凶行
「ぬぐうっ……!?」
ニバムの腹部から鮮血が流れる。その様子は後ろをゆくこちらの小舟からも、はっきりと見て取れた。
ダナムは剣をニバムの腹から抜き放った。
「お祖父様!?」
思いがけない事態に、アルヴァが悲鳴を上げる。
「なな、なんだ!? 親子ゲンカか!? 俺もよくやった口だけど、刃傷沙汰はまずいだろ」
櫂を握るグラットも素っ頓狂な声を上げた。動転しながらも、自らの価値観で事態を推測しているようだった。
最も冷静だったのはミスティンだ。弓矢を構え、冷えた眼差しでダナムを見据えた。
「ソロン」
ミスティンの静かな呼びかけに応じて、ソロンは櫂から手を離した。すぐさま背中に差した刀を抜き放つ。
しかし、ダナムはそれを見逃さなかった。
「おっとー、早まるなよ! このジジイがどうなってもいいのか?」
ダナムは見たこともない形相を浮かべ、こちらを威嚇した。間延びした声が不気味に響く。
ニバムの腕は両隣の兵士に拘束されていた。ダナムは父の背中側に回り、その首元に剣を突きつけていたのだ。
ニバムが盾にされた形である。矢や魔法で、ダナムを撃つことは困難だった。
そして同時に、彼の従える兵士達が、弓を構えてこちらの舟に狙いをつけていた。
「叔父様……。何のつもりですか?」
混迷する事態の中で、それでもアルヴァが問いただす。
いかに彼女とて、心中は穏やかではないだろう。それでも、向こうの小舟にも伝わる毅然とした声だった。
「何のつもりかだとお? 見て分からんのか? 俺はこのジジイの死骸を確認するために、わざわざこんな島まで探しに来たんだ。それがまだ、くたばってなかったんでなあ。俺がこの死に損ないに、引導を渡してやるんだよ」
次にダナムは、剣をニバムの顔へと押し付けた。頬がわずかに切り裂かれ、赤い血が流れ出る。
「ダナム……! 乱心したか!」
ニバムは剣を向けられたまま、必死で声を絞り出す。両腕を拘束されているため、腹から流れる血を押さえることもできない。
「乱心もなにも俺は至って正常だがな」
「なぜだ、ダナム! なぜ私を裏切る! お前なりとはいえ、私に仕えてくれていたではないか! お前も私の大事な後継者の一人だったのに……」
事実、ニバムは救出された時にダナムを気遣う様子を見せた。その言葉は偽りではなかっただろう。
「な~にが大事な後継者だ! 貴様のような偏屈ジジイに心服した覚えはない。貴様に従っていたのは遺産を継ぐために過ぎんのだぞ。そうでなかったら、貴様などに従ったりはしなかった。それを兄貴はおろか、そんな小娘に爵位を譲るだと!? もう許せん! よくも、今まで俺と母さんを虐げてくれたな!」
ニバムの言葉は息子へと届かなかった。ダナムは積年の恨みを父へと次々と投げつけた。
ニバムは諦めたように首を振って。
「ふん、ついに気が狂ったようだな……。お前を産んだことは、わが人生最大の汚点だった。テリッサもあの世で嘆いていることだろう」
「黙れ、クソジジイがっ!」
「ぐおっ……」
ダナムがニバムの腹を拳で打った。既に流血していた腹部を殴られたニバムは、気を失ったようだった。
「くくくっ……。後で存分にいたぶってやるからな。簡単には殺さんぞ。覚悟しておけよ」
ますますダナムは興奮し、その腕を震わせていた。
「おやめなさい。そんなことをして、ただで済むとでも思っているのですか!」
「うるさいわ、小娘が! 誰に口をきいている! おっと、杖は置いてもらうぞ! お前の魔法は危険だからな。もっとも、このジジイが死んでいいなら、撃てばいい!」
そう言ったダナムは、気絶したニバムの背中を軽く押した。
「くっ……」
アルヴァは苦渋の表情を浮かべながら、足元に杖を置いた。
彼女の雷撃は、恐るべき速さで敵を撃ち抜く。人質を救出するには相当に有利な魔法である。それだけにダナムも警戒心を隠さなかった。
その雷撃の魔法にしても、全く隙がないわけではない。
例えば、初歩的な火球の魔法よりも必要な魔力は大きいため、集中に時間がかかる。その間、杖先の魔石が光るので、注視していれば察知もできるのだ。
雷撃が発動してからも非常に速いとはいえ、本物の雷に匹敵する程の速さはない。達人ならば、肉眼で見切っての回避も不可能ではない。
人質となったニバムを盾にされている状況で、撃つわけにはいかなかった。
もっとも、この状態ではダナムも何も手出しできない。人質のニバムに手出しをしたら最後、自らもアルヴァの雷撃に貫かれるだけだ。
だが――
ソロンの刀が輝き、火球が放たれた。
火球はダナムが乗る小舟のそばの海面へ直撃。小舟は激しい飛沫と共に横倒しになった。
「ぐおあっ!? なにっ!?」
海に投げ出されながら、ダナムが驚愕する。
彼らは弓矢と魔法を警戒していた。ミスティンの弓矢とアルヴァの杖――この二つに注目していたのだ。
付け入る隙はそこにあった。
ソロンの持つ紅蓮の刀――それが秘めた魔法の力には、ダナムも兵士達も全くの無警戒だったのだ。
