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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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亜人の殿下

 ドーマ連邦の通訳――ラーソンと名乗った男は完璧な帝国語を話した。

 そうして、エヴァートに向かって敬々(うやうや)しく礼をしたのだった。


「通訳だと……? 帝国語が分かるのか?」


 エヴァートは驚きを抑えるように尋ねた。

 アルヴァも皇帝の補佐兼護衛として、その手前に進み出る。


「ドーマ連邦という国号も初めて聞きましたが……。いえ、それよりも、あなたは帝国人なのですね?」

「今はドーマ連邦人となりましたが、生まれは由緒正しきカンタニア州ですよ。若い時分、ドーマに連れて来られましたが、紆余曲折あって通訳として舞い戻りました」


 あっさりと白旗の謎は解けた。

 ドーマ軍は帝国と交渉するための通訳を、内部で育てていたのだ。帝国の慣習も当然伝わっているはずだ。

 考えてみればそれも当然だった。帝国が通訳の亜人を養成していたのだ。ドーマだって通訳の人間を養成していても、何ら不思議ではなかった。


「交渉はそなたが行うのか?」


 エヴァートの問いかけに、ラーソンは首を横に振る。


「いいえ、あくまで私は通訳となります。その役目は、あちらの方が担われます」


 そう言うなり、ラーソンは竜車の方向へと何事かを呼ばわった。帝国語ではない言語――この男は確かにドーマ語も話せるらしい。


 呼びかけに応じて竜車から降り立ったのは、亜人の少女だった。


 青味がかった銀髪が、肩まで伸ばして整えられている。それでいながら尖った髪質は、毛並の良い(たか)のような印象を受けた。

 こちらを見透かすような紫色の瞳で、肌は病的なほどに青白い。色鮮やかな青紫の着物をゆったりと着こなしており、その姿はどこか気品があった。

 髪や瞳の色が異なる以外は人間にも似ているが、耳は明確に尖っている。見たことのない種族であるが、いかなる亜人だろうか。


「――――」


 亜人の少女は、ドーマ語で挨拶らしき何かを言った。容姿に似合わぬ落ち着いた態度である。どことなくふてぶてしい印象すら受ける。

 しかしながら、背丈はソロンよりも頭半分ほど低い。

 人間の視点で見れば子供としか思えないが、亜人の場合、見た目だけで年齢は推測できない。ソロンより歳下とは決めつけられなかった。


「そなたらの国は子供を使者に用いるのか?」


 少しばかり気分を害したように、エヴァートは尋ねた。

 侮辱(ぶじょく)されたというよりは、子供を矢面(やおもて)に立たせる行為に、不快感を持ったのだろう。


「まさか……。こちらはドーマ連邦大君の孫娘――メリュー殿下にあらせられます。この方が我らの代表となります」


 大君の孫娘というのはよく分からないが、殿下と呼ばれるほどである。少女の身分の高さは確かだった。

 エヴァートは驚きを隠しきれず、その少女を見た。

 対する少女――メリューはわざとらしく胸を張って、余裕の表情を浮かべていた。


「子供か何かにしか見えぬが……。いや、そなたがそう言うならそうなのだろう。非礼は詫びさせてもらう」

「いえ、殿下はそれしきで機嫌を害する方ではございません。それではよろしいでしょうか? 殿下の意思を私が通訳することで、二国間の交渉を行う所存ですので」

「目的は交渉か。ならば交渉には信義が必要ということも、分かっているであろうな」

「もちろんです。我々にお答えできることなら何なりと」

「まずは状況を確認したい。そなた達の間で、いったい何が起こったのだ? 最初にやって来たドーマの軍を攻撃したのはなぜだ? 仲間内での主導権争いにしては、あまりに過激ではないか?」


 エヴァートの口調はいつもより強い。

 相手は敵国の使者だ。皇帝として堂々と振る舞うため、意識してやっているのだろう。


「同じドーマ人ではありますが、あれは我らに敵対する勢力――獣王軍と呼ばれる者達です。対して、我らこそがメリュー殿下の祖父――大君にお使えする正統なドーマなのです。説明は後ほど、いくらでもさせていただきましょう」


 ラーソンは自らを通訳を称しながらも、メリューを介さず説明した。単なる通訳には留まらず、事情にも通じているらしい。


「そうか……。ドーマという国も一枚岩ではないのだな。それで、そなたらの要求はなんだ?」

「一言でいえば同盟です」

「同盟だと……? なるほど、敵の敵は味方というわけか」

「お察しの通り。そのためにも、まずは交渉の席に着いていただきたい。それさえ約束いただければ、グロムからは即座に引き上げる――と、メリュー殿下も仰せです」

「先にいた亜人――獣王軍と申したな。連中はどうなっている?」

「我らが追い散らしました。残った船に乗って逃亡した者もいれば、捕虜になった者もいます。ただ残党がいる可能性もありますので、警戒のために軍を残しています。……正直に言えば、こちらとしては早くグロムを引き渡したいのです。獣王軍が反撃をしてくる可能性がありますからね」

