海都の事変
帝都の西門を抜けた馬車は、どこまでも続く街道を進んでいた。
目指すは海都イシュティール。既に一度通った道だった。
「あっち行ったり、こっち行ったりと忙しいねえ」
相変わらずの調子でグラットがぼやく。
人数が四人になってしまったため、馬車の中はがらんと広い。グラットは大きな体を存分に伸ばして、くつろいでいた
「観光もできずにすみませんね。ですが、お祖父様のことがやはり気懸かりですので」
アルヴァは落ち着いた面持ちではあるが、心配は隠せないようだった。
「海竜って言ってたね。やっぱり手強いのかな?」
と、ソロンは話題を振ってみる。
「さあ、どうでしょう。お祖父様も実力のある魔道士ではありますが……。しかし、海での戦いは容易ではありませんから」
「そっか」
正直なところ、ソロンは伯爵に対して良い印象はない。
そもそもソロンは孫娘の恩人のはずなのだ。それが理不尽に怒鳴りつけられたのだから、好感を持てるはずもない。
それでも、心配そうなアルヴァを見ては、彼の無事を祈らずにはいられない。
「結局、分からなかったね」
ミスティンが唐突に言った。いつものことだが簡潔すぎる。分からないのはこっちのほうである。
「何のこと?」
「誰が何のためにアルヴァのことをチクったか」
意外に真っ当な話題だった。見た目よりも鋭い彼女は、ずっと気にしていたのかもしれない。
「そうですね。結果的にはうまく運びましたが、たまたま幸運だったに過ぎません。お兄様がうまく立ち回ってくださらねば、今頃どんな目に遭っていたことか……」
謎は深まったが結論は出なかった。
*
四人は二日の行程で、イシュティールへとたどり着いた。
真昼の日射しの中、馬車から降りた四人は既に見慣れた町中を進んでいく。
海竜による騒ぎが起きていようとも、イシュテアの海は変わりなく透き通っていた。そして、それと対照的に白く映えているのが、イシュティール伯爵の館だ。
「さて、お祖父様はそろそろ戻られているでしょうか?」
館の前へと歩を進めながら、アルヴァはつぶやいた。
海竜討伐のためニバムがイシュテア海に船出して、おおよそ一週間が経過した。つつがなく作戦が進行していれば、朗報が届いていてもおかしくはない。
門前を守備していた兵士は、アルヴァの姿を見るなり声を上げた。
一人が門を開き、もう一人は館の中へと駆け込んでいく。
アルヴァは自ら先頭に立って、敷地の中へと足を踏み入れた。ソロン達三人もそれに続く。
「ああ、アルヴァ様……! お帰りになられたのですね……」
慌てた様子でマリエンヌが走ってきた。表情は蒼白で見るからに余裕がない。近衛兵に連行されたアルヴァを、心配していたのだろうか。
「マリエンヌ、心配をおかけしました」
そんなマリエンヌを安心させようと、アルヴァが声をかける。
……が、どうやらマリエンヌの心配の種は、それだけではないらしい。アルヴァもそれに気づいて、表情を曇らせる。
「――ひょっとして、お祖父様がどうかなさったのですか?」
「ニバム様とダナム様――お二人の乗った船が消息を絶ったそうなのです……!」
「どういうことですか、説明をお願いします」
懸念は現実になった。アルヴァは余計な口を挟まずに、マリエンヌへと説明を求めた。
「はい、それは――」
うながされたマリエンヌは、詳細な経緯を語り出した。
ニバムとダナムの二人が率いた船団は、予定通りにラスクァッドの港町に到達した。
港町で補給と情報収集を終えた彼らは、意気揚々と海竜の捜索へと出発した。
目的地はラスクァッドの西部に点在する複数の島である。
正確な魔物の居場所は不明だが、目撃情報はその近辺で相次いでいたのだ。
そして、船団は西へと進み続けた。
各船が手分けして各島の捜索に当たる予定だったが、途中までは方角も同じである。自然、一団となってまとまっていた。
事件が起きたのはその時だった。
轟音と共に激しい水柱が巻き起こり、船団に所属する一隻を包み込んだ。突如、海中から魔物の奇襲を受けたのだ。
ニバムとダナムを始めとした船団の皆も、警戒していなかったわけではない。
