超重力
ソロンはアルヴァとつなぐ手を放した。二人で足を止めて、背後の魔物へと向き直った。
アルヴァは杖を右手に持つやいなや、一瞬で杖先の魔石を交換していた。
熟練の手品師のような洗練された手の動き。戦いの間でも、とっさに魔石を交換できるように訓練していたのだろう。
杖先の魔石は青く静謐な光を放っていた。冷気の魔石たる氷晶石である。
アルヴァが魔力集中を行うわずかな時間にも、魔物の巨体は近づいてくる。
大ワニの巨体に見合った激しい息遣いが迫る。
青白い凍気が、アルヴァの杖先から放たれた。
凍気は真っ向から大ワニへと吹きつけて、魔物の巨体を包み込むように広がっていく。
ワニの表面が白く染まって凍りついていく。熱されたウロコが今度は急速に冷却されているのだろう。
ウロコから、ピキピキとひび割れる音が聞こえてくる。急激な温度の差が、ついに頑強なウロコへと損傷を与えたのだ。
マキモスは凍気を嫌がるようにして首を振った。
凍気に向かって突撃はできないらしく、急激に動きをにぶらせた。重々しいうなり声を上げて、こちらをにらんでくる。
「よしっ!」
ソロンは魔物に向かって走り出した。
曲線を描くように動き、顎の届かない側面を目指す。刀に蓄えた炎の魔力が、赤い尾を引いてきらめく。
敵の動きは鈍い。それでも、ギョロッとした目玉がこちらの動きを追ってくる。
ソロンは大ワニの側面を蹴って登り、頭上を狙おうと思っていたが――
「ソロン、危ない!」
後方にいたミスティンが叫んだ。
マキモスがソロンの接近に合わせて、巨体をくねらせてきたのだ。
「うわっつ!?」
ソロンは危ういところで飛び退った。
次の瞬間――ミスティンの矢が突風と共に突き刺さり、ワニの巨体を押し戻す。
敵の手足は短く、振り回してきても回避は難しくない。
むしろ、脅威となるのは長い胴体そのものだった。なんせ、巨体が誇る重量は、ソロンの百倍や二百倍といった程度では済まないのだ。
けれどソロンもただでは帰らない。去り際に刀を払って、ワニの横っ腹へ火球を投げつけた。
火球がウロコに激突し、爆風を巻き起こす。
走り去りながら、ソロンはその効果を注視するが――
全く効果があるようには見えなかった。
至近距離から喰らわせれば、ひょっとして――という希望は儚く砕かれる。
「爬虫類の眼は視野が広いから、横から攻めても難しいかも」
ここに至って、ミスティンが助言をしてくれた。
「それ早く言ってよ……」
つまり敵の死角は背後だけということだ。もっとも、側面を通らなければ背後に回り込むのも難しいわけだが……。
その間もアルヴァの杖から吹きつける凍気が、マキモスの動きを鈍らせてくれていた。この支援がなければ、先の瞬間に反撃を受けていたに違いない。
「ミスティンはあっちをお願い!」
ソロンはまたもワニの側面へと走り出した。
ミスティンと協力して、反対側の側面から挟み撃ちにする。敵の前面はアルヴァの凍気が抑えてくれている。
ソロンは敵の右側から火球を放ち、ミスティンは左側から風の矢を射った。
都合、三方向からの攻撃となる。
マキモスは忌々しそうに体をくねらせた。
広い視野が災いして、魔物は困惑しているらしい。三方に敵がいる中で、どの相手を狙うかも決めかねているようだ。
とはいえ、このままではソロン達にしても決め手に欠けるのも事実だ。
アルヴァの切札――雷鳥の魔法なら申し分なく敵を葬れるはずだ。だが、魔法を発動するだけの猶予を得ることは困難だった。
「くうっ……」
そうこうしているうちに、アルヴァの足元がふらついた。連続した凍気の発動で、集中力を切らしたらしい。
凍気が弱まった隙をついて、マキモスがアルヴァへと襲いかかる。巨体をのたうつようにして直進してくる。
ソロンはとっさにアルヴァへ駆け寄り、その手をつかんだ。そのまま、魔物の正面から外れるように全力で疾走する。
迫る大ワニが大地をゆらす。
ソロンは刀を後ろに向けて、火球を放った。地面を爆砕する一撃が、マキモスの追跡を妨げる。
ミスティンも魔物の背中に向けて、矢を連射した。
小型の竜なら貫くような一撃。それでも、ワニのバケモノはしばし動きを止めただけ。堪えている様子は見えなかった。
