表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
172/441

ジジ馬鹿

「うむうむ、さすがアルヴァは達筆だな」


 アルヴァが書き終えた手紙を見やって、伯爵は満足気にうなった。


「――この文面なら不審に思われることもなく、目的を達せられるだろう。完璧と言ってもいい。もはや、お前の名誉回復は時間の問題だな」

「気が早すぎですわよ、お祖父様。あくまでお兄様の意向次第です。それに……お兄様がその気でも、元老院を説得できるかどうかは未知数ですので」


 はやるニバムに、アルヴァが苦笑する。

 しかし、ますます伯爵の瞳は熱を増していく。


「うまくいくとも。いや……いかなかったところで気にすることはないぞ。元老院も皇族も、そんなものはどうでもいい! たとえサウザード家から追放されようと、お前は私の一族だからな。いつまでもここにいるがよい。それどころか、私はお前にイシュティールを託してもよいと思っておる」


 予想もしなかった提案に、アルヴァは目を見開いた。


「私がイシュティール伯爵を継ぐということですか? ですが、テリダム叔父様に、ダナム叔父様もいらっしゃいますし……」

「テリダムは、私の代官として帝都に留まらせているがな。いささか物足りないというのが正直なところだ。確かにあやつは、頭だけならそれなりに回る。だが、いざという時の決断力に欠けるきらいがある」


 元老院議員を務める貴族の多くは、同時に領地を治める領主でもある。領地の運営と議員としての仕事――そのどちらも(おろそ)かにはできないのだ。

 そのため、親族を帝都へ代官として送るのが通例になっていた。もちろん、自ら帝都に常駐し、領地を親族に任せる方法もある。

 ともかく、ニバムは前者の例であり、その代官がテリダムというわけだ。


「それでは、ダナム叔父様は?」

「あやつは勇敢で戦に向いているのは認めるがな……。頭のほうは今一歩というしかない」

「よ、容赦ないですね……」


 息子への厳しい評価に、ソロンが恐れおののく。自分の父にこのような評価をされていたら――と、想像しただけでも胸が苦しくなる。

 ソロンにしても、兄との比較に悩んだ経験は一度や二度ではないのだ。


「だが、それが現実なのだ。私の子で最も見込みがあったのはイルファであったが……」


 ニバムはどこか遠い目で、その名を口にした。


「確かに……。お母様が存命であったならば、お祖父様の後継も立派に務まったかと思います」


 アルヴァの口調は亡き母への尊敬を(うかが)わせた。

 ソロンは彼女の母について、多くの話を聞いてはいない。しかし、そう聞いてみると、彼女の資質の高さは母譲りであったのかもしれない。


「うむ、惜しいものだ……。それでも、イルファはお前を残してくれた。だから、今の話も考えておいてくれ」

「……考えてはみましょう」

 アルヴァは浮かない顔をしながらも口を開く。

「――ただ、そもそもが罪人の身では、お祖父様の後継となる資格もありません。帝国が私をあくまで罪人として扱うならば、再び下界に戻ることも覚悟の上です」

「下界に戻る……だと!?」


 ニバムは驚愕(きょうがく)の表情を浮かべていた。

 しかしそれも無理からぬこと。

 上界人にとって下界は得体の知れない土地。そこからアルヴァが戻ってきた事実は奇跡なのだ。愛する孫娘を再び、下界に送り込むなどとんでもないことだろう。


「その場合はお祖父様とは、今生(こんじょう)の別れとなりますが……。どちらにせよ、私が無事で暮らしていると知っていただきたかったのです。……それに、下界もそこまで悪い場所ではありませんよ」


 アルヴァはソロンの腕をつかんで、はにかむように微笑(ほほえ)んだ。


「――あちらにはソロンもいますから。私を一人にしないと約束してくださいました」


 アルヴァはニバムを安心させるために言ったらしい。

 腕をつかまれて気恥ずかしさもあったが、ソロンも彼女の気持ちに応えようと思った。


「えっと、僕もできる限り努力します。たとえ、彼女が再び下界に追放されたとしても、僕が付いていますから」


 なんて、恥ずかしげな言葉を思い切って口にしてみる。……少しばかり調子に乗っていたのも否定できない。


「ぬ、ぐぐぐ……」


 だが、ニバムの驚愕はますます深まったようだ。目を()いてソロンのほうをねめつけている。それから口を半開きにしたまま、腕をぷるぷると震わせていた。


「あの、お祖父様……」


 アルヴァがニバムを落ち着かせようと、その肩に手をかける。

 ……これはまずい。ソロンの脳裏を嫌な予感が駆け巡った。


「き、貴様は! 貴様は私から孫娘を奪おうと言うのか!」


 ついにニバムの怒りが爆発し、ソロンの危惧は現実となった。


「えっ、いや別にそんなつもりじゃ……」


 狼狽するソロンに、ニバムはなおも攻め寄る。


「黙れ! 女みたいな顔して、なんという腐った男だ! そうやって、アルヴァを下界にさらおうというのだろう! 許さん、断じて許さんぞ!」

「ちょっ……!? そもそも、僕はアルヴァを下界から連れ戻した側なんですけど!」


 理不尽極まりない糾弾に、ソロンは必死に抗弁するが。


「これ! 貴様、わが孫娘は前の皇帝であるぞ! さっきからよくもなれなれしく!」

「へっ……あっ、すみません! つい……」


 マリエンヌに注意されていたことを思い出した。しかし、今更アルヴァ様などと呼ぶ気もなかったのであるが……。


「お祖父様、いい加減になさってください!」


 ところが今度はアルヴァの怒りが炸裂した。祖父へと詰め寄り、紅い瞳でにらみつける。

 混迷ますます深まって、ソロンはただオロオロしていた。


「そ、そうは言ってもなあアルヴァよ……」


 口論になるかと思いきや、早々にニバムがひるんだ。孫娘にはかなり弱いと見える。


「私が生きて帝都の事件を生き延びたのも、下界から戻れたのも、お祖父様と再会できたのも。全てソロンのお陰なのですよ。私と同様に――と、までは言いませんが、賓客(ひんきゃく)として最低限の礼儀を心がけてください」


