ラッコの如く
「よしっ。んじゃいっちょ、俺様の華麗な泳ぎを見せてやるか」
グラットが胸当てを外し、それから勢いよく服を脱いだ。
あまり重い物は運べないため、防具は置き去りにするしかなかった。水面に突き出た岩場を物置にして配置する。今ひとつ心もとない物置だが、やむを得ない。
ソロンも同じようにして服を脱いでいく。
肌に直接、洞窟の冷気が触れる。夏場でも洞窟はひんやりとしているが、この程度は我慢するしかなさそうだ。
下半身については、女性の前をはばかって脱ぐのは諦めた。ズボンをまくるだけに留めておく。ズボンは体に密着している分、水の抵抗も受けにくい。大した影響はないだろうと思っておく。
「わー、露出狂だ!」
ミスティンが面白半分にペチペチと上半身を叩いてくる。この娘、どこまでも子供である。
「ちょっ、やめ!」
「およしなさいな、ミスティン」
と言ったアルヴァも、何だか興味深げにこちらを見ている。
「――それにしても、意外と鍛えてますよね。あんなに線が細いのに……」
「意外も何も――いつもあれだけ戦ってればそりゃあね。いやそれよりも……君達はやっぱり、それ着たまま泳ぐの?」
そう言ってソロンは、アルヴァとミスティンのほうを見た。
服は水の抵抗を受けやすいために水泳の邪魔となる。しかしながら、女性陣には厳しい注文だろう。明かりを消して闇に変えれば姿は隠せるが、それも危険極まりない。
アルヴァはグラットのほうに視線をやって、それからミスティンと顔を見合わせる。
「……さすがに抵抗がありますね」
「うんうん」
「いやいや、なんで俺のほうだけ見るんだよ? 男は俺だけじゃねえぞ」
グラットは力説しながらソロンを叩くが、女二人は取り合わない。
ソロンは二人の服装にまた目をやって。
「まあ薄着だし……大丈夫かなあ」
季節が夏なのが幸いした。防具は外さねばならないが、その下の薄着だけなら水を吸い込んでも大丈夫だろうと判断する。
*
まずはソロンからだ。
恐る恐る水中へと体を入れていく。冷たい水が肌を浸食するが、それに耐えて徐々に体を慣らしていく。
幸い、鞄は水に強い皮製の素材だったので、これを使わない手はなかった。ありがたく中身を減らして浮袋代わりにしている。
泳ぎが達者なソロンにしても、重い刀を背負っているので浮力は欲しかったのだ。
足を離しても鞄の浮力が支えてくれた。どうやら、問題なさそうだ。
事前に蛍光石で照らし、魔物が潜んでいないことは確認してある。精々、小魚が泳いでいるくらいだ。
それでも油断はできない。人間が水中で魔物に襲われては、抵抗することも難しいからだ。
魔法で先手を打つ以外には、まず勝ち目がない。その魔法にしても、水中で効果を発揮できるものは限られていた。
ちなみにグラットとミスティンの二人は、諦めて武器を置いてきていた。
グラットの槍は重すぎて土台無理だった。ミスティンの弓は鞘のように覆うものがないので、彼女が濡れるのを嫌がった。
「さ、アルヴァもどうぞ」
ソロンは振り返って声をかける。
「……ええ」
アルヴァは不安を隠し切れない表情で、こちらをじっと見据えた。
彼女は既に、胸の辺りまで体を水中へ入れていた。腰に差していた杖もすっかり水の中である。
しかし、それ以上を踏み出すには躊躇があるようだ。
ソロンは無言でアルヴァを待った。
さすがの彼女も初めてのことには尻込みする。
それでもソロンの尊敬するアルヴァは、勇敢な女性なのだ。
だから、急かす必要を感じなかった。ただ手を差し伸べるようにして、大丈夫だ――という仕草を見せた。
すぐにアルヴァは意を決した。
水底を蹴って、鞄を浮きにしてこちらのそばに付く。腰まで届いていた黒髪が、今は水面にはらりと広がっていた。
グラットとミスティンも、同じようにして後ろから続く。海水で満たされた円形の広間に、四人全員が浮かんだ。
「よし、じゃあ行こうか」
頭を水面に出したまま、ソロンは水をかき分けた。
最低でも片手は鞄でふさがるため、速く泳ぐのは難しい。足も活用しながら、少しずつ進んでいく。
額の蛍光石が前方を照らしてくれる。アルヴァがソロンの前髪に蛍光石のブローチを付けてくれたのだ。
そしてソロンのすぐ右を、アルヴァが泳いでいた。
泳ぎに不慣れな彼女をソロンが補佐できるように、手の届く距離を保っている。グラットもその後ろで気を配っていた。
アルヴァは前へと突き出した手に鞄を持って、必死で足を動かしていた。
「そんなに慌てなくていいよ。力を入れなくても体は浮くからさ」
「そうは言いましても……。何だか落ち着きません」
多少の光はあっても、暗い洞窟の水底は見通しがよいとはいえない。吸い込まれるような気味の悪さは、拭い切れなかった。彼女が不安に思うのも当然だった。
「大丈夫、大丈夫。怖がらなくっても大丈夫だよ」
ミスティンだけは、なぜだか余裕の体だった。自在に体勢を変えて、楽しそうに泳いでいる。
今は背泳ぎの体勢で鞄を抱えながら、足をバタつかせていた。静かだった洞窟に水を叩く音が鳴り響く。
「ラッコかよ」
それを見るなり、グラットがつぶやく。
「ラッコって……水族館にいたあれだっけ?」
