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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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難破船

 しばしの休憩によって、どうにか体も乾いてきた。

 まだ完全には乾いていないが、妥協してソロンはさっさと服を着込む。今は難破船の元へ急がねばならないのだ。


 そうして、四人は水の洞窟を歩き出す。

 靴は向こう岸に置いてきたため、全員が裸足(はだし)になっていた。

 ゴツゴツした岩の感触が足元に伝わってくる。硬い岩で足を切らないようにするため、あまり速くは歩けそうにない。


 角を曲がればすぐに、向こう側から光が射してきた。

 波の音が、少しずつ大きくなってくる。外が近づいているのだ。グラットの報告通り、ここが洞窟の出口に間違いなさそうだった。


 洞窟を出た先には、見通しのよい海岸があった。

 見覚えのある風景。船上から見た光景と、同じ場所なのは確かだった。

 洞窟を抜けても、なおも岩場は続いている。波が岩に押し寄せては、飛沫(しぶき)を上げて砕けていた。


 足場の悪い岩場を歩いて十分程度。ついに難破船が目に入った。

 船の左舷は、岩礁に向かって倒れ込んでいる。そしてそちら側には穴が空いており、海水が入り込んでいた。


「お祖父様……」


 アルヴァが悲痛な声を上げた。

 間近で船の状態を見る限り、生存者がいるという希望は薄い。それは彼女の目にも明らかだった。

 それでも、ここまで来た以上は引き返す選択はない。


 四人は裸足で慎重に岩場を伝っていく。

 近づけば近づくほど、酷い有様が否が応にも判明してくる。木材は至るところが激しく破られており、海竜に襲われた爪痕(つめあと)を思わせた。


 やがて、船が乗り上げた岩礁のそばに四人は立った。


「僕が行く。みんなは周りを確認してくれないかな? もしかしたら、外に避難した人がいるかもしれないし」


 ソロンは自ら役目を買って出た。

 傾いた船内に大人数で踏み込めば、均衡が崩れてしまいかねない。ここは身軽な自分が、一人でゆくのが最適だと思ったのだ。


「気をつけてください」


 アルヴァが心配そうにこちらを見て言った。


「大丈夫、さすがに魔物との戦いよりは安全だろうしね」


 安心させるようにソロンは言った。

 とはいっても、慣れないことで緊張は隠せなかった。それもそのはず、難破船の内部に入る機会など普通はないのだ。


「お守りです」


 アルヴァはソロンの胸元へと手を伸ばし、蛍光石のブローチをまた取りつけてくれた。


 *


 波打つ岩場を飛び移りながら、船の左舷(さげん)側を目指していく。

 幸いにも、左舷は岩礁に倒れ込んで低くなっている。ソロンは難なく、甲板(かんぱん)へと跳び乗った。

 少し不安定ではあるが、左舷の手すりを始め、つかまるところはそこら中にある。無様に滑り落ちる心配はなさそうだ。


 後ろを振り向けば、アルヴァ達がこちらを心配そうに見ている。

 ミスティンが手を振ってくれたので、軽く振り返しておく。

 まずは、船尾側に建つ船長室らしき部屋へと向かうことにした。


 傷んだ船床がきしむ。

 手をつきながら、歩くというより登るようにして甲板を進む。

 甲板には様々な物が置いてあった。タルが転がり落ちてこないか心配になる。


 ともあれ、大した距離はないので、すぐに船長室の扉に取りつけた。

 扉を開けるなり、狭い室内が目に入ってくる。一目で全てが視界に入る程度の広さだ。


「あっ!?」


 と、ソロンは声を上げた。倒れ伏す船長らしき男の姿が、目に入ったのだ。

 胸元の蛍光石で船長を照らす――が、すぐにソロンは無言で首を振った。

 頭から血を流す船長には、生気がなかった。近づかずとも、死んでいることが伝わった。

 覚悟はしていたとはいえ、幸先が悪い。


 気を取り直して、船長室を出る。近くにあった階段へと目をやった。

 船内に向かう道は、どうやらここの一つしかないようだ。即決して向かうことにする。


 暗い船内を蛍光石で照らしながら、階段へと足を踏み出した。

 元々、急な階段のようだが、船が傾いているせいでさらに歩きづらくなっている。手すりに手をやりながら、慎重に降りていく。

 キシキシと木の階段が、耳障りな音を鳴らした。

 船体に(さえぎ)られて、波の音が小さくなってゆく。


