オデッセイ号
皇帝エヴァート主導の下、ドーマ連邦へ送る使節団が結成された。
その代表は当初の予定通り、アルヴァが務めることになった。三隻の竜玉船と百名に迫る人員からなる一団である。この人数は多すぎず、少なすぎずを目指した結果らしい。
出発はネブラシア港からとなった。
前回、北方へ向かった際はミューンの港町から船を出港させた。しかし、急を要さない今回は、ネブラシア港にて優れた船を選りすぐる余裕があったのだ。
そして、いよいよドーマへと旅立つ日がやってきた。
どことも知れぬ遥か北、未知なる北への旅である。
季節は十二月、帝国の暦では大海の月。青みの薄れた冬空の下で、今日も静かに雲海は波打っている。
ネブラシア港では、一時の別れが行われていた。
「何もアルヴァ様が、向かうことはありませんのに……」
マリエンヌは今にも泣き出しそうな顔で、アルヴァと向き合っていた。
アルヴァの秘書官であった彼女は、今はイシュティールに勤めている。それを見送りのため、馬車で二日の旅程を駆けてきたのだ。
ちなみに、アルヴァの祖父であるニバムは来ていない。実際のところ、職務を放り出してでも来ようとしたそうだが、マリエンヌが制止したらしい。
「ごめんなさい、マリエンヌ。ですが、心配はいりません。私には心強い友人もいますので。お祖父様にも、お体に気をつけるよう言伝を願います」
アルヴァはマリエンヌを軽く抱きしめ、なだめるように声をかけた。しばらくして、アルヴァはマリエンヌから体を離す。
「……分かりました、アルヴァ様。ソロンさん、なにとぞアルヴァ様のことをお願いします」
マリエンヌはソロンに向かって、深々と頭を下げた。
「え、ええ……。がんばります」
なぜだか指名を受けてしまったが、元よりそのつもりである。護衛の仕事を頑張ろうと改めて決心する。
そんな様子をバツが悪そうに眺めていたのは、アルヴァの従兄――皇帝エヴァートである。
「君にばかり、重荷を背負わせてすまない。だが、誰にでも任せられる事業でないのも事実だ。君の決心に甘えさせてもらうよ」
「いいえ、とんでもありません」
フルフルと黒髪を振りながらアルヴァは語る。
「――結果的に私は、皇帝という重荷をお兄様へ押しつけてしまいました。これしきの協力をさせていただくのは、当然というものでしょう」
「ミスティン、陛下の邪魔をしないようにね」
「そんなことしないよ」
見送りにはミスティンの姉――セレスティンの姿もあった。彼女は今も帝都の教会で、司祭を務めているらしい。
妹と同じ美しい金髪の持ち主であるが、こちらは法衣をまとって落ち着いた印象を受ける。性格だけをいえば、姉妹として似たところは見当たらない。
「結局、父さん母さんには顔見せにも行かなかったわね」
「ごめん。それはまた今度かな」
ミスティンは口では謝罪したが、あまり反省しているようには見えなかった。
「今度というのはいつになるのやら……。まあ、いいけれど。あなたは話して聞くような子ではないしね。気をつけて行ってらっしゃい」
「は~い」
これから始まる遠征は未曾有の大事業である。それにしては何とも軽い姉妹のやり取りだった。
「坊っちゃんが亜人の国へねえ……。わが国の王弟は、いよいよアルヴァさんに取られてしまいそうですね」
冷やかすというよりは、呆れるようにナイゼルが言った。
「本当にのう……」
ガノンドもそれに相槌を打つ。
「いいじゃないか。それでこそ男の子だよ」
と、カリーナだけはソロンを温かい目で見ていた。
イドリス大使館に勤める三人も、ソロンを見送るために来てくれたのだ。
もちろん話は事前に通していた。
ソロンは祖国イドリスの代表として、ネブラシア帝国に滞在している。兄から自由を認められてはいるとはいえ、長期の遠征ともなれば釈明は必要だったのだ。
「――しっかし、母さんの故郷か……。本当に、どんな場所なんだろうね。あたしも興味はあるけど、さすがに行くのはちょっと怖いかな」
カリーナが複雑な胸中を吐露した。
「私達が見届けてくるよ。カリーナは土産話を楽しみにしてて」
と、姉との話を終えたミスティンが応じる。
ミスティンは基本的に女子供と打ち解けるのは早い。二人の付き合いは短いが、仲は悪くなさそうだ。
「ああ、楽しみにしてるよ、坊っちゃん。ミスティンも怪我に気をつけなよ」
