表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第一章 紅玉帝と女王の杖
21/441

女帝の思惑

「さっきは助かったよ」


 戦いが終わり、ソロンはグラットへと声をかけた。


「へへっ! おいしいところだけ、もらって悪かったな」


 と、グラットは得意気に応じる。


「そんなことない。君があの時、注意してくれなかったら危なかった」


 あの時――とは『息吹が来るぞ!』と途中でグラットが叫んだ時のことである。


「あれぐらいしかできることはねえからな。昔、親父の船に乗ってた時も、何度か奴らを仕留めたんだ」


 親父の船というからには、実家が船乗りということだろう。彼の竜玉船への憧れは、そこから来ているのかもしれない。


「そっか、それで知ってたんだね。あの竜が息を吐くって」

「おうよ。口を開いて一旦息を吸い込むのが合図だから、覚えとけ。俺も昔みたいに銛でもあれば、初めから戦えたんだがな」


 昔を懐かしむグラット。それから、悔やむような表情をして話を続けた。


「――しっかし、もったいなかったな。あいつらをさばいたら、さぞ儲かったろうに。竜玉に氷晶石に――と、竜の死骸は宝の山なんだぜ」


 ちなみに氷晶石というのは魔石の一種である。

 人間が魔石から魔法を引き出すように、竜は体内にある魔石を反応させることで、口から息吹を吐き出しているのだ。


「そうだね。私も雲竜料理――食べてみたかったなあ……」


 ミスティンも、あらぬ方向でグラットに同意した。


「仕方ないよ。僕達は漁師じゃあないからね。そんなことしてる余裕はないさ」


 と、ソロンはごく常識的に二人を(なぐさ)めた。


 しばらくすると、見回りを終えたアルヴァが姿を現した。どうやら、竜玉船にも探検隊の一員にも大事はなかったらしい。

 彼女はスタスタと迷いのない足取りで、ソロンに近づいてくる。

 そのわりにすぐこちらへ声をかけるのではなく、難しい顔でじっと見ている。

 どうやら、背中の刀を見ているのだと気づいた。


「ええと陛下……。どうかしましたか?」


 さすがに耐えかねて、こちらから声をかける。


「ソロン。その剣、お見せいただいてよろしいですか?」


 口調は至って丁寧だが、有無を言わさぬ眼光の鋭さである。

 断れる空気ではなさそうだ。

 ソロンは背中の鞘から刀を抜き出した。


「故郷の剣です。この形状の剣は刀と呼んでいますが」

「刀……。魔法を放ったように見えましたけれど?」

「はい。紅蓮鋼(ぐれんこう)で作られていますので」


 とぼけても仕方ないかと思い、正直に答える。

 それを聞いてアルヴァの紅目が輝きを増す。

 まさか、ここまで強く喰いつかれるとは思っていなかった。


「紅蓮鋼……魔導金属ですか。一介の冒険者が持てる物とは思えませんが……。城の宝物庫にだって、いくつもありませんよ」


 疑問形にはなっていないが、その瞳でこちらを凝視している。明らかに答えを要求していた。

 ソロンも観念して答える。


「故郷の近くの鉱山で魔導金属が採れるんです。銅や鉄の鉱石みたいにザクザクとはいきませんけど」


 アルヴァはさらに真正面から視線を合わせてくる。

 ソロンが気圧(けお)されて後ろに下がれば、刀を持っていた右腕をアルヴァにつかまれた。

 そして――


「あなたの故郷――イドリスと言いましたね。本当にあなたはそこから来たのですか?」


 予想通りの質問を投げてきた。


「いや、その……。以前に答えた通りですよ」

「カプリカ島のタスカートの近くだとおっしゃいましたね? 念のため調べてみましたが、町はおろか地名にもそんな名称はありませんでした。あなたは一体どこから来たのですか?」


