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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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伯爵危機一発

「横に倒すんじゃないぞ。頼んだからな」


 ゆらゆら動くタルの上で、ニバムは不安気だった。


「へいへい、分かってますよ。爺さん」


 グラットはそれに軽く答える。

 タルを押しながら泳ぎ続けるのは、もちろん彼の仕事だった。


「伯爵危機一発」


 ラッコ状態のミスティンが、得意気な顔で親指を立てる。完全に面白がっている顔だ。

 ちなみに『危機一発』という名称は、帝国で流行(はや)りの玩具にちなんでいるらしい。ソロンはよく知らないが、タルに収まった雲賊の人形が飛び出す玩具なのだそうだ。


「いや、面白いのは分かるけど……。伯爵に聞こえたら怒られるよ」


 そう注意してみるが、ソロンにしても笑いをこらえねばならなかった。先日、怒鳴りつけられた印象があるだけに、今の姿との落差が激しい。


「ううむ……。しかしこれも、慣れれば意外と快適だな」


 最後のほうには、なぜか伯爵もまんざらではない様子になっていた。

 この伯爵――気難しいようで、意外と調子の良いところもあるようだ。孫娘のことが関わらなければ、案外気の良い老人なのかもしれない。


 *


 洞窟の対岸に渡って、荷物を無事に回収する。

 そうして、水浸しの洞窟を抜ければ、既に空は夕闇へと沈もうとしていた。

 夕凪の中で静かに波がさざめいている。海鳥も今は鳴りを潜めていた。


「今日はもう、この辺りで休むしかないかな」


 続く岩の海岸線を眺めながら、ソロンが提案した。

 あと数時間ほど歩けば、船に戻れるはずだ。だが、暗闇の中で不安定な足場を伝っていくのは無理があった。ニバムの体力を考えれば、これ以上無理をすべきではない。


「ああ、すまぬな……」

「どっちにしても、この暗さじゃ帰るのも一苦労っすからね。それじゃあ、下ろしますよ」


 グラットが背中のニバムを気遣いながら、そっと下ろした。


「でも、この辺じゃあテントも張りづらいね」


 周囲の岩場を見て、ミスティンが憂慮する。どこを見ても、平坦な箇所が見当たらないゴツゴツした岩場である。


「あの辺かなあ……。アルヴァの魔法でどうにかできない?」


 崖際にある比較的に形の滑らかな岩場を、ソロンは指差した。それでも、とてもテントを張れるような地形ではなかったが……。


「やってみましょう」


 アルヴァは杖を抜き放って、それに応えた。土魔法ならば、岩を砕いてならすこともできるらしかった。


 *


 アルヴァの尽力で土台が作られ、うまくテントを張り終えた。

 そして、夜が来た。

 順番が回ってきたので、ソロンは見張りへ出ることにした。

 形の良い岩に腰を落ち着ける。少し欠けた月を照明にして、魔物の気配がないかを探ってみる。


 もっとも、それほど警戒する必要はなさそうだ。さきほどから観察している限り、周囲には魔物の気配がない。

 ゴツゴツした岩場は、大型の魔物にとっても動きにくい地形なのだろう。テントは崖側にあるため、背後を警戒する必要もなかった。


 隣には、同じようにして岩に座るアルヴァの姿。頬杖をつきながらも、油断なく夜の海を眺めている。

 彼女はソロンが見張りに出るよりも前――日が暮れる少し前から、数時間もそうやっていた。伯爵を除く全員が、交替で見張りへ出ることになっていたのだ。

 見張りは二人体制としている。警戒のため慎重を期した――という事情もあるが、眠気覚ましのため話し相手を用意した意味もあった。

 ともあれ、島の探索もこれで終わると考えれば、大した負担にはならないだろう。


 二人の間に会話はない。けれど、気まずい雰囲気でもなかった。

 長年の家族が成せるような、信頼し合える者同士の沈黙である。お互いに疲労もある中で、夜を騒がしくする必要もなかったのだ。

 海へと向かって吹く風が、二人の髪を撫でる。真夏の夜にはちょうどよい、涼やかな風。

 岩礁の海は、夜になっても激しく波打っている。とはいえ、規則的に繰り返す波音はどこか心地よく響いた。


「そろそろ、上がっていいんじゃない? 今日はたくさん泳いで疲れたでしょ」


 沈黙を破ったソロンは、アルヴァへと交替を勧めた。

 彼女は早い内から見張りをしていたので、休んでもよい頃合だった。早くに見張りを引き受けておけば、夜はずっと休める。そういった配慮も含んだ順番である。


「私は大丈夫。あなたこそ、今日はよく働いたでしょう。疲れてはいませんか?」

「疲れはしたけどね。まあでも、苦労が報われたわけだし、心地良い疲れってやつかな」


 ソロンはテントのほうへ視線をやった。

 中では伯爵が、他の二人と共に眠っているはずだ。彼の衰弱は激しいようだったが、これで少しは持ち直すだろうか。


「その……お祖父様のことを助けていただいて、ありがとうございます。うまくいったからよかったものの、危険な役目でしたから」

「別に感謝されることでもないけどなあ」

「ですが、あなたはあのような仕打ちを受けたのです。お祖父様のことを嫌うのも当然でしょう」

「そりゃ、ちょっとは苦手に思ったけどね。怒鳴られたりするのは好きじゃないし……。でも、アルヴァを大切にしてるのは分かったから」


 それを聞いたアルヴァは「くすくす」と上品に笑って。


「やはり苦手だったのですね」

