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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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新帝の初陣

 方針が決まれば、エヴァートの行動は早かった。

 翌日の昼には七千の兵力を結集し、カンタニアを出発。その日の進軍は、夜遅くまで続けられた。

 ソロン達三人も馬上に揺られながら、皇帝の後ろを追っていた。

 足並は歩兵に合わせるため、進軍はそれほど速いわけではない。それでも、夜風が身に染みてくる。


「だ、大丈夫、寒くない?」


 と、ソロンは身を震わせながら、隣の馬に乗るアルヴァを気遣った。


「平気ですよ。最初に遠征した折には、雪が積もる頃まで滞在していましたから」


 マントを羽織ったアルヴァは、言葉通り平静な顔をしていた。


「というか、ソロンが一番寒そうだけど」


 後ろのミスティンは手袋でソロンの頬を挟んだ。温めてくれているつもりらしい。

 ミスティンはソロンと同じ馬に同乗していた。

 馬の数に余裕がないため、遠慮した結果である。幸い二人とも身軽であるため、合わせても鎧の騎士と大差ない重量で済んだ。


「そ、そうかも……もうちょっと厚着しとけばよかったかな」


 ソロンもマントを羽織っているが、それでも寒い。

 まだ十一月ではあるが、既にイドリスの真冬よりも寒かった。日当たりの悪い下界ではあるが、なんだかんだでイドリスの気候は安定しているのだ。


「夜間の行軍は今日だけですよ。もうしばらく我慢してください」

「が、頑張る」


 *


 その夜は経路上の村で野営することになった。

 石垣に囲まれた小さな村。こういった小規模な村には、コンクリートで壁を造る財力はないのだ。木の柵や石垣で外周を囲むに留まっていた。

 既にグロムの陥落が伝わっていた住民は、不安もあってか軍を歓迎してくれた。


 しかしながら、七千の軍が宿泊するには、あまりにも寂しい村である。住民の負担を避けるため、エヴァートは民家に宿を乞わなかった。

 あくまで村の空地に天幕を張るだけである。それでも村を囲む石垣には、夜風と魔物を避ける効果があった。


 翌日、寒い早朝から大軍は村を出発した。

 暖かくなった昼下がりには、グロムの外壁が見えてきた。東は雲海に近いとはいえ港は持たない。グロムは陸の町であった。


 ただし、すぐには町へ向かわない。

 エヴァートは、グロムから西へ一里離れた丘の上に軍を静止させた。見晴らしの良いそこを攻撃の拠点とするためである。

 グロムの南部に位置する諸侯も、要請通りに兵を連れて馳せ参じた。

 合算した兵力は想定通りに一万を超える。グロムは諸侯にとっても目と鼻の先であり、彼らも危機感を抱かざるを得なかったのだろう。


 偵察の報告を元にあらかじめ作戦は定めてある。

 グロムは何と言っても帝国の都市なのだ。都市構造に関しては、州都であるカンタニアに豊富な資料があった。


 都市攻略戦のカギは、言うまでもなく外壁の攻略にある。

 帝国の多くの町は何らかの壁で囲まれているが、それは平時の魔物よけを目的としている。それは戦争になれば、そのまま城塞となり得た。

 幸い、グロムはカンタニアほどの城塞を保有していない。

 外壁はあっても、ありふれた魔物よけの範疇(はんちゅう)を出なかった。北方防衛の最前線として長年の実績があるカンタニアとは格が違ったのだ。


 グロムの門は二つ。現在、帝国軍が結集している側の西門と、雲海側に当たる東門である。

 今回の作戦では西門を狙うことになる。東門と合わせた挟撃も検討はされたが、戦力の分散を避けるために却下されたのだ。

 全ての兵を攻撃させるには、グロムの門は小さすぎる。その他の兵は陣地の構築を行うことになった。



「はあ、いっぱいいるねえ……」


