船長登場
黒い外套に身を包んだアルヴァは、颯爽と竜玉船へ乗り込んだ。
ソロンとミスティンも、それぞれに厚着をして彼女に続く。
日射しに恵まれた上界の気候は、下界のイドリスと比較すれば暖かい。それでも、遥か北にあるドーマは厳しい寒さになるという。防寒具の用意は欠かせなかった。
「陛下!」
竜玉船の乗員である兵士達が、アルヴァに向けてうやうやしく敬礼した。
彼女も小さく手を振って、それに応える。アルヴァが女帝であった頃を思い出すような優雅な仕草だが……。
「陛下って……?」
ソロンは怪訝な声を上げた。
アルヴァの皇帝位は剥奪されたはずである。前皇帝とはいえ、陛下という敬称は使えないはずだった。
「上帝の地位を献上されたのです。それで再び、陛下と呼ばれる地位になったというだけです。元老院としては、私への見返りを含んだつもりでしょうけれど」
「……上帝って?」
アルヴァが簡潔に説明してくれたが、それだけで理解できるソロンではない。聞き返せば、すぐに追加で答えてくれた。
「上帝とは退位した皇帝に送られる称号です。実権の有無はともかく、儀礼上は皇帝とほぼ同格に遇されます。歴代の上帝の中には、皇帝以上の強権を振るった者もいるのですよ」
「あっ、そっか」
さすがにソロンでも何となくは事情を飲み込めた。
「――帝国の代表として行くんだもんね。ちゃんとした地位がないとダメってことか……」
「そっか、凄いね。陛下だ陛下。上帝陛下万歳だね」
ミスティンが自分のことのように喜んで、アルヴァの肩を叩いた。出世した友達を祝うような軽いノリである。
「あはは……。上帝陛下の威光も、ミスティンには形無しだね」
「構いませんよ、望んで欲しかったわけではありません。儀礼上の都合もあって、頂けるものは頂くことにしたまでです」
アルヴァはさして何でもないように振る舞っていた。
「――さて、そんなことよりも船長にご挨拶と行きましょうか」
彼女は不敵な笑みを浮かべながら、甲板にある船長室へと足を運んだ。
船長室に近づいたところで、突如扉が開かれた。中から先手を打つように、青年が飛び出して来たのだ。
ツンツンした茶色い髪に、たくましい肉体。船長という立場を反映してか、他の船員よりもひときわ立派な服を身に着けている。
「よう、久しぶりだなあ。元気してたか?」
船長はガッとソロンを大きな腕で抱きしめた。
「元気だよ。ていうか、暑苦しいよ。ナイゼルじゃあるまいし」
「いや、なんつうか。つい嬉しくてな」
そう言った船長は、次にソロンの手と強く叩き合わせた。パーンという音が空高く響く。友人同士の再会を祝う快音だった。
「ったたた、馬鹿力だなあ……。グラットも元気そうだね」
アルヴァの支援を受けて、グラットはついに自らの竜玉船を手に入れたのだ。
かつての冒険はタダ働きかと思いきや、ちゃっかりとした男である。とはいえ、過酷な冒険の報酬としては当然の権利だろう。
「まあな。忙しくて寝る暇もねえぐらいだぜ」
グラットは竜玉船で各地を飛び回りながら、貿易を始めとした事業に手を出しているらしい。
しかしながら、元々の性格もあって彼は刺激を求めていた。
そこに飛び込んできたのが、今回の北方大遠征である。アルヴァから連絡を受けるや否や、またたく間に参加を決定したのだった。
「グラット……。睡眠はきちんと取らねば、集中力を維持できませんよ。忙しくても却って、それは非効率な行為です」
出会い頭にアルヴァはグラットをいさめた。
「……すまん、お姫様。寝てないってのは誇張だ。実は船の上でしっかり寝ている。いやな、その、忙しいフリをしたかっただけだ」
タジタジとなりながらグラットは答えた。
「ならよいのです。妙な見栄を張らないでください」
「……相変わらずだな、お姫様は」
苦笑しながらも、どこか懐かしむようにグラットが言った。
「いい船だねえ」
そんな中、ミスティンは船を見回し、ペタペタとそこら中を触りまくっていた。
「お気に召したか? なんせ、こいつは最新型だからな。速力はもちろんのこと、乗り心地も悪くない」
「さっきアルヴァも力説してたけど、随分と奮発したんだね」
ソロンが聞けば、グラットも胸を叩いてみせる。
「おうよ。まあ、俺もここまで上等なのは遠慮しようと思ってたんだが……。出資者様が猛烈に押してきたんでな。遠慮なく甘えさせてもらったぜ」
と、グラットはアルヴァへと視線をやる。
「当然でしょう。安い買い物が常に利益をもたらすとは限りません。優れた船があれば、結果的に活用の幅も広がるというもの。商売をするにも信用の度合いが違います。現にこうして機会が巡って来ました」
アルヴァは満足気な顔をしていた。きっと自分が乗ることも想定して、最新式の船をグラットに持たせたのだろう。
「そうかそうか。お役に立てて俺も嬉しいよ。それにしても、北のドーマか……。よくぞまあ、そんな面白い仕事を見つけてきたもんだな」
