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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
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新帝軍の始動

 オムダリア一家と別れたソロンは、再びアルヴァ、ミスティンの元へと舞い戻った。

 軍の集合場所は帝都の東門。集合時間は昼の十三時である。

 精巧な時計塔が存在する帝都では、時間の管理も徹底されていた。

 十三時ちょうどに出発するわけではないだろうが、遅刻は避けるのが望ましい。日時計頼りのイドリスとは大違いである。


 三人は正午に館を出て、貴族街の駅馬車に搭乗した。既に季節は冬の始まりだが、上界の日中は日差しが強く暖かい。

 アルヴァはさっそくソロンが贈った(かばん)を身に着けていた。服装がいつも通りの黒一色なので、藍色が適度に強調されている。


「いい感じだよ」


 と、ソロンが軽く褒めておいたら、


「そうでしょうか?」


 と、控えめながら嬉しそうにしていた。

 一方のミスティンは食後のお昼寝らしい。ソロンの肩を枕にして、すやすやと寝息を立てていた。戦いに行くというのに、相変わらず緊張感がないようだ。


 東門前には既に多くの兵士が集まっていた。

 もっとも、多くの――とはいっても精々が数百人である。皇帝の手勢としては寂しい規模かもしれない。


 見る限り、ほとんどの兵士が馬を引き連れていた。急を要する事態であるため、今回の行軍には歩兵を含まないようだ。

 ただし、竜玉船にそれだけの馬を積むことはできない。あくまで港町までの行軍に使うだけだろう。

 辺りには物資を輸送するための荷馬車も用意されている。戦場にはまだ遠いためか、さほど物々しい雰囲気ではなかった。


 そして、集団の中心に皇帝エヴァートがいた。

 彼は乗馬したまま周囲に指示を送っている。背が高くすらりとしているので、離れた場所からも見栄えよく目立っていた。


 アルヴァは躊躇(ちゅうちょ)なく、現皇帝の元へと足を運んだ。

 周りの兵士達が彼女の顔を見るなり、速やかに道を空けていく。

 皇家を追放された結果、彼女の正式な身分は伯爵家の令嬢でしかない。……が、その相手にしては過敏な反応である。前皇帝の威光はやはり無視できないようだった。


 ソロンもアルヴァの背中に隠れるようにして、おどおどと付いていく。他国人という立場もあって、どうも場違いな感が否めないのだ。

 ミスティンはあまり気にする様子もなく、何食わぬ顔だったが……。


 エヴァートがこちらに気づいた。

 アルヴァに向けて手を挙げるや、颯爽(さっそう)と下馬をした。自らアルヴァの元へと足を運び、その手を取る。


「来てくれて嬉しいよ、アルヴァ」

「当然のことです。私はお兄様の家臣ですから」


 アルヴァは公然に、堂々と従兄に向かって頭を下げた。前皇帝としての矜持(きょうじ)を捨てて、現皇帝を立てるへりくだり方だった。


「戦地へ向かう男が妹分に頼るだなんて、恥ずべきことかもしれないが……。けれど正直に言って、力不足は自分が一番分かっている。だから、どうしても君が必要なんだよ」


 エヴァートは自らの至らぬ点を率直に認めてみせた。

 歴代の皇帝の中には、強権を振るって国を統率し、大事(だいじ)を成し遂げた者がいる。

 けれど見る限り、彼はそういったやり方には不向きなようだ。

 秀才ではあっても決して天才にはなれない。そういった印象を受ける人物である。


 それでもエヴァートが愚鈍な皇帝とは限らない。少なくとも、自ら他者の意見に耳を傾け、協力を仰ぐ度量はあるようだ。

 どことなくソロンにも共感できる姿勢である。……もっとも、アルヴァを口説くような言葉に、少しだけイラッとしたのは内緒だが。


「いいえ、お兄様が気になさることはありません。国と民のため、家臣を存分に活用するのも君主の務めですから。どうぞ、私をご利用ください」

「ありがとう、本当に助かる。特に君は、北方では人気があるみたいだからね」

「……そうなのですか?」

「そうだとも。君はカンタニアで、迅速にドーマの亜人を退けたからな。当然の評価だよ。……僕よりも君が皇帝ならば――という市民も少なくないかもしれない」


 アルヴァは過去二度に渡って、北方の亜人を退けた。

 最初の戦いはソロンが上界に向かう前の出来事である。よくは知らないが、彼女得意の雷鳥の魔法が存分に威力を振るったそうだ。

 二度目の戦いにしても、実際にこの目で見たわけではない。けれど彼女が『杖』を用いて、ドーマの亜人を一掃したとは聞いていた。


「ところで――君はソロンだったな」


 と、エヴァートはこちらに視線を向けた。


「え、ええ……覚えていらっしゃいましたか」


 アルヴァの背中に控えていたソロンは、後ずさりたい気持ちを抑えて前に出た。


「もちろん覚えているとも。イドリスの王子で、どうやら従妹(いもうと)のお気に入りらしいからな」


 エヴァートは笑みをこらえるようにして、ソロンとアルヴァを交互に見やった。


「は、はあ……」


 返事に困ったソロンは、アルヴァへと(すが)るように目をやる。


「そういう勘ぐりは野暮というものですよ。お兄様」


 するとアルヴァが半目で、エヴァートをにらみ据えて言った。皇帝に対して一歩も引くところがない。


