久しき皇城
ソロンが皇帝の別荘に留まって、何日かが経過した。
この間、ドーマの客人達は至って平穏に過ごしていた。退屈するメリューを、ソロン達が観光案内する余裕すらあったくらいだ。
そして、八日目。
北方での後始末を終えたエヴァートが帰還してきた。
かの新皇帝は、初陣を華麗な勝利で飾ったのである。華々しく凱旋式を開催しても不思議ではない。
ところが、実際に行われたのはささやかな行進だった。
それでも、贅沢を嫌うエヴァートの性格を反映したものとして、市民からの評判は悪くなかった。
実際には、ささやかな凱旋式の理由は別にあった。
一つ。勝利の決め手はドーマ人同士の対立であり、エヴァートが自ら勝ち得た勝利ではなかったこと。
そして、もう一つ。そのドーマ人との会談が、すぐに控えていたからだ。
凱旋式を終えた明後日。
大勢の兵士が、アルヴァのいる皇帝の別荘を訪れた。亜人達の監視と護衛を兼ねるため、エヴァートが送り込んだ者達である。親切なことに送迎の馬車もついていた。
アルヴァはメリューらを連れて、さっそくネブラシア城へと出立した。いよいよ、ドーマと帝国との間で、会談が開かれるのだ。
*
「ここに来るのは久しぶりですね。復旧もできているようで安心しました」
感慨深げにアルヴァがつぶやいた。
水堀に囲まれた白レンガの壮麗な城。帝都の皇城たるネブラシア城である。
かつては主として君臨していた城――その手前に架かる橋を、アルヴァは渡っていた。
ソロンもミスティンと共にその横を歩く。後ろにはメリューらドーマ人が続いている。
「そっか……。あれから城には行かなかったんだね」
この城が神獣によって被害を受けたのは、既に半年も前になっていた。見る限り、復旧は完璧で爪痕は見られない。
「ええ、一度は罷免された身の上です。さすがに顔を出すのは敷居も高くて……。元老院の反感を買っては、お兄様にも迷惑がかかりますからね」
「そうなんだ。それはちょっと心配だなあ……」
ソロンは顔をくもらせた。
彼女にとっては、かつての実家によそ者として訪れるようなものだ。考えるだけで気疲れしそうだった。
「心配無用です。公に大赦が出された以上、私の立場は保証されています。堂々と胸を張るだけですよ」
実際のところ、不安がないわけではないはずだ。それでも彼女の言葉には、ソロンを心配させまいという気遣いが窺えた。
「そうだね。なんといっても、皇帝陛下のお呼び出しだからね」
と、ミスティンも相槌を打つ。
「うん、陛下がいるなら安心してもいいのかな」
先日のやり取りを見る限り、皇帝とアルヴァの関係は至って良好だ。それについては、心配無用だろう。その点では安心したソロンは面を上げて続ける。
「――会談って、何やるのかな?」
「さあて、ドーマの方々が同盟と言っていた通りでしょう。友好的な内容だとは思いますが、どのような協議がなされるかは見当もつきません。彼らの事情は私にもさっぱりですので」
アルヴァはそう言いながら、メリューのほうを見た。
メリューは少し離れたところで、物珍しそうに城を眺めていた。皇城を見た印象は相当に強かったようで、仲間達へしきりに話しかけている。
そして、そのドーマ人を大勢の帝国兵が囲んでいた。帝国兵は警戒心を隠しきれず、一同はどこか物々しい空気に包まれていた。
橋を渡り切れば、開かれた城門が見えてきた。
門衛がアルヴァを凝視していたが、すぐに敬礼を返した。
事前にエヴァートから連絡されていたのだろう。アルヴァの顔は、新入りでもない限り知っているはずだった。
「イシュティール伯爵家のアルヴァネッサです。本日は陛下にお招きいただいて参りました。この二人は私の護衛。後ろの彼女らがドーマの使者となります」
もっとも、今のアルヴァは城内へ自由に出入りできる立場にない。単なる伯爵令嬢として、兵士の案内を受ける必要があった。
先導の兵士に従って、一同は城内を歩いた。
アルヴァにとっては、かつての自宅。それでもどこかよそよそしい空気にならざるを得ない。
