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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第六章 果てしなき大雲海
201/441

北方の事変

 サラネド共和国による襲撃を退けて以降、帝国は新皇帝の統治の(もと)で小康状態を保っていた。

 しかし、そのささやかな平和も長くは続かなかった。

 帝国の最北を守る大防壁を、またもドーマ国の軍勢が襲ったのである。


 亜人の国――ドーマ。

 ネブラシアは広域を支配する帝国である。その領土はこの帝都より百里を超える北まで続いている。そして、ドーマはその最北よりも、さらなる北からやってくるのだ。


 謎多きかの国と帝国は、百五十年にも渡って戦い続けていた。

 そして、そのドーマに対する防衛を担うのが北方の帝国軍である。今回の襲撃においても、それは同じだった。

 迎え撃った帝国軍は態勢の整わない中で、必死の抗戦を繰り広げた。その結果、辛くも襲撃を退けはしたが、戦いは断続的に続いているという。


 紅玉帝たるアルヴァが君臨していた時代から、おおよそ半年ぶりの襲撃……。しかし今、アルヴァはその座を追放されていた。

 その役目を引き受けるのは、皇帝エヴァートだ。

 彼は慣れない軍を率いて、北方へと馳せ参じることになった。今は帝都で軍を編成しているところだという。

 そして、その知らせは直ちにアルヴァまでもたらされた。



「私もお兄様に同行しようと考えています」


 迷いのない意志を、アルヴァは瞳にたぎらせていた。

 事態を知らせる手紙には、皇帝直々の印が押されていた。ソロンは詳しく内容を見ていないが、同行を求める内容だったのだろう。


「君が、どうしてまた? もう君は皇帝でもなんでもないんだよ」


 思いのほか、否定的な口調になってしまった。既に帝位から身を引いたアルヴァが、なぜ戦地に身を投じねばならないのだろうか。


「それでも、北方の防衛は私がやり残したことですから。形はどうあれ、お父様から引き継いだ役目を私は放り出してしまった。だから――」

「僕もお供するよ」


 ソロンは最後まで聞かなかった。

 アルヴァの身を案じる気持ちは強くあった。けれど彼女が決断したのなら、ソロンはそれを否定できない。できるとすれば、ただ一緒に行って支えるだけだ。


「私はあくまでお兄様の相談役です。とはいえ、危険がないとは言い切れません。それでも、よろしいですか?」

「だったらなおさら、君の護衛が必要だな」


 ソロンは頷いて意思を示した。


「カンタニアは行ったことないから、楽しみだね。お姉ちゃんから話を聞いただけだったから」


 ミスティンも当然のように行くつもりらしい。

 北方防衛の拠点カンタニア市――以前の戦いでアルヴァが向かった町である。今回の戦いでも、そこが拠点となるようだった。


「お兄様も早急に準備を進めているようです。出発は明日の昼過ぎ。我々もそれに同行する形となります。今夜はゆっくり眠ってください」


 *


 翌朝、ソロンは一旦アルヴァ達と別れ、イドリス大使館へと向かった。

 北方へ出発する前に、故郷の仲間達へ説明せねばならなかったのだ。

 傷みの目立つ古びた木製の建物。安宿を改修しただけあって、外観もまさしくそのままの印象だ。立派に新調された看板だけが、妙に目立っていた。


 きしむ扉を開いて、ソロンは中へと足を踏み入れる。

 こじんまりとした入口の広間が目に入った。広間の椅子には三人の人物が座っており、家族水入らずの談笑をしているようだった。


「朝帰りということは、贈り物はうまくいったようですね」


 顔を合わせるなり、口にしたのは灰茶の髪の青年。

 ソロンの旧友ナイゼルだった。

 いつものように眼鏡を通して、ソロンの顔を見つめてくる。


「……その言い方は誤解を招くけど、まあ機嫌は直してもらえたよ」

「それはよかった。……ですが、坊っちゃんがここまで抜けているとは、さすがの私も思いませんでしたよ。アルヴァさんの誕生日にはいくらなんでも戻るはずだと、私も甘く見ていたのです。ところが、帰ってくるなり『忘れてた』などと(のたま)う始末。ああ、なんと嘆かわしい……!」


