隙のない計画
砂煙で汚れた視界の中、ソロンはどうにか体を起こした。
目に飛び込んだのは、地面へと開いた大穴だった。その中心には巨大な魔物の潰れた姿があった。
マキモスの体は見るからに歪で、その所々がへこんでいた。恐らくは体を支える骨が崩れたのだろう。いかなバケモノもこれでは生きているはずもない。
周囲には、血のように噴出した赤黒い瘴気が漂っていた。これは呪海の力によって生まれる邪教の魔物が示す特徴だった。
「これはまた……見事なものですね」
ソロンの肩に手をやって、アルヴァも後ろから覗き込む。どうやら、ソロンの背中にくっついて砂煙を避けているらしい。
「いったい何が起こったのかな……? グラットがやったんだよね」
ソロンは呆然と死骸を眺めながら、アルヴァへと顔を向けた。
「槍先から魔力を注ぎ、魔物にかかる重力を加速させたのでしょう。あの巨体ですから、自重に耐えられなくなったに違いありません。グラットもなかなかやるではありませんか」
アルヴァはそう説明して、グラットを褒め称えた。
「って、グラットは!?」
ソロンは思わず叫び、そして振り返った。まだ砂煙が立ち込める中を走って、グラットの姿を探す。
すると、座り込むミスティンの姿が目に入った。
いつの間にか見当たらないと思いきや、グラットの姿を探していたのだろうか。
彼女は砂に埋もれた何かを木の棒でつついていた。何かはわずかに身じろぎして、砂を動かした。
茶色の髪と槍先が覗いている――砂に埋まったグラットだった。
「ぶはっ……」
仰向けのグラットは砂を吐き出し、視線をこちらに向けた。砂の中から体を起こす気力はないらしい。
「あっ、起きた!」
ミスティンが嬉しそうに叫んだ。
「大丈夫、グラット?」
ソロンも心配して声をかける。
「お……俺はやったぞ」
弱々しくも、声は返ってきた。ソロンはホッと安堵する。
「が、頑張ったね」
「どうだソロン、今日の俺は最高に輝いていたぜ。ぐほぁっ……」
かつて、帝都の戦いではグラットが神獣を引きつける役目をしてくれた。今日は反対に、ソロンが敵を引きつけたのだ。
「うん、輝いてたよ。分かったから、もう喋らないで……」
口の中に砂が詰まったグラットは、喋るたびに苦しそうにしていた。
「あっ、その前に一つだけよいですか。お祖父様はどうしたのでしょうか?」
そんな様子にお構いなく、アルヴァがグラットに尋ねた。
この人はこの人で、グラットへの労りが足りないと思う。……まあ、グラットはわりかし大丈夫そうだが。
「げほっ……。逃げてきた船員達と会えたんでな……。預けてきた……ぜ。お姫様の助けを頼まれたんでな……」
グラットはどうにかそれだけを伝えた。
* * *
「ば、馬鹿な……! マキモスがやられただと!?」
双眼鏡を覗くダナムは、目を飛び出さんばかりに衝撃を受けていた。
海ワニ――マキモスはダナムの指示に従って、猛然とアルヴァ達を追いかけた。
そして、その様子を確認するため、ダナムはわざわざ舟を降りたのだ。何といっても、圧倒的勝利を収める瞬間をその目で見たかったのである。
そうして、ダナムは三人の手兵を連れて高台に陣取った。
遠くからでも分かる壮絶な戦い。
つばを飛ばしながら、ダナムはマキモスを必死に応援した。それはもう、隣の兵士達から冷めた視線を感じる程に熱中していた。
マキモスはアルヴァとその仲間達を圧倒していた。魔法はワニの巨体には一切通じず、彼女らは逃げまわるばかりだった。
圧倒的な勝利と栄光が、ダナムの手中に転がり込むのは時間の問題――そのはずだった。
……がしかし、突如、巨大な砂煙にマキモスが飲まれた。
砂煙が晴れたところには、遠くからでも分かる巨大な死骸。いくらダナムがにらんでも、二度とマキモスが動き出すことはなかった。
「この俺が……この俺が負けるのか……。あんな小娘に……」
ダナムは呆然とつぶやき続けた。
「あのぅ、閣下……」
そんなダナムに、おずおずと兵士が声をかけてくる。
「な、なんだ……!?」
突如、声をかけられて狼狽するダナム。慌てて体裁を整える。
「どうなされますか、撤退されたほうがよいと思われますが……?」
その瞬間、ダナムの顔がゆで上がるように赤く染まった。
「この俺に……逃げろというのか? 馬鹿なっ! あの小娘とジジイに一泡吹かせずして、逃げるなど――」
