男の矜持
「それで、用事はおしまい? まだあるんじゃないの?」
話が一段落したところで、ミスティンが口を挟んだ。
彼女が出迎えてくれた時に、ソロンが含みを持たせたのを覚えていたのだろう。
「あ~……。あると言えばあったんだけど、やっぱりいいや」
少し考えて、ソロンは首を横に振った。
「遠慮はいりませんよ。良い品をもらったのですから、お礼をするのも当然です」
「いや、誕生日の贈りものに、お礼なんてされたら本末転倒だよ。頼み事のために、贈り物を持ってきたわけじゃないんだし」
贈り物をしたのは、あくまで好意と感謝の表れなのだ。大切にしたい関係だからこそ、見返りを求めてはならない。
「水臭いですわね。あなたと私の仲でしょう」
アルヴァは斜め上に視線をやって、少し考え込む。
「――察するに大使館の関係で困りごとがあるのではありませんか?」
「……相変わらず鋭いね」
ソロンらイドリス人が帝国へ進出するため、まず必要になったのは拠点だ。
ナイゼルやガノンドも合わせ、いつまでも宿暮らしというわけにはいかない。そこで帝都に大使館を構えることにしたのだ。
「大使館って……あの安宿みたいなのだよね?」
ミスティンが口を挟んだ。それも悪い意味で正直な言葉で。
「安宿は酷いけど、否定できないのが悲しいな……」
ナイゼルによれば、大使館は本当に安宿を買い取ったものらしい。ゆえにミスティンの感想は至極妥当でもあった。
「私はもっと優良な物件を勧めたのですよ。広くて見栄えがよく、皇城に近い物件を」
アルヴァは不満そうな口振りだった。
「仕方ないよ。ウチの国はそこまで予算があるわけじゃないんだから。建物は古くても部屋はたくさんあるし」
「ですが、問題があったのでしょう?」
「……うん。思ったより補修費がかかりそうなんだ」
ナイゼルの尽力によって、建物を購入する費用は捻出できた。竜玉を始めとした品物を帝国に運び、売り払って利益を上げたのだ。
しかしながら、その後が問題だった。
建物は予想より老朽化が激しく、雨漏りすらする始末だった。結果、それ相応の補修が必要となったのである。
こうなれば、ナイゼル達に任せてばかりはいられない。ソロンとしても、できる限りの務めを果たすつもりだった。
「そんなところだと思いました。それで、お金が入り用というわけですか」
「有り体に言えばそうなんだ」
話の流れに従って、ソロンはやむなく認めた。
「――君ならいい仕事を知ってるかなと思って……。護衛でも魔物退治でもなんでもいいんだけど、なるべく稼げるやつを」
商才とは程遠いソロンができる仕事といえば、護衛や魔物退治といった程度である。とはいえ、それらの仕事で稼げる金額などたかが知れていた。
なるべく実入りのよい仕事を見つけるには、相応の雇い主を見つける必要がある。そして、そんな伝手は彼女の他になかった。
こんな頼みをして迷惑ではないだろうか……。ソロンはアルヴァの顔色を窺ったが、
「お安い御用です。少々お待ちいただけますか? ミスティン、手伝ってください」
合点したとばかりにアルヴァはミスティンを連れ、扉を開いて出ていった。
どこかの貴族へ紹介状を書いてくれるのかもしれない。そんな期待をしながらソロンは、二人が出ていった扉を眺めていた。
しばらくすれば、二人がそろって戻ってきた。しかも、重そうな袋を二人がかりで抱えている。
ソロンが慌てて駆け寄り、袋を支えれば、ずしりと重さが伝わってきた。さらにはジャラジャラとした金属音が響いてくる。
「……もしかして金貨?」
ソロンの額に冷や汗が流れた。
「ええ、可能な限り詰め込んでみました。どれだけ入り用なのかは存じませんが、不足ならもう一度来てください」
二人はあっさりと手を放し、こちらの手に袋を委ねた。
そんなアルヴァの顔に浮かぶ穏やかな笑みは、子供に小遣いを与える母を思い起こさせた。
