ジジ馬鹿
「うむうむ、さすがアルヴァは達筆だな」
アルヴァが書き終えた手紙を見やって、伯爵は満足気にうなった。
「――この文面なら不審に思われることもなく、目的を達せられるだろう。完璧と言ってもいい。もはや、お前の名誉回復は時間の問題だな」
「気が早すぎですわよ、お祖父様。あくまでお兄様の意向次第です。それに……お兄様がその気でも、元老院を説得できるかどうかは未知数ですので」
はやるニバムに、アルヴァが苦笑する。
しかし、ますます伯爵の瞳は熱を増していく。
「うまくいくとも。いや……いかなかったところで気にすることはないぞ。元老院も皇族も、そんなものはどうでもいい! たとえサウザード家から追放されようと、お前は私の一族だからな。いつまでもここにいるがよい。それどころか、私はお前にイシュティールを託してもよいと思っておる」
予想もしなかった提案に、アルヴァは目を見開いた。
「私がイシュティール伯爵を継ぐということですか? ですが、テリダム叔父様に、ダナム叔父様もいらっしゃいますし……」
「テリダムは、私の代官として帝都に留まらせているがな。いささか物足りないというのが正直なところだ。確かにあやつは、頭だけならそれなりに回る。だが、いざという時の決断力に欠けるきらいがある」
元老院議員を務める貴族の多くは、同時に領地を治める領主でもある。領地の運営と議員としての仕事――そのどちらも疎かにはできないのだ。
そのため、親族を帝都へ代官として送るのが通例になっていた。もちろん、自ら帝都に常駐し、領地を親族に任せる方法もある。
ともかく、ニバムは前者の例であり、その代官がテリダムというわけだ。
「それでは、ダナム叔父様は?」
「あやつは勇敢で戦に向いているのは認めるがな……。頭のほうは今一歩というしかない」
「よ、容赦ないですね……」
息子への厳しい評価に、ソロンが恐れおののく。自分の父にこのような評価をされていたら――と、想像しただけでも胸が苦しくなる。
ソロンにしても、兄との比較に悩んだ経験は一度や二度ではないのだ。
「だが、それが現実なのだ。私の子で最も見込みがあったのはイルファであったが……」
ニバムはどこか遠い目で、その名を口にした。
「確かに……。お母様が存命であったならば、お祖父様の後継も立派に務まったかと思います」
アルヴァの口調は亡き母への尊敬を窺わせた。
ソロンは彼女の母について、多くの話を聞いてはいない。しかし、そう聞いてみると、彼女の資質の高さは母譲りであったのかもしれない。
「うむ、惜しいものだ……。それでも、イルファはお前を残してくれた。だから、今の話も考えておいてくれ」
「……考えてはみましょう」
アルヴァは浮かない顔をしながらも口を開く。
「――ただ、そもそもが罪人の身では、お祖父様の後継となる資格もありません。帝国が私をあくまで罪人として扱うならば、再び下界に戻ることも覚悟の上です」
「下界に戻る……だと!?」
ニバムは驚愕の表情を浮かべていた。
しかしそれも無理からぬこと。
上界人にとって下界は得体の知れない土地。そこからアルヴァが戻ってきた事実は奇跡なのだ。愛する孫娘を再び、下界に送り込むなどとんでもないことだろう。
「その場合はお祖父様とは、今生の別れとなりますが……。どちらにせよ、私が無事で暮らしていると知っていただきたかったのです。……それに、下界もそこまで悪い場所ではありませんよ」
アルヴァはソロンの腕をつかんで、はにかむように微笑んだ。
「――あちらにはソロンもいますから。私を一人にしないと約束してくださいました」
アルヴァはニバムを安心させるために言ったらしい。
腕をつかまれて気恥ずかしさもあったが、ソロンも彼女の気持ちに応えようと思った。
「えっと、僕もできる限り努力します。たとえ、彼女が再び下界に追放されたとしても、僕が付いていますから」
なんて、恥ずかしげな言葉を思い切って口にしてみる。……少しばかり調子に乗っていたのも否定できない。
「ぬ、ぐぐぐ……」
だが、ニバムの驚愕はますます深まったようだ。目を剥いてソロンのほうをねめつけている。それから口を半開きにしたまま、腕をぷるぷると震わせていた。
「あの、お祖父様……」
アルヴァがニバムを落ち着かせようと、その肩に手をかける。
……これはまずい。ソロンの脳裏を嫌な予感が駆け巡った。
「き、貴様は! 貴様は私から孫娘を奪おうと言うのか!」
ついにニバムの怒りが爆発し、ソロンの危惧は現実となった。
「えっ、いや別にそんなつもりじゃ……」
狼狽するソロンに、ニバムはなおも攻め寄る。
「黙れ! 女みたいな顔して、なんという腐った男だ! そうやって、アルヴァを下界にさらおうというのだろう! 許さん、断じて許さんぞ!」
「ちょっ……!? そもそも、僕はアルヴァを下界から連れ戻した側なんですけど!」
理不尽極まりない糾弾に、ソロンは必死に抗弁するが。
「これ! 貴様、わが孫娘は前の皇帝であるぞ! さっきからよくもなれなれしく!」
「へっ……あっ、すみません! つい……」
マリエンヌに注意されていたことを思い出した。しかし、今更アルヴァ様などと呼ぶ気もなかったのであるが……。