「ソロンや、姫様をしっかり守るのじゃぞ。本当ならわしも行きたいところじゃがのう……」
ガノンドはアルヴァを心から心配していた。
今の彼はもはやイドリス人だが、かつては帝国の公爵であった。アルヴァの父である先々代の皇帝とも、若い頃から交友があったという。
「申し訳ありません。皆さん」
アルヴァはマリエンヌ、エヴァートの二人と話し込んでいたが、ふとこちらへと歩み寄ってきた。
「――ソロンがイドリスにとって、大切な人物だとは理解しています。ですが……私には彼が必要だったので」
そして、少しためらいながらも、はっきりと言い切った。
「ふうむ、必要だったのですか。それは仕方ありませんね」
ナイゼルは首を重々しく振って頷いた。それから、ソロンへと視線を転じて。
「――聞きましたか、坊っちゃん。アルヴァさんは実に肝が据わっていますね。煮え切らない誰かとは大違いです」
「本当にね。大切にしてあげなよ」
と、カリーナも弟に続く。
「言われなくとも。その気がなければここにはいないよ」
当てつけがましい二人に、ソロンは言い返した。
「ええ、頼りにしていますよ。ずっと前から」
アルヴァはそんなソロンの腕をそっとつかむのだった。
*
別れの挨拶を終えて、港に停泊している船へと近づいていく。
「わあ……」
それを間近に見るや、ソロンの口から思わず感嘆の声が漏れた。
「おお、ほ~……」
後ろを離れて歩いているメリューも、同じように声を上げていた。言語は違っても、感嘆の表現は似たようなものになるらしい。ラーソンとしきりに言葉を交わしていた。
「どうですか、最新型竜玉船――オデッセイ号は。これぞまさしく、わが帝国の技術の結晶です。皇帝時代の話ですが、設計には私も参加させていただきました」
ばっと手を船へと伸ばしたアルヴァは、誇らしげに胸を張った。
大きさとしては中型の竜玉船である。
特徴的なのはその先端だろうか。とがった先端を始めとして、船体は滑らかな流線型になっていた。船は外面を金属で包んでおり、港の中で銀色が異彩を放っている。
また、一般的な竜玉船にあるはずの帆柱が見られない。安定した竜玉機関を備えているため、風による予備動力は不要ということだろうか。
外側についた胸ビレと後ろについた尾ビレのような部分が、どことなく魚を想起させる。
尾ビレについては、以前見たスクリューに相当するのだろう。だが、胸ビレは何の意味があるのだろうか。
「ほわあ……カッコいいね。ところでこのヒレみたいな部分、何の意味があるの?」
ミスティンも感嘆の声を上げていたが、やはり胸ビレに注目したらしい。指を差して尋ねた。
「ヒレというよりは、翼のつもりですが……。しかし、よい質問ですね。ミスティン」
生徒から質問を受けた教師のように、アルヴァが顔をほころばせた。
「――これは揚力を得るための仕組みです」
「ようりょく?」
「簡単に言えば、推進時に得られる浮力のようなものです。翼の構造を工夫し、巧妙に大気圧を下方から受けるようにするわけです」
「浮力って、竜玉があるよね。それ以上、浮力を強くして意味あるの?」
ミスティンが分からないなりに質問をする。そんなやり取りも、どことなくアルヴァと息が合って見えた。
「もちろん竜玉の浮力だけでも、船を雲海に沈べるに事足ります。ですが、ここで大切なのは推進時です。揚力が得られれば、雲海との摩擦を軽減できます。そして……摩擦が減れば、速度の向上が見込めるというわけです」
「う~んと……」
アルヴァの力説に、ミスティンは少し考え込んで、
「――浮くってことは、矢のように速く進めるってことだね」
弓の達人らしく、彼女は自分なりの言葉で表現した。
「ええ、ええ。ミスティンは飲み込みが早いですね。まさしく、摩擦を極限まで減らすには、空を駆けることが理想ですから。つまりこの船は今までの船よりも、一歩理想に近づいているのですよ」
「えへへ、見た目がカッコいいだけじゃないんだねえ」
褒められたミスティンが、嬉しそうに笑顔を作る。
「そうです。これこそが機能美というものです。真に効率を追求したものは、余計な装飾を施さなくとも十分に美しいものなのですよ」
この船こそが船団の旗艦となるわけだ。
船には亜人の代表であるメリューらも、同乗することになっていた。カンタニアに残されていたドーマ軍とも、途中で合流する予定である。