 ナイゼルは大袈裟な仕草で眼鏡を押さえた。


「……そこまで言うほどのことじゃないよね?」

「そこまで言うことだよ」


 口を挟んだのは、ウサギの耳を生やした亜人の娘だった。

 ナイゼルの姉にして、ガノンドと人兎(じんと)の娘――カリーナである。


「おはよう、カリーナ。そろそろ、仕事にも慣れた?」


 数ヶ月前、カリーナは実の父との奇跡の出会いを果たした。それ以来、彼女はナイゼルの発案もあって、大使館の仕事を手伝うことになったのだ。

 それ以前には女給のような仕事から、冒険者家業まで幅広く働いていたらしい。その経験を活かして、掃除・洗濯から荷物の運搬まで仕事をこなしているようだ。


「話をごまかすんじゃないよ、坊っちゃん。お姫様がかわいそうじゃないか」


 カリーナは長耳をピンと立て、赤目で鋭くにらんでくる。

 彼女は元来、ざっくばらんな性格だったらしい。イドリス王国の王弟たるソロンにも遠慮がなかった。

 ……というか、ナイゼルの影響か、こちらからも坊っちゃん呼ばわりされている。


「いや、別に僕一人が来なくても――」

「甘い! あたしらも誕生日には挨拶へ行ったんだ。そしたら、お姫様ったらどこか落ち着きがなくてさ」

「ほほう、姉さん。よく見ていますね」


 カリーナの洞察に、ナイゼルが感心する。


「もちろん、表向きは平静だったけどね。でもどこか元気なかったし、注意してたら分かるよ。きっと、あんたが来るのを待ってたんだ」

「そ、そうかな……」


 ソロンは鵜呑(うの)みにしてよいものかと口ごもる。


「そうだよ、坊っちゃん。女心は繊細(せんさい)なんだ」

「カリーナや、その辺にしておいてやれ。こやつもまだ若い。女心を知るにはまだ早かろう」


 助けに入ったのは、二人の父――ガノンド・オムダリア元公爵だった。

 年齢は既に還暦を過ぎているが、まだまだ若々しい。

 それでも、二人の子供とは歳が離れているのも事実。特に亜人のカリーナは実年齢よりも若く見えるため、祖父と言われたほうがしっくりきそうだった。


「さすが女遊びの経験豊富な人は違いますね」


 ナイゼルが辛辣(しんらつ)に言い放った。


「ぐぬっ……。父を(うやま)え、ナイゼルよ」

「い、いや、それより今はそれどころじゃないんですよ。今日の昼には――」


 ソロンはそこでようやく本題を口にした。


 *


「ドーマの亜人か。まったく……。いつになっても、襲撃はやまぬのだな」


 話を聞いたガノンドは、うんざりした口調だった。帝国北方への亜人の襲撃は、百五十年も前から断続的に行われているという。


「親父さんも若い頃に戦ったんだっけね?」


 と、カリーナが話を振れば、ガノンドは嬉しそうに頷いた。


「うむ。あれは姫様の祖父――ベオカーク帝の御世(みよ)じゃった。わしは公爵家の家督を継いだ者として、帝国のために戦いへ身を投じたのじゃ。群れる亜人達を前にして、わしは家宝の魔剣を振るった。その凄まじい戦い振りに敵は一人、また一人と倒れていく。人呼んで炎獄(えんごく)の公爵と――」

「ごめんなさい、先生。あまり時間がないんです。長くなりそうなので、また今度聞きますから」

「ぬう……絶対じゃぞ」


 ガノンドは悲しそうに眉を(ゆが)めた。


「昔話なら後であたし達が聞いてあげるよ」

「カリーナはええ子じゃのう」


 ガノンドは涙をぬぐう仕草をした。


「あたし達って――私は結構ですよ、姉さん」

「ナイゼルは憎たらしいのう」


 ガノンドはにらんだが、ナイゼルはどこ吹く風でソロンを見る。


「それより、坊っちゃん。心配ではありますが、仕方ありませんね。いってらっしゃいませ」

「まっ、お姫様のためにがんばるってなら、あたしも応援するよ。誕生日を忘れてた分、しっかり守ってやんな」


 ナイゼルとカリーナがそれぞれ声援を送ってくれる。


「はは……。ありがとう」

「けどドーマか……。母さんの故郷なんだよね」


 カリーナが感慨深そうに口にする。

 彼女の母は戦争の結果、捕虜(ほりょ)として帝国に連行されてきたのだ。それがガノンドと出会った経緯でもあるという。


「そういうことになるね。どんな国なのかな? カリーナは何か聞いてない?」


 ドーマという国は、多くの謎に包まれている。ソロンは興味本位で尋ねてみた。


「そうだねえ。人間がいない代わりに、色んな亜人がいるんだって」

「……まあ、そうだろうね」

「ごめん、あんまり役に立たないかも。母さんもあんまり話してくれなかったしさ。きっと故郷のことを話すのが、辛かったんじゃないかなあ」

「ふ~む、わしもオリドナの話をもっと聞いておけばよかったのう……」


 ガノンドが亡き人兎(じんと)の愛人を(しの)んでいた。


「う~ん、そっか……」

「ああでも、凄く北にあって、凄く寒いとは言ってたね。雪もたくさん降るんだってさ」

「雪!」

「ほう、雪ですか……!」


 これにはソロンとナイゼルが食いついた。

 なんせ、イドリスには滅多に雪が降らないのだ。

 少なくとも、生まれてこの方ソロンの記憶にはない。数十年に一度は降るらしいが、積もるような大雪にはならない。市民にとって、雪は伝説も同然なのだ。


「雪ならドーマに行かずとも、北方に行けばいくらでも降っておる。今の季節なら、うまくいけば見られるかもしれんぞ」

「へえ、そうなんですか。あっ、でも、戦うには都合悪いかなあ」


 ガノンドの言葉を受けて、ソロンは期待と心配で胸をふくらませるのだった。

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