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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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大海をゆく

 (いかり)を上げて船が出港する。

 イシュテアの大海へと帆を掲げた。

 船の甲板(かんぱん)から、三本の帆柱(ほばしら)が空に向かって伸びている。そこには数多くの帆が付いて、風を受けていた。

 マリエンヌや船乗り達は、可能な限り立派な船を用意してくれたのだ。


 船が動き出し、港が徐々に遠ざかる。

 船の後部に立ってみれば、マリエンヌは今も港からこちらを見送っていた。


「命懸けで――だなんて軽々しく言ってはいけませんよ。別にその……私はあなたの主君でも何でもないのですから」


 出し抜けにアルヴァから叱られた。

 ソロンが横を向けば、潮風に黒髪をゆらす彼女の姿。紅い瞳は港を向いていたため、目線は合わない。


「別に軽々しく言ったつもりはないんだけどなあ……」


 ソロンは頭をかきながら苦笑する。


「うむ、少なくともこいつは真顔だったぜ。お姫様のためなら、命ぐらい捨てるかもしれん」


 グラットがソロンの頭を叩きながら冷やかす。


「うんうん」


 と、ミスティンがなぜか嬉しそうな顔をして頷く。

 アルヴァは「はぁ……」と溜息をついてから、三人に向き直る。


「別に、あなた方まで来る必要はなかったのですよ」

「そうはいかないよ」


 と、ソロンは即座に首を横に振る。


「――主君じゃなくても友達だから。人間関係は上下だけじゃないさ」

「うん、たまには海も面白いと思う」

「まっ、爺さんが行方不明って聞いた時点で覚悟はしてたぜ。お姫様なら、自分が行くだろうとは思ってた」


 と、三者三様に答える。


「まったくもう……」


 アルヴァは少し困ったように目をそらしたが、覚悟を決めたように頷いた。

 それから、船の帆へと鋭く視線を向けて、


「――そろそろ頃合いですね」


 アルヴァは杖を帆へと向けた。同時に、かぶっていた帽子をソロンへと託す。


「おいおい、何する気だよ」


 杖先の方向に立っていたグラットが、慌てて飛びのく。


「やっぱりか……」


 彼女が何をしようとしているのか、ソロンは察した。

 下界の魔道士も、船を急がせる場合に取る手段である。ただし、技量が必要とされるため、ナイゼルのような一部の者にしか使えなかった。


「ええ。少し乱暴ですが、急ぎますよ」


 アルヴァの杖先に付けた緑の魔石――緑風石が光を放つ。たちまち杖先から風が巻き起こった。

 強風を受けて、帆がバタバタと騒ぎ出す。

 三本の帆柱に掲げられた数多くの帆――それが一斉にはためく様はなかなか壮観だった。


 巻き起こる反動の風を受けて、アルヴァの黒髪と服が(したた)かになびく。

 他の三人も、同じようにその身へ風を受けた。魔法の射線から離れていても、あふれ出る風力の強さを感じられた。


 嵐のような強風が甲板を吹き抜ける。

 それでも、嵐と違ってこの風は方向と強さが一定していた。俄然(がぜん)帆船(はんせん)は勢いに乗って海上を加速し出した。


「おうおう、すげえ速さだなあ!」


 甲板で作業する船員達も、感嘆の声を上げた。

 風で加速するという話は事前に聞いていたようだが、それでも驚きは隠せないようだった。


 *


 青く鮮やかなイシュティール海を、船は快調に飛ばしてゆく。

 通常の帆船と比較して、倍以上の速度が出ているのではないだろうか。

 一時間……二時間と時が過ぎていき、日が少しづつ陰っていく。

 それでも、船は止まらない。なおも大海を斬り裂くように進んでいった。


 しかし、そんな船の様子とは対照的に、アルヴァは必死だった。反動の風を全身に受けながら、苦しそうな表情を浮かべている。

 やはり、これだけの風を維持するには大変な精神力が必要なのだ。

 それでも、アルヴァの意志は強く、杖先の魔石へと魔力を送ることをやめなかった。

 操舵士(そうだし)もその速力に負けじと、機敏に船を操り進路を調節していく。


 途中、いくつかの島が目に入った。

 どうやら、帆船は島伝いに航行しているようだ。広大な海とはいえ、目印がないわけではないらしい。


「おいおい……。大丈夫なのか? いくらお姫様でも、あれじゃあもたないぜ」


 グラットはそんなアルヴァの様子を見て、いさめようとするが、


「いえ、まだ大丈夫です」

 彼女は目線を帆に固定したまま即答した。

「――気が散るので……話しかけないでください」

「お、おう……。だがよう……」


 鬼気迫るアルヴァの横顔を見て、大の男であるグラットが萎縮していた。結局、すごすごと少し離れた場所に座り直す。

 すぐそばでミスティンも心配そうに、アルヴァを見ていた。それはソロンにしても同じだった。

 実際、ソロンもいつ止めようか心中では、ずっと悩んでいたのだ。

 無理はさせられない。……けれど、祖父の無事を願うアルヴァの意志も無下にはできない。


 すぐにその時はやって来た。

