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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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ラッコの如く

「よしっ。んじゃいっちょ、俺様の華麗な泳ぎを見せてやるか」


 グラットが胸当てを外し、それから勢いよく服を脱いだ。

 あまり重い物は運べないため、防具は置き去りにするしかなかった。水面に突き出た岩場を物置にして配置する。今ひとつ心もとない物置だが、やむを得ない。


 ソロンも同じようにして服を脱いでいく。

 肌に直接、洞窟の冷気が触れる。夏場でも洞窟はひんやりとしているが、この程度は我慢するしかなさそうだ。

 下半身については、女性の前をはばかって脱ぐのは諦めた。ズボンをまくるだけに留めておく。ズボンは体に密着している分、水の抵抗も受けにくい。大した影響はないだろうと思っておく。


「わー、露出狂だ!」


 ミスティンが面白半分にペチペチと上半身を叩いてくる。この娘、どこまでも子供である。


「ちょっ、やめ!」

「およしなさいな、ミスティン」


 と言ったアルヴァも、何だか興味深げにこちらを見ている。


「――それにしても、意外と鍛えてますよね。あんなに線が細いのに……」

「意外も何も――いつもあれだけ戦ってればそりゃあね。いやそれよりも……君達はやっぱり、それ着たまま泳ぐの?」


 そう言ってソロンは、アルヴァとミスティンのほうを見た。

 服は水の抵抗を受けやすいために水泳の邪魔となる。しかしながら、女性陣には厳しい注文だろう。明かりを消して闇に変えれば姿は隠せるが、それも危険極まりない。

 アルヴァはグラットのほうに視線をやって、それからミスティンと顔を見合わせる。


「……さすがに抵抗がありますね」

「うんうん」

「いやいや、なんで俺のほうだけ見るんだよ? 男は俺だけじゃねえぞ」


 グラットは力説しながらソロンを叩くが、女二人は取り合わない。

 ソロンは二人の服装にまた目をやって。


「まあ薄着だし……大丈夫かなあ」


 季節が夏なのが幸いした。防具は外さねばならないが、その下の薄着だけなら水を吸い込んでも大丈夫だろうと判断する。


 *


 まずはソロンからだ。

 恐る恐る水中へと体を入れていく。冷たい水が肌を浸食するが、それに耐えて徐々に体を慣らしていく。


 幸い、(かばん)は水に強い皮製の素材だったので、これを使わない手はなかった。ありがたく中身を減らして浮袋代わりにしている。

 泳ぎが達者なソロンにしても、重い刀を背負っているので浮力は欲しかったのだ。

 足を離しても(かばん)の浮力が支えてくれた。どうやら、問題なさそうだ。


 事前に蛍光石で照らし、魔物が潜んでいないことは確認してある。精々、小魚が泳いでいるくらいだ。

 それでも油断はできない。人間が水中で魔物に襲われては、抵抗することも難しいからだ。

 魔法で先手を打つ以外には、まず勝ち目がない。その魔法にしても、水中で効果を発揮できるものは限られていた。


 ちなみにグラットとミスティンの二人は、諦めて武器を置いてきていた。

 グラットの槍は重すぎて土台無理だった。ミスティンの弓は鞘のように覆うものがないので、彼女が濡れるのを嫌がった。


「さ、アルヴァもどうぞ」


 ソロンは振り返って声をかける。


「……ええ」


 アルヴァは不安を隠し切れない表情で、こちらをじっと見据えた。

 彼女は既に、胸の辺りまで体を水中へ入れていた。腰に差していた杖もすっかり水の中である。

 しかし、それ以上を踏み出すには躊躇(ちゅうちょ)があるようだ。


 ソロンは無言でアルヴァを待った。

 さすがの彼女も初めてのことには尻込みする。

 それでもソロンの尊敬するアルヴァは、勇敢な女性なのだ。

 だから、かす必要を感じなかった。ただ手を差し伸べるようにして、大丈夫だ――という仕草を見せた。


 すぐにアルヴァは意を決した。

 水底を蹴って、(かばん)を浮きにしてこちらのそばに付く。腰まで届いていた黒髪が、今は水面にはらりと広がっていた。

 グラットとミスティンも、同じようにして後ろから続く。海水で満たされた円形の広間に、四人全員が浮かんだ。


「よし、じゃあ行こうか」


 頭を水面に出したまま、ソロンは水をかき分けた。

 最低でも片手は(かばん)でふさがるため、速く泳ぐのは難しい。足も活用しながら、少しずつ進んでいく。

 額の蛍光石が前方を照らしてくれる。アルヴァがソロンの前髪に蛍光石のブローチを付けてくれたのだ。


 そしてソロンのすぐ右を、アルヴァが泳いでいた。

 泳ぎに不慣れな彼女をソロンが補佐できるように、手の届く距離を保っている。グラットもその後ろで気を配っていた。

 アルヴァは前へと突き出した手に(かばん)を持って、必死で足を動かしていた。


「そんなに慌てなくていいよ。力を入れなくても体は浮くからさ」

「そうは言いましても……。何だか落ち着きません」


 多少の光はあっても、暗い洞窟の水底は見通しがよいとはいえない。吸い込まれるような気味の悪さは、拭い切れなかった。彼女が不安に思うのも当然だった。


「大丈夫、大丈夫。怖がらなくっても大丈夫だよ」


 ミスティンだけは、なぜだか余裕の(てい)だった。自在に体勢を変えて、楽しそうに泳いでいる。

 今は背泳ぎの体勢で(かばん)を抱えながら、足をバタつかせていた。静かだった洞窟に水を叩く音が鳴り響く。


「ラッコかよ」


 それを見るなり、グラットがつぶやく。


