メリューの提案
メリューが、通訳のラーソンを介して告げた提案。
それを聞いた帝国側の一同は騒然となった。
当然といえば当然な要請である。互いの国を知らずして、真に同盟を結べるはずもない。
だからこそ、彼らはこの国まで遥々やって来たのだ。帝国からも、誰かがドーマに向かうのも道理というものだろう。
だがしかし、ドーマは限りなく未知に等しい外国である。そのような国に誰が行こうというのか。果たして身の安全は保証されるのだろうか。
「ドーマへの使者か……」
エヴァートがうつむき気味につぶやいた。
「確かに我らとしても、雲海の向こうを確認したいところですが……。けれど、誰がその役目を担うのです?」
思わぬ流れに、外務長官も困惑を隠せなかった。
「重要な役目であるのは、間違いありますまい。それ相応の人物に託すのが、道理というものでしょう」
発言したのはオトロス大公だった。
「ではそういう大公殿はどうだ?」
と、エヴァートがすかさずオトロスを指名した。
「そ、それはご冗談を。私には元老院議員だけではなく、自領を治める役目があります。……外務長官はいかがかな? やはり外交はあなたの領分でしょうから」
大貴族たるオトロスは、小国の王に匹敵する領地を保有している。長期に渡って、帝都や領地を離れるのが難しいのは事実だろう。もっとも、それよりも未知の外国に渡る危険を嫌ったのだろうが……。
矛先を変えようとしたオトロスを、遮るように外務長官は両手を上げて。
「い、いや……。外務省にも課題が山程あるのです。相手にするのは、ドーマだけではありません。長である私が帝国を離れてしまっては、業務が滞ってしまいましょう。わが省から若手を指名する方法もありますが……」
皆、及び腰だった。
「ふうむ、そうか……。さすがに私が行くわけにはならないからな。皇族から誰かを指名してもよいが、はてさて……それだけの仕事を任せられる人物がいたかどうか……」
エヴァートは考え込みながら、アルヴァに視線をやった。だがすぐに首を横に振って視線をそらした。
「一つ、お聞きしたいことがあるのですが……」
アルヴァは挙手し、メリューとラーソンの二人へと視線をやった。ぜひとも、聞いておかねばならないことがあったのだ。
「なんなりとどうぞ」
ラーソンがうながし、メリューが無言で頷く。
「数ヶ月前、北の大雲海へ向かって調査隊を派遣したのです。けれど、いまだ戻ってくる気配はなく、報告もありません。彼らの消息をご存じないでしょうか?」
話は半年以上も遡る。
かつて、アルヴァは亜人国ドーマとの戦いを指揮した。そして、一度は女王の杖の力をもって、亜人軍――今の知識では獣王軍を圧倒したのである。
当面の戦いには勝利した。しかしながら、亜人との敵対が終結したわけではない。
そんな中で、アルヴァが考えていたことがある。
それはドーマからの攻撃を防衛するだけではなく、帝国からも討って出るということだ。
完膚なきまでに亜人軍を叩きのめし、ドーマが二度と帝国へ手出しできないよう屈服させるのである。
そのために、一つ欠かせないものがあった。それはドーマに関する情報だ。なんせ、ドーマという国家について、帝国は何も知らないに等しい。
帝国よりも、遥か北方に位置する国だとは分かっている。しかし正確な地理、首都の所在、その国家元首、交わされる言語……。どれをとっても分からないことばかりであった。
そんな状況では、どこに対してどう進軍すればよいのか分かるわけもない。いたずらに北の雲海へと進軍しても、全軍で遭難する末路が見えている。
最低でも、ドーマ軍が帝国へやって来る経路を知りたかった。
その際に経由する港町とそこに点在する基地――それらは現実的な攻略目標でもあった。
そして紅玉帝たるアルヴァは、調査隊を結成したのである。
北方の雲海は、帝国にとって未知の領域だった。
ベスタ雲海域がそうだったように、人の踏み入れぬ未踏の領域には魔物の巣が多い。
未踏でないとしても、そこは恐らく亜人が足を踏み入れている領域だ。敵国の勢力下であることを覚悟せねばならない。
そういった地域を捜索するのだから、相当に危険な仕事だった。それでも必要な仕事であり、アルヴァは命令しなければならなかったのだ。
「私が知る限り、連邦の首都――大都アムイには多くの帝国出身者がいます。いずれも、私と同じように獣王軍に拉致され、紆余曲折を経てアムイにたどり着いた者達です。しかしながら、そのような調査隊についてまでは、私も存じません」
