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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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海都の事変

 帝都の西門を抜けた馬車は、どこまでも続く街道を進んでいた。

 目指すは海都イシュティール。既に一度通った道だった。


「あっち行ったり、こっち行ったりと忙しいねえ」


 相変わらずの調子でグラットがぼやく。

 人数が四人になってしまったため、馬車の中はがらんと広い。グラットは大きな体を存分に伸ばして、くつろいでいた


「観光もできずにすみませんね。ですが、お祖父様のことがやはり気懸かりですので」


 アルヴァは落ち着いた面持ちではあるが、心配は隠せないようだった。


「海竜って言ってたね。やっぱり手強いのかな?」


 と、ソロンは話題を振ってみる。


「さあ、どうでしょう。お祖父様も実力のある魔道士ではありますが……。しかし、海での戦いは容易ではありませんから」

「そっか」


 正直なところ、ソロンは伯爵に対して良い印象はない。

 そもそもソロンは孫娘の恩人のはずなのだ。それが理不尽に怒鳴りつけられたのだから、好感を持てるはずもない。

 それでも、心配そうなアルヴァを見ては、彼の無事を祈らずにはいられない。


「結局、分からなかったね」


 ミスティンが唐突に言った。いつものことだが簡潔すぎる。分からないのはこっちのほうである。


「何のこと?」

「誰が何のためにアルヴァのことをチクったか」


 意外に真っ当な話題だった。見た目よりも鋭い彼女は、ずっと気にしていたのかもしれない。


「そうですね。結果的にはうまく運びましたが、たまたま幸運だったに過ぎません。お兄様がうまく立ち回ってくださらねば、今頃どんな目に遭っていたことか……」


 謎は深まったが結論は出なかった。


 *


 四人は二日の行程で、イシュティールへとたどり着いた。

 真昼の日射しの中、馬車から降りた四人は既に見慣れた町中を進んでいく。

 海竜による騒ぎが起きていようとも、イシュテアの海は変わりなく透き通っていた。そして、それと対照的に白く映えているのが、イシュティール伯爵の館だ。


「さて、お祖父様はそろそろ戻られているでしょうか?」


 館の前へと歩を進めながら、アルヴァはつぶやいた。

 海竜討伐のためニバムがイシュテア海に船出して、おおよそ一週間が経過した。つつがなく作戦が進行していれば、朗報が届いていてもおかしくはない。

 門前を守備していた兵士は、アルヴァの姿を見るなり声を上げた。

 一人が門を開き、もう一人は館の中へと駆け込んでいく。


 アルヴァは自ら先頭に立って、敷地の中へと足を踏み入れた。ソロン達三人もそれに続く。


「ああ、アルヴァ様……! お帰りになられたのですね……」


 慌てた様子でマリエンヌが走ってきた。表情は蒼白で見るからに余裕がない。近衛兵に連行されたアルヴァを、心配していたのだろうか。


「マリエンヌ、心配をおかけしました」


 そんなマリエンヌを安心させようと、アルヴァが声をかける。

 ……が、どうやらマリエンヌの心配の種は、それだけではないらしい。アルヴァもそれに気づいて、表情を(くも)らせる。


「――ひょっとして、お祖父様がどうかなさったのですか?」

「ニバム様とダナム様――お二人の乗った船が消息を絶ったそうなのです……!」

「どういうことですか、説明をお願いします」


 懸念は現実になった。アルヴァは余計な口を挟まずに、マリエンヌへと説明を求めた。


「はい、それは――」


 うながされたマリエンヌは、詳細な経緯を語り出した。


 ニバムとダナムの二人が率いた船団は、予定通りにラスクァッドの港町に到達した。

 港町で補給と情報収集を終えた彼らは、意気揚々と海竜の捜索へと出発した。

 目的地はラスクァッドの西部に点在する複数の島である。

 正確な魔物の居場所は不明だが、目撃情報はその近辺で相次いでいたのだ。


 そして、船団は西へと進み続けた。

 各船が手分けして各島の捜索に当たる予定だったが、途中までは方角も同じである。自然、一団となってまとまっていた。

 事件が起きたのはその時だった。


 轟音(ごうおん)と共に激しい水柱が巻き起こり、船団に所属する一隻を包み込んだ。突如、海中から魔物の奇襲を受けたのだ。

