女帝の思惑
「さっきは助かったよ」
戦いが終わり、ソロンはグラットへと声をかけた。
「へへっ! おいしいところだけ、もらって悪かったな」
と、グラットは得意気に応じる。
「そんなことない。君があの時、注意してくれなかったら危なかった」
あの時――とは『息吹が来るぞ!』と途中でグラットが叫んだ時のことである。
「あれぐらいしかできることはねえからな。昔、親父の船に乗ってた時も、何度か奴らを仕留めたんだ」
親父の船というからには、実家が船乗りということだろう。彼の竜玉船への憧れは、そこから来ているのかもしれない。
「そっか、それで知ってたんだね。あの竜が息を吐くって」
「おうよ。口を開いて一旦息を吸い込むのが合図だから、覚えとけ。俺も昔みたいに銛でもあれば、初めから戦えたんだがな」
昔を懐かしむグラット。それから、悔やむような表情をして話を続けた。
「――しっかし、もったいなかったな。あいつらをさばいたら、さぞ儲かったろうに。竜玉に氷晶石に――と、竜の死骸は宝の山なんだぜ」
ちなみに氷晶石というのは魔石の一種である。
人間が魔石から魔法を引き出すように、竜は体内にある魔石を反応させることで、口から息吹を吐き出しているのだ。
「そうだね。私も雲竜料理――食べてみたかったなあ……」
ミスティンも、あらぬ方向でグラットに同意した。
「仕方ないよ。僕達は漁師じゃあないからね。そんなことしてる余裕はないさ」
と、ソロンはごく常識的に二人を慰めた。
しばらくすると、見回りを終えたアルヴァが姿を現した。どうやら、竜玉船にも探検隊の一員にも大事はなかったらしい。
彼女はスタスタと迷いのない足取りで、ソロンに近づいてくる。
そのわりにすぐこちらへ声をかけるのではなく、難しい顔でじっと見ている。
どうやら、背中の刀を見ているのだと気づいた。
「ええと陛下……。どうかしましたか?」
さすがに耐えかねて、こちらから声をかける。
「ソロン。その剣、お見せいただいてよろしいですか?」
口調は至って丁寧だが、有無を言わさぬ眼光の鋭さである。
断れる空気ではなさそうだ。
ソロンは背中の鞘から刀を抜き出した。
「故郷の剣です。この形状の剣は刀と呼んでいますが」
「刀……。魔法を放ったように見えましたけれど?」
「はい。紅蓮鋼で作られていますので」
とぼけても仕方ないかと思い、正直に答える。
それを聞いてアルヴァの紅目が輝きを増す。
まさか、ここまで強く喰いつかれるとは思っていなかった。
「紅蓮鋼……魔導金属ですか。一介の冒険者が持てる物とは思えませんが……。城の宝物庫にだって、いくつもありませんよ」
疑問形にはなっていないが、その瞳でこちらを凝視している。明らかに答えを要求していた。
ソロンも観念して答える。
「故郷の近くの鉱山で魔導金属が採れるんです。銅や鉄の鉱石みたいにザクザクとはいきませんけど」
アルヴァはさらに真正面から視線を合わせてくる。
ソロンが気圧されて後ろに下がれば、刀を持っていた右腕をアルヴァにつかまれた。
そして――
「あなたの故郷――イドリスと言いましたね。本当にあなたはそこから来たのですか?」
予想通りの質問を投げてきた。
「いや、その……。以前に答えた通りですよ」
「カプリカ島のタスカートの近くだとおっしゃいましたね? 念のため調べてみましたが、町はおろか地名にもそんな名称はありませんでした。あなたは一体どこから来たのですか?」
アルヴァはなおも畳みかけてくる。
「ですからその……。山奥の小さな村で……」
「タスカートの近くの山……。それでは地理を教えていただけますか? タスカートから北ですか? 東ですか? 南ですか?」
流れるような勢いで追及の矢が飛んでくる。
「東……です」
「タスカートの東に山はありませんが」
苦しまぎれのソロンの回答は、思いのほか強く否定されてしまった。
