二つの国の交わり
「皇帝陛下、イドリス王国より参りました大使代理のナイゼルと申します。国王サンドロスの意を受けて、国交を結びたいと願い参上しました」
ナイゼルはうやうやしく皇帝の前で頭を下げる。
どこに入っても恥ずかしくない堂に入った所作だった。ソロンには決して真似できそうにない。
どうやら、今の話の切り出しをやれということだったらしい。確かに王弟たるソロンの役目だったかもしれない。
……が、大した打ち合わせもしていない状態では無理である。
「ほう、そうなのか……」
エヴァートは興味深げにつぶやいた。それから彼も立ち上がって、ナイゼルに向き合った。
エヴァートとナイゼルはほぼ同年代である。
ナイゼルは少しばかり変人だが、見てくれは悪くない。皇帝と向き合っても決して見劣りはしなかった。
「それから、既に紹介はしましたが、わが国の王弟のソロニウスです。そしてこちらは、わが父にして、元オムダリア公爵のガノンドとなります」
ナイゼルは各自へ視線を向けながら説明した。
ガノンドがさっと立ち上がったので、ソロンも慌てて追随する。
「オムダリア公爵……!?」
これにはエヴァートも興味を引かれたようだった。
「ガノンド・オムダリアと申します」
ガノンドは堂々と名乗りを上げた。
「――二十年前に帝国を追放された身ではありますが、元々はそう名乗っておりました。父君のエディオン殿下には、何度かお目にかかったこともありますぞい」
彼にしても、元来は帝国を追放された身である。それでもここに至っては、正直に身元を明かす方針にしたらしい。
「それではあなたが、あの……!? 追放された者がいるとは聞いていたが……」
エヴァートにしてもガノンドのことは聞き知っていたらしい。驚く素振りを見せた。
もっとも、ガノンドが追放されたのは今から二十数年前にもなる。
当時、エヴァートはまだ赤子だったろう。下手をしたら生まれていなかった可能性もある。
ガノンドは深々と頷いて。
「はい。長らくイドリスに仕えて参りましたが、この機会に戻って来たのですわい。帝国について知識を持つ者が、必要でしたのでな」
「そうだったか。追放の経緯については、よく存じないため、見解は差し控えるが……。さぞかし苦労されたのだろうな」
「痛み入りまする。……ああ、それから陛下。名目上の全権大使はそちらのソロニウスになりますからの。よろしくお願い致しますぞ」
「は、はい。どうも、よろしくお願いします」
ペコリとソロンは頭を下げた。
「ソロニウス殿下、従妹がお世話になったそうで感謝しよう、よろしく頼むよ」
エヴァートが手を差し伸べたので、ソロンも握り返した。
「ソロンで結構です。アルヴァにはそう呼ばれていますので」
「ではソロンだな。それにしても、下界の王国と国交か……。古代にはそのような時代もあったと聞いてはいるが、正直なところ伝説だとばかり思っていた。いやはや、実に面白いな」
エヴァートはいかにも機嫌がよさげで、こちらの話に興味を持ってくれた。アルヴァが言っていた通り、人柄は相当によさそうだった。
「それでは陛下。国交を結んでいただけるのでしょうか?」
ここぞとばかりに、ナイゼルが懇願した。
「ああ、前向きに検討させてもらおう。……っと、元老院の政治家には、姑息にこの言葉を使う者もいるがな。今のは言葉通りにとらえてくれて構わない。なんせ貴国は我々にとって、存在すら把握していなかった国だ。地理や交通手段も把握しないうちから、即答などできないのでね。何日もかけて話を詰めることになると思うが、それで構わないかな?」
皇帝エヴァートは安請け負いをしなかったが、それだけに真摯さがあった。こういうところは、アルヴァともよく似ている。
「承知しました。我々としても元よりそのつもりです」
ナイゼルは余裕の笑みで、それに答えた。
「――手始めにそれを献上いたしましょう。どうぞ、お手に持ってご覧ください」
と、ナイゼルはエヴァートのそばに立つ近衛兵を指し示した。
近衛兵が持っていたのは、鞘に収まった魔法武器である。館に入る前、あらかじめ献上品を託しておいたらしい。
近衛兵がエヴァートのそばにそれを置いた。
「ほう……これは魔法武器だな」
エヴァートは、一目見るなりそう言った。そして、目に驚きを宿したまま、剣を手に取った。
「お分かりになりますか」
「ああ、僕も一つ持っているのでね。金貨をいくら積んでも、そう簡単に手に入らない物だとも分かっている。しかもこれは、随分と新しいじゃないか」
エヴァートはしげしげと剣を観察しながら、話を続けた。
アルヴァの話によれば、皇族は武芸に通じているのが当たり前だという。彼にしてもやはり、それ相応な剣の使い手なのだろう。優れた剣を見て、興味を引かれているに違いなかった。
その反応を見たナイゼルは、にんまりと微笑んで。
「それはイドリスが誇る鍛冶師が先日こしらえた物ですよ」
「なんと! 魔導金属はどこから手に入れたのだ?」
エヴァートは身を乗り出すようにして、ナイゼルの口元を注視した。
アルヴァもソロンの魔刀には興味津々だったなあ――とソロンは昔を回想する。
ナイゼルはもったい振るようにゆったりと頷いて、
「陛下、わが国には魔導金属の産出される鉱山があるのです」
と、決め手の一言を発した。
「おぉ……」
エヴァートは少年のように目を輝かせた。
どうやらうまくいきそうだ――と、ソロンは肩の荷を下ろした。
*
