離れた物を操作する力を持つ」
そう言ったメリューは、紫の瞳を指差した。
「銀竜――それがあなたの種族なのですか?」
「うむ、我ら銀竜族は太古の世界を支配した竜の血を引く種族だ。当初よりドーマ連邦を支配してきたのも、我ら銀竜族である」
メリューは小さな胸を張って答えた。
種族の名に強い誇りを持っていることが、その口調からも窺えた。
「そう言われてみりゃ、爬虫類っぽい目してるな。髪の毛は鳥っぽいが」
グラットがメリューの瞳を覗き込み、失礼この上ない感想を述べた。
「例えば、こんなこともできる」
その時、メリューの瞳が怪しく光った。比喩ではなく本当に発光したのだ。さきほど瞳が光ったように見たのは、気のせいではなかったらしい。
「ぬおっ!?」
グラットの茶髪が逆立った。元々、跳ねたような髪型だったが、今はおでこが丸見えである。
「亜人の中には、人間にはない魔法を持つ種族がいますが……。それが銀竜族の力というわけですか」
アルヴァは感心したように、メリューの瞳とグラットの頭髪を交互に眺めていた。
竜が魔法の息吹を吐き出すのは、生まれつき体内に魔石を保有しているためだ。彼女ら銀竜族も、同じような仕組みで瞳から魔法を放つのだろう。
メリューはなおも目を光らせたまま、グラットの髪を見つめ続ける。
「いや、もういいだろ。引っ張るなよ」
グラットは髪の毛を手で押さえようとした。
……が、手で押さえられる範囲にも限界がある。手を放した場所がまた逆立つというイタチごっこだった。
「わあっ、凄い凄い! 何それ!?」
ミスティンが大喜びで、こちらに近づいてきた。グラットの逆立った髪をつついて、興味津々の体である。
「だからもう、勘弁してくれよ……」
グラットは降参とばかりに手を上げた。
「と、まあこんなところだ」
メリューは得意気にまばたきしてみせた。瞳の光が消え失せ、グラットの髪の毛が降りる。
「いい男が台無しだぜ」
グラットは溜息をつきながら、髪型を直し出した。
ミスティンは空色の瞳を見開いて、メリューを見た。そうして、口を大きく開き――
「メリューが喋った!?」
驚きを精一杯に表現したのだった。