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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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上帝陛下の威光

 やがて竜玉船は大防壁の右横――つまりは東側を通り過ぎた。大防壁は見る角度によって、また違う姿を見せてくれる。

 横から見た大防壁は、まさしく雲海と陸地を分かつ境界線となっていた。やはり壁はどこまでも……それこそ雲平線の彼方(かなた)まで西に続いている。


「ここから先が北の大雲海だよ。ワクワクするよね」


 と、ミスティンが教えてくれる。

 ここを通り過ぎれば、帝都がある本島ともお別れだ。灯台もなくなるため、航海の安全も確保されなくなる。

 ここより北は(はる)かなる大雲海。

 いくつかの小島がある以外には、ひたすら雲海が続いているという。


「帝国人もほとんど行ったことがないんだよね」

「そうそ、冒険者と……後は漁師さんぐらいかな。それにしたって亜人が怖いから、灯台の光が見えるところが限度らしいけど」


 振り向いたミスティンは、大防壁のすぐ南にある灯台を指差した。今は真昼なので光も何も見えないが、あれが帝国最北の灯台に当たるらしい。


「やっぱり灯台が大事なんだね」

「うん、だからここから先、夜は航海しない。適当な島に船を停めるんだって」

「島はあるんだよね」

「数は少ないけど、まあこの辺は帝国の地図にも載ってるからね。見落とすことはないと思う」


 ミスティンと話をしているうちにも、船は大防壁を通り過ぎてしまった。

 進路に目を向ければ、そこは島一つ見当たらない大雲海。後ろを見れば、唯一の陸地は遠ざかるばかりである。

 心細いような――それでいて胸が踊るような光景だった。


 *


 一時間、二時間と船団は大雲海を進み続けた。

 既に帝国本島は、南の雲平線の彼方である。四方八方どこを見渡しても、陸地は視界に入らなかった。


「ほらほら、あっちいけ!」


 兵士達の声が聞こえた。

 見れば、竜玉船の側面に魚の魔物が迫ってきていたのだ。

 硬い骨のような物で頭を覆った大型の魚で、かろうじてサメよりは小さい程度だろうか。


 兵士は通常の槍の何倍もある長槍で、魔物を追い払おうとしている。船の船体が高いため、それだけ長い槍でようやく雲海に届くらしい。

 けれど、魔物は船に興味を持ったらしく、それを無視してしつこく併走してくる。


「大丈夫ですか?」


 と、ソロンも近づいて声をかける。同時に刀を抜いて、魔法の準備をしておく。

 兵士はどこか緊張した面持ちでこちらを見返した。


「ああ、あなたは……。ええ、大した相手ではないのですが……」


 そう言いながらも、彼は魔物の頭を長槍でつついた。ガチ、ガチといかにも硬そうな音が鳴る。あまり効果がないようだ。

 魔物は鬱陶(うっとう)しそうにしていたが、体をくるりと反転させて船から距離を取った。逃げるのかと思いきや――


「ぐっ、こいつ!」


 勢いよく加速して、船体へと頭をぶつけてきた。ゴツンと鈍い音が響くと同時に、水飛沫(みずしぶき)が弾ける。

 大した衝撃ではない。何度ぶつけられたところで、船が沈むことはないはずだ。

 とはいえ、放置しているわけにもいかない。船が傷だらけになっては、グラットが泣くだろう。


「僕に任せて」


 ソロンは刀を魔物に向けて、小さな火球を放った。

 火球を受けた魔物は驚いたようにのけぞり、そのまま頭を転じて逃げ去っていった。


「どうもありがとうございます」


 兵士は遥か歳下のソロンに対しても、律儀に礼をしてくれた。もしや、イドリス王弟としての威光が、こんなところでも通じているのだろうか。

 そんな、礼儀正しい兵士に対して質問してみることにする。


「やっぱり、この辺りは魔物が出るんですね」

「そうですね。帝国本島からは随分と離れていますから。この辺りからはもう、魔物の世界と思ったほうがいいかもしれません」


 人里から離れるほどに魔物の数は増える。兵士はそのことを言っているのだろう。

 兵士は位置を変えて、引き続き見張りに戻っていった。


「おう、ご苦労さんだったな」


 騒ぎを聞きつけて、グラットが寄ってきた。


「大した魔物じゃなかったけど、先が思いやられそうだね」

「そりゃしゃーない。冒険に魔物は付き物だし、傷がつくのは諦めてるぜ。万一、船が壊れても、お姫様とお国が補償してくれるそうだしな」

「なるほど、さすが抜け目ないな」

「任せとけ。まっ、船に傷がつかないに越したことはないから、その調子で頼むわ」

「ところで……」


 と、ソロンは気になったことを聞いてみる。


「――なんか今の人、緊張してなかった? 意外とイドリス王家の威光が通じてるのかな」


 イドリスの場合、住民と王族の距離は近い。少なくとも帝国の皇族よりは遥かに身近だろう。そう考えて見れば、あまりない経験である。


「んなわけねえだろ、そりゃイドリス王家じゃなくて、上帝陛下の威光だ。お前はお姫様のお気に入りだからな。機嫌損ねたら首飛ぶって思われてんだよ」


 身もフタもなくグラットに指摘されてしまった。


 *


「船長、島が見えました!」


 見張り台で双眼鏡を構える兵士が叫んだ。


「おお、ご苦労さん!」


 報告通りの方角に、段々と島影が見えてきた。人の手が入っていないらしく、緑豊かな島のようだ。


「――さて、どうするよお姫様? もう少し先の島まで行けないこともないが……」


 さっそくグラットは、アルヴァに伺いを立てる。


「まだ少し明るいとはいえ、焦っても仕方ありません。次の島の発見に手間取った場合、夜間の航海を強いられる危険もあります。全船団、あの島で停泊としましょう。ただし、亜人の拠点になっている可能性も考えられますので、接近は慎重に」