そうして、前皇帝と新皇帝の再会を端緒とした会談は終わった。
以降、国交締結のため二国――イドリスとネブラシアの間で、継続的なやり取りが交わされることになった。
とはいえ、一日やそこらではとても詰められる内容ではない。下界との交流は帝国にとっても、決して小さな出来事ではないのだ。
エヴァートとしても元老院に諮りながら、協議を進める意向だという。
イドリス側の実務は、ナイゼルとガノンドが当たることになった。
ソロンも一応、名義上はイドリスの代表となっている。……が、実際のところ出番はなさそうだ。
ナイゼルとガノンドは今後、何度となく帝都とイドリスを往復する見込みだった。途中の経路を考えれば、護衛兵の存在は欠かせない。
そのため、四人の兵士達も、ナイゼルと一緒に帝都へ留まる手はずになっている。
いずれ二国の間が交易路で結ばれ、にぎやかになっていくと期待したい。
その日はエヴァートの別荘で夜を過ごした。
館の主人は、彼の身分を考えれば控えめなご馳走で一同をもてなした。それもソロンにとってはむしろ好ましく思えた。
アルヴァの従兄だけあって、彼も放蕩を好まない性格のようだった。
*
会談の翌日。
目的を果たした一行は、早々と帝都を発つことに決めた。行き先は元いた海都イシュティールである。
早朝、別荘の前にエヴァートの手配した馬車が停まっていた。
ソロン、アルヴァ、ミスティン、グラットの四人が、そこに乗り込んでいく。
残りの六人――ナイゼルとガノンドに四人の兵士達は、見送りする側だ。
帝都への滞在を決めた彼らは、今日もこの館に留まる予定だという。今後は皇城に顔を出す予定もあるらしい。
忙しい中ではあったが、皇帝自身も玄関に姿を表した。今日はそのすぐ後で皇城へと登城する予定だそうだ。
「しばらくお別れですね。坊っちゃん……。時々でよいので、私のことを思い出してください……。このナイゼル――体は離れていても、心は坊っちゃんと共にありますから」
ナイゼルは大袈裟に泣く振りをした。別れを惜しむ恋人のようで大変に気持ち悪い。
「ああうん、頑張ってね」
ソロンも慣れたもので適当に返事しておく。
「――でも、僕だって役目が終わったら、そっちの手伝いするかもね」
「ははっ、期待しないで待っていますよ。ですが、坊っちゃんはアルヴァさんの元から離れられないのでは?」
「そんなつもりじゃないって」
小声でナイゼルを諌めながら、ソロンはアルヴァのほうを見る。
幸い彼女は、従兄と別れの挨拶をしているところだった。こちらの話を聞かれはしないだろう。
「私としては構いませんよ。サンドロス陛下も、坊っちゃんには自由にしろとおっしゃっていました。我々の目的に両国の親善がありますが、その手段は一つや二つではありませんからね」
と、ナイゼルはわりあい真面目な顔で言ってくる。
「身の振り方は考えとくよ」
ソロンは何とも曖昧な答えを返した。
「それではソロンよ。姫様と、ついでにニバムのことを頼んだぞ。まあ、あやつが海竜なんぞにやられるとは思わんがな」
ガノンドもなんだかんだで旧友を心配しているようだった。
「先生もお元気で。娘さんとうまくいくといいですね」
二国間の交渉がうまくいけば、ガノンドは娘のカリーナを呼び寄せることになっていた。帝国とイドリスをつなぐ一人として、活躍してくれることを願いたい。
さて、アルヴァのほうも別れを済ませたかな――と、ソロンは向こうへと目をやった。
「何も一日で帰ることはないと思うがなあ……。この館で結果が出るまで待ってはどうだ?」
別れの挨拶をするアルヴァに向かって、エヴァートは未練がましく提案していた。馬車の手配までしておきながら、よほど別れるのが惜しいようだった。
「そうは行きませんよ、お兄様。魔物討伐に出たお祖父様のことが、心配ですから」
「それでは事が落ち着いた後でもいい。帝都に戻るつもりはないか?」
「ふむ……」
アルヴァは少しだけ考える素振りを見せた。
「僕の片腕として力を貸して欲しい。僕の両腕だけではこの国は広大すぎてね。副帝でもなんでも望む地位を与えるよ」
「お気持ちは嬉しいのですが、私はもう戻るつもりはありません。私の失敗で、多くの方々を傷つけてしまいましたから……。罰を受けるのも仕方ありません」
エヴァートは落胆の溜息を吐いた。
「しかし、君の才能を埋もれさせておくのは惜しい……」
アルヴァはゆるやかに首を横に振りながら。
「私はちっぽけな人間ですよ。誇りや責務を失って、初めてそれを実感しました。それでも絶望せずにいられたのは、その空隙を埋めてくれる方々がいたからです。……ですから、今はただ手の届くものを守りたいと思います」
言い終えたアルヴァがこちらを向いた。ソロンと視線を合わせて、はにかむような微笑を見せたのだ。
こうして、ソロン達は再び四人に戻ったのだった。
*
馬車は出発し、後方で見送るエヴァート達の姿も見えなくなった。
「う~む。驚くべき謙虚さだな……」
そこでグラットは感心するように唸った。
「何がですか?」
不思議そうにアルヴァが尋ねる。
「そりゃ陛下のことだ。皇帝陛下の上に、お姫様の従兄弟っていうからもっと偉そうな人を想像してたぜ」
「本当。別に尊大でなくても、皇帝っていうのは務まるんだね」
ミスティンもうんうんと感心して見せた。
「……どことなく私への当てつけに思えるのは、自意識過剰でしょうか?」
アルヴァだけがどこか不満気に唇を尖らせていた。