 アルヴァはなおも畳みかけてくる。


「ですからその……。山奥の小さな村で……」

「タスカートの近くの山……。それでは地理を教えていただけますか? タスカートから北ですか? 東ですか? 南ですか?」


 流れるような勢いで追及の矢が飛んでくる。


「東……です」

「タスカートの東に山はありませんが」


 苦しまぎれのソロンの回答は、思いのほか強く否定されてしまった。


「いや……それはその……」


 ソロンはついに言葉に詰まった。

 ああ、しまったな。もっと気をつければよかった――と、内心で後悔するも、もはや手遅れだった。

 この女帝は完全にソロンを疑っている。

 このままでは、また電流の刑に処されてしまうに違いない。


「陛下、ソロンをイジメないでください。この子、悪い子じゃないから」


 ところが、そこでミスティンが助けに入った。彼女は相手が誰であれ、物怖じしなかったのだ。

 ミスティンはソロンの左腕をつかみ、アルヴァへと視線を向ける。空色の瞳と紅の瞳。真っ向から視線がぶつかり合う。

 その狭間、ソロンは両腕をつかまれて、少々情けない体勢になっていた。


「別にイジメているわけではありませんが」

「かわいそうですよ。こんな首輪みたいな物つけて。ソロンは飼い犬じゃないんだから」


 ミスティンがひるむことなく、擁護(ようご)してくれる。『その首飾り似合ってるね』と言っていたのも今は忘れよう。


「少しばかり、非人道的であることは認めます。ですが、彼は皇城に忍び込んだのです。何らかの(かせ)をはめるのは当然でしょう。私としても、無闇にそれを使うつもりはありませんよ」

