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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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凶行

「ぬぐうっ……!?」


 ニバムの腹部から鮮血が流れる。その様子は後ろをゆくこちらの小舟からも、はっきりと見て取れた。

 ダナムは剣をニバムの腹から抜き放った。


「お祖父様!?」


 思いがけない事態に、アルヴァが悲鳴を上げる。


「なな、なんだ!? 親子ゲンカか!? 俺もよくやった口だけど、刃傷沙汰(にんじょうざた)はまずいだろ」


 (かい)を握るグラットも素っ頓狂な声を上げた。動転しながらも、自らの価値観で事態を推測しているようだった。

 最も冷静だったのはミスティンだ。弓矢を構え、冷えた眼差しでダナムを見据(みす)えた。


「ソロン」


 ミスティンの静かな呼びかけに応じて、ソロンは櫂から手を離した。すぐさま背中に差した刀を抜き放つ。

 しかし、ダナムはそれを見逃さなかった。


「おっとー、早まるなよ! このジジイがどうなってもいいのか?」


 ダナムは見たこともない形相を浮かべ、こちらを威嚇(いかく)した。間延びした声が不気味に響く。

 ニバムの腕は両隣の兵士に拘束されていた。ダナムは父の背中側に回り、その首元に剣を突きつけていたのだ。

 ニバムが盾にされた形である。矢や魔法で、ダナムを撃つことは困難だった。

 そして同時に、彼の従える兵士達が、弓を構えてこちらの舟に狙いをつけていた。


「叔父様……。何のつもりですか?」


 混迷する事態の中で、それでもアルヴァが問いただす。

 いかに彼女とて、心中は穏やかではないだろう。それでも、向こうの小舟にも伝わる毅然(きぜん)とした声だった。


「何のつもりかだとお? 見て分からんのか? 俺はこのジジイの死骸を確認するために、わざわざこんな島まで探しに来たんだ。それがまだ、くたばってなかったんでなあ。俺がこの死に損ないに、引導を渡してやるんだよ」


 次にダナムは、剣をニバムの顔へと押し付けた。頬がわずかに切り裂かれ、赤い血が流れ出る。


「ダナム……! 乱心したか!」


 ニバムは剣を向けられたまま、必死で声を絞り出す。両腕を拘束されているため、腹から流れる血を押さえることもできない。


「乱心もなにも俺は至って正常だがな」

「なぜだ、ダナム! なぜ私を裏切る! お前なりとはいえ、私に仕えてくれていたではないか! お前も私の大事な後継者の一人だったのに……」


 事実、ニバムは救出された時にダナムを気遣う様子を見せた。その言葉は偽りではなかっただろう。


「な~にが大事な後継者だ! 貴様のような偏屈ジジイに心服した覚えはない。貴様に従っていたのは遺産を継ぐために過ぎんのだぞ。そうでなかったら、貴様などに従ったりはしなかった。それを兄貴はおろか、そんな小娘に爵位を譲るだと!? もう許せん! よくも、今まで俺と母さんを(しいた)げてくれたな!」


