愚か者の末路
ダナムはそれなりに強かった。帝国の一般兵と比較すれば、中の上から上の下ぐらいの実力はあっただろう。
……つまりはソロンの相手ではなかった。魔法など、もちろん必要ない。
最初の一合でダナムは無様に転び、次の一合では剣を弾き飛ばされた。
敵わないと悟っても、また向かってくる姿はニバムに『勇敢』と称されただけはあったかもしれない。
もっとも、それは引き際を見極めない愚かと大差なかったが……。
そして、剣を失ったダナムの頭上に、ソロンは刀を叩きつけた。
峰打ちではあったが、それでもダナムは頭から血を噴いて悶絶した。
とどめを刺そうか迷う程度には腹も立っていたが、聞きたいこともあった。
この男はザウラスト教団とつながっているのだ。
それに、このような小物のために手を汚したくもない。帝国の法律に従って裁いてもらうのが最善だろう。
*
戦いは終わり、船の乗員達はあっけなく降伏した。
ダナムの部下が反抗を続ける可能性も想定していたが、そのような様子は微塵もなかった。
それどころか、こちらが指示するまでもなく、
「小舟にいるお二人も、お乗せしましょう。アルヴァネッサ様をあのようなところに放置しては、おかわいそうです」
「島に引き返すということでよろしいですか? 帆の交換が終わるまで、しばしお待ちください」
「ダナム様はどうします? そこの帆柱にくくりつけてはいかがでしょうか?」
というように話が進んだ。
……もはや意外でもなんでもないが、あの男――人望が絶望的になかったらしい。普段は脅しつけたり、弱みを握って部下を掌握していたようだった。
*
島に引き返した帆船は、すぐに置き去りにされた者達を回収した。
グラットもニバムも船員達も――みな安堵の表情を浮かべていた。
ダナムの部下達は、ニバムへ早々に許しを請うた。
「よい。……それよりも、馬鹿息子が迷惑をかけたな。怪我をした者達もいるようだが、手当をしてやってくれ」
伯爵はたった一言で彼らを許した。
それから、伸びたまま帆柱にくくりつけられた息子を一瞥し、
「馬鹿者が……」
と、寂しそうにつぶやいて船室へと去っていった。まだ体調が優れないところに、息子の乱心だ。疲労は相当に濃いようだった。
「なんつうか、爺さんの育て方が悪かったのかもしれんが……。それにしてもありゃあ、かわいそうだな」
そんな伯爵をグラットが哀れんでいた。ニバムを背負い続けた縁もあって、多少は同情を持っているようだった。
「だね。グラットのほうが息子としてはまだマシだと思う」
ミスティンは申し訳程度にグラットを褒めた。
「そうですね。なぜだか相対的に、グラットが親孝行者のような気がしてきました。家出息子ではあっても、悪事は働いていませんからね」
アルヴァも低い次元で適当にグラットを賞賛した。
「おう、なんか褒められてるはずなのに、全然うれしくないぜ。てか、ミスティン。お前だって家出娘だろうがよ」
*
出航して数時間、帆船はラスクァッド島の間近まで迫っていた。
船室で体と心を休めるソロン達の元に、知らせがもたらされたのはその時だった。
ニバムの次男ダナムが、ようやく意識を取り戻したのである。
「お、俺が悪かった! 伯爵の息子に生まれながら、不遇を受け鬱憤が溜まっていたのだ。悪いことだとは知りながら、気持ちを抑えられなかった!」
ソロンを見るなりダナムは弁解を始めた。帆柱にくくりつけられたまま、必死で頭を低くしている。気絶する前の居丈高な態度は欠片もなかった。
「それじゃあ、まずはアルヴァに謝りなよ。あんたは二人の信頼を裏切ったんだから」
ソロンは冷然と言い捨てた。そういえば昔、自分も帆柱にくくられていたな――などと思いながら。
「分かった……」
ダナムは唯一自由な首を動かし、アルヴァを見上げた。彼女はソロンの少し後ろで、ダナムを無表情に見下ろしていた。
「――すまぬ、アルヴァよ! 俺はイルファ姉さんがうらやましかった。姉さんだけは親父の愛した人の子で、俺の母さんは愛人の一人に過ぎなかった。だから、俺は親父を見返してやりたかったんだ! だが、そんなことは言い訳に過ぎない! アルヴァよ! 愚かな叔父を許してくれい!」
アルヴァの母イルファ――ダナムにとっては腹違いの姉。その姉への嫉妬が、この男を野心へと駆り立てたのだろうか。
「叔父様……」
アルヴァはゆっくりとした足取りで、叔父へと歩み寄った。一歩の距離を空けて、ピタと足を止める。
その瞬間――
「……と、見せかけてバカめ!」
ダナムは縄を怪力で強引にほどいた。いつの間にか、密かにほぐしておいたに違いない。
自由になった腕を伸ばして、ダナムはアルヴァへとつかみかかろうとした。アルヴァを人質に取ることで、形勢逆転を狙ったのだろうか。
「ふぐぅおぅ!?」
……が、その試みが成功することはなかった。
アルヴァの膝蹴りが、ダナムの顔面に直撃していたのだ。
一瞬の機を見極める判断力。低い体勢から動き出したダナムへと、膝を合わせた狙いの精度。翻ったスカートから垣間見えた、しなやかで美しい足。
それはもう、どこをとっても惚れ惚れするような一撃だった。
そして次の瞬間には――ソロンの飛び蹴りが、横からダナムの頭に突き刺さっていた。
ソロンはダナムの動きに反応しただけだったが、意図せずにアルヴァとの連携になった。
鼻血を吹き出しながら、ダナムは頭から派手に吹っ飛んだ。今の衝撃で縄からも抜け出せたらしい。