「これだけあればさすがに足りると――じゃなくて! そんなのもらえるわけないでしょ!?」
ソロンは即座に袋を突き返した。
けれど、アルヴァはそれを受け取る素振りも見せない。あまりにも重いため、ソロンはやむなく机の上に袋を置いた。
「歴とした私の私財ですよ。心配は無用です」
「いや、そうじゃなくて。僕は仕事を紹介してくれって言ったんだけど」
「それは本質ではありません。あなたが仕事を求める理由は、お金のため……。つまり、お金があれば全ては解決できます。違いますか?」
「う~ん、そう言われれば違わないような……。いやダメだ、こんなのおかしいよ!」
思わず丸め込まれそうになるが、ソロンは抵抗した。
「煮え切りませんね。そもそも、大使館についても最初から私に頼ればよかったのです。その程度の費用、私なら如何様にも捻出したのに……」
「だから、そうはいかないって! いつか君が悪い男にだまされないか、心配になってくるよ」
「失礼な。人物の見極めはしていますよ。その上であなたになら、差し上げてもよいと言っているのです」
「……僕が言うのもなんだけど、君って僕に甘すぎない?」
「甘くて何が悪いのですか? 私はあなたの頼みなら、何だって聞いてあげるつもりですが」
アルヴァは開き直った。
信頼が重たい……。微塵もソロンのことを疑っていなかった。
恐らく、彼女の『何だって聞いてあげる』は正真正銘の本気だ。ソロンが無茶を頼んでも、死力を尽くしてくれるだろう。
アルヴァはなおも続ける。
「――甘いのは、それだけの恩があるからです。それにあなたは、自分自身を過小評価されています」
「というと?」
「帝国広しと言えど、魔法武器の使い手はそういるものではありません。貴族の中には多額の費用を払ってでも、その使い手を従者にしたがる者もいます。ですから、これはあなたの助力に対する正当な対価というものでしょう」
「理屈は分かるんだけどさあ。どっちかというと、そういう貴族を紹介して欲しいというか……」
これを受け取ってしまっては、人として――男として大切なものを失ってしまう。そんな気がしてならなかった。
「まったく……。何が気に食わないのですか?」
アルヴァは理解しかねるとばかりに、溜息をつく。
「分かった! ソロンはヒモ扱いが嫌なんだね」
じっと二人の口論を見守っていたミスティンが手を鳴らした。おまけに余計な発言もついていた。
「いや……はっきり言わないでくれるかな」
「ヒモとはなんでしょう?」
聞かなくてよいことをアルヴァは聞いた。育ちが良すぎるためか、この種の俗語には強くないらしい。
「女の子に養ってもらってる男の子のことだよ」
答えなくてよいことをミスティンは答えた。
「別に養うのは吝かではありませんが」
食事をおごるぐらいの気安さで、アルヴァは言った。わりととんでもない発言のような気がしないでもない。
「僕は吝かだよ。さすがに男として情けないというか……」
「別に恥じることではないでしょう。私のほうが歳上なのですから」
「歳上の一言でそこまでやってくれるのは、上界広しといえど君ぐらいだよ……」
結局、その日のうちに結論は出なかった。
思わぬ長居になった結果、ソロンは屋敷の一室を借りて一夜を越すことになった。イドリス大使館へ帰ろうにも、二人が強硬に滞在を勧めて放さなかったのである。
*
「ソロン、急な知らせが入りました」
その夜、ソロンの寝室を訪れたアルヴァが、唐突に切り出した。
横にはミスティンの姿もある。二人とも寝巻姿のままだった。
団欒が終わり、ソロンは一人寂しく案内された個室で就寝するところだった。かつての旅のように、男女同室とはいかないのは当然である。
そんなところへの突然の来訪だったのだ。
「どうしたの?」
既に眠る態勢だったソロンも、ただならぬ様子に身を正した。
「戦です」
アルヴァは簡潔に言った後、続けて説明を始めた。