新たな船出
三隻の竜玉船は、ついにネブラシア港を出発した。
港のほうを振り向けば、エヴァートやマリエンヌ、セレスティンにナイゼル――大勢の見送り人の姿があった。
その多くは乗員の家族である。乗員は百人にも及ぶため、見送りに来る人数も相応になった。
アルヴァは優雅に彼らへ向かって手をかざす。それとは対照的に、ミスティンは元気いっぱいに手を振っていた。
最初の何日かは難しい旅ではない。
帝国内を移動する安全な航路であるからだ。夜間も灯台の光をたどればよいため、進行も極めて迅速だった。
「なあ、お姫様。本当にあのガキンチョを信じていいのかねえ? 種族もよく分かんねえし怪しいぞ」
グラットは操舵室に腰を下ろしながら、そんなことを言っていた。
しばらくは安全な航路であるため、暇を持て余しているらしい。先程のことを根に持っているのか、メリューへの疑いを捨て切れないようだった。
「さあて、何と言っても彼女の軍は、我々の敵を撃破してくれましたから。少なくとも、彼女らが敵の敵であることは確かでしょう」
片手を振って、アルヴァが答える。
「ん~、完全には信じてないって感じだね」
感の鋭いミスティンが指摘した。確かにアルヴァの口調には、どこか一歩引いたところがあった。
「確かに完全とは言いませんが、一応は信じていますよ。彼女らの言に乗ってドーマへ向かう以上、いちいち疑ってはキリがありません。……それに誰かがドーマへ行かねばならないのです。さもなくば、いつまで経っても戦は終わらないでしょう」
「そうだね」
と、ソロンは同意する。
「――あのメリューにしたって、相当な覚悟でここまで来たはずだよ。その点は信じていいんじゃないかな」
未知の領域へ挑むのは、アルヴァ達だけではない。
見方を変えれば、メリューを始めとした大君派のドーマ人――彼女らにとっても、帝国は限りなく未知に近い領域なのだ。そこへやって来た勇気だけは、信じてもよいのではないだろうか。
「そだねえ。メリュー達もよくこっちまで来たもんだよ。帝国からドーマに行って、帰ってきた人は今までいなかったんだし」
ミスティンも素直に亜人達へ感心して見せた。しかし、自分で喋ったことに対して、何かが気になったらしく、
「――ん~。でも不思議だね。今までどうして、帝国からドーマに行った人がいなかったのかなあ?」
と、素朴な疑問を提起した。
「いやまあ、北に向かった冒険者もいることはいたんだぜ。けど、どれもこれも難航したもんでな。ついには誰も挑まなくなったってわけだ」
さすが、グラットは竜玉船を愛好する冒険者である。竜玉船による冒険の歴史には、精通しているようだ。
「難航って?」
興味を惹かれたソロンも話に参加する。
「そうだなあ。まず島が少ないってのがあるな。目印がない雲域だと、遭難の可能性も激増するからな。どうにか島が見つかっても、魔物の巣になっている可能性が高い」
「そっか、ベスタ雲海域もそうだったけど、人の寄りつかない島は魔物が繁殖しやすいんだよね」
「おおよ、雲海の魔物だって島を拠点にするものが多いからな。島に近寄っただけで、それなりの危険は覚悟せにゃならん」
「雲海の魔物か……。確かに厄介だな」
皇帝イカといい雲竜サーペンスといい、雲海の魔物は対処が難しい。なんせ、人間は雲海を泳ぎ回るわけにはいかないのだ。
「それから、竜玉機関が開発されたのも、ここ百年の話だ。それまでは風任せの帆船か、手で漕ぐ櫂船しかなかった。速さも安定感も今とは段違いってことだな」
「さらにはドーマの存在です。探検に出た船舶が、亜人に拿捕される事件がいくつも起こりました」
アルヴァもこの種の話には興味があるらしく、補足してくれた。
「それじゃあ、軍船で行ったらどうかな?」
ミスティンも色々と考えてみたらしく、意見を述べる。
「ごもっともな意見ですが……。帝国にとって、そこまでの価値を見い出せなかったというのが正直なところです。亜人の脅威にさらされていたのは、あくまで北方の諸侯に限られますから。それだけでは元老院の支持も得られない。そして、北方の諸侯だけでは、十分な費用と人は供出困難でした」
「うむ。俺としては浪漫があっていいと思うが、危険なわりに利益もないからな。結局のところ、採算が合わなかったの一言に尽きる」
「でも、ドーマからはこっちに来てるんだよね。なんでかな?」
と、ミスティンがさらに追究する。
「確かに、航路の開発は彼らにとっても、相当な難事業であったはず。ですが、ドーマの獣王はそれだけの価値を見い出せたのでしょうね。ともあれ、今回はその航路を窺い知る興味深い機会でもあります」
「なるほどなあ、考えてみれば色々と謎は多いんだね」
と、ソロンは相槌を打った。
