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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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隙のない計画

 砂煙で汚れた視界の中、ソロンはどうにか体を起こした。

 目に飛び込んだのは、地面へと開いた大穴だった。その中心には巨大な魔物の潰れた姿があった。

 マキモスの体は見るからに(いびつ)で、その所々がへこんでいた。恐らくは体を支える骨が崩れたのだろう。いかなバケモノもこれでは生きているはずもない。


 周囲には、血のように噴出した赤黒い瘴気が(ただよ)っていた。これは呪海の力によって生まれる邪教の魔物が示す特徴だった。


「これはまた……見事なものですね」


 ソロンの肩に手をやって、アルヴァも後ろから覗き込む。どうやら、ソロンの背中にくっついて砂煙を避けているらしい。


「いったい何が起こったのかな……? グラットがやったんだよね」


 ソロンは呆然と死骸を眺めながら、アルヴァへと顔を向けた。


「槍先から魔力を注ぎ、魔物にかかる重力を加速させたのでしょう。あの巨体ですから、自重(じじゅう)に耐えられなくなったに違いありません。グラットもなかなかやるではありませんか」


 アルヴァはそう説明して、グラットを褒め称えた。


「って、グラットは!?」


 ソロンは思わず叫び、そして振り返った。まだ砂煙が立ち込める中を走って、グラットの姿を探す。


 すると、座り込むミスティンの姿が目に入った。

 いつの間にか見当たらないと思いきや、グラットの姿を探していたのだろうか。

 彼女は砂に埋もれた何かを木の棒でつついていた。何かはわずかに身じろぎして、砂を動かした。


 茶色の髪と槍先が覗いている――砂に埋まったグラットだった。


「ぶはっ……」


 仰向けのグラットは砂を吐き出し、視線をこちらに向けた。砂の中から体を起こす気力はないらしい。


「あっ、起きた!」


 ミスティンが嬉しそうに叫んだ。


「大丈夫、グラット?」


 ソロンも心配して声をかける。


「お……俺はやったぞ」


 弱々しくも、声は返ってきた。ソロンはホッと安堵する。


「が、頑張ったね」

「どうだソロン、今日の俺は最高に輝いていたぜ。ぐほぁっ……」


 かつて、帝都の戦いではグラットが神獣を引きつける役目をしてくれた。今日は反対に、ソロンが敵を引きつけたのだ。


「うん、輝いてたよ。分かったから、もう喋らないで……」


 口の中に砂が詰まったグラットは、喋るたびに苦しそうにしていた。


「あっ、その前に一つだけよいですか。お祖父様はどうしたのでしょうか?」


 そんな様子にお構いなく、アルヴァがグラットに尋ねた。

 この人はこの人で、グラットへの(いたわ)りが足りないと思う。……まあ、グラットはわりかし大丈夫そうだが。


「げほっ……。逃げてきた船員達と会えたんでな……。預けてきた……ぜ。お姫様の助けを頼まれたんでな……」


 グラットはどうにかそれだけを伝えた。


 * * *


「ば、馬鹿な……! マキモスがやられただと!?」


 双眼鏡を覗くダナムは、目を飛び出さんばかりに衝撃を受けていた。

 海ワニ――マキモスはダナムの指示に従って、猛然とアルヴァ達を追いかけた。

 そして、その様子を確認するため、ダナムはわざわざ舟を降りたのだ。何といっても、圧倒的勝利を収める瞬間をその目で見たかったのである。


 そうして、ダナムは三人の手兵を連れて高台に陣取った。

 遠くからでも分かる壮絶な戦い。

 つばを飛ばしながら、ダナムはマキモスを必死に応援した。それはもう、隣の兵士達から冷めた視線を感じる程に熱中していた。


 マキモスはアルヴァとその仲間達を圧倒していた。魔法はワニの巨体には一切通じず、彼女らは逃げまわるばかりだった。

 圧倒的な勝利と栄光が、ダナムの手中に転がり込むのは時間の問題――そのはずだった。


 ……がしかし、突如、巨大な砂煙にマキモスが飲まれた。

 砂煙が晴れたところには、遠くからでも分かる巨大な死骸。いくらダナムがにらんでも、二度とマキモスが動き出すことはなかった。


「この俺が……この俺が負けるのか……。あんな小娘に……」


 ダナムは呆然とつぶやき続けた。


「あのぅ、閣下……」


 そんなダナムに、おずおずと兵士が声をかけてくる。


「な、なんだ……!?」


 突如、声をかけられて狼狽するダナム。慌てて体裁を整える。


「どうなされますか、撤退されたほうがよいと思われますが……?」