ラーソンは記憶を探るように、上目を作った。だがやはり心当たりがないらしく、やがて首を傾げた。
「そうですか……」
落胆するアルヴァだったが、そこで反応を示したのはメリューである。彼女は何事かを口に出して、ラーソンの肩を叩いた。
「メリュー殿下に、心当たりがあるようです」
「まさか、あなた方の元にいるのですか?」
アルヴァは身を乗り出さんばかりに、質問を重ねる。
メリューの言葉を受けた後で、ラーソンは首を横に振った。
「残念ながら……。半年ほど前、獣王軍に拿捕された帝国の竜玉船があったのだとか。メリュー殿下がつかんでいる情報も、そこまでだそうです」
「獣王軍に……!」
アルヴァは絶句した。
無事だとは期待していなかったが、それにしても厄介な相手の手に落ちたものだった。
エヴァートや議員達も悪い知らせに目を伏せたが、
「助ける方法はないのでしょうか?」
それでもアルヴァは顔を起こし、ラーソンに向かって尋ねた。
決死の覚悟で送り出した調査隊ではある。けれど、帝国の臣民を何もせずに見捨てるわけにはいかなかった。
「それは何ともお答えしかねます。ご理解いただいている通り、もはや獣王との関係も修復不可能な段階に至りました。残された道は二つ――こちらも捕虜を取って交渉するか、あるいは完全な決着をつけるかでしょう」
「いずれにせよ、国交の樹立が不可欠ということですね」
考え込むアルヴァに対して、ラーソンはさらに続ける。
「付け加えると、アムイに暮らす人間の中には、少なからず帝国への帰還を望む者もいます。我々としても、彼らの望みを叶えて差し上げたい。その意味でも国交を築く意味があるかと思います」
「分かりました。情報提供に感謝します」
アルヴァは一礼し、それからまた口を開いた。
「――陛下、私が行っても構いませんが」
「姫様!」
ワムジー大将軍が悲痛な声を上げた。
この老人は、いまだにアルヴァを子供扱いするところがある。今も昔も、危険なことには真っ先に反対するのだ。
「確かに、君ならば申し分ないとは思ったが……。けれど君にばかり、危険を押しつけられない」
「いいえ、私自身が望んだことですから、気になさる必要はありません。それに自分でドーマへと足を運べば、調査隊の手がかりをつかめるかもしれませんので」
「君はもう皇帝じゃない。調査隊を送った君の判断は間違っているとは思わないし、ましてやいまだに責任を負う必要はないんだ」
「それでも……危険を知って調査隊を派遣したのは私です。地位は変わっても、その責任がなくなるとは思えません」
「ならば、はっきり言おう。君は僕の相談役とはいえ、今は一介の伯爵令嬢に過ぎない。外交使節としては役が不足しているんだよ」
アルヴァの立候補をエヴァートが跳ねのけようとする。
堂々巡りになりそうな議論ではあったが――
「よいのではありませんかな」
口を挟んだのは、オトロス大公だった。
「――確かに大変で、危険も伴う難事です。ですが、誰かが行かねばならぬのも確かでしょう。前陛下が御自ら熱望するならば、お止めする理由はありますまい」
「だが、彼女は伯爵令嬢だと言っただろう」
エヴァートは大公をにらみつけた。
「役が不足ということでしたら、それこそ問題はないでしょう」
外務長官も賛意を示した。
「――なんといっても、アルヴァネッサ様は前の陛下です。元老院で同意を得られれば、上帝の位も進呈できましょう」
「罷免したと思いきや、数ヶ月で大赦……。そして、今度は上帝位か……。私も関わっているので人のことは言えないが……。なんとも都合のいい話だな」
エヴァートは天井を仰いで嘆きを露わにした。
大公といい、外務長官といい、厄介事を押しつけられる相手を見つけて安堵しているようだった。
アルヴァも都合よく利用されているのは分かっている。けれど、利用するのはお互い様だ。
「大公も外務長官も、同意いただいて嬉しく思います」
だからアルヴァはあえてそれに乗った。それからエヴァートへ視線を向けて、なだめるように。
「陛下、都合が良いのは結構なことですよ。特にそれが帝国のためとなるならば」
「君というヤツは……」
エヴァートは諦めたように溜息を吐いた。
話の決着を見てとったのか、メリューが立ち上がった。何をするのかと思いきや、アルヴァに向かって羊皮紙のような物を差し出した。
「これは……!?」
それはアルヴァの興味を強く惹く物だった。ラーソンのほうへ視線をやると、すぐに彼が説明してくれた。
「ご決断に感謝いたします。信頼の証として、帝国の北――ドーマへ至る大雲海の地図をお渡ししましょう」