つながる世界
一行はニバムを引き連れて、イシュティールへと帰還した。
ちなみにダナムは町の牢屋へと連行されていった。
今後、帝国の法律に従って裁きが下される手はずである。彼の部下も供述に協力的であるため、言い逃れはできないだろう。
船が港に着くなり、駆け寄ってくる女性の姿があった。
「よくぞご無事で……!」
ニバムの姿を見て、マリエンヌはまたも泣き出しそうな顔をしていた。
ニバムは疲れた様子であったが、船旅の間に多少は体力を回復したらしい。杖を突きながらも、足取りはしっかりしていた。
「心配をかけたな」
そうして彼は、この伯爵にしては愛想よく顔をほころばせた。
それから、マリエンヌはダナムが裏切ったという事情を聞き知って、伯爵をいたわった。
彼女も強く残念がってはいたが、そこにダナムへの同情は感じられなかった。あくまで伯爵を思いやってのことらしい。
どうも口振りから言って、マリエンヌもダナムを内心では信用していなかったようだ。表面立っていなかっただけで、アルヴァの母に仕えていた頃から確執があったのかもしれない。
「留守中、何事もありませんでしたか?」
アルヴァの質問に、マリエンヌは笑みを浮かべた。
「朗報があります。これをご覧ください」
マリエンヌから、二つの書類がアルヴァへと手渡された。一つは政府広報紙、もう一つは皇帝直々の手紙だった。
一同、港の片隅に移動して、目立たぬように輪を作った。館に戻る時間も惜しかったのだ。
アルヴァはその場の皆に見えるよう、政府広報紙を開いた。
主な話題は三つあった。どれ一つをとっても、号外が出されるような出来事である。市民にとってはさぞかし刺激的だろう。
一面に最も大きく記されていたのは、皇子の誕生だった。
ウリムと命名されたこの皇子は、やがて皇太子に指名され、次代の皇帝となると期待されている。
国家的慶事に多くの著名人が喜びの言葉を寄せていた。皇族・貴族の有力者を中心に、作家や芸術家らしき面々が名を連ねていた。
ソロンはよく知らないが、いずれも帝都近郊に在住する人々だそうだ。誕生から日を置かずに紙面は作られたらしく、遠方からの寄稿はこれからとなるのだろう。
「ウリム皇子ですか……。よいお名前ですね」
アルヴァは従兄夫妻に舞い降りた慶事を喜び、微笑みを浮かべた。
もっとも、ソロンが目を引かれたのはその記事ではなかった。
注目すべきは、そこへ添えるように書かれていた記事――先帝アルヴァネッサへの恩赦だった。元老院で開かれた臨時議会によって、多くの犯罪者と併せて減免が下されたという。
本来ならば、これにしても大きな出来事ではある。
ただ紙面の多くが皇子誕生に割かれているため、比較的ささやかな扱いになっていた。
「うまくいったみたいだね」
「ええ、お祖父様とお兄様が尽力してくださった賜物です」
「私は何もしとらんよ。しかし……事の重大さの割りに、記事が小さくはないか?」
首尾よく事が運んだのを知り、ニバムは安心した顔を見せた。
それでも、わずかに不満そうだったのは、孫娘の扱いが小さいせいだろうか。
アルヴァは余裕の笑みを祖父に返して。
「なんと言っても、次代の皇帝陛下ですからね。帝都の政界からすれば、私はもはや終わった人間です。記事としての価値が違うのも当然でしょう。それに、私としても目立ちたいわけではありませんから。却って都合がよいぐらいです」
「ううむ、お前がそう言うなら仕方ないが……」
ニバムはしぶしぶ引き下がった。
「でも、これでアルヴァも堂々と外を歩けるんだね」
ともあれ、これでソロンの目的は達成できたということでもある。少し寂しさはあるが、ようやく肩の荷が降りた。
「最初から追放なんてしなくてよかったんだよ。女の子を一人であんな所に追放して、命があったのが奇跡だもん」
ミスティンは今更ながら、憤懣を表に出していた。
当初、アルヴァの追放を耳にした時には、もっと冷静な発言をしていたような覚えがある。