激高したダナムだったが、そこまで声にしたところで口をつぐんだ。彼の頭脳へと天啓のように閃くものがあったのだ。
「――ふふっ……はははっ、はあっはっはーっ! そうかその手があったか!」
手を打つダナムを見て、兵士達が怪訝な表情を浮かべる。
「は、はあ……。閣下、妙案が思い浮かんだのですか?」
「うむ。奴らを島へ置き去りにし、飢え死にさせるのだっ! なんという完璧で隙のない計画! 欠点を言えば、連中のくたばる姿をこの目で見れぬぐらいだが……。まあそこは妥協をしてやろう。あまり欲張っては失敗するからな。ふふ……くっくっくっ! 最後に笑うのはこの俺だったな!」
ダナムはこみ上げる愉悦を抑えきれず、高らかに笑った。
もちろん、ただ置き去りにするだけでは、救助が来る可能性がある。
だがその点も抜かりはない。
ラスクァッドの港に立ち寄って、連中のことを領主に伝えるのだ。海竜に襲われて死んだ――と。そうやって、強引に捜索を打ち切らせればよい。
幸い、このネブロー島は一般的な航路からは外れていた。捜索の船を除けば、何者も近くを通りかかることはないだろう。
残る邪魔者は長男のテリダムだけとなるが、その兄にしても今は帝都にいる。しばらくは、ダナムが伯爵代理をするしかない状況だ。
そうして得た権力を活用し、足場を固めてしまえばよい。ザウラスト教団の力があれば、テリダムを始末するのもたやすいはずだ。
戦って勝つばかりが勝利ではない。古今東西の英雄にしても、常に力づくで勝利を得ていたわけではないのだ。
時に交渉し、時に水攻めし、時に兵糧攻めをする。
手段を問わず最終的な勝利を得た者こそが、歴史に英雄として刻まれるのだ。
「そ、それは素晴らしい案ですね。それでは早く船に引き返しましょう」
部下の口調は義務的で、どこかぎこちなかった。だが、約束された勝利に恍惚とするダナムにとって、些細なことでしかなかった。
* * *
砂に埋もれたグラットを、ソロンは何とか引っ張り出した。その体を木陰にもたれさせ、負担のかからない体勢にした。
「これで一件落着だね」
グラットの治療を施しながら、ミスティンが微笑んだ。
歩くのも難儀そうなグラットではあったが、体に大事はなさそうだった。
「ああ、すまねえなあ」
グラットも目をつぶって休養する構えだった。
「おお、無事だったか!」
そこに遠くから大声で呼びかけるニバムの姿があった。杖を突きながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そばには船員達もいて、すぐにニバムを支えられる体勢を取っていた。
「お祖父様……」
座り込んでいたアルヴァが微かに手を振った。
走り回ったり、魔法を使ったりと、さっきまでの彼女は忙しかった。さすがに疲れは隠せないようだが、祖父の姿に安堵を見せた。
ソロンも戦いを勝ち抜いた達成感にひたっていた。
アルヴァの祖父――イシュティール伯爵ニバムを助けた。そのニバムの船を難破させた魔物――マキモスも撃破した。
「……けど、何か忘れているような」
ソロンはぼんやりとつぶやいた。
心のどこかに何か引っかかるものがあるのだ。アルヴァへと視線を移し、心当たりがないか目で問いかける。
彼女は眠たそうな目でこちらを見返してきた。それから、近くに寄ってきたニバムへと目をやって――
途端、アルヴァが勢いよく立ち上がった。
「ああぁ! 叔父様、叔父様は……!?」
悲鳴のような声で、忘れていたそれを口にする。彼女の顔はいつになく引きつっていた。
「俺のことはいいから……早く行ってこい! ソロン、あの野郎を逃がすなよっ!」
事態に気づいたグラットも目が冴えたようだった。息も絶え絶えだったが、それでもソロンに発破をかける。
何といっても、これ以上の遭難は嫌だったのだ。
「アルヴァ、ミスティン! 行こう!」
かけ声と共にソロンは走り出した。
グラットもニバムも船員達と共に、一箇所へ集まっている。放っておいても心配はないだろう。それよりも今はダナムの動向が重要だ。
「急ぎましょう!」「了解」
二人もすぐに後へと続いてくれた。
「頼んだぞっ!」「ダナムの奴を頼むっ!」
グラットとニバムの声援を背中に受けながら、三人は海岸へと突っ走った。