そして――拘束していた兵士達と共に、ニバムも海へ投げ出された。
「ぐっ……はっ……」
水を飲んでニバムは気を取り戻したらしい。すぐに手をバタつかせた。水練には長じていると自己申告していただけあって、溺れはしないようだ。
それでも、怪我をした彼の体力では限界が来るのも明らかだった。
その時、既にソロンは海の中へと跳び込んでいた。海水をかき分けて、ニバムへと一気に接近する。
ニバムを捕まえようと、泳ぐ兵士が手を伸ばしたが――
「ぐふぁっ……」
兵士の体を稲妻が貫いた。アルヴァが杖を手に取って雷撃を放ったのだ。
手を伸ばした体勢のまま、兵士の体は海面に浮かんだ。
「ソロン! お祖父様! こちらは任せてください!」
アルヴァが杖を構えながら叫んだ。彼女に任せていれば、兵士が追ってくることはないだろう。
その隙にソロンはニバムを抱えたまま、元の小舟へと乗り込んだ。
ぜえぜえと息をしながら、狭い舟上に転がる。
「ぐうあっ……」
ニバムは苦しげなうめきを上げた。
彼の腹部からは勢いよく血が流れ出している。海を泳いだことで、傷口がさらに悪化したのだろう。
アルヴァは悲痛な表情をしていたが、すぐにハッとして。
「ミスティン、お願いします!」
頼みを聞き終わる前に、ミスティンはニバムの腹へと魔石をかざしていた。
淡い光が放たれて、流血が収まっていく。どうにか助かりそうだ――とソロンも安堵した。
その間、ダナム達も必死な様子で、横転した舟を起こしていた。
あちらもどうにか、立て直したようだ。兵士達共々、ダナムは舟へと乗り込んだ。
「くそっ、よくも、よくも。俺の邪魔を……!」
忌々しげにダナムが呪詛を吐いた。
「――もう知らん。もう知らんぞお! これが最後の一匹だ! アレを使ってやるぞ!」
そう言うなり、ダナムは石のような物を懐から取り出した。
「んん、なんだ? あいつなにする気だ!?」
その動きに気づいたのはグラットだった。彼だけが、この状況で敵を観察する余裕を持っていた。
そしてソロンが気づいた時には、ダナムは石を海へと投じていた。
「あれは……」
……どこか見覚えのあるような奇妙な石。
着水した石が激しい波紋を巻き起こし、それはやがて渦へと変わる。
次に水柱が噴き上がった。
そしてその下に巨大な影が現れた。透き通った海水から薄っすらと、姿が見えてくる。
海竜――いや、見間違えようのない巨大なワニの姿だった。先程、一体をアルヴァが仕留めたはずだが、もう一体がいたのだ。
「なっ!?」
驚愕に皆が声を上げる。
ワニが巻き起こした水飛沫が、ここまで飛んでくる。
「どうだ、凄いだろ!? 驚いたか? これは青の聖獣――マキモスという魔物だそうだ。古代の海ワニを魔法の力で復元したんだとな」
子供がオモチャを見せびらかすように、ダナムは高らかに笑った。
大ワニ――マキモスが直ちにこちらへ襲いかかる様子はない。ダナムが乗る小舟の周囲を、悠然と泳ぎ回っていた。
動きはゆっくり静かに……。それでも、巨体が水を切ることで生み出される波紋が、はっきりと見て取れる。
「まさか……!? あなたがその魔物を操っているのですか……?」
アルヴァは半ば呆然と、ダナムへ向かって尋ねた。
「そうだとも、こいつは魔物ながら賢いヤツでな。俺の命令にも忠実に従ってくれる。例えば、俺の船だけは襲わないように――なんて命令も有効だぞ。くっくっくっ……」
俺の船だけは襲わない――ダナムの発言の意味は明白だった。
船団をマキモスに襲わせたのは彼であり、自分だけを安全圏に置くよう指示していたのだ。もちろん、表向きは襲われたように見せかけたのだろうが……。
「どうやって、そのような魔物を御しているのですか……?」
「ほほう……興味があるのか? どうしたものかな~?」
ダナムは渋るような姿勢を見せたが、実のところ話したくて仕方がないといった雰囲気である。
主の意向を反映しているのだろうか。ワニのバケモノはゆったりと海中を泳いでいる。時折、海面へと現れる金色の瞳が、不気味にこちらをにらんでいた。
その気になれば、こちらの小舟など一瞬で葬れる。そう脅迫しているかのようだ。
「ええ……とっても」
それでもアルヴァは、落ち着き払って会話を続ける。
「――そのような巨大な魔物を御するとなると、伝説級の魔道士でもなければとてもできませんから」
ダナムは伝説級の魔道士に匹敵する偉業を成し遂げた――そういう意味のおだてである。アルヴァはこの男から、話を聞き出そうとしているのだ。
「ふふふっ……。いいだろう。わが友人達よ、姿を見せてやれ!」
ダナムは大仰な仕草で、後ろに向かって手を振り上げた。
手が指す方向には、帆船の甲板がある。
そこに姿を現したのは――赤い衣をまとい、帽子をかぶった男達だった。
全部で三人。いずれも同じような服装をしている。
そして――ソロンはその姿に見覚えがあった。