 そうして、ソロンは船内へと降り立った。

 船内からは、どこか不気味な印象を受けた。静かな波の音以外には、何の気配も感じられない。

 空へ向かって傾く右舷側の丸窓から、日射しが差し込んでくる。蛍光石と合わせれば、どうにか視界は確保できそうだ。

 予想していたことではあったが、左舷側には大きく海水が入り込んでいた。イシュテア海へとつながる海水は、この場でも濁りなく澄み切っている。


 左に傾いた船内を、裸足で踏みしめながら歩く。滑らないように、体を右側へと傾けて均衡を取る。

 大型の船とはいっても、城のように広いわけではない。端から端へ行くにも、十分あれば余裕のはずだ。

 一刻を争うよりは、生存者がいないかを確認しながらゆっくり進むべきだろう。


「誰かいませんか!」


 ソロンは声を上げて、人の気配のない船内へ呼びかけた。

 ……が、反応はなかった。

 わずかに海水を通って、小さなカニや魚が入り込んでいる様子が見て取れた。


 そして――次に見つかったのは、船員と兵士の遺体だった。

 それも一つや二つではない。

 海水に(ひた)った遺体もあれば、積荷に潰されたらしい遺体もある。目立った外傷がないものは餓死だろうか……。

 進めば進むほどに、ここは死の船ではないかという絶望的な気持ちになってくる。


 いや――ともかく、ニバムはいなかったのだ。

 まだ助けられる望みは残っている。

 仮に助けられなかったとしても、ニバムの遺体を確認するのは自分の義務だ。嫌な仕事だからこそ、自分がやらなくてはならない。


 船室がある区画に入ったため、通路が狭くなった。

 木箱やタルといった積荷が、酷く散乱している。時にはそれらを押しのけて、通路を進んでいく。

 時折、声を上げながら反応が戻ってくるのを待った。

 その時――


「うぐ……ん……」


 うめき声が聞こえた。


「誰かいるんですか!?」


 ソロンは叫んだ。


「こ、ここだ……」


 と、弱々しい男の声が聞こえてくる。

 声のしたほうへと目をやれば、崩れた積荷が大量に重なっている光景が目に入った。


「今、助けます!」


 ソロンは元気づけるように、男へと声をかけた。

 それから、邪魔な積荷を一つずつのけていく。しかし、衝撃を与えて崩してはならないため、慎重な手つきで作業をする。

 タルも木箱も重たいものばかり。水や食料も箱いっぱいに納めてしまえば、馬鹿にならない重量になるのだ。


 ついには、男の上半身が見えた。

 茶髪の年老いた男。いかめしい顔は苦痛に歪んでいる。蛍光石に照らされて、男の瞳が紅く輝いた。


「伯爵!」


 知っている人物――イシュティール伯爵ニバムその人だ。

 積荷の隙間を()ってわずかに生まれた空間――そこでニバムは生存していたようだ。

 このような惨状を呈した船内において、奇跡的な邂逅(かいこう)だった。

 ニバムへの嫌な感情も今は忘れ、ソロンは彼へと顔を近づけた。


「う、おお……。お前は……」


 ニバムもこちらに気づいたようだ。ぼんやりした目でこちらを見上げている。

 しかし、彼の下半身はいまだ積荷によって、押しつぶされていた。身動きが取れない状況らしい。


「すぐにどけます!」


 ソロンはさらに積荷を押しのけて、ニバムの下半身を圧力から開放した。

 ……が、ニバムはそれでも動けないようだった。どうやら足が折れているらしい。

 それに彼は何日かに渡って、食事もできていないはずだ。相当に衰弱しているに違いなかった。

 ミスティンを呼んで手当をするか、先にニバムを連れ出すことを優先するか……。


 わずかに逡巡(しゅんじゅん)したが、すぐに答えを決めた。

 ミスティンの回復魔法でも、さすがに骨折は直せない。彼女を危険にさらしてまでやる必要性は薄いだろう。

 ならば一刻も早く、ニバムを船外へと連れ出すべきだ。


「つかまってください。アルヴァも待っていますから」


 そう言いながら、ソロンはニバムへと背中を向けた。低くしゃがみこんで、足の折れたニバムがつかまれるように配慮する。


「う、ううむ……」


 と、ニバムは渋る素振りを見せたが、それでもソロンの肩へとつかまった。どの道、それ以外の選択肢はなかったのだ。


「――ぐぬ……」


 ソロンの首へと手を回したニバムだったが、その手を止めてうめき声を上げた。


「難しいでしょうか……?」


 おずおずと、ソロンはニバムに尋ねた。背負われることも困難なほどに、体力を消耗しないかを危惧したのだ。


「……剣が邪魔なのだが」

「……ごめんなさい」