「お祖父様、いい加減になさってください!」
ところが今度はアルヴァの怒りが炸裂した。祖父へと詰め寄り、紅い瞳でにらみつける。
混迷ますます深まって、ソロンはただオロオロしていた。
「そ、そうは言ってもなあアルヴァよ……」
口論になるかと思いきや、早々にニバムがひるんだ。孫娘にはかなり弱いと見える。
「私が生きて帝都の事件を生き延びたのも、下界から戻れたのも、お祖父様と再会できたのも。全てソロンのお陰なのですよ。私と同様に――と、までは言いませんが、賓客として最低限の礼儀を心がけてください」
静かな口調でゆっくりと――それでいて力強くアルヴァは語った。彼女がここまで怒りを表に出すのは珍しい。
「ううむ……だがなあ……」
あのニバムが気圧されて、萎縮していた。
「べ、別に僕は気にしてないから。アルヴァもそんなに怒らなくても――」
何だか哀れに思えてきたので、ソロンは伯爵の擁護へ回ったが。
「哀れむような目で見るなぁ! 貴様にかばってもらおうなどと思わん!」
ところが、それが逆鱗に触れてしまったらしい。物凄い気迫でニバムが怒鳴った。
「ひっ……」
小心者のソロンは情けない声を出して、後ずさった。彼の紅い瞳にはどこか威圧感があった。
「お祖父様」
アルヴァが低い声を出して、祖父をにらみつけた。ニバムの怒号にも全く萎縮していないようだ。
「ア、アルヴァや……。こんな小僧がそんなに大事なのか……?」
またもニバムは弱々しい声色になった。呼び方が少年から小僧に格下げされている。
「当然でしょう、私の恩人です! お祖父様がソロンをいじめるというなら、私がこの子を守りますから」
アルヴァは胸に手を当てて、きっぱりと言い切った。
それから、彼女はソロンの手を握りしめた。それはもう、ソロンが気恥ずかしくなるほどに強く。それにしても『この子』呼ばわりはないと思うのだが……。
「む……むう」
ニバムは苦しげにうめいた。
「いやその、伯爵……。下界に避難するのはあくまで最後の手段ですから。彼女を危険にさらすよりはいいと思いまして……。だからその……陛下に手紙を送ってうまくいくなら、それが一番だと思います」
冷え切った空気を打開するため、しどろもどろにソロンは説明を試みた。
「うむ……貴様に言われるまでもないがな。手紙については任せておけ。伯爵の印章があれば、皇帝陛下まで届くはずだ」
一応、耳を傾けてくれたらしく、ニバムは罵倒をしてこなかった。……が、なおもソロンを見る視線は厳しい。
「そ、それはどうも……。寛大な処置をありがとうございます」
ともあれ、ソロンも一応は頭を下げて礼を言った。皮肉ではなく、どう返せばよいか分からなかったのである。
……なおも気まずい空気が流れる。ソロンは緊張したまま、押し黙るしかなかった。
伯爵はコホンと咳払いして、アルヴァのほうを向いた。
「私は明日にでもラスクァッドへ出発する。そのうち返事が来るだろうが、それまでは大人しく待っていてくれ」
海竜を退治するため、伯爵は領島のラスクァッドに向かうという。昨日、マリエンヌが話していた件だろう。
「かしこまりました。お祖父様も、あまり無理はなさらぬように」
アルヴァは礼儀を忘れずに伯爵へと一礼。そうして、ソロンの手を引きながら部屋を出ていった。
*
伯爵の部屋を出たソロンは、溜息をつこうとしたが――
「なにしてんの……?」
すぐそばには見慣れた顔の数々……。グラットにミスティン、ナイゼル、ガノンドの四人がいた。
「おもし……心配だったから見にきた」
ミスティンは無表情で淡々と答えた。面白そう――と言いそうになっていたのは、気のせいだろうか。
「……盗み聞きとは趣味が悪いですよ」
アルヴァがむすっとした声でたしなめた。
ともかく伯爵の部屋の前では、迂闊なことも話せない。中庭へと向かった。
「あやつ、ほんに大人げないのう。わしのように良い歳の取り方ができておらんようじゃな」
ガノンドは旧友を容赦なく切り捨てた。ガノンドが良い歳の取り方をしているかどうかは、見解が分かれそうだが。
「いやはや、見事な修羅場でしたね。お疲れ様でした、坊っちゃん」
ナイゼルが申し訳程度にソロンを気遣いながら、肩を叩いた。気遣ってはいるが、同時にどこか愉快そうにも見える。
「うう、本当にお疲れだよぅ……」
息も絶え絶えにソロンはうめいた。
グラットはソロンに同情する視線を向けて。
「孫思いのいい人だと思ったんだが……。これがどうして、偏屈そうな爺さんだなあ……」
「ま、まあ悪い人じゃないとは思うよ。アルヴァを大切に想ってるのは間違いないし」
「でも、本当にいい人だったら孫の恩人を罵倒したりはしないよね」
何気にミスティンは手厳しかった。
「んだな。悪人とまでは言わんが、あの態度はいただけない。気持ちは分からんでもないがな……」
「いやいや、アルヴァのお祖父さんだし、その辺にしとこうよ」
ソロンがどうにか二人をたしなめようとする。
アルヴァは溜息をついて。
「そう言われても仕方がありません……。祖父が見苦しいところをお見せしました。私が代わって謝罪させていただきます」
「まあ、お姫様がそう言うんだったらよ」
アルヴァに謝られては、さすがに二人も鉾を収めざるを得なかった。