「交渉を約束しよう。それも、そなたらを帝都へ招待するのが道理だな。全てを私の一存で決めるには、あまりに事が重大すぎる」

「望むところです。こちらとしても、ぜひ帝都へお伺いしたいと考えておりました」


 ラーソンは敬々しく答えた。メリューも笑みを浮かべて頷いてみせる。


「だが、条件がある。それだけの大軍を帝都に連れていくことはできない。伴う人数は制限してもらうがよろしいか? その代わり、身の安全は私が保証しよう」


 エヴァートの注文を聞くなり、ラーソンはメリューと相談を始めた。さして時間がかからずに、方針は決まったようだった。


「かしこまりました。陛下自らお約束いただけるなら、異存はありません。我らは十人ほどで帝都へ向かいましょう」

「ここの兵はどうする気だ? まさか、そなたらが帰還する日まで、駐留させるつもりではなかろうな。北方はさほど豊かな場所ではない。何よりドーマ人への市民感情は最悪だ」


 エヴァートの指摘に、ラーソンは頷いて。


「ごもっともです。兵の大半はただちにドーマへと引き上げましょう。ただし、我々が帰国する際の随伴として、いくらかは駐留させていただきたいと願います。これには獣王軍が再び攻めてきた際の抑止力の意味もあります。もちろん費用は払いますし、武装もお預かりいただいて結構です」


 ラーソンは心得たもので、帝国側に不安を与えない条件を自ら切り出した。使者の役目の遂行を第一とする――そんな彼らの心根(こころね)が見て取れた。


「分かった。それで承知させてもらおう」


 話が区切りをついたと見るや、メリューは単身で歩き出した。

 そのまま、グロムの門を越えて近づいてくる。

 帝国兵が警戒を強くして、槍を構えた。

 ……もっとも、それは形だけで、さほどの物々しさはなかった。

 なんせ、相手は得体の知れない亜人とはいっても少女である。本気で警戒するのも、どことなく情けなかった。


 何をするのかと思いきや、メリューはエヴァートへと両手を差し出した。ドーマ語で短い言葉を口にしたが、意味は分からない。


「何のつもりだ……?」


 エヴァートは困惑の(てい)だったが、


「恐らくは、武器を持っていないという意味ではないかと」


 と、すかさずアルヴァが助言した。


「ああ、そういうことか。よろしくメリュー殿下」


 人の良いエヴァートはメリューの右手を握り、握手をしてみせた。

 メリューも満足そうに握った右手を振った。歳相応の所作がどことなく微笑(ほほえ)ましかった。


 *


 メリューとラーソン――大君の勢力を名乗る者達との前交渉は終わった。帝都にて会談が行われることが決まったのだ。

 グロムでの獣王軍の敗北――およびメリューら大君側の勢力の参戦。二つの出来事は、北方を襲っていた獣王軍にも伝わったらしい。

 帝国本島に上陸していた獣王軍は、分が悪いと見てか、早々に引き上げていった。


 北方で奮闘していたゲノス将軍らにも大きな被害はなかったらしい。彼らも無事にカンタニアへと帰還していた。

 エヴァート率いる大軍も、メリュー達を伴いながら一旦はカンタニアへ戻っていた。



「ありがとう。今回の遠征では助かった。君達に来てもらって本当によかったよ」

「どうということはありません。これは前皇帝としての後始末のようなものですから」


 カンタニア城の一室で、アルヴァはエヴァートから直々に感謝を受けていた。


「まあ、私達は大したことしてないしね」


 と、ミスティンは皇帝の前にも関わらず、いつものゆるい態度だった。


「ミスティン、陛下の前なんだからちゃんとしなよ」


 ソロンも一応叱ってみたが、内心では半分諦めていた。放置するのも心象が悪いので、形だけである。


「あはは、ここには僕らだけしかいないし、構わないよ」


 と、エヴァートは笑って、またアルヴァを見た。


「――まだ後始末が残っているが、それは僕に任せてくれ。これ以上、頼りにしてはさすがに情けないからね」

「ええ、大防壁はいまだ穴が空いたまま……。それから今後、今回のような事態にも対応できるよう、最低限の体制が必要でしょう」

「全てに対応する防衛体制というのは難しいが、将軍と相談してできる限りはしておこう。……ところで、最後に頼みがあるのだが」


 ここが本題とばかり、エヴァートは身を乗り出した。


「何でしょう、お兄様」

「メリュー殿下を先に帝都へ送ろうと思う。ただ、彼女達を信頼して預かってもらえる場所がなくてね。あまり目立つ場所には置きたくない」


 アルヴァはすぐに察したようで。


「お兄様の別荘に留めておけばよろしいですか?」

「ああ、そうしてもらえると助かる。合計で護衛も含めて十人だそうだ。もちろん、警備の人数は増やすように手配しておく。君に頼んで構わないだろうか?」

「完璧な監視を望むなら、軍の施設のほうが妥当だと考えます。……ですが、お兄様はそのような方法を取らないということですね?」

「そうだ。彼女達の誠意を信じたい。最低限の監視はさせてもらうが、人質のような扱いはできればしたくないんだ」


 従兄を試すようなアルヴァの物言いに、エヴァートは真摯(しんし)な答えを返した。


「分かりました。私にお任せください」

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