 案の定、見守るソロンの前でアルヴァの足元がふらついたのだ。

 すかさずソロンは駆け寄り、アルヴァを支えた。

 いずれこうなるのは予測していたので、ソロンは彼女のそばを片時も離れなかったのだ。


「大丈夫? ……じゃないね。もう休みなよ」

「ですが……お祖父様が――」


 苦しげにアルヴァがうめいた。既に、杖先から流れていた風は消えている。


「ダメだ。見ちゃいられない」


 ソロンはアルヴァの言葉を(さえぎ)った。それから彼女の手を引いて、船の後部へともたれさせる。


「――大体、目的地まで先は長いんだ。暗くなったら捜索はできないし、君がちょっと無理したってどうにかなるもんじゃない。そこは君のほうが分かってると思うけどね」


 ソロンにしては強い口調で言い放った。

 目的地はイシュテア海の中程にある島であり、イシュティールからは、おおよそ七~八時間かかるという。

 風で大幅に加速させていたので、船の速度は倍といったところだろう。それでも、到着するには何時間とかかるのは確かだ。

 どれほど偉大な魔道士にもそれだけの時間、魔法を維持するのは、不可能だった。


 アルヴァは唇を噛みながら、悔しげな表情を見せた。

 無理を承知で働いていたのは、彼女自身も分かっているはずだ。だから、いつものように反論して、ソロンをやり込めることもできなかった。


「……私を叱るなんて。ソロンも立派になりましたね」


 精々が、そんな捨て台詞をつぶやくのでやっとだった。

 そう言いながらも、アルヴァが手を握り返す感触が伝わってきた。どうやら怒っているわけではないらしい。


「地位にとらわれず。対等でいいって言ったのは誰だっけね?」


 ソロンも彼女の隣に座って言い返す。アルヴァから呼び捨てでよい――と言われた時の話を持ち出したのだ。


「地位が関係なくとも……。私のほうが年長で……す」


 すると、アルヴァは疲れた様子で弱々しく反論した。

 しかし、そう述べるアルヴァにしても、歳上のグラットを敬っていた記憶はないのだが……。


「ん……?」


 ソロンはふと肩に感触を感じて、隣に目をやった。

 見れば、既にアルヴァは目を閉じて、ソロンの肩に頭をもたせかけていた。長く美しい黒髪がすっかり乱れている。


 魔法を過剰に使えば精神力を消耗する。精神力を消耗すれば、眠くなるのが自然の摂理である。

 ソロンも魔道士の一員として、その感覚はよく理解している。あれだけ魔法を長く使ったならば、当分は起きてこないだろう。

 ソロンはアルヴァの頭に手をやって、乱れる黒髪を整えてあげた。


「まっ、これ以上は無理だわな。爺さんには悪いが、ここは休むしかないか」


 そんなアルヴァを見て、グラットは苦笑しながら言った。


「ナイゼルがいればよかったんだけどね……」


 ソロンは静かになった帆を見上げながら、「ふう」と息を吐いた。

 ナイゼルは、何だかんだで頼りになるソロンの兄弟子だ。イドリス一の魔道士であり、何といっても風魔法の達人である。

 そんな彼ならば、風で帆船を動かすぐらいはお安い御用だろう。

 全くもって、帝都で別れたのが惜しい。しかし彼には彼の仕事があるのだ。


 そんなことを考えていた時に、ふと感じる視線があった。

 見れば、ミスティンがこちらをジッと見ている。

 弓を片手に、何かを訴えるような視線である。

 肩にアルヴァの頭が乗っているのが、気になるのかと思ったが――どうも、そういうわけではなさそうだ。


「……どうしたの?」

「これでできるかも……」


 と、ミスティンは弓を指し示す。彼女にしては、あまり自信がなさそうだ。


「もしかして、それで風が送れるってこと?」

「うん」

「やってみる?」


 駄目で元々、挑戦してみる価値はありそうだ。


「うん」


 ミスティンは迷うことなく首を縦に振った。

 彼女は立ち上がり、先程までアルヴァが立っていた場所に陣取った。

 ミスティンは姿勢よく帆を見上げた。そして、悠々と弓を構える。それも矢をつがえていない空の弓だ。


 ミスティンが愛用する風伯の弓――それを構成する風伯銀ふうはくぎんは、風を巻き起こす力を持っている。

 しかし、その弓はイドリスで造られた特注品であった。杖で魔法を使うのとは、扱いは別物といってもよかった。

 ……が、風伯の弓が輝き出すと共に、風が放たれた。

 最初は穏やかな風。ミスティンの金髪が風になびき、ゆらゆらと揺れる。


「いい感じだよ、ミスティン」


 ソロンが声援を送れば、ミスティンもニコリと微笑(ほほえ)む。

 風は段々と強くなり、やがて帆がはためき出した。弓に込められた魔力が、徐々に強さを増しているのだ。

 そんな中でも、彼女は至って涼しげな表情を浮かべていた。


 帆船は、再び風に駆られて走り出した。

 アルヴァが杖を振るっていた時よりもゆっくりだが、それでも悪くはない速度だ。


「お前……いつの間にそんな芸当、身につけたんだよ」


 グラットが呆れ半分に声を上げる。杖代わりになる弓などは、前代未聞だろう。


「意外と簡単だよ。矢を射つ時と魔力の向け方を変えるだけ」


 なんでもないように、天才肌のミスティンは言った。

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