「すみません、私の力が及ばずに……」
ソロンに引っ張られながら、アルヴァは謝った。息が苦しそうだ。
「いや、多少なりと動きを止められただけで上出来さ。それよりこうなったら、刀で突き刺すしかないかな」
ウロコを紅蓮の刀で貫き、その体内へと炎を送り込む。その方法なら、いかに頑強な魔物もタダでは済むまい。
「危険ですよ。あのウロコに突き刺すのはいくらなんでも……。万が一、あの巨体に弾き飛ばされてはタダでは済みません」
アルヴァが心底心配そうに、こちらの瞳を覗き込む。
「けどこうなったら、それ以外の方法は――」
ソロンが覚悟を決めようとしたその時――
「うおおおおおおぉ!」
突如、マキモスの背中側から疾駆する男の姿。槍を片手に絶叫しながら、一直線にこちらを目指してくる。
他でもない――グラットが助太刀に来てくれたのだ。ニバムの姿はないが、どこかに置いてきたのだろうか。
ワニにとっても背後は死角。それでも気配を感じたらしく、マキモスは怪訝そうに体をくねらせようとした。
だが、そうはさせない。
「こっち来い!」
ソロンは目の前のワニに向かって叫んだ。
アルヴァが再度、精神を振り絞って凍気を放つ。
時を同じくして、ソロンは爆ぜるように駆け出していた。正面からマキモスへ接近し、攻撃を引きつける。
冷気を受けて、ワニの動作は再び鈍る。それでも魔物は大口を開いた。馬すら収まりそうな大きな顎が、視界に迫る。
意を決して、ソロンは刀を構えた。蓄えられた炎が、刀身を赤々と輝かせる。
「だあっ!」
振り払った刀から放たれた業炎が、マキモスの大口に届く。
口内を焼かれたマキモスがひるんだ。
しかしそれも、わずかな時間。大口をさらに開いて、ソロンを丸呑みにせんと迫った。
「ソロンっ!」
アルヴァの悲鳴が飛ぶ。
ソロンは転がりながら、大口を避けようとした。
途端、大口の中に一本の矢が飛び込んだ。ミスティンがソロンの背後から、援護してくれたのだ。
風の魔力を帯びた矢は、ワニの口内で荒れ狂う強風を起こした。
これにはたまらずワニも苦しそうな声を上げる。
たちまち大口は閉じられた。
しかし、風はなおも荒れ狂い、体内を不自然にふくらませる。
ワニはのたうち回りながら、また口を開き空気を放出する。そうやって、どうにか体勢を立て直そうとした。
そしてそこに隙が生じた。
「うりゃあぁっ!」
グラットは飛んだ。大ワニの背丈を越えて、尋常ではない高さへと舞い上がる。
恐らくは重力を操る魔槍の力を借りているのだろう。当初は魔法の扱いに苦戦したグラットだが、着々と力をつけているようだ。
そうしてマキモスの背中へと急降下し、超重の槍を突き刺した。
ワニのウロコは硬いことで知られている。このような巨体ともなれば、さらに強固なことは明白だった。
それでも、炎と冷気――二つの魔法が寒暖の差を生み出し、ウロコに亀裂が入っていた。
グラットはそれを見逃さず、硬いウロコを貫いたのだ。
……が、マキモスの体に反応はない。
ウロコの向こうには、見た目通りの分厚い肉があるのだろう。恐らくは重要な臓器まで貫通できていない。
だが、グラットの狙いはそこではなかった。
「うおらあぁっ!」
気合の咆哮と共に、彼は超重の槍へと魔力を込めたのだ。
穂先を通して、魔物の体内に魔力が流される。ソロンにもその魔力の流れが見て取れた。
体内に注ぎ込まれる魔法に、抵抗できる魔物はそうそういるものではない。
マキモスの体が歪んだように見えた。歪みは広がるように、魔物の全身へと広がっていき――
途端、巨体が地面へと沈んだ。少なくとも、ソロンの目にはそうとしか見えなかった。
大地が鳴動する。
マキモスを中心にして、轟音と暴風が巻き起こる。
「まずいっ! 伏せて!」
とっさにアルヴァとミスティンの背中を押して、無理矢理に伏せさせた。ソロンも同じようにして、地面に手をつける。
砂が飛礫となって、ソロンへと襲いかかった。顔をそむけながら、腕を前にして襲いかかる砂の弾丸に耐え続けた。
グラットは大丈夫かと思い、必死に上を向けば――そこには砂煙にまぎれて吹っ飛ぶ彼の姿があった。