伯爵を追って
やがて、船団が襲撃されたという地点にたどり着いた。
海竜の襲撃を警戒しなくてはならないため、緊張が高まってくる。
多くの船員が、監視のために甲板に立った。大した戦闘手段を持たない船乗り達にとっても、これは命懸けの冒険なのだ。
時間が経つうちに、どんよりした空が晴れ渡ってきた。徐々に昇ってきた太陽が、海を照らしてくれるのが心強い。魔物が海中に潜んでいても、これならばいち早く発見できるだろう。
襲撃地点を通り過ぎても、捜索は続く。
やがて、遠くの海上に大きめの船を見かけた。
この船より立派な外装で、どうやら軍船のようだ。もちろん、伯爵を捜索するために危険を冒して海に出ているのだろう。
船長が指示をして、船は軍船へと接近していく。どうやら情報交換を図るつもりらしい。
風を送っていたアルヴァも、その意を理解して杖を収めた。適度な速度で接近できるように速力を下げたのだ。
船員が旗を掲げて、軍船の方角に向けた。軍船からも、海兵が同じように旗を掲げ返してくる。
ソロンにはよく分からないが、旗の模様や掲げ方で意味が異なるらしい。雲海と水の海で共通した帝国の統一規格があるそうだ。
そうやって、二つの船は互いの捜索状況を確認し合った。
確認が終わり、別れ際に船乗り達は腕を伸ばして敬礼を交わす。軍船は別の方角に向かって遠ざかっていった。
「見つからねえみたいだな」
船員達の様子を見て、グラットがつぶやいた。
掲げられた旗の意味は分からなくとも、彼らの落胆した表情を見れば結果は瞭然だった。
ここに至ってソロンの胸中に、嫌でも不安が湧き上がってくる。
伯爵がラスクァッドに戻っていない以上、船が無事である望みは薄い。それでも皆、伯爵達の無事に一縷の望みを賭けていた。
破損した船がどこかに流れ着く可能性も考えられる。あるいは海に投げ出された伯爵が、生存してどこかに流れ着くかもしれない。
いずれにしても儚い希望だ。
それが無理だったとしても、せめて遺体だけでも見つけてあげたい。けれど、それすら叶う保証はどこにもないのだ。
最悪の場合、船も伯爵も、跡形もなく海底に沈んだ可能性もある。そうなれば広大な海の中で、探し出せる可能性は零に等しかった。
「簡単に見つかるとは考えていませんよ」
もっとも、アルヴァに諦める様子はなかった。
潮風の吹く甲板をスタスタと歩いて、船長の元へと向かっていく。ソロンもその後ろを、いつものように付いていった。
船長は数人の船員を集めて、進路の相談をしているところだった。
「――あの軍船は、どの経路をたどって来たと言っていましたか?」
アルヴァが船長へと問いかけた。
「はっ! 北側の二島を周回してきたとのことです。島の全周を丹念に、捜索したのだと申しておりました。その他にも軍の船が、いくつかの島を当たっているようです」
船長も海図を広げながら、敬々しく返事をした。海図に描かれた該当の島を、次々と指差していく。
ちなみに、アルヴァは自らの身分を船員達に明かしていない。伯爵の血縁に当たる令嬢――という以上の情報は伝わっていないはずだ。
それでも、その正体は公然の秘密のような有様だった。
アルヴァが戴冠したのは去年の出来事。当時ニバムは、そのことを何よりも喜んだという。
ニバムは権力者の親族であることを、笠に着るような人物ではない。……が、それは差し置いても、孫娘の栄達が嬉しくて仕方なかったようだ。
そうして、彼自らがアルヴァの肖像画を掲げ、盛大に祝宴を催したのだ。噂に聞く限りでも、相当なジジ馬鹿ぶりだったという。
そのため、伯爵が前皇帝の祖父である事実は、イシュティール市民なら誰もが知っていた。
加えて、彼女自身が六年前にもイシュティールを訪れている。そういった事情を知っていれば、正体を導き出すのは簡単だった。
アルヴァ自身も堂々たる態度である。
彼女の正体は既に皇帝や元老院にも伝わっているため、今となっては隠れる必要もないのかもしれない。
彼女は船長が持つ海図を覗き込みながら。
「それ以外の島を捜索するというわけですね。……といっても、この辺りは随分と島が多いようですが……。候補を絞り込めませんか? 地理に関しては、軍よりもあなた方のほうが詳しいでしょう?」
そう言って、船員達の顔を見回しながら意見を求めた。
彼らはみな緊張した面持ちだったが、一人の船員が挙手をした。それから、一つの島を指差して、
「俺としてはこの辺の島がいいんじゃないかなと……。少し遠くになりますが、潮の流れはこっちに向かってますから――」
おずおずと説明を始めた。
それを契機として、他の船員達も口々に意見を吐き出していく。
アルヴァはいちいち頷きながら、話を聞いていった。
海竜がいる中での航海は危険なため、捜索に出ているのは軍船ばかりである。生粋の船乗り達による意見は貴重だった。
やがて、意見が煮詰まった。アルヴァと船長が相談の上、一つの島に目的地を定めたのだった。
*
船乗り達の知識を元に、潮の流れにそって南西へと船を走らせていく。