しかし、それにしてもあっという間の出来事だった。
襲われた船は抵抗もままならず、船底を喰い破られた。大きく浸水し、瞬く間にイシュテア海へと沈んでしまったのだ。
魔物の正体は明らかで、目的とする海竜に間違いはなかった。
そして――海竜はそのまま次々と、船団の船へと襲撃をしかけた。
顎で船底を喰い破り、尾を振り回しては渦と波を巻き起こした。巨体での突撃は船を揺らし、兵士達は甲板から放り出されていった。
もちろん、兵士達も勇猛に反撃をしかけた。
けれど、海中に逃げ込まれては手の打ちようがない。わずかに命中した魔法も、強固なウロコに防がれて決定打にはならなかった。
海中から襲いかかる攻撃に、さしものニバムらも抵抗できなかった。たった一体の魔物を相手にして、軍船が為す術もなかったのだ。
ある船はイシュテア海の藻屑となり、ある船は航行不可能な被害を受けた。
伯爵が乗っていた船も例外ではない。海竜からの強烈な攻撃を受けて、沈む寸前だったそうだ。
激しい戦闘の中で、次男ダナムの船もどうなったか分からない。
ともかく、指揮系統は崩壊し、船団は散り散りになったのだ。
そんな中、その中の一隻が奇跡的に逃げ延びた。命からがら、ラスクァッドの港町へと戻り事態を報告したのだった。
ラスクァッドの領主は伯爵の家臣であり、すぐに事態の重大さを認識した。急ぎイシュティールまで船を送り連絡をよこしたのだ。
留守を預かるマリエンヌらが、その報告を受けたのは今朝のことだという。
「マリエンヌ、船を用意できますか? 私も捜索に向かいます」
マリエンヌの報告を聞き終わるやいなや、アルヴァはそう口にした。何の迷いもない明朗な口調である。
「それは、可能ですが……。しかし、既に軍団の皆も、船で捜索に向かっているのです。アルヴァ様が危険に身をさらすこともないのでは?」
マリエンヌはひるんだ様子ではあったが、それでもアルヴァをいさめた。
「だからといって、座視はできません。お祖父様を見捨てるわけにはいかないでしょう」
「前の皇帝陛下ともあろうお方が、危険なことをなさらないでください」
マリエンヌは悲痛な声を上げて、アルヴァにすがる。
そんなマリエンヌを見て、アルヴァは胸を痛めた様子だった。
それでもアルヴァは、マリエンヌの肩に決然と手を置いた。目を見合わせながら、首をゆるりと横に振って、
「……しょせんは前の皇帝です。今の私はイシュティール伯爵の孫娘なのです」
優しい声色でさとすように言った。
結局、マリエンヌが折れた。
マリエンヌはアルヴァにとっては義理の母のようなものだが、同時に臣下でもある。最終的には、アルヴァの意思を尊重したのだった。
そうと決まるや、マリエンヌの対応は速かった。
方々に連絡を取りながら、一時間とかからずに船を手配してしまった。
もっとも、伯爵の私兵であるイシュティールの海軍から、協力を得ることは難しかった。
というのも、既に海軍の兵士は、多くが軍船を駆って捜索に出発していたからだ。
彼らはイシュティール伯爵に仕える兵士である。有事の際には、主君のために身を投じるのも当然だった。
結果的に、アルヴァは軍属ではない船乗りに頼むしかなかったのだ。
それでも、伯爵の危機を知っては、何人もの船員が志願してくれた。それも、海竜の脅威を知った上での志願である。主君への恩を返そうとみな懸命だったのだ。
*
そして――マリエンヌは、船に乗り込もうとするアルヴァを見送っていた。ソロン、グラット、ミスティンの三人ももちろん同行している。
アルヴァとの別れを済ませたマリエンヌは最後に、
「ソロンさん、アルヴァ様のことをよろしくお願いします」
そう言って、深々とソロンに向かって頭を下げた。
なぜ、グラットやミスティンではなく自分だけを名指ししたのか――それは分からない。
けれど、そんなことよりもマリエンヌの泣きそうな顔が、印象に残った。嫌でも母ペネシアを思い起こしてしまう。
「分かりました。僕が彼女を守りますから。それこそ命懸けで」
なんてことを真面目な顔で言い切った。