 丘の上から遠くの町を見下ろしながら、ミスティンがつぶやいた。

 グロムの周囲は例に漏れず、全方位が壁に囲まれている。亜人の身体能力ならば、乗り越えることも可能だろうが、こちらは人間だ。そう簡単にはいかない。

 そして、壁の内側には大勢の亜人の姿があった。壁の上にもやはり亜人の姿。帝国軍の奪回を警戒しているのは間違いなかった。


「これを落とすのか……。簡単じゃなさそうだね」

「ええ……。カンタニアと比較すれば、大した城塞ではありませんが。さりとて容易に破れはしないでしょうね」


 アルヴァもじっと町を見下ろしながら顔を険しくした。

 エヴァートからの指示で、三人は前線から離れて後方待機している。

 いざという時は皇帝の護衛も行うとはいえ、重責を負う立場ではない。かといって、アルヴァの性格では他人事(ひとごと)でいられるはずもなかった。


 エヴァートが将校に声をかけている姿が目に入った。

 戦闘前のピリピリした雰囲気が、こちらにも伝わってくる。皇帝はここでのやり取りに時間をかけるつもりはないようだ。戦いはまもなく始まるだろう。


 *


「攻撃を開始する! ゆけっ、グロムを奪回せよ!」


 最高指揮官たるエヴァートの号令で、戦いが開始された。

 兵士達がグロムの城門に向かって、一気に丘を駆け下りていく。敵に抵抗する暇を与えないため、攻勢は迅速に行う必要があった。


 エヴァートは自陣の後部に、控えた。

 さすがに皇帝ともなれば、無茶な戦い方はできない。アルヴァなら自ら前線に出たかもしれないが、彼は従妹とは違うのだ。

 そしてそのアルヴァも、エヴァートのそばで待機している。彼女は皇帝相談役を始めとした複数の任務を兼ねていた。


「お任せください。ソロンもミスティンも私が頼りとする勇士です。お兄様には、指一本触れさせませんので」


 意気揚々とアルヴァは杖を掲げた。ミスティンも便乗して、力強く頷きながら弓を構える。


従妹(いもうと)に守られるのも何だか(しゃく)だがなあ……」


 もっとも、エヴァートは複雑な胸中を吐露していた。

 そうは言っても、優秀な魔道士であるアルヴァは護衛としても一級だった。彼女自慢の紫電の魔法――それをくぐって接近するのは、敵にとっても至難の(わざ)だろう。


 兵士達は大勢で破城槌(はじょうつい)を抱えながら、丘を駆け下りていく。

 そのままの勢いで、グロムの城門を激しく攻めようとする。

 ところが――


「ぬおっ!?」「まさか落とし穴か!?」


 突撃をかけた兵士達の足元が崩れた。勢いを殺された兵士達は、破城槌もろともに地中へ落ちた。


「そんなっ!?」


 丘の上にいたソロンの目にも、その有様が見えた。

 原始的な罠であったが、落とし穴は極めて有効だった。

 穴はそれほど深くはない。だが、多くの兵士達が滑り落ちた結果、互いの重量で潰し合うという凄惨な状況になっていた。


 もちろん、帝国軍にしても罠を警戒しなかったわけではない。

 だが、帝国軍の偵察部隊は早くからグロムの門前を監視していた。何かをしかけようとしたならば、すぐに気づいたはずである。その報告によって、罠の可能性はないと判断していたのだ。


「馬鹿な……! いったい、どうやって……」


 自軍の失態を見て、エヴァートは呆然とつぶやいた。


「もしかして……」


 亜人を知るソロンには何となく予想がついた。

 亜人の中には、人間にも想像できない程に穴掘りに長けた者がいる。恐らくは、地中から帝国軍に気取られないように穴を掘ったのだろう。

 ……が、そんなことを説明する暇もなく――


「支援します!」


 アルヴァの決断は早かった。杖を握ったまま、真っ先に前線へと駆けていったのだ。

 ソロンとミスティンも慌てて追いかける。


 その時には、ドーマの兵が外壁の上に姿を現していた。そこには数々の弩弓(どきゅう)と投石器の影がある。亜人は籠城戦(ろうじょうせん)に備えて、器械を用意していたのだ。