もちろん、魔物への警戒もゆるめはしない。
幸い、現時点では海竜と遭遇するような事態にはならなかった。
晴れ渡る空と海、そこに目的の島が姿を現した。
ネブロー島と呼ばれるその島は、半時間もあれば船で一周できる程度の大きさらしい。
その名は最初に島を見つけた古代の探検家に由来するという。
……ただし、帝国人にすらよく知られていない程度の人物らしく、あまり重要ではなさそうだ。
島の北側は傾斜の激しい断崖になっている。その合間には入江があって、そこは波の押し寄せる砂浜になっていた。
上陸するには、ちょうどよい地点となるだろう。
もっとも、これから目指す場所はその反対側――つまりは島の南側に当たる。
海流の関係で、漂流物は島の南側まで運ばれるらしい。そのため、まずは南側に船で回り込み、入念に調査する予定だった。
ここに至って、アルヴァとミスティンは風の魔法を停止した。
あまり船を急がせても、却って観察がおろそかになるためだ。
船はゆったりとした速度で、島の東側を南へと進んでいく。その間も、何かが漂流していないかを、多人数で注意深く観察した。
島の南側は岩だらけの岩礁地帯だった。
そして、岩礁の向こうは絶壁である。座礁の危険があるため、船を進ませるには危険な地形だ。
船長は一定の距離を取るように指示をした。そうして、慎重に船を動かしていった。
最初に気づいたのはミスティンだった。
「何かある、何かあるよ!」
彼女は船から身を乗り出すようにして指差した。
「なんだ!」
「船じゃないか!?」
「見ろ、イシュティールの旗だ!」
その声を皮切りにして、次々と船上から声が上がる。ソロンの目にも、その何かがはっきりと見えてきた。
酷く入り組んだ岩礁の奥。どのようにして進入したかも分からないような場所に、船が漂着していたのだ。
恐らくは何度も岩礁に船体をぶつけながら、奥へと流されていったのだろう。
船は損傷が激しく、左舷側を岩礁に乗り上げている。
船体にはいくつもの穴が空いており、そこから浸水していた。折れた帆柱が、痛々しく甲板に横たわっている。
航行できる状態にないのは一目瞭然で、動かなくなった船へと波が幾度も打ちつけていた。
「お祖父様の船です! 間違いありません!」
アルヴァが断言したので決定的となった。祖父を見送る時に、船の特徴を覚えていたようだ。
ニバムは次男ダナム共々、複数の船で魔物退治に出かけた。しかし、そこにあるのはただ一隻だけだった。
難破船の中に人がいるかどうかは分からない。
ここから見る限り、風景と同化した死の船といった印象すら受ける。それでも船が沈んでいない限り、生存者がいる可能性も大いにあった。
「もっと……もっと接近できませんか?」
焦りを浮かべたアルヴァは、操舵手へと声をかけた。
操舵手は舵を握ったまま首を横に振る。
「危険ですよ、お嬢様。無理に近づいては、この船まで座礁してしまいます」
「なら、小舟を出して、乗り移っては?」
「それも危険なのは同じです。この波の強さでは難しいでしょう」
なおも喰い下がるアルヴァを、操舵手が諌めた。
入り組んだ地形の影響だろうか、難破船がある付近は波が渦巻くように荒れている。岩礁の中をすり抜けて、難破船まで接近するのは至難の業だろう。
「ですが……!」
アルヴァは愕然とした表情のまま、押し黙った。操舵手の言葉は真っ当で、彼女には反論が思いつかないらしい。
ソロンはその肩に手を置いて、
「アルヴァ、無理と決まったわけじゃないから。ここはダメでも、他に道があるかもしれない」
彼女を落ち着かせるために、穏やかな声で目を合わせた。
「え、ええ……すみません。私としたことが取り乱しました」
元々、冷静な性格だけあって聞き分けはよい。アルヴァもすぐに落ち着きを取り戻した。
「地図はどうなってますか?」
ソロンは船長に声をかけた。
船長もそれに応えて、地図を広げてくれる。
イシュテア海にある主要な島は、たとえ無人島であろうとも地図に記されている。島の位置だけではなく、島そのものの構造も記されていたのだ。
ここはネブロー島の南側にある岩礁である。その北は絶壁となっているため、一見すれば孤立した地形のように思えた。
ところが――
「これって……?」
ソロンは地図の一点に目を留めた。
「ええ、洞窟があるらしいんですよ」
船長が頷いた。
地図には、絶壁を貫く洞窟が記されていた。北側から南側へと抜けられるようだった。
「それじゃあ、ここを通ったら!」
「ええ、ですが……。この島も例に漏れず、魔物の棲家となっているはずです。それに古い地図なので、どこまで正確かは……」
喜び勇むソロンに、船長が警告する。
「それでも、岩礁を小舟で通るよりは安全なはずです。行きましょう!」
アルヴァはいつものように即断した。
「さっきの入江がよさそうだね」
ソロンはアルヴァに地図を指差して見せた。
さきほど、島の北側で目にした入江の砂浜である。上陸するにはちょうどよいと見繕っていた場所だった。