海都の食卓
「おおぅ、やはり本物だったんだな!」
部屋を出たところで、すぐに壮年の男が声をかけてきた。どうやら、アルヴァが部屋から出てくるのを待っていたようだ。
広い額にかかった茶色い髪。体格も立派で武人といった雰囲気だ。紅い瞳には、伯爵とも似た面影があった。
「ダナム叔父様……! ご無沙汰しております」
どうやらアルヴァの叔父に当たる人物らしい。
「久しいな、アルヴァ。無事でよかったよ本当に」
ダナムは人のよさそうな笑みを見せた。
「ご心配おかけしました」
アルヴァはまたペコリと頭を下げた。
「で、アルヴァを下界から助け出したというのはお前か?」
と、ダナムはソロンへと視線を向ける。
「ええ、まあ……。そうなります」
やや緊張気味にソロンは答えた。
「ほほう……。見た感じは頼りなさそうに見えるがなあ……」
ダナムはなおもジロジロとソロンを観察してくる。
初対面の相手に対して、頼りなさそう――とは失礼な男だ。ソロンもそう見える自覚はあるが、口に出す必要はなかろう。
「はあ……よく言われます」
しかしながら、そんな内心はおくびにも出さず、ソロンは冴えない返事をした。赤髪をかきながら緊張をごまかしてみたものの、そんな自分がちょっと悲しい。
「叔父様、ソロンはこう見えても頼りになるのですよ」
……が、そこでアルヴァが反論をしてくれた。
「――武人としても、剣と魔法の双方に通じています。失礼ながら、剣の腕だけとっても叔父様など足元にも及びません。確かに多少は気の小さいところもありますが、そのぶん優しいところもありますし、意外と気も利きます。それから何といっても、いざという時は私を助けてくださるのです」
抑えてはいるがどこか険しさを伴った声で、彼女は一気にまくし立てた。……隣にいるソロンのほうが、恥ずかしくなるような勢いで。
「い、いや……。何も怒ることはないだろう。頼りなさそうに見えるのに、アルヴァを助けてくるとは大した少年だ――と、俺はそう言いたかっただけだ。……分かった分かった、俺が悪かった。だからにらまないでくれ」
ダナムは勢いに押されて、あっさりと謝った。
相手は頭一つ低い小娘であるにも関わらず、その表情は情けなく狼狽していた。どことなくソロンは同情してしまう。
「分かればよいのです」
いまだ声に熱を残したまま、アルヴァは短く言い捨てた。
「はぁ……まあ、何というか……。親父の怒りを買わないように気をつけろよ」
溜息をついてから、ダナムはソロンに忠告らしきことを言った。
「ど、どうも……」
既に不興を買っている気がしなくもない。
ダナムは手を振って、
「それじゃあ、俺はこれから親父と一緒に港のほうに行ってくるからな。留守番は頼んだぞ」
と、足早に去っていった。
「なにもあそこまで言わなくてもよかったのに……」
ソロンはアルヴァをたしなめたが、
「いいえ、私はソロンの保護者ですから。当然です」
アルヴァは全く悪びれることがなかった。
「それまだ言ってるんだ……。あ、で、今の叔父さんは伯爵の息子さんだよね?」
「ええ、お祖父様から見て次男に当たります。もう一人、長男のテリダム叔父様もいらっしゃいますが、今は帝都に赴任しているはずです。どちらも私の母から見れば弟になりますね」
「しっかしまあ、お姫様はやっぱりお姫様だなあ」
先程のやり取りを遠巻きに眺めていたグラットが、感想を漏らした。分かるような分からないような表現である。
「どういう意味ですか?」
案の定、アルヴァは怪訝そうに聞き返した。
「いやだって、あれはじいさんの息子なんだろ? それがすっかり縮こまってたぜ。やっぱり、この家の中でもお姫様は別格なんだなあ」
「だね。アルヴァやお祖父さんと比べたら、叔父さんは格落ち感があるかな」
ミスティンがさらりと残酷な発言をした。もっとも、ソロンもおおむね同意であったが……。
「そこまで偉ぶっているつもりはありませんが……。叔父様たちと私の母は腹も違いますからね。多少の遠慮もあったのでしょう」
「ふむ、あちらは妾の子で、アルヴァさんの母君が本妻の子ということですか」
押し黙っていたナイゼルがそこで口を挟んだ。
アルヴァの口振りから、ナイゼルは内情を推測したらしい。アルヴァも特にそれを訂正しなかった。
「なんだ、妾を囲っとったとは、あやつも人のことを言えんではないか」
仲間を見つけたとでもいうように、ガノンドの目が光った。
「父さんの場合とは、状況が違いすぎますよ。一緒にしては失礼でしょう」
しかし、ナイゼルが容赦なく切り捨てた。
実際、帝国において妾を持つことは違法でもなんでもない。特に伯爵の場合、家の存続のため男子が欲しかったという事情もあったのだろう。
ガノンドの場合は亜人の奴隷に手を出した末、正妻との仲をこじらせたことが問題なのだ。もっとも、敵国と通じていたのは濡れ衣だったようなので、同情の余地もあったが……。
*
夕刻、イシュティール伯爵ニバムは、館を発って港に向かった。