城内にいる貴族達が困惑した目でアルヴァを見ていたが、彼女は努めて気に留めないよう振る舞っていた。
護衛を城内に伴うことは認められているが、会談の場までは入れない。やむなくソロンとミスティンは、議場の手前で引き返した。
ドーマの者達も、メリューとラーソンを含めた五人だけが入場するようだった。
* * *
二人と別れたアルヴァは、メリュー達を連れて議場へと足を踏み入れた。
室内には既に帝国側の参加者がそろっていた。
皇帝エヴァートを筆頭に、大公や外務長官、大将軍といった元老院の重鎮達である。
重鎮達はやはり、アルヴァを困惑した目で観察していた。彼らもこちらをどう扱えばよいのか、測りかねているのだろう。
なんせ今のアルヴァは、皇帝の私的な相談役でしかない。アルヴァとしては参加するつもりもなかったのだが、エヴァート自身が熱望したのだ。
「陛下、ドーマ連邦のメリュー殿下を始め、使者の方々をお連れしました」
重鎮達には目もくれず、アルヴァはエヴァートへと声をかけた。公的な場であるため、従兄ではなく皇帝として扱うよう心がける。
「ご苦労だった」
エヴァートはそう言うなり、隣の席を指差した。
皇帝の隣という特等席を用意してくれたらしい。目立たぬ席で傍聴に徹するつもりだったが、そうは許してくれなさそうだ。
「思ったより、お元気そうですな」
エヴァートを挟んで反対側にいたワムジー大将軍が、席を立って声をかけてきた。嫌味のない穏やかな声である。
「ええ、お陰様で」
アルヴァも微笑んで返してみせる。
父の代からの忠臣であるこの老人は、元老院議員の中では最も信用ができた。今日の会談には、国防を預かる責任者として参加しているのだろう。
「下界は危険な場所だったと聞きましたが……」
今更ながら、ワムジーは心配するような顔をしていた。実際、彼自身はアルヴァの追放に反対してくれた側である。
「危険でしたよ。魔物は数が多く、凶暴でした。人里もあるのですが、追放された地点からは随分と距離がありましたから。少なくとも、女を一人で放り込むような環境でないのは確かですわね」
アルヴァは口元を押さえながら、上品に笑ってみせた。
ちなみに、列席する重鎮の中にも追放に賛成した者が多くいる。ちらりと視線を向ければ、バツが悪そうな顔をしている者達がいた。
……もっとも、アルヴァ自身はさほど恨むつもりもないのだが。
「姫様、おいたわしや……」
少女時代のアルヴァを知る大将軍は、泣きそうな顔になっていた。姫などという昔ながらの呼び方も、帝位を失った彼女には妥当かもしれない。
アルヴァへの注目はまもなく霧散した。
この場の主役はあくまでドーマ人達だからだ。官吏達の案内を受けて、彼女らは所定の位置へと向かっていく。
メリューとラーソンを始め、合計で五人。
多様な種族で構成されているようだが、それぞれの立場は分からない。恐らくは護衛や記録係といった程度だろう。
以前はメリューとラーソンで話を進めていたため、今回も話に加わらないとは推測できる。
元老院の重鎮達は、ドーマの亜人を奇妙な物を見る目で凝視していた。大将軍ら北方での従軍経験もある者を除けば、奴隷以外の亜人を見るのは初めてに違いない。
先頭をゆくメリューは、視線を浴びながらも堂々としたものだった。涼しげな表情で案内された席へと着いていく。
全員が着席し、議場の扉が閉められた。
「まずは遥々遠いところまで、ご足労いただいたことを労いたい。先日の勝利も、あなた方の協力あってのものだ。感謝しよう」
エヴァートは穏やかな声で、話を切り出した。
ラーソンがそれを最後まで通訳するまでもなく、メリューがドーマ語で応答した。お決まりの挨拶なら、最後まで聞く必要もないということだろう。
「こちらこそ、図々しい申し出を受けていただいたことに感謝します。本日を両国にとって、記念すべき日にできればと願います」
ラーソンもメリューの言葉を丁寧に翻訳する。会談は友好的な雰囲気で始まった。