 ニバムの言葉は息子へと届かなかった。ダナムは積年の恨みを父へと次々と投げつけた。

 ニバムは諦めたように首を振って。


「ふん、ついに気が狂ったようだな……。お前を産んだことは、わが人生最大の汚点だった。テリッサもあの世で嘆いていることだろう」

「黙れ、クソジジイがっ!」

「ぐおっ……」


 ダナムがニバムの腹を拳で打った。既に流血していた腹部を殴られたニバムは、気を失ったようだった。


「くくくっ……。後で存分にいたぶってやるからな。簡単には殺さんぞ。覚悟しておけよ」


 ますますダナムは興奮し、その腕を震わせていた。


「おやめなさい。そんなことをして、ただで済むとでも思っているのですか!」

「うるさいわ、小娘が! 誰に口をきいている! おっと、杖は置いてもらうぞ! お前の魔法は危険だからな。もっとも、このジジイが死んでいいなら、撃てばいい!」


 そう言ったダナムは、気絶したニバムの背中を軽く押した。


「くっ……」


 アルヴァは苦渋の表情を浮かべながら、足元に杖を置いた。

 彼女の雷撃は、恐るべき速さで敵を撃ち抜く。人質を救出するには相当に有利な魔法である。それだけにダナムも警戒心を隠さなかった。

 その雷撃の魔法にしても、全く隙がないわけではない。


 例えば、初歩的な火球の魔法よりも必要な魔力は大きいため、集中に時間がかかる。その間、杖先の魔石が光るので、注視していれば察知もできるのだ。

 雷撃が発動してからも非常に速いとはいえ、本物の雷に匹敵する程の速さはない。達人ならば、肉眼で見切っての回避も不可能ではない。

 人質となったニバムを盾にされている状況で、撃つわけにはいかなかった。


 もっとも、この状態ではダナムも何も手出しできない。人質のニバムに手出しをしたら最後、自らもアルヴァの雷撃に貫かれるだけだ。

 だが――


 ソロンの刀が輝き、火球が放たれた。

 火球はダナムが乗る小舟のそばの海面へ直撃。小舟は激しい飛沫(しぶき)と共に横倒しになった。


「ぐおあっ!? なにっ!?」


 海に投げ出されながら、ダナムが驚愕(きょうがく)する。

 彼らは弓矢と魔法を警戒していた。ミスティンの弓矢とアルヴァの杖――この二つに注目していたのだ。

 付け入る隙はそこにあった。

 ソロンの持つ紅蓮の刀――それが秘めた魔法の力には、ダナムも兵士達も全くの無警戒だったのだ。


 そして――拘束していた兵士達と共に、ニバムも海へ投げ出された。


「ぐっ……はっ……」


 水を飲んでニバムは気を取り戻したらしい。すぐに手をバタつかせた。水練には長じていると自己申告していただけあって、(おぼ)れはしないようだ。

 それでも、怪我をした彼の体力では限界が来るのも明らかだった。


 その時、既にソロンは海の中へと跳び込んでいた。海水をかき分けて、ニバムへと一気に接近する。

 ニバムを捕まえようと、泳ぐ兵士が手を伸ばしたが――


「ぐふぁっ……」


 兵士の体を稲妻が貫いた。アルヴァが杖を手に取って雷撃を放ったのだ。

 手を伸ばした体勢のまま、兵士の体は海面に浮かんだ。


「ソロン! お祖父様! こちらは任せてください!」


 アルヴァが杖を構えながら叫んだ。彼女に任せていれば、兵士が追ってくることはないだろう。

 その隙にソロンはニバムを抱えたまま、元の小舟へと乗り込んだ。

 ぜえぜえと息をしながら、狭い舟上に転がる。


「ぐうあっ……」


 ニバムは苦しげなうめきを上げた。

 彼の腹部からは勢いよく血が流れ出している。海を泳いだことで、傷口がさらに悪化したのだろう。

 アルヴァは悲痛な表情をしていたが、すぐにハッとして。


「ミスティン、お願いします!」


 頼みを聞き終わる前に、ミスティンはニバムの腹へと魔石をかざしていた。

 淡い光が放たれて、流血が収まっていく。どうにか助かりそうだ――とソロンも安堵した。

 その間、ダナム達も必死な様子で、横転した舟を起こしていた。

 あちらもどうにか、立て直したようだ。兵士達共々、ダナムは舟へと乗り込んだ。


「くそっ、よくも、よくも。俺の邪魔を……!」

 忌々(いまいま)しげにダナムが呪詛を吐いた。

「――もう知らん。もう知らんぞお! これが最後の一匹だ! アレを使ってやるぞ!」


 そう言うなり、ダナムは石のような物を(ふところ)から取り出した。


「んん、なんだ? あいつなにする気だ!?」


 その動きに気づいたのはグラットだった。彼だけが、この状況で敵を観察する余裕を持っていた。

 そしてソロンが気づいた時には、ダナムは石を海へと投じていた。


「あれは……」


 ……どこか見覚えのあるような奇妙な石。

 着水した石が激しい波紋を巻き起こし、それはやがて渦へと変わる。

 次に水柱が噴き上がった。

 そしてその下に巨大な影が現れた。透き通った海水から薄っすらと、姿が見えてくる。


 海竜――いや、見間違えようのない巨大なワニの姿だった。先程、一体をアルヴァが仕留めたはずだが、もう一体がいたのだ。


「なっ!?」


 驚愕(きょうがく)に皆が声を上げる。

 ワニが巻き起こした水飛沫(みずしぶき)が、ここまで飛んでくる。


「どうだ、凄いだろ!? 驚いたか? これは青の聖獣――マキモスという魔物だそうだ。古代の海ワニを魔法の力で復元したんだとな」


 子供がオモチャを見せびらかすように、ダナムは高らかに笑った。

 大ワニ――マキモスが(ただ)ちにこちらへ襲いかかる様子はない。ダナムが乗る小舟の周囲を、悠然と泳ぎ回っていた。

 動きはゆっくり静かに……。それでも、巨体が水を切ることで生み出される波紋が、はっきりと見て取れる。


「まさか……!? あなたがその魔物を操っているのですか……?」


 アルヴァは(なか)ば呆然と、ダナムへ向かって尋ねた。


「そうだとも、こいつは魔物ながら賢いヤツでな。俺の命令にも忠実に従ってくれる。例えば、俺の船だけは襲わないように――なんて命令も有効だぞ。くっくっくっ……」


 俺の船だけは襲わない――ダナムの発言の意味は明白だった。

 船団をマキモスに襲わせたのは彼であり、自分だけを安全圏に置くよう指示していたのだ。もちろん、表向きは襲われたように見せかけたのだろうが……。


「どうやって、そのような魔物を御しているのですか……?」

「ほほう……興味があるのか? どうしたものかな~?」


 ダナムは渋るような姿勢を見せたが、実のところ話したくて仕方がないといった雰囲気である。

 主の意向を反映しているのだろうか。ワニのバケモノはゆったりと海中を泳いでいる。時折、海面へと現れる金色の瞳が、不気味にこちらをにらんでいた。

 その気になれば、こちらの小舟など一瞬で(ほうむ)れる。そう脅迫しているかのようだ。


「ええ……とっても」


 それでもアルヴァは、落ち着き払って会話を続ける。


「――そのような巨大な魔物を御するとなると、伝説級の魔道士でもなければとてもできませんから」


 ダナムは伝説級の魔道士に匹敵する偉業を成し遂げた――そういう意味のおだてである。アルヴァはこの男から、話を聞き出そうとしているのだ。


「ふふふっ……。いいだろう。わが友人達よ、姿を見せてやれ!」


 ダナムは大仰な仕草で、後ろに向かって手を振り上げた。

 手が指す方向には、帆船の甲板がある。

 そこに姿を現したのは――赤い衣をまとい、帽子をかぶった男達だった。


 全部で三人。いずれも同じような服装をしている。

 そして――ソロンはその姿に見覚えがあった。

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