 その瞬間、ダナムの顔がゆで上がるように赤く染まった。


「この俺に……逃げろというのか? 馬鹿なっ! あの小娘とジジイに一泡吹かせずして、逃げるなど――」


 激高したダナムだったが、そこまで声にしたところで口をつぐんだ。彼の頭脳へと天啓のように閃くものがあったのだ。


「――ふふっ……はははっ、はあっはっはーっ! そうかその手があったか!」


 手を打つダナムを見て、兵士達が怪訝(けげん)な表情を浮かべる。


「は、はあ……。閣下、妙案が思い浮かんだのですか?」

「うむ。奴らを島へ置き去りにし、飢え死にさせるのだっ! なんという完璧で隙のない計画! 欠点を言えば、連中のくたばる姿をこの目で見れぬぐらいだが……。まあそこは妥協をしてやろう。あまり欲張っては失敗するからな。ふふ……くっくっくっ! 最後に笑うのはこの俺だったな!」


 ダナムはこみ上げる愉悦を抑えきれず、高らかに笑った。

 もちろん、ただ置き去りにするだけでは、救助が来る可能性がある。

 だがその点も抜かりはない。

 ラスクァッドの港に立ち寄って、連中のことを領主に伝えるのだ。海竜に襲われて死んだ――と。そうやって、強引に捜索を打ち切らせればよい。


 幸い、このネブロー島は一般的な航路からは外れていた。捜索の船を除けば、何者も近くを通りかかることはないだろう。

 残る邪魔者は長男のテリダムだけとなるが、その兄にしても今は帝都にいる。しばらくは、ダナムが伯爵代理をするしかない状況だ。

 そうして得た権力を活用し、足場を固めてしまえばよい。ザウラスト教団の力があれば、テリダムを始末するのもたやすいはずだ。


 戦って勝つばかりが勝利ではない。古今東西の英雄にしても、常に力づくで勝利を得ていたわけではないのだ。

 時に交渉し、時に水攻めし、時に兵糧攻めをする。

 手段を問わず最終的な勝利を得た者こそが、歴史に英雄として刻まれるのだ。


「そ、それは素晴らしい案ですね。それでは早く船に引き返しましょう」


 部下の口調は義務的で、どこかぎこちなかった。だが、約束された勝利に恍惚(こうこつ)とするダナムにとって、些細なことでしかなかった。


 * * *


 砂に埋もれたグラットを、ソロンは何とか引っ張り出した。その体を木陰にもたれさせ、負担のかからない体勢にした。


「これで一件落着だね」


 グラットの治療を(ほどこ)しながら、ミスティンが微笑(ほほえ)んだ。

 歩くのも難儀そうなグラットではあったが、体に大事(だいじ)はなさそうだった。


「ああ、すまねえなあ」


 グラットも目をつぶって休養する構えだった。


「おお、無事だったか!」


 そこに遠くから大声で呼びかけるニバムの姿があった。杖を突きながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 そばには船員達もいて、すぐにニバムを支えられる体勢を取っていた。


「お祖父様……」


 座り込んでいたアルヴァが微かに手を振った。

 走り回ったり、魔法を使ったりと、さっきまでの彼女は忙しかった。さすがに疲れは隠せないようだが、祖父の姿に安堵を見せた。

 ソロンも戦いを勝ち抜いた達成感にひたっていた。

 アルヴァの祖父――イシュティール伯爵ニバムを助けた。そのニバムの船を難破させた魔物――マキモスも撃破した。


「……けど、何か忘れているような」


 ソロンはぼんやりとつぶやいた。

 心のどこかに何か引っかかるものがあるのだ。アルヴァへと視線を移し、心当たりがないか目で問いかける。

 彼女は眠たそうな目でこちらを見返してきた。それから、近くに寄ってきたニバムへと目をやって――

 途端、アルヴァが勢いよく立ち上がった。


「ああぁ! 叔父様、叔父様は……!?」


 悲鳴のような声で、忘れていたそれを口にする。彼女の顔はいつになく引きつっていた。


「俺のことはいいから……早く行ってこい! ソロン、あの野郎を逃がすなよっ!」


 事態に気づいたグラットも目が冴えたようだった。息も絶え絶えだったが、それでもソロンに発破をかける。

 何といっても、これ以上の遭難は嫌だったのだ。


「アルヴァ、ミスティン! 行こう!」


 かけ声と共にソロンは走り出した。

 グラットもニバムも船員達と共に、一箇所へ集まっている。放っておいても心配はないだろう。それよりも今はダナムの動向が重要だ。


「急ぎましょう!」「了解」


 二人もすぐに後へと続いてくれた。


「頼んだぞっ!」「ダナムの奴を頼むっ!」


 グラットとニバムの声援を背中に受けながら、三人は海岸へと突っ走った。

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