案内された部屋に荷物を置いた一行は、食卓で夕食を取っていた。
食卓にはイシュテア海で採れる海の幸――それがふんだんに使われた豪勢な料理が並べられていた。
「何はともあれ、お祖父様に伝えるべきことは伝えました。手紙の文面を決めて、後は果報を待つだけですね」
ブドウ酒をついだグラスを片手に、アルヴァはくつろいだ様子だった。
「君にしては楽観的というか、珍しいなあ。僕はどうも、うまくいくのか心配になっちゃってね……」
アルヴァとは対照的に、ソロンは悲観的になってしまう。元から小心な性分なのだ。
「ふうむ、珍しいですか?」
アルヴァは小首を傾げて。
「――ですが、イドリスを発つ前から覚悟はしていましたからね。事が起こった時にどう動くか――それさえ想定しておけば、気に病むことはないはずです。……さあどうぞ」
と、アルヴァがグラスにブドウ酒をついでくれる。
なんとも肝が据わっている。分かってはいたが、ソロンとは器が一枚も二枚も違うようだ。
それでも参考になる部分はあった。この場合、事が起こった時というのは、皇帝から何らかの返事が来た時だろう。
色よい返事が来ればそれでよし。アルヴァが思い描いた通りに進むのなら問題はない。
だから、考えるべきはそうでなかった場合だ。
「例えば、問答無用で捕まえに来る可能性もあるのかな?」
最悪、手紙の返事すらなく、いきなり追っ手を差し向けられる危惧もあった。
「……ないとは言い切れませんね。お兄様のことは信頼していますが、他の者に話が伝わった場合、誰がどのような行動を取るかまでは計りかねます」
「そっか。じゃあ、僕は何があっても君を守れるように心構えしておこうかな。それぐらいしかできそうにないし。……下界に逃げるのも、最終手段としては考えておかないと」
「……駆け落ちの相談?」
ミスティンが魚肉を頬張りながら、ぼそりとつぶやいた。
「…………」
ソロンは聞こえなかった振りをして、ブドウ酒を口に含んだ。
……が、アルヴァにはしっかり聞こえたらしい。数回むせた後で水を飲み込んでこらえた。
それから、ソロンと一瞬だけ目を合わせて頬を紅潮させる――かと思いきや、すぐに視線をそらしてミスティンをにらみつけた。
「ミスティン……! 人聞きの悪いことを言わないでください」
と、底冷えのするような声と共に、そのやわらかそうな頬をつねった。
「あうう……ごめんなさい、もう言わないから」
ミスティンは空色の瞳を濡らして、ソロンに目線で助けを求めた。
ソロンは気づかなかった振りをして、ブドウ酒を口に含んだ。
「いけません! 何をやっているのですか!?」
助けに入ったのはマリエンヌだった。食卓の端のほうで給仕をしていた彼女が、急いで駆け寄ってくる。
「こ、これはその……。単なるふれあいの一環ですよ。友人同士、交流を図っているだけです。マリエンヌが口を出すことではありません」
アルヴァはミスティンをつねる手を離しながら、そんな言い訳をした。
「何がふれあいですか! 淑女たる者が暴力に訴えるだなんて……。一体どこでそんな悪いやり方を覚えたのですか?」
「いえ、その……。ソロンやミスティンがよくやっているので……。私ももう皇籍を剥奪された身ですから……。こうして、市井に混じって戯れるのも一興かな……と」
いつもの凛然とした様子はどこへやら、アルヴァはマリエンヌに気圧されていた。この二人――主従の間柄ではあるが、マリエンヌは母のような役割も兼ねているらしい。
「人がやっているからといって、あなたが真似してよい道理はありません。たとえどのような立場になろうとも、あなたはオライバル様とイルファ様のご令嬢なのです。その誇りを失わないでください」
マリエンヌが滔々とアルヴァをさとすように語りかけた。何歳になろうとも、どんな立場になろうとも、アルヴァは彼女にとっては子供に過ぎないらしい。
「え~ん、アルヴァがいじめるぅ~」
そこにミスティンが、わざとらしい泣き真似で追い討ちをかける。目元に手をやりながら、チラッとマリエンヌのほうを盗み見ていた。その目が楽しそうに笑っていたのを、ソロンは見逃さなかった。
「お、覚えておきなさいよ……!」
アルヴァが恨めしげな視線で、ミスティンをにらみつけていた。
「あ~、なんか昔のことを思い出すなあ。友達のウチに遊びに行った時、ああいうのやらなかったか?」
そんな様子を横目にして、グラットはナイゼルと談笑していた。
このところ、二人はどことなく仲がよさそうだった。前回、港湾都市ベオで命懸けの共闘をした結果、絆が生まれたのだろうか。
「あははっ、やりましたよ。坊っちゃんをわざと怒らせて、ペネシア様に訴えかけるわけですよ。坊っちゃんときたら、ペネシア様には全く頭が上がりませんからねえ……。いやはや、あれは傑作でした」
昔を懐かしむように回想するナイゼルだった。ソロンが聞いていることも気づかず、好き勝手に話している。
……思い出したら腹が立ってきた。いつか復讐しようとソロンは密かに決心したのだった。