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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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グロムの異変

 深夜、灯台の光が雲海を照らす中、十二隻の竜玉船からなる船団は出発した。

 皇帝エヴァートは船団の前方に位置する旗艦に乗った。

 そして、皇帝相談役たるアルヴァも、旗艦に同乗していた。ソロンとミスティンももちろん同じ船である。


 かつてのアルヴァは、最新式の高速船を用いて一日半でカンタニア市へ到達したらしい。

 今ソロンが乗る旗艦も、その時と同じ船である。けれど今回は、船団の足並みをそろえるため、二日半の航程で進んでいるようだった。


 船に乗ってしまえば後は船員の仕事である。ソロンは手持ち無沙汰になっていた。

 そんな中でアルヴァは、エヴァートから頻繁に呼び出しを受けていた。北方での戦いの経験者として、助言を求められているらしい。

 ミスティンと二人、退屈まぎれに甲板(かんぱん)から景色を眺めていた。

 雲海を照らす灯台の明かり。沿岸部の町が灯す明かり。後続の竜玉船が安全のために掲げる明かり。


「綺麗だねえ」


 闇の中に輝く光を目にして、ミスティンがつぶやいた。

 これから戦場に向かおうというのに、呑気なものである。もっとも、それは彼女の美点でもあるので、苦情を入れるつもりはない。

 沿岸部を進む竜玉船は、夜も灯台の光を頼りに休むことを知らなかった。


 翌日、順調に航海を続けた船団は、運河に差しかかっていた。

 アンディロス運河。

 帝国本島と帝国北東部のザカ島――その間をつなぐ人工の雲路である。

 元々、帝国本島とザカ島は細い陸路でつながれていた。それを工事によって分断し、雲海の道を通したのだ。


 船団は隊列を細長くしながら、運河を進んでいく。

 大型の竜玉船が数隻もすれ違える広い雲路だ。対向する船があっても、交通には支障がなかった。

 運河の上には吊橋が架かっており、東西の島をつないでいた。


 西の本島側に、東のザカ島側。両岸はコンクリートで整備されており、その上にも街道が通っていた。どちらを見ても、多くの店が並んでおり、多くの人馬が行き交っている。

 このアンディロス市は、運河の東西にまたがる帝国有数の大都市だという。その情報に偽りはないようだった。


「はあ~。これを工事で造っただなんて、驚きだなあ」


 人工の雲路を眺めながら、甲板に立つソロンは溜息をついた。

 驚くべきことに、透ける雲海の下には薄っすらと地面が覗いている。これは元々、陸地であったところを削り、雲海が流れ込むようにしたためだろう。

 帝国の建造物に圧倒されるのは、毎度のことではある。しかし、目の前の運河は規模でいえば、ネブラシア城すらも凌駕(りょうが)していた。


「三代の皇帝が数十年で造った大事業だからね。大変だったと思うよ」


 案外博識なミスティンが説明してくれる。

 普段ならアルヴァの役目だろうが、あいにく彼女は今日も皇帝と相談があるようだった。


「ああ、『帝国三大浪費の一つ』だっけ。これに匹敵する事業が、あと二つあるっていうのも凄いよね」

「そうそう、よく知ってるね。でも、それアルヴァには禁句だよ」

「禁句って? ああ大防壁か」


 ソロンはただちに納得する。

 帝国三大浪費の中で最も新しいのは、これから向かう北方にある大防壁だ。

 その建造者は誰あろう皇帝オライバル――アルヴァの父その人であった。


「ソロン。浪費とは、役に立たない事業に対して用いられる言葉です」


 途端、ミスティンは表情を引き締め、口調を変えて語り出した。


「――アンディロス運河とザーシュ大橋は、帝国における交通の便を飛躍的に向上させました。アンディロスとザーシュ――両市の発展に鑑みれば、その正しさは証明されたも同然です。そして、大防壁は北方の市民の生命を、今日も亜人から守っています。建造を開始した三帝の先見の明は、語るまでもありません。それらを浪費などと見なす者がいれば、愚かのそしりを(まぬが)れないでしょう」