「ラッコって……水族館にいたあれだっけ?」

「なんだか楽しそうですね。私もあれだけ、自由に泳げればと思うのですが……」


 アルヴァはラッコ体勢で泳ぎ続けるミスティンを見て、強張(こわば)っていた表情をゆるめた。

 ミスティンには、見ている者をなごませる天性の素質があるのかもしれない。


「まあ、今はしょうがないよ。……それじゃあ、壁沿いに泳いでみたらどう? 手がつくところがあったほうがまだ安心と思うよ」

「なるほど……! そうしましょう」


 アルヴァはその手があったか――とばかり、ソロンの提案に乗る。右の壁に早々と取りついた。

 デコボコした天然の岩壁であるが、それだけにつかむところも多い。少し遠回りになるが、その程度で安心が買えるなら安いものだ。


 途中、壁から突き出た岩にしがみついて休憩を取る。

 ソロンの体力にはまだ余裕があるが、仲間のことも気にせねばならない。

 ……といっても、グラットもミスティンも余裕は十分あるようだ。実質的には一人のための休憩である。


「ふぁ……はあ……。すみません。こんなことなら……水練もきちんと経験しておけばよかったですね」


 岩にしがみついたアルヴァは、息も絶え絶えだった。


「人間、できないことの一つや二つあるもんだよ。初めてにしては、よく頑張ってるし。……まあでも、この前の休みに、海水浴でもしとけばよかったかなあ? 遊びながらでも練習できたろうし」

「ほほう、海水浴か。そいつはええのう。ソロンもやっぱ水着美女好きだろ?」


 下心にあふれた声が聞こえた。どことなく言葉遣いがオジサン臭い。


「ソロンはそんな目で女の子を見ないよ。グラットとは生物としての次元が違うから」


 ミスティンがよく分からない擁護(ようご)をしてくれた。いや、断言されても困るのだが……。


 アルヴァの息遣いが落ち着いたところを見計らって、休憩を終える。四人はまた泳ぎ出した。


「ひあっ!?」


 少し進んだところで、悲鳴が聞こえた。どこか間の抜けた悲鳴だったので、ミスティンかとも一瞬思った。

 ……が、彼女達の声をソロンが聞き間違えるわけはない。


「どうしたの?」


 すぐに振り返って、アルヴァの様子を確認する。


「何か足に触れましたよ。……何か足に触れました」


 なぜだか同じ言葉を繰り返してくる。動揺しているらしい。

 ソロンは、ちらりと額の蛍光石で付近を照らしてみた。見れば逃げ去っていく小魚の姿。


「ただの魚だよ。……あんまり取り乱さないでね。うっかり(かばん)に水が入ったら、浮くのが大変になるから」

「は、はい……」


 不安気にしている限りは、普通の少女と変わらない。今日の彼女はソロンと同い年の少女といった印象である。


 *


 そうして、どうにか水で満たされた広場を抜けた。急激に浅くなった水底に手をついて、体を引き上げる。

 幸い、ここから先の細道は、足先が()かるだけのわずかな水深のようだ。


「な、慣れないことをするものではありませんね……」


 またもアルヴァは疲れた様子で、浅くなった水底に座り込んだ。それから、寒さに震えるように体を抱きかかえる。

 上から下までびしょ濡れの服が、ソロンの額にある蛍光石に照らされた。

 ……青少年には目の毒な光景だった。


「よく頑張ったよ。体、乾かさないとね」


 濡れた体から水滴がポツポツと落ちていく。それと同時に体温が奪われていく。探索はこの先も続くため、早く温めねばならない。

 水泳中も大事に背負っていた刀を、ソロンは抜き放った。両手で握り、刀身へと魔力を込めていく。

 ほのかな熱が刀から放たれ、裸の上半身を温める。

 服は(かばん)の中に入れたままだ。体が乾いてから着るつもりだった。


 アルヴァもようやく立ち上がって、腰のベルトから杖を抜いた。

 ……が、手は震えており、炎の魔石をはめ込む動作が危なっかしい。泳いだ疲労は相当深かったようだ。


「休んでなよ。僕がやるから」

「すみません……お願いします」


 やはり疲れていたらしく、アルヴァは杖を差し戻した。

 ソロンは刀に込める魔力を強化した。

 刀身が赤みを増し、暗い洞窟を照らし出す。水に映された赤光(しゃっこう)は、夕焼けのように鮮やかだった。

 ミスティンは服を絞って水を切ろうとしていたが、こちらを見るや、


「私も私も」


 と、そばに近づいてきた。焚火(たきび)で温まる時のように、ソロンの刀へと体を寄せる。


「グラットはどうしたの?」


 ふと気になってミスティンに聞いてみる。グラットが上陸する姿は確認したが、いつの間にか見えなくなっていた。


「奥、見てくるって」


 ミスティンは洞窟の先を指差した。そちらのほうに目を向けてみれば、


「ソロン、もうちょっとだぜ」


 曲がり角の向こうから、グラットが笑みを浮かべて戻ってきた。


「もうちょっとって、出口?」

「おう。てか俺も、寒くなってきたぜ。仲間に入れてくれ」


 と、グラットも火に当たろうと寄ってくる。もちろん、彼も上半身裸のままである。

 そうして、四人が刀を囲んで温まる格好になった。三人の顔が赤く照らされている。

 ソロンは話を戻して。


「出口はあったんだよね?」

「曲がってすぐに明かりが見えた。確認はしてないが、まあ間違いないだろ。もう一度泳ぐ必要はなさげだな」

「ふう、それは朗報ですね……」


 アルヴァはホッと息を吐いた。


「まあ、帰りも泳ぐんだけどね」

「ううっ……」


 ミスティンの一言に、アルヴァが表情を(くも)らせた。

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