 アルヴァはあくまで慎重に船団を進めるつもりだった。

 地図に島の位置が記載されているとはいえ、その精度は疑わしい。何より、実際に航海した経験がある帝国人はここにいないのだ。

 亜人の気配がないことを確認したのち、船団は島に停泊することになった。


 帝国から離れて、初めての夜が訪れた。

 八隻の竜玉船は、島の沿岸に(いかり)を降ろして停泊していたのだった。


 既に帝国本島から遠く離れているため、灯台の光は存在しない。

 船に明かりをつける方法もあったのだが、魔物の標的となるのを警戒して、点灯しなかった。

 それでも、辺りは意外なほど明るかった。月は欠けていても、夜空に輝く星々の明かりが照らしていたからである。


「何も君まで見張りをする必要はないと思うけど……」


 ソロンは甲板(かんぱん)で見張りを続けるアルヴァに声をかけた。

 髪も服装も黒いため、夜の闇に溶け込まんばかりである。ただ白い肌と紅の瞳だけが、浮き上がるように鮮明だった。


「そうはいきませんよ。皆、夜間は見張りに立っているのですから。私だけ例外では示しがつきません」


 基本的に見張りは交代制である。船に積まれた時計に沿って、正確に交代時刻が決められていた。


「分かったよ。でも、寒さに気をつけて、あんまり無理しないでね」


 冬に旅する北の雲海は、夜になってますます寒さを厳しくしていた。


「全く、心配症ですね。仮眠は日中にでも取りますよ」


 アルヴァはそう答えた後で、ミスティンに視線を向けた。ミスティンは島の方角を、ジッと観察していたのだった。


「ミスティン、何か怪しいものでもありましたか?」

「う~ん、色々いるけど、暗くてよく分かんないな。でも、色々いるよ。ほらほら」


 ミスティンが指差した先をよく見れば、確かに動くものの影があった。

 恐らくは夜行性の獣や魔物だろう。遠く離れていても、星の光を(さえぎ)る影が浜辺をうろつき回っているのだ。

 生物が船に近づいてくる気配はないものの、警戒が必要なのは明らかだった。


「確かに色々だなあ。意外とにぎやかだしね」


 島は夜であっても、動物の鳴き声で忙しい。静寂は決して訪れそうになかった。


「上陸しないのは正解でしたね。人が立ち入らない島というのは、恐ろしいものです。今後もこういった島ばかりでしょうから、気をつけねばなりませんね」


 *


 大雲海に漕ぎ出してから三度の夜が過ぎた。

 日中に航海し、夜間は島に停泊する。今のところ、大きな問題もなく航海は順調に進んでいた。


順風満帆(じゅんぷうまんぱん)だな」


 これにはグラット船長も満足そうだった。


「グラット。これ帆船(はんせん)じゃないよ?」


 と、ミスティンが首を傾げる。


「……例えに決まってるだろ。だから、揚げ足取りはよせって」


 ともあれ、航海は日中だけの上、未知の雲域を船団で移動しているという事情もある。帝国内での航海と比較すれば、ゆったりしたものだった。

 もっとも、それでも既に航海した距離は相当なものになっていた。なんせ、竜玉船というものは馬車の倍以上も速いのだから。


 その日、船長室に主要な乗員が集められた。

 ドーマ側からの提案で、これからの方針について話し合うらしい。『主要な乗員』かは微妙なところだが、ソロンもアルヴァと共に参加することになった。


「そろそろガンドラ雲海域に入ります。つきましては、この辺りで一度、説明をしたいと考えています」


 メリューの意を受けてか、ラーソンが話を切り出した。

 同時にメリューがサッと地図を広げる。帝国の地図にも載っていない北方の大雲海の地図だ。


 地図の南側には帝国本島らしき地形がある。島の北にある細長い横線は大防壁を意味しているのだろう。こうして地図で見せられると、改めてその巨大さを思い知らされる。

 そして、大防壁の遠く北に灰色の障害物らしきものが書き込まれていた。メリューが指差しているので、どうやらこれがガンドラ雲海域らしい。


「あれ?」


 そこでソロンはおかしなことに気づいた。

 ガンドラ雲海域からさらに北西に行けば、ポツリポツリと浮かぶ島の数々がある。

 しかし、帝国本島のように大きな島は、一つも見当たらなかったのだ。

 ドーマの本土はどこにあるのだろうか?

 まさかこの地図にも収まらない程、遠方に存在するのだろうか。だとすれば、想像以上に大変な旅になる。


 手がかりを求めて目をやるが、地図には見知らぬ文字が細々と書き込まれているばかり。

 帝国やイドリスの文字とはかけ離れた未知の文字であり、ソロンにとっては意味不明な記号でしかなかった。


 ソロンがそう考えていたら、


「ん」


 と、メリューが地図の一点を指差した。

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