 ニバムとダナムを始めとした船団の皆も、警戒していなかったわけではない。


 しかし、それにしてもあっという間の出来事だった。

 襲われた船は抵抗もままならず、船底を喰い破られた。大きく浸水し、(またた)く間にイシュテア海へと沈んでしまったのだ。

 魔物の正体は明らかで、目的とする海竜に間違いはなかった。


 そして――海竜はそのまま次々と、船団の船へと襲撃をしかけた。

 (あぎと)で船底を喰い破り、尾を振り回しては渦と波を巻き起こした。巨体での突撃は船を揺らし、兵士達は甲板(かんぱん)から放り出されていった。


 もちろん、兵士達も勇猛に反撃をしかけた。

 けれど、海中に逃げ込まれては手の打ちようがない。わずかに命中した魔法も、強固なウロコに防がれて決定打にはならなかった。


 海中から襲いかかる攻撃に、さしものニバムらも抵抗できなかった。たった一体の魔物を相手にして、軍船が為す術もなかったのだ。

 ある船はイシュテア海の藻屑(もくず)となり、ある船は航行不可能な被害を受けた。


 伯爵が乗っていた船も例外ではない。海竜からの強烈な攻撃を受けて、沈む寸前だったそうだ。

 激しい戦闘の中で、次男ダナムの船もどうなったか分からない。

 ともかく、指揮系統は崩壊し、船団は散り散りになったのだ。


 そんな中、その中の一隻が奇跡的に逃げ延びた。命からがら、ラスクァッドの港町へと戻り事態を報告したのだった。

 ラスクァッドの領主は伯爵の家臣であり、すぐに事態の重大さを認識した。急ぎイシュティールまで船を送り連絡をよこしたのだ。

 留守を預かるマリエンヌらが、その報告を受けたのは今朝のことだという。



「マリエンヌ、船を用意できますか? 私も捜索に向かいます」


 マリエンヌの報告を聞き終わるやいなや、アルヴァはそう口にした。何の迷いもない明朗な口調である。


「それは、可能ですが……。しかし、既に軍団の皆も、船で捜索に向かっているのです。アルヴァ様が危険に身をさらすこともないのでは?」


 マリエンヌはひるんだ様子ではあったが、それでもアルヴァをいさめた。


「だからといって、座視はできません。お祖父様を見捨てるわけにはいかないでしょう」

「前の皇帝陛下ともあろうお方が、危険なことをなさらないでください」


 マリエンヌは悲痛な声を上げて、アルヴァにすがる。

 そんなマリエンヌを見て、アルヴァは胸を痛めた様子だった。

 それでもアルヴァは、マリエンヌの肩に決然と手を置いた。目を見合わせながら、首をゆるりと横に振って、


「……しょせんは前の皇帝です。今の私はイシュティール伯爵の孫娘なのです」


 優しい声色(こわいろ)でさとすように言った。


 結局、マリエンヌが折れた。

 マリエンヌはアルヴァにとっては義理の母のようなものだが、同時に臣下でもある。最終的には、アルヴァの意思を尊重したのだった。


 そうと決まるや、マリエンヌの対応は速かった。

 方々(ほうぼう)に連絡を取りながら、一時間とかからずに船を手配してしまった。

 もっとも、伯爵の私兵であるイシュティールの海軍から、協力を得ることは難しかった。


 というのも、既に海軍の兵士は、多くが軍船を駆って捜索に出発していたからだ。

 彼らはイシュティール伯爵に仕える兵士である。有事の際には、主君のために身を投じるのも当然だった。


 結果的に、アルヴァは軍属ではない船乗りに頼むしかなかったのだ。

 それでも、伯爵の危機を知っては、何人もの船員が志願してくれた。それも、海竜の脅威を知った上での志願である。主君への恩を返そうとみな懸命だったのだ。


 *


 そして――マリエンヌは、船に乗り込もうとするアルヴァを見送っていた。ソロン、グラット、ミスティンの三人ももちろん同行している。

 アルヴァとの別れを済ませたマリエンヌは最後に、


「ソロンさん、アルヴァ様のことをよろしくお願いします」


 そう言って、深々とソロンに向かって頭を下げた。

 なぜ、グラットやミスティンではなく自分だけを名指ししたのか――それは分からない。

 けれど、そんなことよりもマリエンヌの泣きそうな顔が、印象に残った。嫌でも母ペネシアを思い起こしてしまう。


「分かりました。僕が彼女を守りますから。それこそ命懸けで」


 なんてことを真面目な顔で言い切った。

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