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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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海竜騒ぎ

「時にマリエンヌさんや。ニバムの奴は忙しくしているのかな? 久々に酒でも()み交わそうと思っておったのだが……」


 食事が落ち着いたところで、ガノンドが尋ねた。若者達の会話に加われず、手持ち無沙汰だったのかもしれない。


「ああ、そのことですが……。近頃イシュテア海で、海難事故が多発しているそうなのです。今日はその対応を協議するため、港へ向かわれた次第でして」


 (うれ)いを帯びた瞳でマリエンヌが答えた。

 これにはアルヴァも関心を持ったようで、


「海難事故ですか……。ですがそれは、お祖父様の手をわずらわせるようなことなのでしょうか?」


 イシュテア海の周囲にはいくつもの都市が点在し、船も盛んに行き交っていると聞く。ならば、多少の事故があるのも仕方ないことだろう。


「ええ、何しろ数が多いようですので……。ここ一ヶ月、大きなものだけで既に十件を超えているようですから」

「一ヶ月で十件……! 相当な数ですね」


 アルヴァが驚きを見せる。


「そんなに多いの?」


 ソロンの疑問にアルヴァが頷く。


「はい、イシュテア海は穏やかな海ですから。海難事故はそれほど多くありません。普段は小規模な事故が、月に一件あるかといった程度でしょう」

「それってもしかして……海賊の仕業(しわざ)ですか?」


 気になったので、マリエンヌへと尋ねてみる。先日は身を持って、雲賊の襲撃を体験したばかりである。そこからの連想だ

 ところが、マリエンヌは首を左右に振って。


「海賊ではありません。どうやら事は魔物の仕業らしいのです。それも船を沈めてしまうような恐ろしい海竜なのだとか……」

「海竜か……。やっぱ、いつかの皇帝イカみたいにデカいヤツなんだろうな」


 グラットが少し前を思い出すようにつぶやいた。

 ソロンも最初に乗った竜玉船での旅を思い出す。

 水の海と雲海の違いはあるが、あのような巨大な魔物に襲われては、大型の船ですら安全ではいられないだろう。


 そして、竜はなんといっても魔物の王様だ。

 サーペンスやサラマンドラのような小型の竜もいるにはいる。とはいえ、大型のものは際限ない巨体と力強さを持つのが、竜族の恐るべき特徴だった。


「聞く限りは相当に大きいようですね。沖合に出た船が、巨大な(あご)で砕かれてしまうのだとか」

「うわぁ……」凄惨な様子を想像して、ソロンは思わずうめいた。「それは……凄まじいですね。息吹は吐かないのですか?」


 竜族の攻撃手段といえば、最も有名なのは息吹である。ソロンの知識でも、イドリスの海竜には高圧の海水を吐き出すものがあった。

 もっとも、イドリスの海竜はクジラのように大人しい種族が多い。そのため、事故の件数はそれほど多くはなかった。


「証言の限りでは、息吹は吐かないようですね。……ですが、追い詰められた状況になれば、どういう攻撃手段を取るかまでは分かりかねますが……」

「なんにせよ、一筋縄ではいきそうにないですね。お祖父様はどうされるおつもりでしょうか?」

「はい。ニバム様はイシュテア海を囲む諸侯と示し合わせて、海竜の討伐に向かわれるようです。自らもダナム様と共に、軍船を率いるおつもりだとか」

「ほう……あいつがなあ。あの歳でまだ魔物と戦うつもりなのか。無茶せねばよいがのう」


 人のことは言えないはずだが、ガノンドはそんなことをつぶやいた。


「――で、イシュテア海といっても相当広いはずじゃがな。その海竜が、どこに出るかは分かっておるのかな?」

「ええ、イシュテア海の中央付近に、ラスクァッドという伯爵家の領島があるのです。多くの船がそこの港町を経由するのですが、被害もその近辺に集中していると聞いております」