 そして、ドーマ軍は穴に落ちた兵士達へと追い打ちをかけ始めた。投石や矢が容赦(ようしゃ)なく放たれていく。


「ぐあぁっ!」


 兵士達の鈍い悲鳴が響く。

 彼らは蟻地獄(ありじごく)に落とされた虫の如く、さらなる惨状へ追い込まれようとしていた。


「はあっ!」


 アルヴァは走りながら、杖を外壁の上へと向けた。稲妻が外壁を砕き、三人の亜人が衝撃で吹き飛んだ。


「私もっ!」


 ミスティンが遠くから矢を放ち、亜人を一人ずつ撃ち落としていく。こちらのほうが位置が低く不利なはずだが、そんな常識は彼女には通じない。

 外壁の上にいた亜人の数が、見る見る減っていく。

 しかし、亜人もやられるばかりではない。撃ち漏らした一人が、アルヴァに向かって弩弓を構えた。


 弩弓から放たれた矢は、彼女へと襲いかかった。

 慎重に距離を取っていたアルヴァに対する正確な射撃。敵はそれなりの使い手のようだ。


 もっとも、そうさせないためにソロンがいる。

 ソロンはアルヴァの前に走り出て、刀を振るった。矢はカチンと音を立てて、地面へと落下した。


「お返しだっ!」


 そのままの勢いで、刀を振るって火球を放つ。

 着弾した火球は外壁の上で爆炎を起こした。もうもうと黒煙が立ち込める。どれほどの敵を倒せたかは不明だが、少なくとも目くらましにはなるだろう。


「今のうちに早く! 息のある者が優先です! 他の者は捨て置きなさい!」


 アルヴァは冷徹な意志を持って叫んだ。

 先の攻撃で何人かの兵士は既に息絶えていた。それでも、一人でも多くの兵士を救わねばならない。

 穴に落ちた兵士達は必死に()い上がり出した。仲間の兵士達もロープや長槍を使い、次々に救いの手を差し伸べる。

 その間、妨害をさせまいと三人は外壁の上へと攻撃を続けた。弓や杖を持った帝国兵も、仲間を助けようと援護射撃してくれた。


 どうにか生き残った兵士達が、穴の上へと這い出した。穴の底にいくつかの遺体が残っていたが、やむを得ない。

 しかし、そうしたところで事態が進展したわけではない。門の突破はより困難となっていた。門前に穴がある状態では、破城槌を初めとした手段の使用は困難だったのだ。


 土の魔法を使えば穴埋めも可能だろうが、それを見逃すドーマ軍ではないだろう。何より、今も穴の底には仲間の遺体が残っているのだ。

 残る手段は外壁をよじ登るか、破壊するかである。


「兄さんだったら、あれぐらいの壁は壊せると思うんだけど……」


 グロムを囲む外壁を観察しながら、ソロンはつぶやいた。今は外壁からも離れ、三人は丘の途中で休息していた。


「サンドロス殿下は、土の魔刀で壁を破壊したのでしたね」


 アルヴァがつぶやきに応じた。彼女は魔法を連射したこともあって、疲れた様子だった。


「そうそう。兄さん自慢の金剛の大刀。土魔法と馬鹿力の相乗効果で、一気に壁を破ったんだけど。……ここの戦力じゃ無理かな?」

「難しいでしょうね。可能だとすれば――」


 そこまでアルヴァが口にしたところで、事態に変化があった。

 帝国の兵士達が、外壁を乗り越えようと動き出したのだ。

 だが案の定、敵の妨害が降り注ぐ中では、捗々(はかばか)しい成果が上がることはなかった。


 膠着(こうちゃく)状態を見て取ったエヴァートは、そこで退却の指示を出した。一団は丘の上へと、すごすごと引き返したのだった。


 *


「先程は助かったよ。君達は本当に優秀なんだな」


 陣幕の内側に控えたエヴァートは、疲れを隠せなかった。大軍を率い、兵の命を懸けて、責任を負わねばならない。その重みに必死で耐えているのだろう。

 それでも、彼は立ち上がって、アルヴァのそばへと寄ってきたのだ。


「私が頼りにする者達ですから。お兄様、苦戦しているようですわね」


 アルヴァも兄と慕うそんな皇帝をねぎらう。

 その言葉に、エヴァートは苦笑を返して。


「ああ、予想より堅い。あんな原始的な罠を喰らうとは、全く恥ずかしい……。それに連中も弩弓(どきゅう)や投石器を、使いこなすとは思わなかった。亜人などと言っても、それなりの技術力はあるのだな」

「そうですわね、侮れない相手でしょう」

「ここは東門も合わせて、挟撃するべきだったかもしれないな……。いや、東側に停泊してある敵の船を狙ってもよかったか……」

「東門には別の罠がきっとあるでしょう。船を狙うのは確かに効果的ですが、それは持久戦向きの戦術です。賢明だとは思えませんわね」


 優柔不断の気を見せたエヴァートを、アルヴァが遠慮なく切り捨てた。

 エヴァートは目にもあらわにひるんだが。


「うぐっ……そこまで遠慮がないのは君ぐらいだな。ある意味、ありがたいよ。確かにゲノス将軍が、北で持ちこたえているうちに決着をつけねばならない。どちらにせよ、作戦を練り直すべきだな」

「その前に一つ――雷鳥を使おうと考えているのですが。あの魔法なら壁も破れるかもしれません」

「やっぱり使うんだ……」


 思わずソロンがつぶやいた。

 あの魔法を使えば、アルヴァは歩行も困難な程に疲労してしまう。まさしく彼女にとっては切り札だった。


「雷鳥というと、あのとんでもない魔法だな。君の負担も相当なものだと思うがよいのか?」


 従兄だけあってエヴァートも、あの魔法については見知っているらしい。


「構いません。あれを使えば、私は戦えなくなってしまいますが、ここには他にいくらでも戦力があります。うまくいけば、事態を好転できるかもしれません。使わない手はないでしょう」

「分かった。ならば壁の破壊は頼む。それから先は我々に任せてくれ」


 こうして新たな作戦が決められた。

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