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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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伯爵たるもの

 ソロンはグラットと協力しながら、ニバムを広い岩の上に降ろした。

 すぐにミスティンが聖神石を取り出して、治療を開始する。

 寝転がったままニバムは、アルヴァとの再会を喜んだ。二人は手を握り合って、言葉を交わしていた。


「大丈夫だ……アルヴァよ。私は悪運の強さにだけは、恵まれているようだからな……」


 弱々しい声ではあったが、自らを気遣う孫娘を元気づけた。目を細めて穏やかな微笑を孫娘に向け続ける。

 それから、ハッとしたように目を見開いて。


「ダナムはどうしたのだ……? 無事なのか……」

「いえ、船は見つかりませんでした。お祖父様と一緒ではなかったのですか?」

「いや、途中で海竜に襲われてな。いきなり一隻が船底を喰い破られて、沈められてしまった。それで船団は散り散りになって逃げ出したのだが……」

「叔父様とも、はぐれてしまったのですか……。ご無事だとよいのですが……」

「ああ、あやつも私の息子だからな……。こんなところで、くたばる男ではないと信じているが……」


 口では厳しいことを言っていたニバムだが、それでもダナムを気遣った。『頭のほうは今一歩』などと言いながらも、やはり息子はかわいいと見える。


「しっかし、その海竜ってのは、そんなにヤバいんですかね?」


 二人の会話を見守っていたグラットが口を挟んだ。ニバムが徐々に元気を取り戻す様子を見て、大丈夫だと思ったのだろう。


「うむ。悔しいが……戦いにならなかったと言わざるを得ない。海中からの奇襲に為す(すべ)もなかったのだ。船の損傷も激しく、航行できなくなってしまった。どうにか、ここに流れ着いたようだがな……」


 それから、ニバムは上半身をわずかに起こして周囲を眺める。


「――ところで、ここはどこなのだ? 島の海岸のように思えるが……」

「ああ、そっか……。分かるわけないですよね」


 間の抜けた発言に思えたが、疑問も当然だとソロンは納得する。

 彼は魔物に傷つけられた船を立て直すため、船内に向かったと語っていた。そのまま、積荷に押しつぶされて身動きが取れないでいたのだ。

 流れ着いた場所がどこかなど、分かるはずもなかった。


 *


 伯爵へ応急処置を(ほどこ)しながら、状況説明を終えた。そうして、少し日射しに陰りが見えてきた頃合。


「お祖父様、調子はいかがですか? お加減が優れないようならば、ここで一晩を過ごしましょうか?」


 アルヴァが祖父の体調を気遣った。

 もっとも、辺りは足場の悪い岩場が続くばかりである。宿泊するのに適した場所とは言えなかった。


「いや……。右足は動かせそうにないが、随分とよくなった。杖か何かがあれば少しぐらいは歩けそうだ。お前の友人が手当してくれたお陰だな。……ミスティンといったか、かたじけない」