「そりゃ、そんなの通じるはずないわな。二人がやらなきゃ俺がやってたし……」
白目を向いて倒れている男を見て、グラットが溜息をついた。
実際のところ、誰もダナムを信用していなかった。
アルヴァは微妙に距離を取っていたし、ミスティンも弓矢を構えたままだった。
ソロンに至ってはダナムに対する心証は最低だった。
それこそ、謝ったからといって許す気にはなれないほどに……。むしろ、蹴りかかる機会を待っていたといってもよい。
グラットは二人のほうを向いて。
「――……てか、お前らもけっこう容赦ないのな。なんというか、このおっさんも色々苦労したんだろうに。……その結果がこれなのはあれだが」
「苦労したからって、アルヴァの悪口を言っていい理由にはならないよ」
穏やかなソロンであっても、許容できないものがある。
傷つけられた人の多さを考えれば、ここでこの男を許すのは優しさではない。
「私のことは別にいいのですが……。お祖父様とソロンを罵ったことは許せません。マキモスによって、どれだけの方が命を失ったか……。天に代わって罰を下したまでです」
と、お互いに相手のことを気遣いあう。
それで二人は、何となく目を合わせて笑ってしまった。
*
「さっきのは悪かった。ただちょっと魔が差しただけだ! だから、あまり近づかないでくれ!」
再び息を吹き返したダナムは、怯えた目でアルヴァを見ていた。
申し訳程度に応急処置をしたものの、顔は酷くはれている。
先程までは縄にくくられていたが、今は頑強な鉄の鎖で帆柱に縛りつけられていた。
「話してくださいますか、叔父様? あなたはいかにして、あの邪教徒達と接触を持ったのでしょう?」
感情の窺えない声と表情で、アルヴァは尋問した。ソロン達もそのそばで油断なくダナムを見張る。
「何でも話すとも! 全てはあの女が唆したせいだ!」
「あの女とは、ザウラスト教団の者ですね?」
「そうだ。枢機卿などと名乗っていた」
「枢機卿? あまり聞き慣れない言葉だけど……」
ソロンが首をかしげる。
「神竜教会で言うと、教皇の次に偉い人達だね。司教や大司教から特別に選ばれるんだよ。あっちの教団のことは知らないけど」
神官家出身のミスティンが答えてくれた。
「ああ、あの女も教団で力を持っているようだった。そいつが俺の元を訪れて、魔物を呼び出す奇跡の力を見せつけたんだ。俺はその魅力に抗えなかった。本当なら俺はこんな大それたことを、やるつもりはなかったのだ! きっと、あの女が怪しい術で、俺の心を操ったせいに違いない! きっとそうだ、信じてくれ!」
「叔父様、質問には簡潔に答えてください。本音を申せば、あなたのような匹夫下郎と言葉を交わすのは愉快ではありません。ですが、血縁のよしみで仕方なく機会を与えているのです」
アルヴァがこれ見よがしに、ゆったりと杖を回す。杖先の魔石がバチバチっと電光を放った。
「分かった! 分かったから、杖を向けるな!」
「ならば、その枢機卿と名乗った女の特徴を教えていただけますか?」
「わ、分からん。他の神官達と同じような法衣を着ていたが、顔はよく見えなかった」
「年齢も分からないのですか?」
「仕方ないだろう! フードで顔を隠していたんだ! 声の感じでは、少なくとも年寄りではなかった。二十代から三十代、もしくは四十代から五十代だろう。落ち着いた声ではあったが、十代の可能性も否定できん」
「役に立たないね」
と、ミスティンが辛辣につぶやく。
「どこに拠点があるか、述べていませんでしたか?」
「知らん。あっちが一方的に、俺の元へ来るばかりだったからな。向こうのことはよく分からんのだ」
「それでも、注意深く観察すれば得られる情報もあるでしょう。例えば、その女の喋り方です。言葉遣いや抑揚に特徴は?」
「なかった。イシュティールや帝都で使われる標準的な帝国語だ」
ダナムは即答した。
「やっぱ、役に立たねえじゃねえか」
グラットもミスティンと同じく辛辣だったが、ソロンは首を横に振った。
「いや、帝国人の可能性が高いっていうのは立派な情報だよ。僕はてっきり下界人だと思ってたからさ」
「確かに、下界人が帝国人の振りをするのは難しいよね。ソロンなんて最初、至るところでボロ出してたし」
ミスティンは深く頷いた。
「……それはほっといてよ」
「ともあれ、帝国人にも邪教徒がいると認識したほうがよさそうですね。ああ、それから――」
と、アルヴァはダナムへ視線を戻して。
「――法務長官へ密告書を送ったのも、あなたですね?」
「ああ、事前に教団から警告があったのでな。お前達がイシュティールへ来るかもしれんと。確認が取れ次第、早々に帝都へ早馬を送った」
「教団から……?」
アルヴァは意外そうに声を上げた。
ダナムが密告書の送り主なのは、ソロンでも予想できたことだ。それ自体は驚くに値しない。
しかし、教団が絡んでいるとは予想外だった。下界の時点で、ソロン達と教団は敵として接触を持ってはいた。
けれど、それ以降の動きを捕捉されていたとは驚くほかない。一体どうやって、こちらの動きをつかんだのだろうか……。
以後もダナムへの尋問が続けられたが、めぼしい成果はなかった。
彼はザウラスト教団に利用されていたに過ぎず、詳しい知識は何も持たなかった。……もっとも、それも予想通りではあったが。
ダナムは枢機卿を通して、教団の『奇跡』に魅了された。そして、彼はザウラスト教団に入信し力を借りたのだった。
後はソロン達も知る通りである。