「いや……それはその……」
ソロンはついに言葉に詰まった。
ああ、しまったな。もっと気をつければよかった――と、内心で後悔するも、もはや手遅れだった。
この女帝は完全にソロンを疑っている。
このままでは、また電流の刑に処されてしまうに違いない。
「陛下、ソロンをイジメないでください。この子、悪い子じゃないから」
ところが、そこでミスティンが助けに入った。彼女は相手が誰であれ、物怖じしなかったのだ。
ミスティンはソロンの左腕をつかみ、アルヴァへと視線を向ける。空色の瞳と紅の瞳。真っ向から視線がぶつかり合う。
その狭間、ソロンは両腕をつかまれて、少々情けない体勢になっていた。
「別にイジメているわけではありませんが」
「かわいそうですよ。こんな首輪みたいな物つけて。ソロンは飼い犬じゃないんだから」
ミスティンがひるむことなく、擁護してくれる。『その首飾り似合ってるね』と言っていたのも今は忘れよう。
「少しばかり、非人道的であることは認めます。ですが、彼は皇城に忍び込んだのです。何らかの枷をはめるのは当然でしょう。私としても、無闇にそれを使うつもりはありませんよ」
「あ、あのう……。どうかご寛大に。僕のことは、どう扱ってもらっても構わないので……」
ソロンは萎縮しながらも、アルヴァに訴えた。自分のことはともかく、ミスティンには迷惑をかけられない。
……などと考えていたら、右腕がすっと解放された。
見れば「ふう……」とアルヴァが視線をそらして溜息をついている。張り詰めた空気が急速にゆるんだ。
「いえ、そうですね。あなたにも事情があるのでしょう」
さっきの熱意はどこへやら、女帝の意外な変化に驚くソロン。
ミスティンも「へっ?」と気の抜けたような顔をしていた。
「私としたことが、先程は助けていただいたのに失礼な態度をとってしまいました。まずはお礼を言うべきでしたね。ありがとうございました」
そう頭を下げてから、アルヴァは去っていった。
「なかなかの迫力だったな」
遠巻きに眺めていたグラットが寄って来る。
「見てたなら助けてよ……」
「フッ……。すまんが俺は美女とは争わない主義なんでな」
よく分からないことを言うグラットを、ミスティンは冷ややかに一瞥。それから、彼女はソロンと目を合わせた。
「ソロン、大丈夫?」
「うん。ありがとう。でも陛下は一体どうしたのかな?」
「さあ? あの人もあの人なりに必死なのかも」
ミスティンはアルヴァが立ち去った方向を眺めていた。
しばらくして、竜玉船は再び動き出した。
雲竜を避けるためか、船は島から大きく間隔を取る方針のようだ。
事前に伝えられた情報によれば、この周辺のベスタ雲海域には相当数の島があるという。雲竜を避けながら、目的のベスタ島を探さねばならないわけだ。
「この調子だと、今日中は無理そうだな」
と、グラットは見立てていたが、それはまもなく的中した。
結局、この日は雲海域から少し離れた雲海上で、夜を過ごすことになった。
手近な島に停泊しなかったのは、雲竜の巣が近くにあることを警戒したためなのだそうだ。
*
やがて、夕日が落ちてきた。
甲板の上で、ソロンは日中のことを気にかけていた。アルヴァはもう話しかけてこないかもしれない。
そう考えると、少し寂しい気持ちもしていた。
ミスティンの言った通り、あの人もあの人なりに必死なだけであって、悪い人ではないのだと思いたかった。
「先程はすみませんでした。ソロン」
……と思っていたら翌朝、女帝自らこちらへやって来た。
しかも、親しげに名前を呼んでくる。
言葉通り、昼間のことは気にしないで欲しいとの意思表明だろうか。
「そんな……そこまで気を使ってもらうほどのことじゃないですよ」
それなら――と、ソロンも気軽な調子で返答する。