 昔どこかでそんなやり取りをしたな――と、ソロンは思い出した。

 ソロンは刀を背負ったまま、船内を探索していたのだ。武器と魔法がいつ必要になるか分からない以上、仕方のないことではあった。


「いや、わがままを言った。我慢してやろう」


 ……が、尊大ながらもニバムは承諾してくれた。刀を動かす必要はなさそうだ。


「ありがとうございます。じゃあ、行きます」


 老境に入ってはいても、ニバムは武人のような体格だ。当然ながらソロンよりも重い。アルヴァの五割増しぐらいの重量はありそうだ。


「んぐっ……!」


 と、足腰に力を入れて、その重量をこらえる。ニバムを背負った状態では、裸足の足元になおさらの重圧が加わる。

 それでも、ソロンはしっかりと足を踏ん張った。ニバムの足を持って、体勢を安定させる。


「ぐおっ……!」


 その時、ニバムがにぶい悲鳴を上げた。


「大丈夫ですか……?」

「いや、久々に足を動かしたのでな……。だが仕方あるまい。このまま行ってくれ」

「分かりました。外の仲間が治療の魔法を使えます。折れた足はすぐには治らないでしょうけれど、痛みはやわらぐと思います。それまでは頑張ってください」

「貴様に……言われるまでもない」


 この期に及んでも憎まれ口を叩いてくる。……が、必要以上に気を使うな――という配慮なのだと考えておこう。


 傾いた船内を、しかも人を背負って歩かねばならない。

 それでも重みを利用し、強く床を踏みしめて安定を取る。足を踏み外して海水の中に落ちないように、慎重に足を運ぶ。

 ニバムに対しては、いまだに苦手意識がある。その気まずい思いを抑えながら、黙々と甲板への階段を目指す。

 背中は重いが大した距離ではない。これぐらいなら我慢できるはずだ。


「すまぬ、貴様などに助けられるとはな……」


 背中から、以前よりは穏やかな声がかけられた。

 もっとも、感謝はしても貴様呼ばわりはやめないらしい。ここまでくれば、強情も相当なものだ。

 少し進んだところで、先程確認した船員達の遺体が目に入った。


「ぐっ……」


 背中から苦渋を噛みしめるようなうめき声が聞こえる。部下の遺体を目にして、ニバムが苦悩しているのだ。


「他に生き残った方は……?」


 ソロンは恐る恐る、背中に向かって尋ねてみた。


「分からん……。あの化物にやられた時に、海へ放り出された者も多くいた。それからこの船を、どうにか立て直そうとしたのだがな……。全ては徒労に終わったようだ。私が生き延びたのは、崩れた積荷の中で食料を見つけたからだ」


 ニバムは弱々しい息遣いながらも、はっきりと聞き取れる声で答えた。それから、


「――お前は?」


 と、ソロンへ短く問うた。お前は生存者を見なかったか――と聞いているのだろう。


「いえ」


 ソロンはかすかに首を振りながら答えた。


「そうか。……他の者は厳しいかもしれんな」


 ニバムも期待はしていなかったらしい。それ以上の落胆は見せなかった。


「はい。伯爵がご無事だっただけでも奇跡ですよ。アルヴァを悲しませたくはありませんので……」


 大勢の犠牲がいる中では、利己的な発言なのも分かっている。それでも、今はニバムを助けられたことを喜びたかった。


「ああ、そうだ…。私も、アルヴァを泣かせたくはないな……」

 それから、ニバムはまた遺体へと目をやって、

「――亡くなった者を(ほうむ)りたいが……」そう口に出すや、すぐに首を横に振った。「いや、やはりこのままでいい。海の男にとって船はそう悪い墓場ではないだろう」


 彼は諦めをにじませた口調で、寂しそうに語ったのだった。

 埋葬するには、傾いた船の中へ何度も侵入する必要がある。ソロンをこれ以上、危険にはさらせないと(おもんばか)ったのかもしれない。


 光が大きく射し込んでくる。階段だ。

 大した距離ではないはずだが、随分と長く感じられた。

 不気味な船内から脱出できることに、ソロンは安堵する。


「おおっ……」


 それはニバムにしても同じだったらしく、初めて活力に満ちた声を上げた。

 ここから先は特に足場が悪い地点が続く。大きく傾いた階段を、慎重に登る。そして、二人は甲板へとたどり着いた。


「お祖父様!」


 ソロンに背負われたニバムを見て、アルヴァが声を張り上げた。彼女は近くの岩場に立って、紅い瞳を心配そうにゆらしていた。


「アルヴァ……」


 背中の老伯爵が、か細い声で孫娘を呼んだ。心の底から安堵するような声だった。

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