「あははっ、似てる!」


 思わぬミスティンの芸達者に、ソロンは笑ってしまう。


「称賛には及びません。皇家に生まれた者として、これしきの芸当もできぬようでは恥ですから」


 調子に乗ったミスティンは、さらに尊大な口調で言い放つ。もはや内容も滅茶苦茶だがお構いなしだ。


「ぷっ、なにそれっ!? 腹痛い!」


 こらえ切れずにソロンは、船べりをバンバンと叩いた。

 ミスティンもソロンの反応に満足そうな表情を浮かべていたが……。突如、口を開いて、ソロンの背後へと視線をやった。

 ソロンがハッとして振り向けば――


「二人とも、楽しそうですわね」


 口元に微笑を浮かべながら、目を引きつらせるアルヴァの姿があった。


 *


 かくして、船団はつつがなくアンディロス運河を抜けた。

 変化があったのは、それから数時間が経った頃だった。

 向かいからやって来る竜玉船の姿が目に入ったのだ。

 やって来た方角は、まさしくこれから船団が向かおうとする方角である。

 船はどうやら帝国籍の軍船のようだった。旗を掲げて、重要な連絡があるという意思を伝えてくる。


 事態を重く見たエヴァートは、手近な港町で船と情報交換を行うと決めた。

 信号旗(しんごうき)でも連絡は可能だが、やはり最低限の内容に留まってしまう。直接、口頭で伝えるのが最善というわけだ。


 停泊したのは運河近隣の小さな港町だ。十二隻の竜玉船が留まるには、やや窮屈(きゅうくつ)な港である。

 情報交換の会議は港の施設を借りて行われた。

 数十人が入るのも難儀な、これまた窮屈な建物である。自然、参加するのは軍の中でも主要な者だけとなった。そして、そこにはアルヴァも含まれていた。



「何があったのかなあ……」


 手持ち無沙汰になったソロンは、またもミスティンと雑談に講じていた。

 会議の参加者以外は、休憩扱いとなっている。

 とはいえ、さほどの長い会議は予定されていない。町を散策するわけには行かず、施設のそばでアルヴァを待っていた。


「カンタニアのほうで何かあったんだよ。向こうの軍が連絡のために、船をよこしてくれたんだと思う」


 ミスティンが言わずもがなのことを教えてくれた。


「いや、それぐらいは僕でも予想がつくけどさ。問題はその『何か』だよな」

「さあ、私たちはアルヴァを待つしかなさそうだね」



 結局、一時間程で会議は終了したらしい。施設から将校達が引き上げてきた。


「まさか、グロムが……」

「亜人の奴らがそんなところまで……」


 将校から会議の内容を伝達されたらしい。兵士達が動揺する様子が目に入った。ざわめく声が聞こえてくる。

 少し遅れて、アルヴァが施設から現れた。隣にいるエヴァートと会話を交わしている。

 見る限り、アルヴァは随分と頼りにされているようだった。



「グロムが陥落したようです」


 凛とした声で、はっきりとアルヴァは言った。皇帝と別れ、こちらへ戻ってくるなり発した言葉がそれである。


「グロムっていうと……カンタニアから南東だっけ?」


 その重大性をとっさにソロンは認識できなかった。それでも、自分の知識から分かることを引っ張り出す。


「そうそう、歩いて二日ぐらいの距離かな」


 と、ミスティンが補足してくれる。


「じゃあ、そこが陥落したってことは……!」


 一拍遅れて、ソロンも重大性を悟った。

 話を聞いた時点では、亜人は帝国領の最北――大防壁を襲撃していたはずだ。そして、カンタニアは帝国の町では、最北に位置する城塞都市である。

 既に敵はカンタニアを落としたのだろうか。だとしたら亜人の勢力は、予想以上に侵出している。ただならぬ事態がソロンにも想像できた。


 けれど、アルヴァは首を振って否定の意を示す。


「カンタニアが陥落したわけではありません。亜人は大防壁を東へ大きく迂回。さらには城塞に囲まれたカンタニアを避け、手薄なグロムを狙ったようです。それまでの大防壁への攻撃は陽動だったのでしょう」

「……最悪の状況ってわけじゃあないんだね」

「それでも、容易ならざる事態であることも確かです。グロムの陥落は昨日(さくじつ)ですが、早急に手を打たねば、敵は勢いを増していくかもしれません」


 アルヴァの表情も険しさを増していた。……が、その表情をふっとゆるめて、首を(かし)げる。


「――ところで、よくグロムの名前を知っていましたね。さして大きな町ではないはずですが……」

「うん。自分なりに勉強はしてたんだ。自分はイドリス人だから、帝国のことは分かりません――って、いつまでもそれじゃ恥ずかしいからね。えと、それに……君の友達としても釣り合わないし」

「まあ……そうだったのですか。変わらないように見えて、あなたも成長していたのですね」


 アルヴァは目を見開いて、それからニコリと微笑(ほほえ)んだ。


「えらい! アルヴァにふさわしい男になるってことだね」


 と、ミスティンが(はや)し立ててくる。


「……その言い方はちょっと恥ずかしい」

「どうせなら、皇学院で学んでみるのもよいかもしれませんね」


 アルヴァが思わぬことを提案してきた。


「皇学院って、君が卒業したところだっけ?」

「そう。帝国で最高の教育機関です。他国からも留学生を受け入れていますので、ちょうど良いと思いますよ。あなたの祖国にも知識を還元できるかもしれませんし」

「君がずっと前に入学したって聞いてたけど、僕の年齢で大丈夫?」

「私は十四歳で入学しましたが、それは学力が抜きん出ている場合だけです。試験さえ合格すれば身分も年齢も問わず――それが皇学院の原則ですので。入学資金を自分で稼ぐ者もいれば、受験対策に年数をかける者もいます。あなたぐらいの年齢で入学できれば、上等なほうですね」


 学力が抜きん出ている――などと自分で言っているのは気にしないことにした。自慢しているふうでもないので、当人はただ事実を述べているつもりなのだろう。


「そもそも合格できるのかな? ガノンド先生の下で、ある程度は勉強したつもりだけど……」

「大丈夫、魔法や剣の才能があれば、勘案されますので。それに何よりも、私がついています」


 アルヴァは自分の胸を叩いて自信を見せた。薄々気づいていたが、かなりの教えたがりらしい。


「あっ、じゃあ私もソロンと一緒に学校行きたい! 神学校は面倒になって辞めちゃったけど」


 ミスティンも無駄に乗り気だった。

 ちなみに、かつてミスティンは帝都の神学校に在学していたらしい。旅に出たのは、そこを辞めたことがきっかけだったのだとか。


「そ、そう。じゃあ、落ち着いたら考えてみようかな。今はそれどころじゃないけど……」


 そういう選択肢もあるかな――と、ソロンは頭の片隅に入れておくことにした。

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