ベスタ雲海域
帝都を出発して三日目の昼過ぎになる。
ついに島影が見え始めた。
無人島という事前情報に違わず、島は数多くの樹木に覆われていた。
ベスタ諸島を構成する小島の一つに違いない。
探検隊はベスタ雲海域に入ったのだ。
ベスタ諸島は、内雲海の中でも最も大規模な群島である。また、それを包む岩礁を含んだ領域を、ベスタ雲海域と呼んでいた。
そこには百を超える諸島が点在している。
古代にはベスタ島に首都を構え、複数の島にまたがった文明を形成していたという。
もっとも、今となってはその面影は感じられない。文明は遥か昔に崩壊してしまい、現在では全てが無人島になってしまったのだ。
そのような場所には、船乗り達も寄りつかない。
特に今よりも航雲技術が劣った時代には、目印も何もない雲海のまっただ中へ向かうには勇気がいった。
しかしながら、魔物達にとっては、そんな人間達の事情は関係ない。雲海にひそむ魔物にとって、このような人が寄りつかない島々は絶好の拠点なのだ。
雲海の魔物とて底のない雲海に、巣を構えることは難しい。そのため、人の訪れない島のそばこそが、理想の繁殖場所となるのである。
そうして、この雲海域に魔物がはびこるにつれて、船乗り達もより一層と近づかなくなってしまった。
探検隊が進もうとするのは、そういった雲海域なのである。そこを竜玉船で島々をかき分け、ベスタ島を探し出して上陸しなければならないのだ。
「この雲海域は竜の棲家になっていると伝わっています。皆様、心してください。特に弓や魔法を使える方には、ご協力を願います」
そこでアルヴァは乗員を集めて、注意をうながした。
ここから先は、すぐに戦える心構えが必要となる。
特に船の上では、雲海から襲いかかる魔物に接近戦を挑むのは難しい。説明した通り、弓や魔法を駆使した戦いが主軸となるだろう。
雲海に棲む竜の種族は数多いが、総称して雲竜と呼ばれている。世界に広がる雲海の広範囲に生息しており、性質も多くが凶暴で力強い。
未熟な冒険者では、一対一の戦いで雲竜と勝利を収めることも難しい。
それでも、雲竜を狩る者が途切れないのは、その心臓こそが竜玉船の中核たる竜玉に他ならないからである。
もっとも、雲竜とて愚かではないため、むざむざ狩られるような行動はしない。少頭数で竜玉船へ近づいて来ることは、まずありえなかった。
ただし、頭数が多い場合はその限りではないのだが……。
*
島の一つに近づけば、雲海から何かの影が船へと寄って来た。
やがて見えてきたのは、陽の光に輝く青いウロコ。巨大なトカゲのような姿で、蛇のように長い尾を持っている。
雲海を泳ぐ雲竜の一種――サーペンスであった。
竜の仲間にしては小柄な部類だが、それでも全長は人の二倍を超えている。その大きな体を蛇のようにくねらせながら、雲海を進んでくる。
雲海の中から湧き出すように、雲竜の姿が増えていく。
まだ遠くにいるため正確な数は把握できていないが、恐らく二十を下らないだろう。
知能の高いサーペンスは、数的に有利な場合だけ獲物へと襲いかかってくるのだ。
「避けられますか?」
アルヴァが船長に尋ねた。
「試してはみましょう。ただ、あの速さでは追いつかれるとみたほうが無難でしょうな」
「了解です。戦いの準備をしておきます。何匹か蹴散らせば、雲竜も引き下がるかもしれません」
竜玉船が船首を右に転じて、逃げる構えを見せた。
しかし、サーペンスはそれを見逃しはしない。転回するために減速した船をめがけ、一挙に押し寄せてくる。
けれど、人間達もそれを黙ってみているわけではない。
アルヴァはサーペンスが集まって来た側――つまり左舷へと走る。そして、腰から抜いた杖を上に掲げて号令をかけた。
「さあ、皆様の出番です! まずは弓と魔法で竜を寄せつけないように! もし、近づかれたら冷気の息吹に注意を!」
女帝の号令を受けて、ソロンも背中の刀を抜いた。
「俺の出番はなさそうだな……」
飛び道具を持たないグラットが、残念そうにボヤいている。
「――しゃーないから、お前ら頼んだぞ。万が一、あいつらが船に飛びついてきたら、俺に任せな」
その間に他の者達も武器を構えていた。弓を取り出す帝国兵がいれば、杖を取り出す冒険者もいる。
杖を取り出す帝国兵もいたが、服装が他の兵とは異なっている。正確には帝国魔道兵というらしい。
「どうだ、当たれ!」
最初に若い帝国兵が矢を放った。これは気を焦りすぎたのか、かする気配もない。
次に冒険者が杖先から火球を放つ。
先程の矢と比較すれば狙いは悪くなかったが、角度がわずかに高かった。
狙われたサーペンスは、雲の下に身を隠して回避してしまった。
雲海上を移動する相手に攻撃を当てるのは、なかなか至難のようだ。
それでもソロンは、彼女の弓ならどうにかできるのでは――と思い隣に目を向けた。
視線を横目で受け止めたミスティンは、
「少し難しいけど、もうちょっと近づいてきたら……」
