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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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思わぬ招待

 イシュティールには水族館なるものがあるという。

 イドリスでは聞いたことのない言葉である。聞く限りでは、水の生物を専用に展示する見世物小屋のようなものだそうだ。


 そして、その水族館は大勢の人で賑わっていた。

 どうやら、雲海の帝国ともいうべきネブラシアにおいて、海の魚というものは珍しいらしい。帝都を始めとした他都市から、観光客が大勢訪れるのだそうだ。

 分厚いガラスで造られた水槽や生簀(いけす)――その中に多種多様な海の生物が放し飼いにされている。


「お~、なるほど。こんなものが観光資源になるんですねえ」


 などと、ナイゼルがしきりに感心していた。

 魔物が多く交通の便が悪いイドリスでは、このような観光業を成り立たせるのは難しいのだ。

 やるとしても、よその町の住民を呼び込むのは難しいため、一つの町中だけで完結せざるを得ない。たまに珍しい動物が捕まった際に、見世物小屋が開かれる程度だった。


「あれなに?」


 生簀の中を、悠々と背泳ぎする謎の珍獣を見つけた。

 胸元には石を大事そうに抱えている。似た生き物を挙げればカワウソだろうか。


「ラッコだよ」


 ミスティンが教えてくれた。


「ラッコ?」


 聞き覚えのない名称に、首をかしげる。


「下界にはいませんか?」


 と、アルヴァが聞いてくる。


「うん、少なくとも僕は聞いたことない。下界の生き物を全部知ってるわけじゃないけど」

「寒冷地に生息しているので、イドリス周辺にいないだけかもしれませんね。北の海に行けば、野生のラッコが見られるのです」



 水族館では、魚人のような亜人が奴隷として従業員を務めていた。水中の生物の世話をするために、彼らの特性は重宝されているようだ。

 恐るべきことに、水族館の水槽には海竜の姿もあった。

 もっとも海竜とはいっても、小型のかわいらしいと思えるような種族である。

 さすがに大型の海竜ともなれば、人の手には余る。この辺りが水族館の限界といったところか。


「お祖父様は大丈夫でしょうか……」


 憂いを帯びた瞳でアルヴァがつぶやいた。もちろん、例の海竜騒ぎを連想したのだろう。


 *


 しばらく待つしかない日々が続いた。

 変化があったのはある日の朝だった。


「ソロン、起きてください」


 なぜだか、アルヴァが部屋まで起こしにやって来た。静かな声であるが、肩をゆする力は強い。


「んん……おはよう。どうしたの?」


 眠い目をこすりながら、ソロンはアルヴァを見やった。既に寝間着から着替えた状態で、どこか不安げな表情を浮かべている。


「うぎゃっ!?」


 横ではグラットが悲鳴を上げて、転がっていた。

 同じく部屋に侵入していたミスティンが、毛布をまくり上げて叩き起こしたのだ。

 もっとも、そんなことをしている彼女自身もどこか眠そうな目をしていた。グラットを叩き起こしたのは八つ当たりだろうか。

 アルヴァは一瞬だけそちらに目をやったが、すぐにソロンへと目線を戻す。


「外が騒がしいようなのです」

「騒がしい……?」


 そう言われてみれば、部屋の外がどことなく騒然としている。それでも、わざわざ早起きするほどのことか――と、ソロンは思ってしまうが。

 先日もベオの町にて、敵国による襲撃を経験したばかり。しかし、その時ほどの緊迫感は持てなかった。


「とにかく、まずは着替えるように。先に様子を見てきます」


 それだけ言って、アルヴァはミスティンを連れて部屋を出ていった。


「んだよ、朝っぱらから……!」


 悪態をつくグラットだったが、しぶしぶソロンと共に服を着替えた。念のため武器を持って行くことにした。

 部屋の外に出れば、ざわめく館の様子がはっきりと伝わってきた。


「お目覚めですか、坊っちゃんも」

「まったく、騒がしいのう……」


 その中にナイゼルやガノンド達の姿も目に入った。四人の兵士の姿もある。やはり、異変を感じて起きてきたらしい。


 しばらくして、ミスティンが小走りで戻ってきた。少し遅れてアルヴァもやって来る。


「近衛兵だって」

「近衛兵って?」


 ミスティンの報告に、ソロンがオウム返しする。


「皇帝の直属となる部隊――近衛隊の兵士のことです。皇帝や皇族の警護はもちろんのこと、指令を受ければ様々な任務もこなします。普段は帝都に駐在しているので、その治安維持も重要な役目となりますね」


 アルヴァが生真面目に答えてくれたが――


「いや、そうじゃなくて……。近衛兵が来てるんだよね。どうして、こんなところに?」


 ソロンが再び問うと、アルヴァは分からないとばかりに首を振った。


「ですが、私に用件があるのかもしれませんね。今、マリエンヌが話を聞いているようですが……」


「アルヴァ様……」


 そんなところに、当のマリエンヌがやって来た。表に出れないアルヴァに代わって、近衛兵から話を聞いていたらしい。


「近衛隊はなんと言っていましたか?」


 緊張した面持(おもも)ちでアルヴァが問うた。


「……はい。最初は伯爵を指名したのですが、不在だったため私が応対しました。それから、この館で前陛下を(かくま)っているのではないか――と、あなたに出頭を求めています」