 どうやら、イシュティール伯爵家の領地は、この町だけではないらしい。思ったよりも力のある貴族のようだ。


「ラスクァッドですか……。あの辺りはちょうど海の中継地点ですね。確かに捨て置けません。港町の住民も、さぞかし不安に思っていることでしょう」


 前皇帝の矜持(きょうじ)か、アルヴァは民のことを(おもんばか)った。


「まあでも、さすがに今回ばっかりは、俺らがでしゃばることもねえんじゃねえかな」


 グラットは頭の後ろに手を組んで言った。

 投げやりな言い方ではあったが、ソロンも考えに大差はなかった。諸侯が軍船を使ってまで退治するというなら、任せるのが筋だ。


「言われなくとも分かっていますよ。私だって、大人しくここで待っているつもりですから」


 どこか渋々といった口調ではあるが、アルヴァも納得してくれた。


 *


 夕食を終えて、マリエンヌと別れた。

 夜を過ごすため、一行はそれぞれの部屋へと戻ったのだ。

 途中、アルヴァがミスティンの頬を無慈悲な表情でつねる姿が目に入った。……いまだ恨みを忘れていなかったらしい。


「痛い痛い。ソロン、助けて」


 と、ミスティンがこちらへ手を伸ばしてくる。まだかなり余裕そうだったが、いい加減に助けることにした。


「まあまあ、そのぐらいにしときなよ。二人とも同じ部屋で寝るんだから、ケンカしないでよ」


 本来ならアルヴァには個室があてがわれるはずだったが、それは彼女自身が断った。護衛兼友人として、ミスティンも同じ部屋に泊まることになっている。


「むう……」


 アルヴァはミスティンの頬から手を離した。つねったところを撫でながら。


「――まあこのぐらいで許してあげましょう。淑女たる者、いつまでも人を恨むものではありませんから」


 淑女はそもそも人をつねらない――とも思ったが、それを口にする愚をソロンは冒さなかった。


 *


 翌朝――ソロンはアルヴァに連れられて、ニバムの私室を訪れた。ニバムを介して皇帝へ送る文面を検討するためである。

 ぞろぞろと大勢で押しかけるのも失礼かと思ったので、他の者は連れていない。ソロンの立場は一応、イドリス代表としての意味もあった。


「ふうむ、文面はどうしたものだろうな。親戚とはいってもエヴァート陛下とは、さほど付き合いがあるわけではない。無論、信頼できる方だとは思っておるが……」


 ニバムから見れば、現皇帝は義理の大甥に該当する。詳しくいえば、娘の夫の弟の息子だ。当然ながら血縁関係はなく、疎遠となるのも当然だった。

 それでもアルヴァが祖父に頼ったのは、彼が爵位を持つ(れっき)とした貴族だからだ。伯爵のような高い地位がなければ、皇帝とは連絡を取ることすらままならない。


「お兄様以外の者も、中身を(あらた)めるはずですからね。あまり立ち入ったことは書かず、お会いする約束だけをつけましょう。それも公的な場での謁見ではなく、人目を避けた場所で……。表向きの要件は、イシュテア海の海難事故の報告でいかがでしょう」


 もちろん今のアルヴァは、堂々と謁見できる立場ではない。謁見は人目をはばかった場所で行われなくてはならない。


「そうだな。だが、人目を避けてか……。私の名で手紙を送っても難しいのではないか?」


 一介の伯爵であるニバムが、皇帝と密かに会う理由がないという意味だ。臣下と皇帝のやり取りは、謁見の間で(おおやけ)にして行われるのが通例である。

 特に皇帝と親密でもないニバムが、いきなりそのような懇願をするのは不自然だ。最悪、会ってもらえない可能性もある。


「それじゃあ、アルヴァだって分かるような目印があればいいんじゃないですか? マリエンヌさんの時は、筆跡で分かるって言ってたよね?」


 ソロンも会議に参加している一人として、提案をしてみた。何となくニバムは怖いので、提案はアルヴァに顔を向けて発している。

 その時、ニバムから鋭い視線を感じたのは、気のせいだろうか……。


「そうですね」


 アルヴァはその程度、当然考えているといった調子だ。それでも、一応は頷いてくれた。


「――ですが、さすがに筆跡だけで察していただける自信はないですね。マリエンヌのように、四六時中仕事を共にしていたわけではありませんから。……まあ、考え方としてはそれでよいと思います」


 それから、腰に差していた杖を手に持って。


「――この杖ですが、五年前にお兄様からいただいたお下がりです。私ぐらいしか覚えていない情報ですから、使えると思います。それから『孫娘のことは残念だった』とでも、付け加えておきましょう。お兄様なら、それだけで察してくださると思います」


 アルヴァはニバムとエヴァートにとって、共通の親戚なのだ。話題を一切避けるのは、(かえ)って不自然というものだった。


「おお、さすがはアルヴァだ! 私の自慢の孫だけはあるな! それならば万事うまく運ぶに違いあるまい!」


 ニバムは存分にジジ馬鹿ぶりを発揮した。……確かによく考えていると思うが、そこまで感動する程だろうか。


「それで、場所はどうするの?」

「落ち合う場所については、お兄様にお任せします。なにせ、あちらのほうが取れる選択肢も多いわけですから。手紙の返事を秘密裏に出すのも、そう難しくはありません。そうして、安全な場所を指定していただけることを願いましょう」

「なるほど……」


 考えてみればその通りだ。こちらから皇帝に手紙を届けるよりも、皇帝からこちらに手紙を届けるほうが(はる)かに簡単なのだ。

 信頼できる家来に手紙を託し、郵便局へ届けさせるだけでよいのだから。恐らくは覗き見も避けられるはずだ。

 方針は決まったので、アルヴァが手紙の文章を書くことになった。あえて彼女の筆跡を残す意味もあるらしい。もちろん名義は伯爵のものを用いている。


 アルヴァは羽根ペンを片手に手紙を書いていった。

 すらすらとよどみなく文章が(つむ)がれていく。手慣れたもので書き損じることもなかった。

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