 海岸の岩の上に寝転がったまま、ニバムは返事をした。

 治療をしたミスティンへも、丁寧に礼を述べる。伯爵は女性に対してだけは、根っから紳士のようだ。


「それほどでもないです。折れた足は私じゃ無理だったし」


 ミスティンは謙遜(けんそん)を混じえて、彼女にしてはまともな返事をした。伯爵の右足に包帯を巻いたのも、彼女の技である。

 アルヴァは頷いて。


「日が落ちる前に、洞窟を抜けようと思いますが……。よろしいでしょうか? あちらには食料も置いてありますので」

「分かった。お前達の方針に従おう」


 アルヴァの提案に、深々とニバムは頷いた。

 そうすると、次は誰が彼を背負うかを決めねばならない。

 杖か何かがあれば――とニバムは言ったが、このような岩場では無理があるだろう。船内から杖代わりの木材を確保する手間も必要だ。

 背負ったほうが速いのは明らかだった。


「んじゃ、こっから先、爺さんは俺に任せてくれよ。お前の体じゃ、さすがにこれ以上はしんどいだろ」


 ソロンが口にするまでもなく、グラットが役目を担ってくれた。

 グラットの筋力と体格ならば、ニバムだって無理なく運べるだろう。


「うむ、迷惑をかけるな」

「いいってことですよ」


 と、グラットは軽い口調で請け負った。それからソロンを見て。


「――ああでも……。爺さんを背負って泳ぐのは、さすがにちと難しいかもな」


 洞窟の途中は完全に水没していた。足の不自由なニバムを連れて、その中を戻らなくてはならないのだ。


「む、どういうことだ?」


 意味が分からず、ニバムが聞き返してくる。


「あの洞窟は途中で――」


 と、それについてはアルヴァが簡潔に説明してくれた。

 説明を聞くやいなや、


「私は海都に生まれた男だ。水練には長じている。気にする必要はない」


 いかめしい顔で、自信ありげにニバムは胸を張ったが、


「ダメダメ。お爺さん、その体では無理だよ」


 遠慮のないミスティンが、ニバムの主張を却下した。

 ニバムが泳ぎを得意とするのは事実なのだろう。だが、足を怪我して体力を失った今の彼には、無謀という他なかった。


「ぐぬぬ……」


 寝転んだまま唇を噛むニバムだったが、反論はしなかった。今の自分が足手まといでしかないことを、さすがに理解しているようだ。

 どことなく無理をしたがる性格は孫娘にも似ているな――などとソロンは思う。


「お祖父様、無理せずとも大丈夫ですよ。そこの船を探せば、都合のよい物はいくらでもあるでしょうから」


 そこでアルヴァが救いの手を差し伸べた。

 難破船は木材の宝庫である。それだけではなく、浮きになる物も多数あるだろう。それらを拝借して工夫すれば、ニバムでも容易に水上を渡れそうだ。


 *


 北の浜辺にある船に戻るため、洞窟を引き返す。

 一同は、行きと同じように水場を泳いでいた。せっかく乾いた服もまた水浸しとなるが仕方がない。


 泳ぎの苦手なアルヴァも、また(かばん)を浮袋にして泳いでいた。それでも、前回よりは慣れたらしく、落ち着きがあった。隣を泳ぐソロンから見ても、心配はいらなさそうだ。

 ミスティンも相変わらず、泳ぐのが楽しくて仕方ないらしい。ラッコのような背泳ぎを繰り広げたりと、飽きる様子がなかった。


 そして――ニバムはタルに入っていた。


「伯爵の地位を父から譲り受けて三十年……。これほど情けない目に()ったのは初めてだ」


 洞窟の中で、ニバムの悲痛な声はよく響いた。

 水上にプカプカと浮かぶタル。そこから上に頭を出しているのが、イシュティール伯爵その人だった。

 タルはまるで、最初から伯爵を入れるために造られたかのようだ。大きさはピッタリで自然に納まっている。

 これを発案したのはミスティンだ。


 難破船の資材を流用して、浮きを作るというアルヴァの提案――それを聞くやいなや、元気な学生のように挙手をしたのはミスティンだった。


『タルがいい!』

『タルだと……!?』

『タルの中に入ってプカプカと浮くんだよ。絶対似合う!』

『伯爵たるものが、そんな馬鹿なことできるか!』


 憤慨する伯爵を無視して、ミスティンはタルにこだわり続けた。何かこう、彼女にとってピンと来るものがあったらしい。


『アルヴァよ、お前の友人だろう。なんとか言ってくれんか?』


 根負けしそうになった伯爵は、孫娘に助けを求めた。


『タルですか、なるほど……。考えてみれば、悪くありませんわね。加工の必要がない上に、安定性も申し分ない。ミスティンの提案を跳ね除ける合理的な理由は皆無です』


 ところが、アルヴァも乗り気になってしまった。


『いや、あるだろう。タルに乗って水上を渡る伯爵など、情けないことこの上ない。ご先祖に申し訳が立たん』

『お祖父様、わがままを言わないでください。そのような感情論は理由になり得ません。合理的に導かれる答えが、タルであることは明らかです』

『ぐぬぬ……』


 有無を言わさぬアルヴァの迫力に、ニバムは反論できなかった。

 ……探せば、ゴム製の小舟か浮き輪ぐらいあったんじゃないか――と、ソロンは思ったが口に出さなかった。


 そうして中の水を抜かれたタルは、そのまま伯爵の乗り物となった。右足を骨折した彼のため、タルの中に椅子を置いて配慮する念の入れようだった。

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[一言] これぞ荷タル伯爵
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