「う~ん、ちょっとだけ。……失言だったかなあ」


 と、ソロンは頭をかく。


「別に構いませんよ。皆が皆を好きになれるわけではありません。特にあれは、どうみてもお祖父様に非がありますから。ソロンはあのような大人になってはなりませんよ」

「手厳しいなあ……。それ聞いたら、お祖父さん泣くんじゃない?」

「事実なので仕方ありません。孫娘として情けをかければ、普段はああも気難しくはないのです。人望だってそれなりにあるのですよ」

「やっぱり、僕のせい?」

「あなたのせいといえば、あなたのせいです。けれど、何の非もありませんよ。第一、男性と仲良くする(たび)にヘソを曲げられては、私は誰とも仲良くなれませんので」


 おどけるようにアルヴァは片目をつむった。

 思わぬ仕草に、ソロンは軽くうろたえながら。


「それは、僕が下界人のせいかもしれないけど……。まあ、そっちはいいや。アルヴァはお祖父さんを(いたわ)ってあげて。やっぱり、亡くなったみんなを気にしてたから……」


 ソロンの脳裏に、難破船の中で見た遺体の数々が蘇ってくる。

 自分にとっては赤の他人とはいえ、思い出せば心が痛む。ましてやニバムにとっては、長年の行動を共にした部下達なのだ。


「そうですね。まだしも、怒鳴る元気があればよいのですけれど……」

「だね。……っと、そろそろ女の子は寝る時間だよ」


 子供をあやすような口振りで、ソロンは言った。


「生意気です」


 アルヴァはソロンをにらんだが、すぐに表情をゆるめて、


「――……お休みなさい。あなたも無理しないように」


 そう言って彼女はテントの中へと入っていった。


 *


 翌朝……。


「ソロン、起きてください」


 テントの中で、ソロンはゆすられていた。

 声の主はもちろんアルヴァである。

 最も早くに見張りを交替した彼女は、最も早くに起きたらしい。そうでなくとも、普段から彼女は早起きだった。


「ふあぁ、おはよ~。アルヴァ」


 ともあれ、冒険の中では幾度も繰り返した光景である。ソロンも慣れた口調で返事をした。


「んじゃ、俺は交替だな。あとちょっとだけ寝るから、片付ける時は言ってくれい」


 ソロンが目覚めたのを確認するなり、グラットは岩場に倒れ込んだ。最後の見張り番をしていたため、眠気が蓄積していたのだろう。

 ニバムは足をかばうような体勢で、上半身を起こしていた。今はゆったりと食事中である。昨日の夕方から睡眠を取っていたお陰か、顔色はよさそうだ。


「ミスティンも起きてください」


 ぐっすりと眠っていたミスティンを、抱き起こすようにしてアルヴァが声をかけた。


「にぇむいよ~」


 ミスティンはアルヴァに抱きつきながら、不明瞭な言葉でぼやいた。寝起きの悪いミスティンを、アルヴァが起こす姿は既に恒例行事となっている。


「船に戻れば、いくらでも眠れますから。頑張ってください」

「うい~」


 よろよろとミスティンが起き上がった。

 だらしなく見えるが、昨晩は彼女が最も半端な時間に起きていたのだ。今朝に関しては同情の余地があった。

 ともあれ、目が冴えてきたソロンは、食事を取ろうと(かばん)に手を伸ばした。……が、そこですぐに気づいた。こんがりした匂いが、ソロンの鼻孔をくすぐってきたのだ。


「パンを焼いておきましたから、どうぞ」


 と、アルヴァは程よく焼かれたパンを、二人へと差し出してきた。至れり尽くせりの手際のよさだ。


「わぁ、ありがとう」

「アルヴァはいいお嫁さんになりそうだね」


 ソロンはミスティンと共に、パンにかぶりつきながら喜んだ。


「この程度で大袈裟ですね。ほら、水も()んでおきましたよ」


 アルヴァは続けて水筒を差し出してきた。


「いやいや、大袈裟じゃないよ。当たり前のようにやってもらえることが、どれだけありがたいか」


 さっそく、ソロンは寝起きの乾いた喉をうるおす。

 真夏であっても、早朝のよく冷えた新鮮な水。中身はすぐそこの海で汲み上げたものらしい。

 海水とはいっても、もちろん塩水ではない。ソロンとしては妙な感覚だが、海水は淡水というのが帝国での常識だ。

 そうやって水を味わうソロンを、アルヴァは穏やかな眼差しで見守っていた。


 心安らぐ日常の風景である。

 昨日、難破船で見た凄惨な光景が幻のように思えてくる。何気ない日常がどれだけ(とうと)いかを実感させられた。


「ぷはぁ……。おいしいね。海水を飲むってのは妙な感じだけど――」


 そこに凍りつくような視線を感じて、ソロンは口をつぐんだ。


「…………」


 二人が気安く言葉を交わす様子を、ニバムが怖い顔でにらみつけていたのだ。ソロンは内心で冷や汗をかきながら、努めて気づかない振りをする。

 それに気づかないミスティンは、パンと水筒を両手にして、


「うんうん。私が男だったら、絶対求婚してたね」


 モゴモゴと口を動かしながら、どこかずれた内容でアルヴァを賞賛した。

 ニバムは何かを言いたそうな顔で、「こほん」と咳払(せきばら)いした。それから、重々しく口を開いて、


「当然だ。アルヴァはイルファの娘だからな。あの子には、どこへ嫁入りしようとも恥じないだけの教育を(ほどこ)した。その血と教育を、アルヴァも受け継いでいるのだ」


 誇らしげに口を挟んだ。……どうやら、孫娘が褒められること自体は、彼にとっても喜ばしいらしい。


「そ、そうですね……。本当ですね」


 引きつった笑みを浮かべながら、ソロンもどうにか応じた。

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