常に自然体で変化に乏しく見えるミスティンだが、彼女もいつの間にか変わっていたのだろう。
「まあでも、そう言われりゃそうだわな。追放したり取り消したり、見ようによってはブレブレだもんな」
グラットもミスティンの見解に同意した。
市民からすれば、つい先日の追放刑を取り消す唐突な決定である。朝令暮改と言われても仕方がない。
加えて、刑を議決した元老院の体面を蔑ろにする行為でもあった。
「その点は、お兄様が奮闘してくださったようですね」
アルヴァが指差した箇所には、皇帝エヴァートによる先帝への弁護が掲載されていた。
”魔法の暴発による罪は重い。だが故意ではない行為に対して、追放刑のような重大な罰を下すことは従来の慣習にもない。
議決した時点では、元老院の判断もやむを得なかった。私もその点に異議を申し立てるつもりはない。
しかし、事後の調査でも、先帝の行為が故意でないことは、ほぼ確実だと証明された。
何より、皇子から見て先帝は父の従妹でもある。従来の慣習でも、親族に対しての恩赦は真っ先に検討されるものである。
よって、皇籍追放は仕方ないにしても、追放刑は取り消すことが妥当であろう”
――とのことだった。
ただ主張を通すだけでなく、元老院への配慮までが窺えるエヴァートらしい文体である。慣習を重んじる元老院の論理を、逆手に取っているわけだ。
ちなみに、先帝の追放先が下界であったことには触れられていない。
そして最後の知らせである。これもソロンにとっては重要だった。
他でもない。ネブラシア帝国とイドリス王国との国交締結である。
下界に国があるという帝国人にとっては衝撃的であろう内容。それが淡々とつづられていた。
記事にはイドリス側の人物名までも記載されている。
国王サンドロスの他には使節団の二名――ソロニウス王子とナイゼルだ。ガノンドの名がないのは、あくまで顧問だからだろう。
そして名目上は、ソロンが使節団の代表になっている。ナイゼルが言った通り全権大使なんだとか。
実のところ、あまりよく分かっていない。
……が、愚かな行為をすれば、国の威信に傷がつくのは確かだ。気をつけねばならない。
アルヴァは次に皇帝の手紙へと目をやった。
さらりと内容を確認した後で、見せても問題ないだろうと判断したらしい。皆に見えるよう手紙を広げてくれた。
手紙には、政府広報紙ほどには重要な内容は含まれていなかった。皇子誕生に関する挨拶から始まって、恩赦を出すに至った経緯が簡単にまとめられていた。
この手紙が届く頃には、政府広報にも載るだろうと予言されていたが、実際その通りになったわけである。
もっとも、本題はそれではないようだ。
手紙にはアルヴァに対して、もしよければ帝都に来ないか――との誘いが書かれていた。
そこには、日々の政務に四苦八苦するエヴァートの窮状が率直に記されていた。それを助けるため、相談役として帝都に留まってもらいたいとのことだった。
恩を着せるというよりは、本当に困っているという印象である。
アルヴァより歳上とはいえ、エヴァートもまだまだ若い。政治家として、様々な壁にぶち当たっているのは容易に想像できた。
「どうするの?」
ソロンが問いかければ、
「行きましょう、帝都へ。……ソロンも来ますよね」
アルヴァは迷いなく答え、それから期待を込めた目を向けてくる。
正直、全権大使としての自覚はない。
けれど、自分の役目は帝国とイドリス――あるいは上界と下界をつなぐことなのだ。ならば、もうしばらく彼女達と関わってもいいだろう。
「行くよ、全権大使だからね」
ソロンは再び、帝都へ向かうことにした。
第五章『蒼海をゆく』完結!
物語の区切りとしても、第二部完となります。
次は第六章『果てしなき大雲海』です。
帝国への復帰を果たしたアルヴァとソロンと仲間達は、新たなる旅立ちへ……。
第五章は雲海成分のない雲海のオデッセイでしたが、こちらは雲海成分たっぷりとなる見込みです。