「私にしても、こうなるとは夢にも思いませんでしたよ。ただ……あちらに送った調査隊については、ずっと気にしていましたので。機会は逃せませんでした」
アルヴァはかすかに表情を陰らせた。
「んだな、多少の事情は聞いてるが、俺もちっとは力を貸すぜ。未踏の領域ってのは、男の浪漫だもんでな」
グラットはそんなことを言いながら、キメの表情を作った。
「未踏も何も、実態は亜人がとっくに踏み入れている領域ですよ。人間にしても、捕虜として連れられた方もいますし」
しかし、アルヴァは冷ややかだった。
「……つまんねえ揚げ足取りはよせやい」
そこに亜人の一団が乗り込んできた。
先頭にはドーマ大君の孫娘たるメリューの姿。
出会った頃と同じような着物をまとい、青みがかった銀髪をなびかせている。その美麗な姿には、帝国の兵士すらも息を飲むものがあった。
「おお、アレが噂の亜人のお姫様か。なんか思ってたのと違うなあ」
グラットは目を見張って、メリューの姿を眺めていた。
「どんなのと思ってたの?」
「いや、こう。クマみたいなヤツだな。そんでドッシドッシと歩くだけで音が鳴るんだよ。ああ、アレに近いかもな。緑色のカバ。なんだっけか?」
グラットは上目で、何事かを思い出そうとしていた。
「グリガントのことですか? 私にとってはあまり思い出したくない名前ですが……」
アルヴァは苦り切った顔で指摘した。
グリガントは帝都を襲った魔物であり、また下界でもザウラスト教団が操った魔物である。彼女にとっては上界と下界の両方で戦った難敵だ。もちろん、その両方で良い思い出はなかった。
そこで当のメリューがこちらに気づいた。通訳のラーソンを引き連れて、まっしぐらに向かってくる。
「メリュー殿下、ご機嫌よう」
と、アルヴァが丁寧に礼をしながら挨拶をする。
「おはよ、メリュー」
と、ミスティンは既に気安い。
しばらく同じ家で過ごしたこともあって、言葉が通じないなりに打ち解けているようだった。……若干、メリューの側が迷惑そうにしていた気がしないでもないが。
「――――」
メリューも亜人語で挨拶らしき言葉を返す。それから、彼女はソロンの肩をポンポンと叩いてくる。
「おはようメリュー」
とりあえずソロンも挨拶をしておく。
言葉は伝わらなくとも、気持ちはなんとなく伝わるかもしれない。交流しておく意味はあるだろう。
立場を考えれば敬語で話したほうがよいのかもしれない。
……が、相手はどう見ても子供である。ミスティンにつられる形で、気安い口調になっていた。
「しかっし、まあ近くで見るとホントにお子様なのなぁ。亜人の大将は幼女ってか」
メリューを横からしげしげと眺めやって、グラットがつぶやいた。今に始まったことではないが、不躾な態度である。
「一応、当人が目の前にいるんだし、少しは気をつけなよ」
さすがにソロンはグラットをたしなめたが、
「まあ、大丈夫だろ。どうせ言葉は分かんねえんだし」
グラットは取り合わなかった。
「ラーソンさんもいるんだけどなあ……」
と、ソロンはラーソンの顔色を窺うが。
「あははっ。私のことは気にしないでください。チクったりはしませんので」
こちらはこちらで、愉快そうに微笑むばかりだった。どうやら、思っていたよりもゆるい性格だったらしい。
それから、彼はグラットに歩み寄って、
「ラーソンです。メリュー殿下の通訳を務めています」
と、手を差し伸べた。
「船長を任せてもらってるグラットだ。亜人語の通訳だなんて、大したもんだなあ」
グラットも堂々とそれを握ってみせる。
「む……」
放って置かれたメリューは、どことなく不機嫌そうな唸り声を上げて、グラットをねめつけた。
「お、おう。嬢ちゃんもよろしくな」
グラットは頭二つも背丈の違う少女に、気圧されそうになっていた。それでもどうにか、手を伸ばしてみせる。
メリューは思いのほか素早く、グラットの手をつかんで握った。視線はまっすぐにグラットと合わせている。
「――あたっ! イテテテ、何しやがるガキンチョ! ちょっやめっ! やめろっての!?」
相当強く握られたらしい。グラットは情けない悲鳴を上げて、こちらに助けを求めた。
「フン」
と、鼻を鳴らして、メリューはようやく手を放した。
「いってえ……。なんつう馬鹿力だよ……。てか、俺の言葉分かってたんじゃねえか?」
グラットは手をさすりながら、そんなことを言った。
「いや、あの口調じゃ言葉が分からなくっても、悪口言ってるのは分かるよ」
そう言いながらソロンは、メリューのほうへと視線をやる。見れば、彼女はうつむいて口を押さえていた。
機嫌を損ねたのかと思いきや、どうやら笑いを堪えているようだ。紫色の瞳には、嗜虐的な光が宿っていた。
「ちっ……。油断できねえな」
グラットは苦々しい顔で、笑いを堪えるメリューをにらんでいた。