「もっとも……一人だけ、こちらからドーマへ攻める計画を考えた者もいましたよ。ですが、それも頓挫してしまいましたので」
含みを持たせるように、アルヴァが言った。
「誰がそんなことを?」
「私です」
「そうなんだ……」
大それたことを考えるものである。
「敵の港に乗り込み完膚なきまでに亜人軍を叩きのめす。人質を取るなどして、敵の弱みを握る。そしてドーマが帝国へ金輪際侵攻できないように、一方的な不可侵条約を結ばせる――それが私の構想でした」
「凄い発想だなあ……。でも、いくら帝国が強くても難しいんじゃないの?」
「ですから、そのために力が必要だったのです。あなた方にも協力していただきましたね」
「あの杖か……」
女王の杖――ソロンがアルヴァと冒険する契機となった杖のことだ。神獣を呼び出した恐るべし杖の力――あれさえあれば、確かに一国の軍隊すらも壊滅させられただろう。
「ですが、杖の力は暴走し……私は罷免されました。そうして、計画は見事頓挫したというわけです」
自嘲するようにアルヴァは薄く笑った。
*
三日をかけてカンタニアの港が見えてきた。
前回の来訪から数週間しか経っていないだけあって、町の景色に変化はない。残念ながら、雪も降っていないようだ。
港にはドーマの竜玉船が五隻ほど停泊していた。メリューらが帰還用に残した船である。この町で合流する約束をしていたのだ。
そして、カンタニアの港にて船団の再編成が行われた。
帝国の三隻とドーマの五隻――八隻から構成される二国の混成船団ができあがった。その乗員は両国を合わせて、数百人にも達した。
それに伴い、船団の旗艦も二つとなった。
帝国船団の旗艦となるのは、引き続きグラット船長が操るオデッセイ号である。
軽さと強度を持ち合わせた金属製の側面。出力に優れた竜玉機関。帝国が持つ最新式の技術を、惜しげもなく注ぎ込んだ軍船だ。
対するドーマの旗艦となるのは、木造の船体を朱塗りにした立派な船だった。同じく竜玉機関を保有しているものの、外観は大きく異なっている。
竜玉は雲海に触れることで浮力を生み出す。
それはまた、雲海において強力な推進力となる――それは古くから分かっていた。けれど、理屈として分かっていても、それを技術として転用するのはまた別問題であった。
おおよそ百年前のこと。竜玉による自動推進機関――竜玉機関を実現したのはネブラシア帝国であった。
その技術を拿捕した竜玉船から持ち帰ったのは、獣王の勢力である。それが五十年ほど前のこと。
やがて、その技術は大君の勢力にも伝わり、ドーマ全土に竜玉機関が広まったのだった。
ドーマの船も機関以外の構造については、帆船時代のものを引き継いでいる。それが見た目の特色にもなっているのだそうだ。
そうして、この日はカンタニアで宿泊することになった。
これが帝国での最後の一日となる。翌日には帝国本島を離れ、北の大雲海に入るのだ。
*
翌朝、港にはメリューと亜人達の姿があった。どうやら、再会した部下達と打ち合わせをしているようだ。
そのまま、あちらの船に乗るのかと思いきや――
「我々も引き続き、この船に乗ってよろしいでしょうか?」
ラーソンがそんな提案をしてきた。メリュー共々、ドーマの旗艦ではなく、そのままオデッセイ号に乗り続けるらしい。
「ええ、構いませんが……。ドーマの船には乗らないのですか?」
アルヴァも不思議そうに問い返す。
「船団の指揮系統を分散しないためです。帝国とわが国で指揮が別れるのはやむを得ませんが、せめて旗艦を一つにできればと。それから、これはあなたへの信頼の証でもあります。殿下自身がこの船に乗っている限り、あなた方も裏切りの心配はいらないでしょう」
「ウム、ウム」
と、メリューも小さな胸を張って、ラーソンへの同意を示す。
「……自ら人質になってくださるということでしょうか」
訝しむようにアルヴァは、ラーソンとメリューを交互に見た。
「まあ実際のところ、殿下はあなた方に興味を持たれたようなのです。こっちのほうが面白そうだなと仰せで」
ところがラーソンは破顔して、あっけらかんと言ってのけた。
メリューもアルヴァの元へ歩み寄って、手を差し出す。
「ヨロシク」
しかも、つたない帝国語まで付け足してみせた。
「はぁ、よろしくお願いします」
アルヴァもとまどい気味に握手を返す。
握手を終えたメリューは、ついでにソロンの頭もポンポンと叩いた。自分より遥かに背の低い娘に頭を叩かれて、なんだか微妙な気分になる。
「あのねえ……」
抗議でもしようかと思ったが、メリューは軽快な足取りで亜人の集団に紛れてしまった。悪びれもせずに、愉快げな顔で会話に講じている。
それで、何となく気勢を削がれてしまった。
「気まぐれな子だね~」
と、ミスティンが自分のことを棚に上げて、呆れるような仕草をしていた。