 マリエンヌはためらいがちに、近衛隊の要求を告げた。


「いきなり、兵士を差し向けてくるなんて……」


 ソロンが想定した最悪の状況に近いかもしれない。いよいよ、腹をくくるべきだろうか。


「それもこんなに早くです。私の想定では、あと一日はかかると思っていたのですが……」


 アルヴァも難しい顔つきになる。手紙を送ってからの日数を考えると、反応は随分と早かった。

 アルヴァはマリエンヌへ質問を重ねる。


「――近衛隊の様子はどうでしたか? 例えば、武器を突きつけて迫ってきているのでしょうか?」

「いえ、武器は持っていても、それを抜く者はいないようです。物腰もあくまで丁重であり、威圧的ではありませんでした。アルヴァ様の名前を告げる時も、あまり騒ぎ立てないように気を配っているように感じました」

「分かりました。私が直接会いましょう」


 それを聞くなり、アルヴァは即決した。

 マリエンヌは困惑していたが、結局はアルヴァの意向が通った。


 *


 館の門前には、大勢の騎兵達が迫っていた。門は今も閉ざされているため、敷地内へは入ってきていない。

 イシュティール伯爵に仕える兵士は、青みがかった銀の鎧を身に着けている。ところが、この兵士達の鎧は白銀にきらめいていた。

 かつてアルヴァを警護していた兵士達の中に、このような装備を見た覚えがある。


 これだけの兵士に迫られていれば、当然ながら物々しい雰囲気となる。それでも近衛隊の者達は、剣を腰に差したままだったのが救いだった。

 全部で二十人といったところだろうか……。

 近衛隊というからには、恐らくは精鋭ぞろいと考えたほうがよい。それでも、決死の覚悟で戦えば、切り抜けることは不可能ではないだろう。


 ……が、それは最終手段。今はまだ様子見だ。


 アルヴァの横にピタリと張りついて、ソロンは門のそばへと歩を進めた。

 門の向こうに現れたアルヴァを見て、近衛兵達が色めき立った。

 隊長らしき男が前に出た。門を挟んだアルヴァへ顔を向けながら、驚いたような顔をしていたが……。


「アルヴァネッサ前陛下ですね。帝都までご同行お願いできますか?」


 うやうやしく懇願(こんがん)するような口調だった。どうやら、手荒な真似をするつもりはないらしい。


「やっぱり本物だよ……」

「イタズラじゃなかったのかよ……」

「追放されたはずがどうして……」


 隊長の後ろ側で、兵士達がヒソヒソ話をしている。

 やはり彼らにとっても、驚きの出来事だったらしい。

 兵士達は何といっても近衛兵なのだ。少し前まではアルヴァの直属であり、実物の彼女を見ていてもおかしくはない。簡単に真偽の区別はつくだろう。


「テニオ百人長でしたか?」


 アルヴァは隊長の顔をしげしげと見つめ、そして問いかけた。


「はっ、覚えておいででしたか」


 隊長――テニオ百人長もうやうやしく答えた。既に主従の関係にはないが、彼女への敬意を失ってはいない様子である。


「これはどなたからの指図でしょうか?」

「元老院とエヴァート陛下、双方が合意の上です」

「双方……? 近衛隊が来るということは、陛下の元へ連れていただけるのでしょうか? まさか、元老院へ引き渡すつもりではありませんね?」

「はっ、陛下ご自身が院ではなく、御下(みもと)にお連れせよと仰せです」

「分かりました。御意に従いましょう。……時に、私に関して元老院へ報告を上げたのはどなたでしょうか?」


 アルヴァは報告という言葉を用いたが、要するに誰が密告したのか――という意味だろう。


「いえ、それは私には分かりかねますが……」


 テニオは言葉を濁した。ごまかしているというよりは、本当に知らないといった印象だった。


「でしたら、結構」


 それから、アルヴァはソロン達のほうへ目をやった。

 すぐにソロンは察した。彼女はこちらを一緒に連れて行っていいものか、迷っているのだ。


「僕も行っていいですか?」


 ソロンは迷わず自分から切り出した。

 何にせよ、アルヴァを一人にする気はない。彼女の安全が確保できるまで、力を尽くそうと考えていた。


「はい。陛下はお連れの方々にも興味を持っておいでです。そちらも連れてくるようにと仰せでした」


 テニオの口振りからすると、下界のことまでは聞かされていないように思える。アルヴァの追放先は伏せられているのだから、そう考えたほうが自然だった。

 とはいえ、指示を下した皇帝はその限りではない。ソロン達を下界からやって来た者と知った上で、近衛隊へ命じたのかもしれない。


「じゃあ私も」

「しゃーない俺も」


 ミスティンとグラットもすかさず続いた。


「私もこの機会に、ぜひ陛下とお会いしたいと願います」


 ナイゼルもこれを好機にとらえ、覚悟を決めたようだ。


「では、わしも付き合うしかないのう。イドリスの賢者と呼ばれた、このわしがな」


 ガノンドは妙にわざとらしい言葉を付け足した。

 恐らくは、かつて追放された罪人としての立場をごまかすためだ。あくまで、ここはイドリス人として同行するつもりらしい。

 自然、イドリスから来た四人の兵士達も同行することになった。


「承知しました。皆様のため、馬車を用意しております。窮屈(きゅうくつ)になりますが、どうかご寛恕(かんじょ)ください」


 テニオ百人長はなおも、うやうやしい態度を取っていた。


「アルヴァ様……」


 少し離れて、後ろから様子を眺めていたマリエンヌが声をかけた。


「マリエンヌ。お祖父様が戻ってきた時には、報告をお願いします」

「……かしこまりました」


 マリエンヌにも思うところはあったろうが、口に出したのはそれだけだった。彼女も結局は、アルヴァを信じるしかなかったのだろう。

 かくして館の門は(ひら)かれた。

 百人長の案内に従って、十人の一行は近衛隊の馬車へと乗り込むのだった。

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