「なんだか楽しそうですね。私もあれだけ、自由に泳げればと思うのですが……」
アルヴァはラッコ体勢で泳ぎ続けるミスティンを見て、強張っていた表情をゆるめた。
ミスティンには、見ている者をなごませる天性の素質があるのかもしれない。
「まあ、今はしょうがないよ。……それじゃあ、壁沿いに泳いでみたらどう? 手がつくところがあったほうがまだ安心と思うよ」
「なるほど……! そうしましょう」
アルヴァはその手があったか――とばかり、ソロンの提案に乗る。右の壁に早々と取りついた。
デコボコした天然の岩壁であるが、それだけにつかむところも多い。少し遠回りになるが、その程度で安心が買えるなら安いものだ。
途中、壁から突き出た岩にしがみついて休憩を取る。
ソロンの体力にはまだ余裕があるが、仲間のことも気にせねばならない。
……といっても、グラットもミスティンも余裕は十分あるようだ。実質的には一人のための休憩である。
「ふぁ……はあ……。すみません。こんなことなら……水練もきちんと経験しておけばよかったですね」
岩にしがみついたアルヴァは、息も絶え絶えだった。
「人間、できないことの一つや二つあるもんだよ。初めてにしては、よく頑張ってるし。……まあでも、この前の休みに、海水浴でもしとけばよかったかなあ? 遊びながらでも練習できたろうし」
「ほほう、海水浴か。そいつはええのう。ソロンもやっぱ水着美女好きだろ?」
下心にあふれた声が聞こえた。どことなく言葉遣いがオジサン臭い。
「ソロンはそんな目で女の子を見ないよ。グラットとは生物としての次元が違うから」
ミスティンがよく分からない擁護をしてくれた。いや、断言されても困るのだが……。
アルヴァの息遣いが落ち着いたところを見計らって、休憩を終える。四人はまた泳ぎ出した。
「ひあっ!?」
少し進んだところで、悲鳴が聞こえた。どこか間の抜けた悲鳴だったので、ミスティンかとも一瞬思った。
……が、彼女達の声をソロンが聞き間違えるわけはない。
「どうしたの?」
すぐに振り返って、アルヴァの様子を確認する。
「何か足に触れましたよ。……何か足に触れました」
なぜだか同じ言葉を繰り返してくる。動揺しているらしい。
ソロンは、ちらりと額の蛍光石で付近を照らしてみた。見れば逃げ去っていく小魚の姿。
「ただの魚だよ。……あんまり取り乱さないでね。うっかり鞄に水が入ったら、浮くのが大変になるから」
「は、はい……」
不安気にしている限りは、普通の少女と変わらない。今日の彼女はソロンと同い年の少女といった印象である。
*
そうして、どうにか水で満たされた広場を抜けた。急激に浅くなった水底に手をついて、体を引き上げる。
幸い、ここから先の細道は、足先が浸かるだけのわずかな水深のようだ。
「な、慣れないことをするものではありませんね……」
またもアルヴァは疲れた様子で、浅くなった水底に座り込んだ。それから、寒さに震えるように体を抱きかかえる。
上から下までびしょ濡れの服が、ソロンの額にある蛍光石に照らされた。
……青少年には目の毒な光景だった。
「よく頑張ったよ。体、乾かさないとね」
濡れた体から水滴がポツポツと落ちていく。それと同時に体温が奪われていく。探索はこの先も続くため、早く温めねばならない。
水泳中も大事に背負っていた刀を、ソロンは抜き放った。両手で握り、刀身へと魔力を込めていく。
ほのかな熱が刀から放たれ、裸の上半身を温める。
服は鞄の中に入れたままだ。体が乾いてから着るつもりだった。
アルヴァもようやく立ち上がって、腰のベルトから杖を抜いた。
……が、手は震えており、炎の魔石をはめ込む動作が危なっかしい。泳いだ疲労は相当深かったようだ。
「休んでなよ。僕がやるから」
「すみません……お願いします」
やはり疲れていたらしく、アルヴァは杖を差し戻した。
ソロンは刀に込める魔力を強化した。
刀身が赤みを増し、暗い洞窟を照らし出す。水に映された赤光は、夕焼けのように鮮やかだった。
ミスティンは服を絞って水を切ろうとしていたが、こちらを見るや、
「私も私も」
と、そばに近づいてきた。焚火で温まる時のように、ソロンの刀へと体を寄せる。
「グラットはどうしたの?」
ふと気になってミスティンに聞いてみる。グラットが上陸する姿は確認したが、いつの間にか見えなくなっていた。
「奥、見てくるって」
ミスティンは洞窟の先を指差した。そちらのほうに目を向けてみれば、
「ソロン、もうちょっとだぜ」
曲がり角の向こうから、グラットが笑みを浮かべて戻ってきた。
「もうちょっとって、出口?」
「おう。てか俺も、寒くなってきたぜ。仲間に入れてくれ」
と、グラットも火に当たろうと寄ってくる。もちろん、彼も上半身裸のままである。
そうして、四人が刀を囲んで温まる格好になった。三人の顔が赤く照らされている。
ソロンは話を戻して。
「出口はあったんだよね?」
「曲がってすぐに明かりが見えた。確認はしてないが、まあ間違いないだろ。もう一度泳ぐ必要はなさげだな」
「ふう、それは朗報ですね……」
アルヴァはホッと息を吐いた。
「まあ、帰りも泳ぐんだけどね」
「ううっ……」
ミスティンの一言に、アルヴァが表情を曇らせた。