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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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海竜の正体

 朝食を終えた五人は、テントを片付けて出発した。

 目的地は島の北部に位置する浜辺。船員達が待つ帆船(はんせん)へと、ニバムを連れ帰るのだ。

 まだ早い、朝凪の時間。小波(さざなみ)の打ち寄せる岩場の海岸を伝っていく。


 ニバムを背負う役割は、相変わらずグラットが担当してくれた。

 重いはずだろうに、グラットは嫌な顔一つしない。ニバムを落とさないよう、慎重に足を踏み出していく。

 他の三人もそれに合わせて、歩みをゆるめる。

 時にはソロンも、伯爵を背負う役割を交替で引き受けた。背負う度に背中から鋭い視線を感じるが、それも仕方ない。


 行きよりも時間をかけて、岩礁の海岸と森林を通り抜ける。

 ついには帆船を停泊させている砂浜が見えてきた。


「む、何だあれは?」


 浜辺に広がる惨状を見て、グラットに背負われた伯爵が怪訝(けげん)な声を上げた。

 黒い何かが辺り一面に散乱していたのだ。

 もっとも、ソロン達にとっては驚くべきものではない。


「アブクロガニの死骸です。上陸した時に襲いかかってきたので、処理しました」


 先日の激闘は記憶に新しい。実際には、激闘というよりもグラットの醜態(しゅうたい)のほうが記憶に残っていたが……。


「ああ、アブクロガニの生息地だったか……。これだけの数をご苦労だったな。連中の泡毒(ほうどく)は厄介だから、ここでも警戒を(おこた)るでないぞ」


 さすがはイシュティール伯爵である。ニバムはイシュテア海の魔物について、よく精通しているらしい。


「へいへい、ありがたいご忠告、身にしみますよ」


 口を曲げながら、グラットが応えた。


 死骸の山のそばを通り抜けて、浜辺を進む。幸い、アブクロガニが襲いかかってくることもなかった。

 ところが――


「なんか来てる?」


 ミスティンがなにかに気づいた。

 すぐに、こちらへと駆け寄って来る男達の姿が目に入った。


「おっ! お~い!!」


 船員達が大勢で叫びながら走ってきているのだ。どうやら皆、船から降りてきたらしい。


「迎えに来てくれたのかな?」


 伯爵の帰還をいち早く知って、来てくれたのだろうか。双眼鏡で観察しながら、今か今かと待ちわびていたのかもしれない。

 ……しかし、それにしては様子がおかしい。

 船員達の顔を見れば、みな蒼白になっている。


「た、大変! 大変です~!」


 船員達は必死の叫び声を上げながら、こちらへとたどり着いた。


「うん? 何事だ……!?」


 グラットに背負われたままのニバムが、胡乱(うろん)げに声を発した。


「は、伯爵様! ご無事でしたかあ!」


 先頭の船員が伯爵に気づいた。忙しく表情を変化させて、歓喜の叫びを上げる。それは後ろの船員達にも伝播(でんぱ)していった。


「信じられない! 奇跡だ!」

「おお、伯爵様!」

「閣下よくぞご無事で!」


 船員達は伯爵に気づいて喝采を上げたが、


「心配かけたな。……いや、それより何があった?」


 ニバムはそれを制して問いただす。


「竜です! 海竜が出たんですよ!」


 と、船員達は船がある方角を指差した。


「おいおい、忙しいな……」


 めまぐるしく変化する事態に、グラットは困惑しているようだ。

 尋常ならざる事態を悟って、即座に反応したのはアルヴァだ。


「様子を見てきます。お祖父様、そこでお待ちいただけますか?」

「う……うむ」

「グラット、お祖父様をそこに降ろしてください」

「あいよ」


 グラットがニバムを地面へ下ろす。

 ニバムは杖を支えに、よろよろと立ち上がった。ちなみに、杖は森の中で適当な枝を切り取ったものだ。


「船員の皆様は、お祖父様を守ってください。必要なら避難をお願いします」

「か、かしこまりました……」


 アルヴァがテキパキと各自へ指示を出していく。


「気をつけるのだぞ」


 ニバムも多くは語らずに、アルヴァを送り出した。もちろん、ソロン達も彼女へと続く。


 船員達が指差す先――入江へと走ってみれば、そこには唖然(あぜん)とする光景が繰り広げられていた。

 まず初めに、騒々しい音を立てて揺れる帆船の姿が目に映った。

 船は左から右、右から左へと激しくぐらついている。

 幼子(おさなご)が、玩具をグラグラと揺らして遊ぶような――そんな印象。しかし、目の前にあるあれは玩具ではない。大きな帆船だ。


 そして次に――海面から大きな竜のような何かが顔を出した。

 船に匹敵するような巨体。何もかもを噛み砕いてしまいそうな強靭(きょうじん)な顎。

 巨大な魔物が、入江で船を襲っていたのだ。


「でかいな……」


 呆然とグラットがつぶやいた。

 襲われることを想定し、丈夫な船を用意したつもりだった。だが、これほどまでに巨大だとは誰も予想していなかったのだ。


 魔物の暴虐は続く。

 海中から飛び出すようにして、巨体が帆船へと突撃する。海面を切り裂いて、長い胴体が垣間見えた。