「あ、あのう……。どうかご寛大に。僕のことは、どう扱ってもらっても構わないので……」


 ソロンは萎縮(いしゅく)しながらも、アルヴァに訴えた。自分のことはともかく、ミスティンには迷惑をかけられない。

 ……などと考えていたら、右腕がすっと解放された。

 見れば「ふう……」とアルヴァが視線をそらして溜息をついている。張り詰めた空気が急速にゆるんだ。


「いえ、そうですね。あなたにも事情があるのでしょう」


 さっきの熱意はどこへやら、女帝の意外な変化に驚くソロン。

 ミスティンも「へっ?」と気の抜けたような顔をしていた。


「私としたことが、先程は助けていただいたのに失礼な態度をとってしまいました。まずはお礼を言うべきでしたね。ありがとうございました」


 そう頭を下げてから、アルヴァは去っていった。


「なかなかの迫力だったな」


 遠巻きに眺めていたグラットが寄って来る。


「見てたなら助けてよ……」

「フッ……。すまんが俺は美女とは争わない主義なんでな」


 よく分からないことを言うグラットを、ミスティンは冷ややかに一瞥(いちべつ)。それから、彼女はソロンと目を合わせた。


「ソロン、大丈夫?」

「うん。ありがとう。でも陛下は一体どうしたのかな?」

「さあ? あの人もあの人なりに必死なのかも」


 ミスティンはアルヴァが立ち去った方向を眺めていた。


 しばらくして、竜玉船は再び動き出した。

 雲竜を避けるためか、船は島から大きく間隔を取る方針のようだ。

 事前に伝えられた情報によれば、この周辺のベスタ雲海域には相当数の島があるという。雲竜を避けながら、目的のベスタ島を探さねばならないわけだ。


「この調子だと、今日中は無理そうだな」


 と、グラットは見立てていたが、それはまもなく的中した。

 結局、この日は雲海域から少し離れた雲海上で、夜を過ごすことになった。

 手近な島に停泊しなかったのは、雲竜の巣が近くにあることを警戒したためなのだそうだ。


 *


 やがて、夕日が落ちてきた。

 甲板の上で、ソロンは日中のことを気にかけていた。アルヴァはもう話しかけてこないかもしれない。

 そう考えると、少し寂しい気持ちもしていた。

 ミスティンの言った通り、あの人もあの人なりに必死なだけであって、悪い人ではないのだと思いたかった。


「先程はすみませんでした。ソロン」


 ……と思っていたら翌朝、女帝自らこちらへやって来た。

 しかも、親しげに名前を呼んでくる。

 言葉通り、昼間のことは気にしないで欲しいとの意思表明だろうか。


「そんな……そこまで気を使ってもらうほどのことじゃないですよ」


 それなら――と、ソロンも気軽な調子で返答する。


「船長にはサーペンスの巣に気をつけながら、舵を取るよう指示しています。しばらくはまだ時間もかかるはず。もしよければ、話を聞かせていただけると嬉しいのですが」


 あくまで諦めるつもりはないらしい。ただ昨日のように問い詰める調子もない。


「はあ……。でも、僕としては前に言った以上のことは何も……」

「でしたら、今はそれで結構です。あなたを困らせたいわけではありませんから」


 そこで会話が途切れた。……がしかし、それで彼女が立ち去る様子もない。

 それからアルヴァは竜玉船の端に手を置いて、くつろいだふうになっている。

 そんな様子を見て、ソロンもようやく気づいた。この人は自分のそばに張りつくつもりらしいと。

 そうして、粘り強く話を聞き出す目論見に違いない。


「随分、気に入られちまったなあ」


 小声でグラットが話しかけてくる。


「うん、参ったね」


 ただ考えてみれば、これはこれで好機なのだ。

 ソロンの目的は『鏡』である。そのためには、女帝をそれなりに満足させねばならない。

 ならば、ここでお近づきになるのも悪くなさそうだ。腹をくくって、しばらくは普通に接するとしよう。

 しかし、心配なのはミスティンだ。

 昼間の出来事を考えると、女帝に対してあまり良い印象は持っていないはずだ。

 ふと視線をやると、いつの間にか当のミスティンにアルヴァが話しかけている。


「ミスティンでしたね。セレスティン司祭の妹の」

「はい?」


 何のようだろうというように、きょとんと返事をするミスティン。

 幸い険悪な雰囲気はない。昼間はアルヴァから、先に引き下がったお陰だろうか。


「以前、北方の戦役では姉君に助けられました。負傷兵が多く、現地の神官だけでは治療がとても追いつかなかったものですから」


 先日、城から釈放された時に、ソロンの身元を引き受けたのはミスティンである。アルヴァもその際に、ミスティンの素性を把握したようだ。

 話題の選択としては妥当なところだろう。


「別に私がなにかしたわけじゃないです」


 ……が、ミスティンが素っ気ない返事をしたので、ソロンはハラハラした。

 短い付き合いながら、ミスティンに悪気がないのは分かっている。

 良くも悪くも、彼女は表面的に愛想よく振る舞うのが苦手なのだ。興味がない時は興味のない顔になるのが、ミスティンという娘である。


「先程の弓の腕前、素晴らしいですね。私も少しだけ習ったことはありますが、ああはいきません」


 そんなミスティンに気を悪くすることもなく、アルヴァは話題を転換して粘り強く続けた。姉ではなく、ミスティン自身のことへと話を移したのだ。


「陛下でも弓の訓練なんてするんですか?」


 これにはミスティンも興味を引かれたらしい。アルヴァのほうに向き直って、話の続きを待っている。


「もちろんです。皇帝とは、旧来より軍事の最高指揮官でもありましたから。皇族たるもの伝統的に武芸も通じていなくてはなりません。私は魔法の才覚に恵まれたので、そちらを重視していますが。剣や弓、乗馬なども一通りは学んでいますよ」

「意外……」


 ミスティンの反応に、アルヴァは微笑を作る。


「皇族は贅沢な食事をして、豪勢なベッドで眠るばかりだと思っていましたか?」

「正直に言うとそういう印象もあるかも」

「確かに、そのような者がいないわけではありません。ですが、私に言わせれば色々な意味で論外ですわね。富貴(ふうき)に恵まれているからといって、それをいたずらに費やすのは非生産的。持てる者だからこそ、より一層の精進が求められるのです。何より食べて寝るばかりだと、美容にもよくありませんから」


 そう言って、アルヴァはまた微笑(ほほえ)んだ。つられてミスティンも微笑む。

 美容というのは女性共通の話題らしい。こうして見ると、見目麗(みめうるわ)しい歳の近い女子同士の会話といった風情である。

 アルヴァなりに、打ち解けようとしている姿勢は伝わってきた。これなら何とかやっていけそうかなと、ソロンはひとまず安堵した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