「そんな目で見ないでくれよ。分かった、堪忍してくれ」


 冷や汗を浮かべて、エヴァートは視線をそらした。

 どうやら、この二人は昔からこういう関係らしい。威厳の足らない皇帝の姿に、やっぱりソロンは共感を覚えた。


「あはは……」

 ソロンは場の空気をなごますため、笑ってごまかす。

「――友好国の者として、力及ばずながら協力させていただきます」


 それからエヴァートへと歩み寄って、一礼した。

 友好国などと言っても、イドリスは帝国とは比較にならない小国である。それでもソロンは似合わない堅苦しい言葉遣いで、精一杯の誠意を表現したのだ。


「ははは……。従妹(いもうと)の護衛は頼んだよ、ソロン。もっとも、無理してくれとは言わないさ。君の立場は友好国の観戦武官ということにしておく。基本的には、高みの見物をしてもらって構わない」


 エヴァートは頭をかきながら、ソロンへと手を伸ばした。一応、他国の王族として配慮をしてくれるらしい。


 *


 残りの兵士も集まってきたところで、エヴァート率いる一団は出発することになった。

 帝都から北東――港町ミューンへと騎馬で目指す。

 皇帝自ら率いる現部隊は五百人といったところだろうか。いずれも騎兵で、荷馬車を囲むように配置されている。

 先頭付近にはエヴァートと、それを囲む親衛隊が騎馬を駆っていた。


 そのすぐ後ろで、ソロン達三人も馬上に揺られていた。馬については、軍から借りたものだ。こういった行軍に当たっては、余分な替馬を用意しているものらしい。

 動物の扱いが得意なミスティンは、早々に馬を手なづけていた。馬の尾に合わせて、後ろにくくった金髪を揺らしている。

 アルヴァの乗馬姿は、姿勢良く涼しげだった。

 乗馬とは意外と体力を必要とするものであるが、苦にしていないようだ。行軍速度もゆるやかなので、これならば心配はいらないだろう。


 だが気になるのは――


「ゆったりしてるように見えるけど、こんなものなのかな?」


 ソロンはアルヴァに尋ねてみた。

 恐る恐る聞いたのは、進軍に対する批判が皇帝への非難ともなりかねないからだ。とはいえ、これだけの部隊ともなればそれなりに騒々しくもなる。声が周囲に聞かれる心配はわずかだった。


「この人数では、速やかな行軍は難しいですからね。足並みをそろえねばなりませんし、替馬も満足には用意できません」

「そんなものか……。君の時はもっと速かったって聞いたけど?」


 かつてアルヴァがミューンへ向かった際は、わずか五時間で駆け抜けたという。それから戦いを勝利で終えるまでの日数も、恐ろしく早かった。


「そうですね。私ならば兵数をより絞って、倍の速度で進んだでしょう。ですが、お兄様の事情も理解できなくはありません。戦に慣れぬ現状では、北方の兵だけで戦うのも不安がおありでしょうから」

「なるほどね。多すぎず少なすぎず――が、五百の部隊ってことだね。やっぱり、万の大軍とかになると、動かすのも大変なんだろうな」


 イドリスではまず動員不可能な人数である。

 国中の健康な若者を男女問わず、根こそぎ徴兵すれば実現できるだろうか。ただし、農民がいなくなり食料供給が途絶えるため、実現性は皆無だった。


「動かすのも大変だけど、そもそも竜玉船に乗せないといけないからね。そこを忘れちゃいけないよ、ソロン」


 どことなく得意げな態度でミスティンが口を挟んだ。ソロンより物知りなことを誇示しているようだ。

 素晴らしい速さを誇る竜玉船であるが、その積載量は水上船に劣る。積載量を増やすには浮力を生み出す竜玉が必要だが、希少なのが難点だった。


「ああ、そっか……。それもあったな。ネブラシア港は使えないんだもんね」


 ネブラシア港にある大型船ならば、より多くの兵員を運べたはずだ。しかし、今回はその港を経由しないことになっている。


「使えないこともありませんが、さすがにカンタニアまでの雲路は大回りになりますからね。今から向かうミューンも、港町として決して小さくはありません。ですが、何千人もの兵を輸送するとなれば、困難でしょう」

「なるほど、その点でも五百人ってことか」

「そういうことです。無論、ネブラシア港からも大軍が出発する予定ですが、かなり遅れて到着するでしょうね」


 立場は変わっても、アルヴァは高所から物事を考えていた。皇帝としての勘は衰えてはいないようだった。


 *


 ミューン市へはその日の夜に到着した。

 乗っていた馬とは、ここでお別れである。ミューンの市民が責任を持って、帝都まで返すことになっているそうだ。

 既に先触れがされていたため、港には十数隻の竜玉船が用意されていた。


 ミューン港は聞いた通りの中規模な港。小型~中型の船を何隻も動員して、五百人を運ぶのがやっとのようだ。

 到達してからの休憩もなく、出港の準備をせねばならなかった。



「もう少しだけ頑張ってくれ。船に乗れば、当分は休憩してもらって構わない」


 エヴァートが荷運びに奮闘する兵士達を激励した。兵士達も荷馬車に搭載していた積荷を、船へと積み直していく。

 ソロンやミスティンもそれぞれ積荷運びを手伝った。

 アルヴァはといえば、エヴァートの補佐をして作業を監督していた。やはり、彼女はこういう仕事のほうが性に合うらしかった。

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