 重い音と共に衝撃が走り、船の脇腹に穴が穿(うが)たれた。

 そのまま魔物が大きな顎を広げれば、船の腹が喰い破られる。無残、木片が海へと散った。

 木材が噛み砕かれる凄まじい音が、離れていても聞こえてくる。


 おぞましく痛ましい光景。遠巻きに見守る船員達の中には、泣き声を上げている者もいた。


「あれが海竜かぁ……! とんでもないねえ……」


 ミスティンもグラットにならうように、呆然とそれを見ていた。

 皆が海竜と呼ぶその魔物。だが、ソロンには心当たりがあった。あれは――


「竜じゃないよ。ワニだよ!」


 ソロンはあれに近い生物を見た覚えがあった。

 イドリスの海で見たワニである。大きさは違うが間違いなくあれは、ソロンの知るワニだった。爬虫類(はちゅうるい)という共通点はあるが、竜ではない。


「ワニ? ワニは沖合を泳いだりしないよ」


 しかしながら、ミスティンは怪訝(けげん)な表情を浮かべた。ソロンが何を言っているのか分からない――といった風情である。

 それでソロンは何となく事情を察した。


「ああ、そうなんだ。海ワニはこっちにいないんだね」

「海ワニって……そんなのいるんだ!?」


 ミスティンが目を見開いて声を上げた。こんな状況にも関わらず、空色の瞳が興味と驚きで満ちている。


「うん。海の中を泳ぎ回るワニの一種さ。サメみたいに凶暴な上、サメより大きなヤツもいるから危険な魔物だよ。さすがに、あそこまで巨大なのは見たことないけど」

「なにそれ!? なんだか面白そう!」


 なおも興味をつのらせるミスティンだったが、それをアルヴァが制する。


「興味深い話ではありますが、それどころではないでしょう。まずは船からあの魔物を引きはがします!」


 勇気を振り絞ったアルヴァが皆を鼓舞した。


 浜辺から船まではそれなりの距離がある。それは船を襲っているワニまでの距離も同様だった。

 四人で波が押し寄せる浜辺まで足を踏み入れて、できる限りの距離を詰める。


 アルヴァが杖を構え、紫電(しでん)の魔法を放った。反動を受けてその腕が上がるが、狙いを外さずに連射する。

 人間を即死させるような一撃――それを四発ほど受けても、ワニはビクともしなかった。

 竜のような強大な生物の中には、魔法すら弾く種類もいる。あのワニにしても、魔法を弾くウロコを持っているかもしれない。加えて距離も遠かった。


 ソロンも火球を放ったが、ウロコに当たってわずかな爆発をするに留まった。やはり効果は薄い。

 紅炎の魔法を放ちたいが、船が近すぎる。巻き込んで炎上させてしまっては、帰れなくなってしまう。


 次に疾風と共に放たれた矢が、ワニの頭に衝突する。


「ダメだねえ……」


 ……が、ミスティンの矢もあっけなくウロコに弾き返された。

 距離は遠く、しかもワニは暴れて動き回っている。いかにミスティンでも、目のような急所を狙うのは難しいだろう。


「さすがの俺も、あれに近づく勇気はねえなあ……」


 手持ち無沙汰になったグラットは、ワニの巨体に脅えていた。無理もない。あれに接近戦を挑めというほうが無茶である。


「あの魔法でどうにかならない?」


 ソロンが紫電を放ち続けるアルヴァへと瞳を向ける。彼女が持つ強力な魔法なら、あの巨大な魔物ですら(ほうむ)れる可能性はある。


「やってみましょう。船を巻き込んでしまう恐れもありますが……。いえ、他に方法はありませんね」


 躊躇(ちゅうしょ)を振り払って、すぐにアルヴァは決心した。

 アルヴァは突き出した右手に左手を添え、両手で杖を構えた。大ワニへと向けた杖先から、紫の魔石が輝き出す。

 雷鳥の魔法は集中に時間がかかるため、実戦で使うには不都合も多い。だが今ならば、彼我(ひが)の距離が十分に離れているため焦る必要もない。


 大ワニはなおも暴れ回り、船に体をぶつけていた。

 アルヴァは離れた相手に向かって、狙撃手のように杖先を定めている。紫の魔石がさらなる輝きを増して――


 雷鳥が耳をつんざく轟音(ごうおん)と共に放たれた。

 目もくらむ閃光を伴って、稲妻は大ワニを強襲。その体に激突し、吹き飛ばした。

 ちょうど船を避けるような角度だったのは、アルヴァが配慮したからだろう。

 凄まじい衝撃が海上に伝わり大波を引き起こす。傷ついた船体が波の上に揺れ動く。


 ソロンの目が光に慣れた直後、ワニの巨体が海へと沈む姿が目に入った。

 やがて海には、小波(さざなみ)の音だけが残った。


 大ワニの脅威は去ったのだ。


「やった!」

「さっすが、お姫様だ!」


 ソロンとグラットが快哉を上げた。遠巻きに見ていた船員達からも、歓声が聞こえた。


「…………」


 しかし、アルヴァは黙り込んでいた。紅の瞳を呆然と海に向けている。


「アルヴァ、大丈夫……?」


 ソロンは彼女の背中を支えるようにして声をかけた。

 雷鳥の魔法は放った後、倒れ込むほどに消耗が激しい――そのことに思い至ったのだ。

 けれど、アルヴァは首を振り、なおも遠い眼差しでどこかを見つめていた。


「船が……」

「あっ……」


 瞬間、ソロンと仲間達の顔が凍りついた。

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