 静かな口調でゆっくりと――それでいて力強くアルヴァは語った。彼女がここまで怒りを表に出すのは珍しい。


「ううむ……だがなあ……」


 あのニバムが気圧(けお)されて、萎縮(いしゅく)していた。


「べ、別に僕は気にしてないから。アルヴァもそんなに怒らなくても――」


 何だか哀れに思えてきたので、ソロンは伯爵の擁護(ようご)へ回ったが。


「哀れむような目で見るなぁ! 貴様にかばってもらおうなどと思わん!」


 ところが、それが逆鱗(げきりん)に触れてしまったらしい。物凄い気迫でニバムが怒鳴った。


「ひっ……」


 小心者のソロンは情けない声を出して、後ずさった。彼の紅い瞳にはどこか威圧感があった。


「お祖父様」


 アルヴァが低い声を出して、祖父をにらみつけた。ニバムの怒号にも全く萎縮していないようだ。


「ア、アルヴァや……。こんな小僧がそんなに大事なのか……?」


 またもニバムは弱々しい声色(こわいろ)になった。呼び方が少年から小僧に格下げされている。


「当然でしょう、私の恩人です! お祖父様がソロンをいじめるというなら、私がこの子を守りますから」


 アルヴァは胸に手を当てて、きっぱりと言い切った。

 それから、彼女はソロンの手を握りしめた。それはもう、ソロンが気恥ずかしくなるほどに強く。それにしても『この子』呼ばわりはないと思うのだが……。


「む……むう」


 ニバムは苦しげにうめいた。


「いやその、伯爵……。下界に避難するのはあくまで最後の手段ですから。彼女を危険にさらすよりはいいと思いまして……。だからその……陛下に手紙を送ってうまくいくなら、それが一番だと思います」


 冷え切った空気を打開するため、しどろもどろにソロンは説明を試みた。


「うむ……貴様に言われるまでもないがな。手紙については任せておけ。伯爵の印章があれば、皇帝陛下まで届くはずだ」


 一応、耳を傾けてくれたらしく、ニバムは罵倒(ばとう)をしてこなかった。……が、なおもソロンを見る視線は厳しい。


「そ、それはどうも……。寛大な処置をありがとうございます」


 ともあれ、ソロンも一応は頭を下げて礼を言った。皮肉ではなく、どう返せばよいか分からなかったのである。

 ……なおも気まずい空気が流れる。ソロンは緊張したまま、押し黙るしかなかった。

 伯爵はコホンと咳払(せきばら)いして、アルヴァのほうを向いた。


「私は明日にでもラスクァッドへ出発する。そのうち返事が来るだろうが、それまでは大人しく待っていてくれ」


 海竜を退治するため、伯爵は領島のラスクァッドに向かうという。昨日、マリエンヌが話していた件だろう。


「かしこまりました。お祖父様も、あまり無理はなさらぬように」


 アルヴァは礼儀を忘れずに伯爵へと一礼。そうして、ソロンの手を引きながら部屋を出ていった。


 *


 伯爵の部屋を出たソロンは、溜息をつこうとしたが――


「なにしてんの……?」


 すぐそばには見慣れた顔の数々……。グラットにミスティン、ナイゼル、ガノンドの四人がいた。


「おもし……心配だったから見にきた」


 ミスティンは無表情で淡々と答えた。面白そう――と言いそうになっていたのは、気のせいだろうか。


「……盗み聞きとは趣味が悪いですよ」


 アルヴァがむすっとした声でたしなめた。

 ともかく伯爵の部屋の前では、迂闊(うかつ)なことも話せない。中庭へと向かった。



「あやつ、ほんに大人げないのう。わしのように良い歳の取り方ができておらんようじゃな」


 ガノンドは旧友を容赦なく切り捨てた。ガノンドが良い歳の取り方をしているかどうかは、見解が分かれそうだが。


「いやはや、見事な修羅場でしたね。お疲れ様でした、坊っちゃん」


 ナイゼルが申し訳程度にソロンを気遣いながら、肩を叩いた。気遣ってはいるが、同時にどこか愉快そうにも見える。


「うう、本当にお疲れだよぅ……」


 息も絶え絶えにソロンはうめいた。

 グラットはソロンに同情する視線を向けて。


「孫思いのいい人だと思ったんだが……。これがどうして、偏屈そうな爺さんだなあ……」

「ま、まあ悪い人じゃないとは思うよ。アルヴァを大切に想ってるのは間違いないし」

「でも、本当にいい人だったら孫の恩人を罵倒(ばとう)したりはしないよね」


 何気にミスティンは手厳しかった。


「んだな。悪人とまでは言わんが、あの態度はいただけない。気持ちは分からんでもないがな……」

「いやいや、アルヴァのお祖父さんだし、その辺にしとこうよ」


 ソロンがどうにか二人をたしなめようとする。

 アルヴァは溜息をついて。


「そう言われても仕方がありません……。祖父が見苦しいところをお見せしました。私が代わって謝罪させていただきます」

「まあ、お姫様がそう言うんだったらよ」


 アルヴァに謝られては、さすがに二人も(ほこ)を収めざるを得なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