と、つぶやきながらも、焦ることなく狙いを定めている。そして、最も速く先頭を突き進んできた一体に「えいっ」と矢を放った。
矢はサーペンスの頭に突き刺さった。
竜はその衝撃で一旦は雲の下に沈んだが、すぐに死骸となって浮かび上がってきた。
体内に秘めた竜玉の浮力によって、死してなお沈むことがないのだろう。
「お見事です!」
「やるなあ、ミスティン!」
アルヴァが賞賛の声を上げる。やることがないグラットも便乗して声を上げた。
その他の者も負けじと矢と魔法を撃ち出す。敵との間隔が近づいて来たためか、徐々に攻撃が命中するようになってきた。
ソロンも「この距離なら……!」と魔刀を構える。
万が一、竜玉船に火球を当てたら大惨事になるので、気をつけねばならない。船の外面は金属でも、中身は木造部分が多くを占めているのだ。
ギリギリまで船の左舷に乗り出し、近くのサーペンスに向かって刀を向ける。
「焼けっ!」
そして、刀が赤くきらめくと共に火球を放った。
火球が直撃したサーペンスは、離れたソロンまで届く大きな悲鳴を上げた。
竜の中には炎に抵抗を持った種族もいるが、サーペンスについてはそうではなさそうだ。
やがて、黒く焼けた姿を雲海の上にさらして力尽きた。
まずは安心して、ちらっと船上の様子を確認した。
すると、後ろでこちらを向いていたアルヴァとまっすぐに視線があった。不思議がるような表情で、指揮を執る手を止めている。
「まずい、息吹が来るぞ!」
と、そこにグラットが声を上げた。
遠距離での戦闘には出番のない彼だが、後ろで雲竜の動きを注意深く観察していたらしい。
船へと接近したサーペンスが、凍るような息を吹きかけてきたのだ。
慌ててソロン達は後ろへと下がる。
この魔法の息吹こそが、竜族最大の脅威といってもよい。
陸の竜には炎を吐く種族が大勢いるが、サーペンスの息吹は冷気のようだ。火傷はしないが凍傷を引き起こす危険がある。
こちらは船上ゆえに、相手までは距離と角度がある。そのために直撃はなかった。それでも、浴びれば瞬時に凍りつきそうな冷気だった。
これで迂闊に前へ出れなくなった。
そうやってこちらがひるんだ隙に、雲竜は距離を詰めてこようとしていた。
「我々が優勢です。一気に残りを殲滅しましょう! 私も前に出ます!」
先程まで指揮を執っていたアルヴァが、勇敢にも前へ出る。指揮を執るために振っていた杖を竜へと向けた。
杖先の魔石が光り、轟音と共に雷撃が放たれる。
ソロンがまばたきする間もなく、紫の稲妻は竜を貫いていた。
気づいた時には、黒焦げとなったサーペンスが雲海に浮かんでいた。
「凄い……!」
紫電の魔法は強力かつ高速だが、相当に難度も高い。
仮に発動できたとしても、制御が非常に難しく命中精度が低いのだ。かなりの技量がなくては、できない芸当である。
ソロンもあれを背中に受けたわけだが、手加減されていなければ即死だったろう。今更ながら冷や汗が出そうだ。
ともあれ、これで探検隊の一同は勢いを取り戻した。ソロンやミスティンはもちろん、他の者達も女帝に続けと攻撃をかける。
矢が、魔法がサーペンスを撃ち倒していく。
こうなると獰猛な雲竜であっても、戦意を喪失して逃げ出すものが現れる。
もはや戦いの終わりも近い。
……が、そこに油断が出た。追い込まれた竜というのは、なかなか侮れないのだ。
紫電の魔法は強力なだけあって消耗が激しい。さすがの女帝も疲労の色が濃かったらしく、杖を下げて一息入れようとした。
ところが、そこでサーペンスの一匹が竜玉船に飛びついてきた。船の左舷に小さな手をかけて、長い体をぶら下げる。
船上に頭を出した雲竜は、口を大きく開いた。
ハッとして、下がろうとするアルヴァだったが反応が遅れた。
「危ないっ!」
ソロンは迷わず女帝の前へと駆け出した。
掲げた刀に力を込めて、熱の障壁を展開する。炎ではなく熱の形で魔力を引き出せば、引火する心配も少ない。
激しく吹きつける冷気が、熱の障壁によって溶かされていく。
やわらいだ冷気は霧へと変じた。
どうにか間に合ったようだ。
「よくやったぞ、ソロン!」
冷気が途切れた隙を狙って、グラットが走る。
サーペンスが次の息吹を吐く前に、彼の槍が頭を貫いた。今まで参戦できなかった鬱憤を注ぎ込んだ会心の一撃だった。
サーペンスは悲鳴すら上げずに絶命し、船から離れる。
雲海へと落下した竜は雲の飛沫を上げて沈んだが、やがて死骸が浮かび上がった。
「ふははっ! 俺様の完全勝利だったな!」
グラットは機嫌よく勝ち誇った。
「大丈夫ですか、陛下?」
うずくまっていたアルヴァへと、ソロンは声をかける。
「ええ……お陰様で」
アルヴァは疲れてはいるものの、ケガはなさそうだった。しかし、目はソロンのほうを向いて、驚いたような顔をしていた。
どうやら、今の雲竜が最後の敵だったようだ。
「もう敵はいないようですね。見回りに行ってきます」
アルヴァは立ち上がり、去っていった。