「船長にはサーペンスの巣に気をつけながら、舵を取るよう指示しています。しばらくはまだ時間もかかるはず。もしよければ、話を聞かせていただけると嬉しいのですが」
あくまで諦めるつもりはないらしい。ただ昨日のように問い詰める調子もない。
「はあ……。でも、僕としては前に言った以上のことは何も……」
「でしたら、今はそれで結構です。あなたを困らせたいわけではありませんから」
そこで会話が途切れた。……がしかし、それで彼女が立ち去る様子もない。
それからアルヴァは竜玉船の端に手を置いて、くつろいだふうになっている。
そんな様子を見て、ソロンもようやく気づいた。この人は自分のそばに張りつくつもりらしいと。
そうして、粘り強く話を聞き出す目論見に違いない。
「随分、気に入られちまったなあ」
小声でグラットが話しかけてくる。
「うん、参ったね」
ただ考えてみれば、これはこれで好機なのだ。
ソロンの目的は『鏡』である。そのためには、女帝をそれなりに満足させねばならない。
ならば、ここでお近づきになるのも悪くなさそうだ。腹をくくって、しばらくは普通に接するとしよう。
しかし、心配なのはミスティンだ。
昼間の出来事を考えると、女帝に対してあまり良い印象は持っていないはずだ。
ふと視線をやると、いつの間にか当のミスティンにアルヴァが話しかけている。
「ミスティンでしたね。セレスティン司祭の妹の」
「はい?」
何のようだろうというように、きょとんと返事をするミスティン。
幸い険悪な雰囲気はない。昼間はアルヴァから、先に引き下がったお陰だろうか。
「以前、北方の戦役では姉君に助けられました。負傷兵が多く、現地の神官だけでは治療がとても追いつかなかったものですから」
先日、城から釈放された時に、ソロンの身元を引き受けたのはミスティンである。アルヴァもその際に、ミスティンの素性を把握したようだ。
話題の選択としては妥当なところだろう。
「別に私がなにかしたわけじゃないです」
……が、ミスティンが素っ気ない返事をしたので、ソロンはハラハラした。
短い付き合いながら、ミスティンに悪気がないのは分かっている。
良くも悪くも、彼女は表面的に愛想よく振る舞うのが苦手なのだ。興味がない時は興味のない顔になるのが、ミスティンという娘である。
「先程の弓の腕前、素晴らしいですね。私も少しだけ習ったことはありますが、ああはいきません」
そんなミスティンに気を悪くすることもなく、アルヴァは話題を転換して粘り強く続けた。姉ではなく、ミスティン自身のことへと話を移したのだ。
「陛下でも弓の訓練なんてするんですか?」
これにはミスティンも興味を引かれたらしい。アルヴァのほうに向き直って、話の続きを待っている。
「もちろんです。皇帝とは、旧来より軍事の最高指揮官でもありましたから。皇族たるもの伝統的に武芸も通じていなくてはなりません。私は魔法の才覚に恵まれたので、そちらを重視していますが。剣や弓、乗馬なども一通りは学んでいますよ」
「意外……」
ミスティンの反応に、アルヴァは微笑を作る。
「皇族は贅沢な食事をして、豪勢なベッドで眠るばかりだと思っていましたか?」
「正直に言うとそういう印象もあるかも」
「確かに、そのような者がいないわけではありません。ですが、私に言わせれば色々な意味で論外ですわね。富貴に恵まれているからといって、それをいたずらに費やすのは非生産的。持てる者だからこそ、より一層の精進が求められるのです。何より食べて寝るばかりだと、美容にもよくありませんから」
そう言って、アルヴァはまた微笑んだ。つられてミスティンも微笑む。
美容というのは女性共通の話題らしい。こうして見ると、見目麗しい歳の近い女子同士の会話といった風情である。
アルヴァなりに、打ち解けようとしている姿勢は伝わってきた。これなら何とかやっていけそうかなと、ソロンはひとまず安堵した。